第3話
『雀蜂』は上げた顔を唖然と止め、その目を見開いて視線の先を凝視した。
深く被ったフードの下にはサレットをかぶっているのがわかる。
バイザーの奥に隠されたその目を見ることはできないが、顔の下半分は見えた。
やや細いがしっかりとした印象のあごには無精ひげが見える。
固く閉じられた唇は薄く、やや色が悪い。
頬は少しこけている。
ただ、短く喋る時に細く開かれる口から覗く歯は、並びも良く、健康的に見えた。
「……大丈夫、か?」
『名無し』は再び『雀蜂』に声をかける。
そしてその右手が差し伸べられた。
『雀蜂』の視線がその右手に向き、再び『名無し』の顔へと戻る。
それから『雀蜂』は笑顔を見せてその手を取った。
引かれる『名無し』の腕。
引き起こされる『雀蜂』の身体。
立ち上がると『雀蜂』と『名無し』の顔はほぼ同じ高さに向き合った。
ただ、『名無し』の足は地面に少しめり込んでいる。
「あなたこそ大丈夫なの?」
『雀蜂』は『名無し』のバイザーに隠された瞳が緩くそれるのを感じた。
「まぁ……さすがにすごいな」
「さすがにすごいなって……」
すごいのはあなたよ。そう言いたい気持ちを押さえつつ、『雀蜂』は微笑む。
バイザーの奥の瞳が、またそれるように動くのを感じた。
うふ……
少し気が抜けた笑みが零れた『雀蜂』を引き戻したのは『薬屋』の叫びだった。
「まだだよ姉さん!」
転がっていた器具を拾い上げ、声を上げながらふたりに駆け寄る『薬屋』。
ふたりの視線は自然と崩れた塀へと向けらた。
向けられたと同時に『雀蜂』が駆けだす。
未だ痙攣を続けるサイクロプスの眼から短槍を抜くと、サイクロプスの身体が小さく跳ね、地面を揺らす。
そしてサイクロプスの巨体を前にして短槍を構える。
『名無し』は『雀蜂』の脇を抜け、サイクロプスを踏み越える。
三人の視線の先、盾を構えたオークが次々と崩れた塀の瓦礫を乗り越えてくる。
手にする得物やその姿が今までのオークと明らかに違う。
これが敵の本隊なのは間違いがなさそうだった。
違うのは装備だけではない。
動きが明らかに違う。
盾を前面に押し立て、瓦礫を越えると、我先にと攻めかかることはなく、ゆっくりと、整然と、隊列を組み始める。
そして二十人ほどが二列に並ぶと前列が盾を、後列が矛槍を突き出し、足並みをそろえて進み始める。
「うそでしょ?」
『雀蜂』が小さく息を呑む。
個々の武勇を頼って襲い掛かってくるなら、うまく立ち回って各個撃破する希望もあった。
しかし相手は強固な隊列を組み、整然と迫る。
そこに隙が見いだせない。
「俺が引きつける。その間に逃げろ」
『名無し』は小さく、しかし良く通る声でつぶやくと、左手を左の腰に当てた。
「バカなこといわないでよ」
『雀蜂』の声が貫き響く。
「姉さん! 上!」
器具の蓋を開け、試薬を混ぜながら駆け寄る『薬屋』が叫ぶ。
「あなたは後ろに!」
空を見上げながら、『薬屋』に下がるよう言いかけた『雀蜂』の息が詰まる。
空に黒い染みが出来ている。
その染みが次第に濃くなっていく。
無数の矢だ。
上空高くに射られた矢が、こちらに迫ってくる。
それはまさに死だ。
飛来する死だった。
『薬屋』は器具の蓋を閉じ、軽く振って掲げるが、器具は小さく光るのみですぐにその光が潰える。
「こんな時に!」
『薬屋』は器具を激しくゆする。
しかし器具は弱弱しい点滅を繰り返すのみ。
迫る死は止まらない。
そして死は舞い降りた。
『雀蜂』達が考えていたよりも、少し手前に。
背後から降り注ぐ矢の雨に、オークは浮足立ち、隊列は無残に崩れる。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
奇音が鳴り響き、オークの混乱に拍車をかける。
そこに『雀蜂』が突き込んだ。
前列一番端のオークに狙いを定め、その喉元に穂先を突きさすと、そのまま抜かずに身体を捻り、体重を乗せて引き倒す。
短槍は大きくしなり、その反動を乗せたまま、次のオークに叩きつける。オークの身体が大きく仰け反る。
さらに踏み込もうとする『雀蜂』に向かって、後列のオークが矛槍を突き下ろす。
後ろに飛びのく『雀蜂』。
追いすがるオーク。
しかし『雀蜂』と入れ替わるように『名無し』がその行く手を阻んだ。
突き出されたオークの剣を『名無し』の右腕が弾く。
振り下ろされたオークの矛槍を『名無し』の左腕が受ける。
叩きつけられたオークの棘だらけの盾を『名無し』が身体で受け止める。
さらに突きこまれる剣や矛槍。
『名無し』は身じろぎもせず、一身にそれを受け止める。
『名無し』の踏みしめた足が、地面に深い溝を作り始める。
その溝が深くなり、止まった。
それと同時に突き抜けるような金属音が響き、『名無し』に突きこんでいたオークが一斉に弾かれ体勢を崩す。
『名無し』の脇を抜け、『雀蜂』が飛び込む。
短槍を短く振り回すと、すぐに飛び退く。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
そして再び『名無し』が立ちはだかる。
オークの隊列はすでになく、戦いは『名無し』を挟んだ乱戦へとなだれ込む。
WoWWoWWoWoooooowwwwww!
三回目の奇音。
そこに別の音が重なった。
「来た!」
さらに重なる『雀蜂』の歓喜。
そこに再び先ほどと同じ別の音が混ざる。
そして崩れた塀の瓦礫を、なにかが次々と飛び越えた。
轟く馬の嘶きと地面打つ蹄の音。
街の中に突入した騎馬隊は、次々とオークを蹴散らしていく。
隊列の乱れた歩兵が統率の取れた騎兵に敵うはずもなく、文字通り蹂躙されていく。
こうなると『雀蜂』達の出る幕はない。
なおも追いすがろうとするオークの攻撃を『名無し』が引き受けながら、広場外縁へと後退する。
騎兵には敵わないと察してか、最後の意地を見せてなのか、追いすがるオークは執拗だ。
しかし『名無し』の守りは固く、オークの攻撃は殆どが真っ向から受け止められ、弾き返され、体勢の崩れたところを騎兵が横合いから攫って行く。
広場の外れの崩れた屋台にたどり着いたころには、騎兵は広場の中に散開し、ゆっくりと巡回しながら地に伏したオークに槍を突きさしていた。
「助かったぁ」
『薬屋』は崩れた屋台の上に腰を落とすと大きく息を吐いた。
「がんばったわね」
『雀蜂』は『薬屋』の頭を軽く二回叩くと、その視線を『名無し』に向ける。
「ありがとう。助かったわ」
「ああ」
『雀蜂』の言葉に『名無し』は小さく答えると、その視線を騎兵の方へと向けた。
騎兵の一騎がこちらに近づいてくる。
「あのサイクロプスはお前がやったのか?」
その問いに『雀蜂』は首を横に振った。
「違うわ。わたし達が倒したのよ」
「なるほど」
騎兵は大きくうなずいた。
「時に先遣隊が来ていたはずなのだが」
その言葉に『雀蜂』は無言で首を横に振る。
騎兵もそれ以上は問わず、無言で眼を閉じ、胸に手を当てた。
「……とにかく、時間を稼いでくれて助かった。この広場より先に侵入を許していたら酷いことになっていただろうからな。冒険者か?」
「そうよ」
「そうか、惜しいな」
騎兵の言葉に『雀蜂』は肩をすくめた。
肩をすくめた『雀蜂』の視線が、騎兵を外れてその背後、門の方へと移った。
つられるように騎兵も馬首をそちらに向ける。
「状況を報告せよ!」
門から入ってきたのは派手な鎧を身に着けた人物。騎兵二人を従えてゆっくりとこちらに向かってくる。
「侵入した敵兵の殲滅は完了。こちらの被害については詳細は調査中。現段階の確認状況では西塀の一部が崩壊。櫓の一部が焼失。門扉破損。先遣騎馬隊は残念ながら全滅。守備隊の死傷者も多数。ただ街内部への被害は、彼らがここで食い止めてくれたおかげで軽微です」
「ふん……」
馬上の男は『雀蜂』達に一瞥を向ける。
「どぶさらい風情が、なかなかどうして役に立ったな」
男はそう言い放つと、後ろに控えた騎兵に手を差し出す。
そして小さな革袋を一つ受け取ると、『雀蜂』の足元へと投げた。金属の小さくぶつかりあう音が響く。
「どんな輩であれ、労をねぎらうことにやぶさかではない。まずはそれで酒でも飲むがいいだろう。正式な報奨は追って沙汰を待て」
そういい放つと騎兵二人を引き連れて、町の大通りへと去っていった。
「すまんな」
袋を拾い上げる『雀蜂』に対し、騎兵が小さく頭を下げた。
「あのかたは中央からこっちに派遣されたかたでな。決して悪い人ではないのだが」
「中央から? じゃあ左遷ね」
騎兵は顔をしかめながら肩をすくめる。
「これ以上問題があるとあのかたの立場も危ういからな。ここが落ちなかったことを一番喜んでるのはあのかたかもしれん。心の底ではお前たちに感謝してるだろうよ」
「もらえるものがもらえるなら、わたしはそれでいいわ。気前がいいならなおのこと」
『雀蜂』は袋を軽く投げ上げてその重みを確かめると、その袋を脇に立つ『名無し』に差し出す。
「一番の功労者のあなたに預けておくわ。でも独り占めは無しよ」
「……わかった」
『名無し』は小さく呟いた。
その様子を見て『雀蜂』は笑みを浮かべ、それから騎兵に向き直ると、笑いながら付け足した。
「それにわたしたちの先輩が、どぶさらいだったってことは本当のことだしね」
「よく無事に戻った!」
会館に戻った三人を真っ先に出迎えたのは長であった。
「ひよっこだったお前たちが、オークから街を守るどころか、サイクロプスまで倒しちまうとはなぁ」
「流石に耳が早いのね」
『雀蜂』が感心したように笑う。
「この街にあって、一番に知るのが俺の仕事でもあるからな」
そういって笑いながらふたりをカウンターの方へと誘った。
討伐隊から戻った冒険者の溢れる中を長について抜けていく。
賛美を上げるもの、羨望のまなざしを向けるもの、気にも留めないもの、冒険者の様子はいろいろだ。
カウンター前まで来たところで、長は三人目がいることに気がついた。
「ん? そいつは?」
「一番に知るのが仕事じゃなかったの?」
『雀蜂』が噴き出した。
「いや、サイクロプスに正面からぶつかったやつがいたってのは知ってたが……この目で見るまでは俄かに信じられなくてな。本当にそいつなのか?」
「そうよ!」
『雀蜂』はふたりの後ろに立っていた『名無し』の手を引くと、前へと引き出す。
されるがままに引き出される『名無し』。
「彼がいなかったら、わたしも弟も地面の染みになってたわ」
「なるほど。その場で共に戦ったお前がそういうなら間違いはないな」
長は頷くともう一度『名無し』を見る。
「とにかく俺の目も、ずいぶんと節穴だったってわけだ」
そういって頭を掻くと三人を席へと促し、自身はカウンターの裏に入ると三人の前にグラスを並べる。いつもの木のカップではない。透明なグラスだ。
「とっておきを開けてやろう」
そういって長は奥の棚から瓶を一つ取り出すと、蝋で封がされた蓋をナイフで削り取り、その中身をグラスへと注いだ。
グラスの中に黄金色の波が揺蕩う。
「蜂蜜酒!」
『薬屋』がカウンターに置かれたグラスを横からのぞき込む。彼の瞳に揺蕩う波がやさしく映る。
「ちょっと懐かしいなぁ」
「飲んだことがあるのか?」
長の問いに『薬屋』は顔を上げると、少し眉をゆがめて笑った。
「おいしい!」
『雀蜂』がグラスを傾け、そして声を上げた。
「なんだ、お前は蜂のくせに初めてなのか」
「蜂じゃなくて『雀蜂』よ」
言い返す『雀蜂』に長が笑う。
「おいしいわよ?」
『雀蜂』は脇に座る『名無し』に顔を向け、話しかける。
『名無し』はまだフードを被ったまま、それでも『雀蜂』に促されるようにグラスに手をかけるとフードの下の顔へと持っていく。
「……旨い」
「でしょ?」
『雀蜂』も再びグラスを傾ける。
三人の前に皿が提供される。
皿の上にはチーズと腸詰が乗せられていた。
「大盤振る舞いね」
『雀蜂』がチーズを手に取って笑う。
「そりゃそうさ。おかげでこっちはここを手放さずに済んだわけだしな」
長はそう言って笑うと『名無し』に顔を向ける。
「お前さんへの罪滅ぼしって意味合いも、無いといえば嘘になる。追い出したりして悪かった」
「いや……」
『名無し』は言葉少なにそう答えた。
「ただ一つ教えてくれ」
長は空いたグラスにそれぞれ蜂蜜酒を継ぎながら、『名無し』に問いかける。
「お前さん、格闘士だったよな? 攻手ってことでこっちは登録を受けてたと思うんだが」
「ああ」
フードの奥で『名無し』の首が縦に振られる。
「やっぱり格闘士なの?」
『雀蜂』が腸詰をかじりながら『名無し』に顔を向ける。
「でも護手の技も使ってたわよね?」
「あの腰に付けた変わった機械も! あれなんです?」
『薬屋』も『雀蜂』の身体の陰から身体を少し突き出して『名無し』に顔を向けた。
「いや……」
『名無し』はやはり短くそう答えると、グラスを傾ける。
空になったグラスに長が蜂蜜酒を継ぐ。
「なんとなくわかってきたな」
長は『名無し』向き直ると腰に手を当てて頷く。
「お前さんはあれだ、人と通じ合う能力に欠けるところがありそうだな。どうもそこいら辺から妙な誤解が生まれていそうだ」
「……いや……ああ……」
再びグラスを飲み干し、小さくそう答えるとゆっくりと俯く。
「でも腕は確かなんだから、そこはそのうち慣れるわよ」
「慣れるって言ってもなぁ。駆け出しならともかく、こいつはもう長いこと冒険者をやってるんだぞ」
「あ、そうか……」
長の言葉にすこしばつが悪そうに『名無し』を見る『雀蜂』。
『名無し』は静かに俯いたままだ。
「でも今日のことで誤解は解けるでしょうし、これから、これからよ!」
『名無し』に笑顔で話しかける『雀蜂』。
しかし『名無し』は俯いたまま反応がない。
「あら? 怒ってます?」
『雀蜂』は『名無し』の肩を軽くたたいた。
俯いていた『名無し』はそのままカウンターに突っ伏す。
カウンターを転がるグラスを慌てて抑える長。
飛んだ腸詰を受け止める『薬屋』
それ以上倒れないようにと支える『雀蜂』
「ちょ! 大丈夫!」
「……ぁぁ……」
『雀蜂』の呼びかけに、『名無し』は小さく答える。
そして緩やかな吐息。
その声は明らかに『雀蜂』に応えた寝言だった。
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