白き翼の翻り

和泉茉樹

白き翼の翻り〜何度でも舞い上がる

 空気が焦げる、と彼らは表現する。

 彼ら、飛行艇の操縦士たちは、とかく、この表現を多用するのだ。

 銃弾が自機のすぐそばを飛び過ぎる時。自機がその機動性の全てを振り絞って、極端な軌跡を描く時。

 今も、目の前で空気は焦げ付いている。

 機体に有線で接続されたゴーグルには無数の黄色い表示。赤もいくつかある。

 緑は、ない。緑は正常を意味する。

 左手は推進器の出力を調整するレバーを握り、右手は操縦桿だ。

 両方に無数のボタンが付属していて、今も複雑な順番で、次々とボタンを打つ。

 推進器の出力は思ったように上がらない。循環器の出力でカバーしようとするが、右翼の循環系統に異常。無数の管を流れるシュタイナ液が想定よりも低速で、完全なカバーは難しい。

 我らが魔法の液体、シュタイナ液は高速で循環させることで、浮力を発生させる、画期的な発明である。

 これにより人間はより自由に、空を駆け、あるいは空で生活できるようになった。

 でも今は、その魔法が機能不全を起こしているわけで、恨みしか浮かばない。

 機体を滑空させつつ、浮力の調整で、機体を右へ左へ、揺さぶる。

 すぐそばを銃弾が過ぎ去る。危ない。

 機体を回転させ、周囲を確認。古い機体なので、コクピットは上面しか確認できない。もしこちらの不意をついて、敵機が真下から突っ込んできたら、致命的だろう。

 まぁ、それはこちらも常に織り込んで行動している。

 今も、後方斜め下に一機、引っ付いている。

 仲間が一機いたが、それは俺がさっき、落とした。狙い打たれた推進器から黒い煙を上げて視界から消えたけど、今はどこかで海水浴だろう。

 相手を振り切るべく、機体を上昇させる。

 敵機が数回の銃撃の後、こちらの後方に占位。

 向こうの機体は万全のようだ。ただし、パイロットは頭に血が上っている。

 それが勝敗を分けるのだ。

 俺は機体の制御で手一杯だが、心には余裕がある。

 なんせ、この機体は全てが正常でいる時間の方が短い。

 驚くべきことに、十年前の機体だし。骨董品である。

 骨董品に命を預けていると考えると、正気じゃないけど。

 ある程度の高度で俺は機体を反転させる。この瞬間が一番危ない。空中でこちらの機体が静止するのに近い。

 当然のように、歓喜と凶暴さを少しも隠さず、敵機が発砲する。

 当然のように攻撃するということは、こちらも読んでいるのだから、思うがままになる。

 わずかに機体を捻るだけで、銃弾はこちらに当たらない。相手には魔法にように見えたかもしれない。

 翼の舵を使わない、シュタイナ液と循環系統による機動だった。

 しかも左翼だけを使った、我ながら、鮮やかな技術。

 機首を真下に向けた俺の方に、敵機が突っ込んでくる。

 銃弾が交錯。

「わお」

 思わず声が漏れたのは、あまりに操縦席の近くを銃弾が掠めて、高硬度樹脂製の覆いがビリビリと震えたからだ。

 ただ、相手はもっと酷い。

 推進器に二発、翼に一発を受けて、姿勢が激しく乱れ、錐揉みしている。

 小さな爆発音ともに推進器が破裂する前に、その翼が循環系統の破れから吹っ飛んで、飛行能力はなくなっていた。

「これでチキンディナーだ」

 声に出して言いつつ、機体の姿勢を整える。下を確認すると黒い煙があるだけで、敵機はいなかった。

 契約者からの指示で武装集団「スゥーリラ」の浮遊基地への偵察を命じられたのが今回の仕事で、結果、偵察中の敵機二機と交戦になったのだけど、そんな事態も契約に含まれている。

 二機撃墜した報酬で、機体を整備できる。

 浮遊基地を叩く仕事も、すぐにありそうだった。

 機体をぐるりと旋回させ、俺と妹が生活する浮遊小島への帰路に着く。

 この機体の名前はアレックス・ツヴァイ。各所の部品も最新のものに変えているけれど、それが余計に、機体を古く見せている気もする。

 右翼の調子を見て、循環器の出力を抑えると、推進器がまごまごし始めて、思わず舌打ち。

 どうにかこうにか拠点にたどり着き、無線で合図を出すと、格納庫の入口が開く。

 目の前にある小島は宙に浮いているけど、小島というよりは岩の塊に近い。上の方に少しだけ緑があって、他は石でできている。すでにいない両親が作った島で、中心にはシュタイナ液の技術を応用した浮遊機関がある。

 岩で偽装された扉が開き切り、そこに機体を滑り込ませた。

 急制動で速度を消して、ふわりと着地。

 操縦席を解放して、ヘルメットを席に放り出す。汗を操縦服の袖で拭った。

「何機落とした?」

 格納庫の扉が閉まる音に負けない大声で叫んだのは、工具箱を持って歩いてくる我が妹だ。

「二機だよ」

 床に降り立った俺に、リューチェが水のボトルを放ってきた。そして俺の横で、機体を眺めた。

「右翼が死んでいるね、被弾している」

 ぎょっとした視線を向けるけど、白く塗装されている機体でも、あまりに汚れや傷みが激しすぎて、すぐにはわからない。

 リューチェが俺の背中を叩く。

「明日には直しておく。料理、よろしく」

「わかったよ」こちらも彼女の背中を叩く。「今日はチキンを用意してある。楽しみにしておいて」

 頷いたリューチェは機体へ向かい、俺は汗を流すためシャワールームへ向かった。


 空の時代、と呼ばれる現在の世界は、様々な問題を抱えている。

 地上には無数に国家があり、同時に空中にもいくつかの国家がある。経済や資源の問題、制海権と海運、制空権と空輸、そういうあれこれが、渾然一体として激しく揉めているのだ。

 そんな時代の初期から、飛行艇を運用する武装集団がおり、その発生とほとんど同時に、賞金稼ぎも生まれた。

 俺も、父親も、そうだ。

 父親はあいにく、死んでいるけど。

 その日はついにスリィーラの基地を叩く日だった。いつも通りに小島から飛行し、途中で三機の味方と合流した。

「なんだ、そのポンコツは」

 仲間の一人が通信で呼びかけてくる。俺はスイッチを弾いて、繋ぐ。

「親父の形見でね」

「アレックスだろ? 白いアレックス? そうか、あんたが、ロートルか」

 ロートル。俺の通り名のようなものだ。ちなみに、今、通信をしている味方の一人は、三年前の機種の飛行艇の乗っているのが見えた。

 しばらく他の二機も交えて雑談をしているうちに、作戦空域に入った。

 記録装置を起動し、戦闘に備える。通信もピタリと止んだ。四人ともが周囲を警戒している。

 スリィーラの飛行基地の位置はおおよそ掴んでいる、というか、情報だけもらったから、それを信じている、というべきか。

 彼らも俺に味方を二機、落とされているから、何の警戒もしていないわけがない。

 しないわけがないのに、しばらく飛んでいても、何も起こらなかった。

 おかしい、と感じ始めた時、前方に飛行基地が見えた。俺が生活している小島よりもはるかに大きいけど、それでも飛行都市と比べれば、小さすぎる。

 周囲を五機の飛行艇が飛び回っている。やはり警戒している。

「行くぜ、野郎ども」

 味方の一機が速度を増して、突っ込んでいく。俺も出力を最大にして、それを追う。他の二機も付いてきた。

 戦闘は一方的だった。

 相手の方が数が多いことなど無視して、こちらは容赦なく、舞い踊った。

 機体がギシギシ軋み、即座にゴーグルの中の緑の表示が黄色に変わる。

 推進器が咳き込む。やはり調子が悪い。

 こちらが追いかけていた敵機が逃れようと小さな円の宙返りを打つ。推進器に気を取られていて、反応が遅れる。立場が逆転、こちらが背後を取られた。

 仲間の様子を確認する間もなく、銃撃を回避。際どい。

 右へ不自然な角度で機体を翻す。斜めに落ちるような軌道。

 敵機は喜び勇んで、こちらへ銃口を向けた。

 素人はすぐに誘いに乗るから、ありがたい。

 こちらの機体が機首を軸にして、ぐるりと回る。推進器に無理がかかり、一瞬、停止。

 構わず、循環系統の浮力を操り、我が愛機は完璧なタイミングで敵機を照準に収めた。

 発砲。

 ただ、衝撃と同時に。

 操縦席に覆いに蜘蛛の巣状のひびが一つ。それを反射的に見た俺の視界の中、ゴーグルの表示では一気に赤が増えていた。

「散弾?」

 こちらが撃墜した飛行艇はすでに落ちていっている。

 その機体の意図が不明だった。どうやら散弾を装填していて、撃ってきたのだが、散弾でこちらが撃墜される可能性なんて、ほとんどない。

 俺の機体がオンボロだから、今、かなり切迫した状況になっているけど、新型なら軽度の損傷で済んだはず。

 全く意図がわからないながらも、撃墜したのだから、と俺は即座に機体の推進器を再起動させる。もたつくのを、循環系統からの強引な起動で、叩き起こす。

 瞬間、すぐ近くで爆発が起きた。反射的に視線を向ける。

 どっちだ? 敵か? 味方か?

 煙の中に見えるのは、味方だ!

「上だ!」

 生きている二機の片方の操縦士の叫びは、最後、不自然に途絶え、再度の爆発にかき消された。あっという間に二機が落とされた!

 舵を切って機体を横へ、真上からの銃撃を回避することができた。翼端を弾丸がかすめたが、問題ない。

「逃げろ! 早く!」

 俺は叫びつつも、操縦を休むことはできない。

 真上から急降下してきた敵機が、あっという間にすぐ横を走り抜けた。

 とんでもなく速い。

 だけど、空中戦は速さ比べが全てじゃない。

 無駄のない動作で、機体を降下させる。敵機の後を追うのだ。上昇に転じる瞬間を、狙えるだろう。

 機首が巡って、真下を向いた時、敵機は旋回に入っていた。

 照準、発砲。

 当たらない。くそ、結局は速さ比べになるのかよ!

 無駄玉を撃つと、逃げるしかなくなる。機体をこちらも急降下させ、どうにか次のチャンスを狙おうとする。

 しかし、どこの誰だ?

 青く塗装された機体。しかも、どこかで見た。実機を見たんじゃない、写真か何かだ……。

 再度、こちらが照準を向ける。外すはずがないのに、外れる。

 一瞬で照準装置の状態を確認。黄色い表示、故障か。

 意識がそこに向いた時、突然に鈍い音を発して、推進器が停止した。

 最悪だ。循環系統との接続に障害が発生していることを、ゴーグルの中の赤い表示で知る。

 推進器と循環系統のラインを予備に切り替える。

 ただ、この瞬間は、どうしようもなく、俺に不利に働いた。

 敵機はすでに旋回を終え、こちらを必要最低限の動きで、捉えている。

 逃げようにも、今はシュタイナ液の高速循環が発生させる浮力しか、頼るものがない。

 反射的に推進器の再起動と同時に、翼の浮力を最大に設定。

 予想しない出来事には本当に驚かされると、この瞬間、思い知らされた。

 右の翼の半ばが吹っ飛び、翼は途中から千切れてどこかへ行ってしまった。

 さっきの散弾で循環系統をやられたんだ、と気付いたのは、左翼の浮力に引っ張られて機体がデタラメに、駒よりも激しく回転している時だった。

 そして、銃声と、衝撃が襲いかかる。

 よく狙えたものだと感心するほど鮮やかに、青い機体の操縦士は、俺の愛機の推進器を銃弾でズタズタにしてくれた。

 万事休す。

 俺は機体とともに落ちていった。


「兄貴!」

 受話器から聞こえた声に、俺は思わず少し耳を離した。

「どこにいるのっ? 怪我は?」

「何のことはない。今いるところは、ど田舎の駅だ」

「駅? 地上ね? 機体は?」

 俺はちらっとホームに止まっている貨物列車を見るけど、見えるのはコンテナだけで、中身は見えない。

 しかし、実の兄が撃墜されて、かれこれ五日も音信不通だったのに、機体の心配をするか?

「機体はほとんどダメだな。まぁ、諦めてはいないよ、俺は」

「直しに行くの? また借金だわ」

 今度は借金の心配か。

 そろそろ列車の発車時間だった。

「クローチェの親父の工場に運ぶ。お前も来るといい」

「そうね。そうだ、謝らなくちゃ。鍋を一つ、ダメにしたわ」

 ……料理はするな、と常々、言っているのに。

「鍋なんかいい。また工場で会おう」

 俺は受話器を置いて、発車のベルに急かされるように列車の三等客車に乗り込んだ。

 鉄道で三日の移動から、荷を小さな船に載せ替え、一日の移動。

 そうしてジェネーベと呼ばれる港町にたどり着いた。船のまま、川に面している工場の倉庫 に入った。時間は早朝だ。川には霧が出ていた。

「久しぶりだな、レイアム」

「助けてほしいんだ、クローチェ」

 一足先に船を降り、俺は出迎えた中年男と握手した。

 俺たちが見守る前で、船に取りつけられていたクレーンが、荷物を倉庫の床に降ろし、それを見届けた俺は船主に料金を払った。

 見せてもらうよ、とクローチェが機体の残骸を眺める。

「新造するべきじゃないかね?」

 ちょっとだけ覆いをはずし、すぐに戻してクローチェが言う。俺は肩をすくめた。

「ちょっとだけでも、そいつの面影を残してくれ」

「やれやれ。妙な注文だな。資金は?」

「これから稼ぐ」

 今度はクローチェが肩をすくめ、こちらに戻ってきた。

「ここのところ、景気が悪くてな、物価がかなり高い。そして、我がクローチェ工場は、資金繰りが難しいんだ」

「なんだって?」俺はわざと知らないふりをした。「昔のよしみで、やってくれよ」

 昔のよしみ、というのは俺との付き合いではなく、俺の両親との付き合いでもある。

「あの二人の使った機体なんだぜ?」

 だめ押しにそういうと、心底からウンザリした顔で、クローチェはもう一度、機体だったものの方へ向かい、今度は全部の覆いをはずした。

 しばらく眺めて、こちらを振り返る。

「高くつくぞ。リサイクルできるのはほんのわずかだ」

「仕方ないさ。俺の不手際でそうなったんだ」

 やれやれと首を振ったクローチェが仔細に機体を確認し始めた。

「誰にやられた?」

 こちらも見ずに発せられた問いに、俺は思わず苦い表情になる。

「あれは、ワルキューレだ」

 ピタリと動きを止めて、質問したクローチェが怖い顔でこちらを振り向いた。

「からかっているのか?」

「冗談じゃないんだよ、クローチェ。俺も信じられないが、あれはワルキューレだった。例の大陸横断レースで優勝した機体だ」

「馬鹿な。レースは九ヶ月前だった。あの時はレース用の特別機で、今も市販されていない」

 その辺りは、俺にもわからなかった。

 大陸横断レースは、飛行艇で行われる世界五大レースの一つだ。

 そのレースで優勝した機体の写真は俺も何度か見ていた。その写真と、例の青い機体はほとんど同じだった気がする。

「信じられん……」

 唸るように、クローチェが呟く。

「新しい推進器が欲しいんだけど、どうなる? いいものがありそうかな」

 こちらから尋ねても彼は返事をしなかった。何かを考えていた。

 その顔が、こちらを向く。

「一台、良いエンジンを知っている。チューリング二十六型だ」

「へぇ、良いね」

 その名前は知っている。そのエンジンは、ワルキューレが優勝したレースで、三位に入った飛行艇に搭載されていたと記憶していた。

「どこにある? 興味あるな」

「それがな、博物館にある」

 すぐに言葉を理解できなかった。

 博物館?


 ジェネーベにある、個人経営の博物館に、大陸横断レース三位のマシンが、展示されていた。

 俺は到着したその日の午後に、その博物館へ行って、その機体と、取り外されて展示されているチューリング二十六型を確認した。

 ヨダレが垂れそうな、魅力的なフォルムの推進器だった。

 ただ、問題なのは、これが売り物ではない、という点だ。

 買おうと思っても、とてもすぐに買える値段ではないだろう。

 仕方ない、この推進器は諦めよう。他を当たるしかない。

「レイアム・コンロンだね?」

 突然、声をかけられて、足を止めた。場所はまだチューリングの前だった。

 そこにいる男は高級そうな背広を着ていて、飛行艇とはまったく無縁に見える。背が高く、年齢は俺よりも僅かに上か。

 ただ、気配は溌剌としていて充実がうかがえる。知らない顔だった。

「どちら様?」

「ついてくるといい、すぐわかる」

 彼はそのままつかつかと革靴の底を鳴らしながら、離れていく。なんとなく、ついていかなくてはいけない雰囲気だ。

 彼は博物館の中を進み、途中で中庭に出た。

 思わず俺はそこで、足を止めた。

「これは……」

 中庭は広く、そこに今、一機の飛行艇があった。

 真っ青な機体。流線型で、鋭いフォルム。

 ワルキューレだった。

「珍しいお客ですよ、マロンドさん」

 僕をここまで連れてきた男がそのまま歩いて、中庭にあるベンチに座る老人の前に立った。

 皺だらけの顔、その瞳がこちらを見る。

「彼が、レイアム・コンロンです」

 老人は無言で手招きした。

 あまりに事態が突然すぎて、俺は彼らの側へぼんやりと歩み寄った。

「落とされた、と聞いたが?」

 老人の年齢はわからないが、非常にはっきりした声だった。

「落とされても」相手の立場がわからないまま、俺は答えた。「死なないこともある」

「幸運の持ち主だな」

「あるいは」

 老人が何度か頷き、こちらをじっと見据える。

「また飛びたいかね?」

「当然です」

 もう一度、老人が頷くと、俺をここへ案内した背広の男が言った。

「彼は、チューリングを見ていました。レースで三位に入った奴です」

「よかろう」

 何が、よかろう、なのか、わからなかった。

「あの推進器を、差し出してもいい」

 今日は本当に信じられないことばかり起こる。

「しかし」

 老人がすっと立ち上がった。そして手に持っていた杖でポンと俺の足を叩く。

「このワルキューレの操縦士、マッケインと一騎打ちをしてもらう」

 背広の男が僅かに姿勢を正した。

「一騎打ち?」俺には全く理解できない流れだ。「そんなことをさせて、あなたに何の利があるんですか? あなた以外にも、誰かが利益を得る? それとも決闘を興行か何かにする?」

「興行にはしない。身内だけの催しになるだろうな。つまり、趣味、としか言えんな」

「趣味のために、空中戦をやらせる? すごい趣味もあったものです」

 俺の返事が面白かったのか、老人が声を上げて笑い、今度は杖を持ち上げて、俺の肩を叩く。

「やるのかね? それとも、逃げるかね?」

「俺の父親は、逃げたことがないのが自慢でした。それは俺の誇りでもある」

「君の父親は知っている。よく似ている」

 今度も意外な返事だったけど、追及することはできなかった。老人がせかせかと話を進める。

「どこの工場で機体を直している? 推進器はそこへ届ける。今日中に。しかし決闘の期日は今、決める。そうだな……」

 老人は半月後を指定した。

「いいかね? マッケイン?」

「仰せのままに」

 恭しく一礼し、それからマッケインがこちらに手を差し出してくる。俺は仕方無く、その手を握った。

 クローチェの工房に帰ると、彼は製図台の前で、もう図面を引いていた。肩越しに振り返り、ニヤニヤと笑う。

「いい推進器だっただろう? 今、伝手を頼って、あれより劣るが、悪くない推進器を手配しようかと、考えていた」

「どうやら、その必要はないな、クローチェ」

「なぜだ? もしかして、この仕事は取りやめか?」

 そうじゃない、と俺は彼の横まで進み、彼が描いている図面を眺めた。

「どういうことだ?」

「チューリング二十六型が、手に入った」

 聞いた途端、クローチェが椅子から転がり落ちそうになる。

「俺も信じられない。その代わり、新しい機体は、半月で仕上げなくちゃならないし、その上、すぐにワルキューレと実戦だ」

 どうにか姿勢を整えたクローチェがまじまじとこちらを見ている。

「作り話か?」

「嘘じゃない。本当に今日にも例の推進器が来る。腰を抜かすなよ」

「自信がないな。悪い夢だよ、これは」

 その言葉と同時に、扉が勢いよく開かれ、俺とクローチェはビクッとそちらを見た。

「何? 二人とも。今、着いたよ」

 そこには、大荷物を抱えたリューチェがいた。


 新しい機体は、アレックス・トライと名付けられた。

 アレックスの名前を冠するシリーズは、その製造元のメーカーではすでに生産が終了していて、アレックスと名付けたのは、ただのこだわりだった。

 色は白。今回は眩しいばかりに、美しい。

 新品の機体の飛行テストは、結局、期日までには終わらなかった。

 老人が指定した期日に、指定された絶海の孤島へ向かう必要があり、移動に三日かかる。

 期日の四日前にどうにか基礎的な飛行の確認ができ、これは大丈夫だぞと思ったのもつかの間、高速飛行のテストも兼ねて、指定された孤島へ向かう事態になった。

「お前さんに限って無理はしないだろうが、心配だな」

 そんなことをクローチェが言う一方、リューチェが少しも心配していないようで、いつも通りだ。

 出発の朝、二人は決闘の朝には現地に着けるか微妙なこともあり、まるで今生の別れのような雰囲気で、どうにも不吉で、嫌な感じを受ける。でも、二人の言葉を素直に聞いておいた。

 新しいアレックスの循環器が駆動し、ふわりと機体が浮かび上がる。そのまま安全な高度に達したところで、推進器を起動する。チューリング二十六型が唸り、機体が宙を滑り始める。

 工場の上で三回ほど旋回し、俺はその場を離れた。

 三日の間、ほとんど不休で飛び続け、孤島にたどり着いたのは、決闘前日の夕方だった。すでにワルキューレは砂浜に着陸している。整備士が整備しているのを横目に、俺は自分の機体も砂浜にゆっくりと下ろした。

 今度はワルキューレの整備士たちがこちらをじっと見ている。

 それを無視して、俺は浜辺のすぐそばに見えた、急ごしらえらしい小屋に向かった。

「来たね」

 ハンモックに寝ていたマッケインが、身軽に降りて、出迎えた。

「マロンドさんは?」

「決闘の前には現れるさ。老人はこんな不便な場所には長くいたがらない」

「その通りだな」

 俺がそう言うとマッケインが忍笑いを漏らす。

「ところで、あのワルキューレはどうやって手に入れた?」

「秘密さ」

「言えない、と受け取っておくよ。それにマシンだけじゃなく、操縦士の腕も良い」

 マッケインは頷いて、ハンモックに戻ると、小屋の隅の畳まれたハンモックを示す。

「適当なところでハンモックで休むと良い。地面に寝ると、虫か蜘蛛か蛇にやられるぞ」

「もうひとつ、質問がある。スリィーラの連中に雇われていた?」

「答えははっきりしている。私は君を撃墜したんだから」

「悪くない答えだ。明日、容赦なく、落とせる」

 小さな笑い声を発して、彼は丁寧な仕草で、またハンモックを示した。

「どうぞ。ゆっくり休んで、私を落として見せてくれ」

「いや、操縦席で眠るよ」

 マッケインは何も応じずに、目を閉じた。

 俺はその夜を、機体の操縦席で過ごした。窮屈でも、気は楽だ。

 翌朝、朝食を食べていると、大型の飛行艇が降りてきて、着陸したその機体から、四人の男女が降りてきた。マロンドとその友人らしい。若い者は一人もいない。

「開始は一時間後としよう」

 老人の言葉に、マッケインは何も言わない。俺も別に構わなかった。

 一時間はあっという間に過ぎ去った。

 マロンド老人の指示で、マッケインの方の整備士の一人が、即席の旗を用意し、合図をすることになった。掲げられたその旗が振られた時、戦いが始まる。

 こういう飛行艇同士の決闘の常で、両機は垂直上昇からスタートする。

 俺もマッケインも、それぞれに機体を浮遊させ、機首を天に向けた。推進器を起動しつつ、姿勢を維持。

 合図の整備士が、旗を、振った。

 推進器の出力を最大に。二機の飛行艇が天へと突き進む。

 お互いに機動を交差させつつ、即座に決着をつけるべく、相手に機銃を向けようとする。

 同時にそれぞれがそれを避けようと意図して、機動はもつれた糸のようだ。

 何度も何度も、位置が入れ替わり、両機が乱舞する。

 それがずっと続いた。いつまでも踊っていられるような錯覚。

 まるで銃を向けあっているとは思えない、静謐で、穏やかで、でも刹那的な、空気。

 次の瞬間に自分が撃ち落とされることも、相手を撃ち落とすことも忘れるような、そんな時間が過ぎる。

 破綻は一瞬だった。

 こちらの銃が火を吹き、ワルキューレの翼の端が爆ぜる。

 ただ、ワルキューレもそれを物ともせずに機を翻し、応射。

 回避は、しきれない。

 かすかな衝撃。ゴーグルには右翼にわずかな損傷の気配が見えるけど、詳細は不明。でもまだ飛んでいるで、まだまだ飛べそうだ。

 再び、美しくすらある均衡が訪れた。

 互角だった。お互い、一歩も譲らない。

 決着することが、想像できない。

 お互いが、お互いのことしか見ていないのがわかる。

 そんな中でただひたすら、俺は、舞っている。

 銃火が瞬く。

 こちらもぴたりと同時に引き金を引く。

 かすかな光が、閃いた。




(了)

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白き翼の翻り 和泉茉樹 @idumimaki

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