第14話受難は続く
……エマはユンハルトゥラ連合王国の北端、ジュンハラ山脈の麓にある村で生まれた。
小さな、村だった。
山を越えればそこは【三日月湖畔】。
神話によれば、水竜クードロンの首の一つが落ちた時に、山を抉って生まれた湖だという。
深く大きな湖の縁には、馬車がぎりぎり通れるかどうかくらいの細い道があり、その形から名付けられたのである。
村、というより村が存在するジュンハラ山脈の辺りは、世界でも唯一無二のとある特徴を持っている。
それは、暗黒大陸ワーズワースと陸続きで繋がっているという点である。
そのため古くから、ワーズワースの住人である
独自の素材や文化、技術交流のお陰で、辺境の割りに村は栄えていた。
世界大戦が、起きるまでは。
敵国と繋がる唯一の陸路に、戦術的価値を見出ださない程、各国は愚かではなかった。
ちっぽけな村には基地が作られ、住人たちは選択を迫られることとなった。
即ち――どちらに転ぶかということだ。
村の意見は二つに割れた。古くからの隣人を頼り
そして、エマの両親は。
「……ぅ、うぅ……?」
鼻孔をくすぐる薫りに、エマの意識はゆっくりと浮上した。
長く、そして懐かしい夢を、見ていたような気がする。
エマがエマ・クレイモアになった始まりの記憶。それは同時に、ノックス・クグロフとの出会いの記憶でもあった。
思い出す度に、胸の奥、肋骨の隙間辺りに針が刺さったような、鋭い痛みを感じる記憶。
【私は運命に散らされる小舟】――結局のところ、ヒトはそんな程度のものだ。
波は高く、荒い。神ならぬ身では立ち向かえはしない。
――かみ?
「っ!? ……痛っ」
最古の記憶が最新の記憶を呼び覚まし、エマは弾かれたように身体を起こすと、瞬間後頭部を襲った激しい痛みに身をよじらせた。
痛みは最上の教師。最良でも最善でもないが、痛感した事実は何より心と体に残るものだ。
今回も、そうだった。
追跡、夜、砂、魔術師、そしてミイラ――痛みが傷の箇所と程度を教え、その原因となった出来事を連鎖的に思い出させた。
「……ここは……私は?」
辺りを、見回す。
あちこち割れた床が、同じく崩壊しかけている天井から射し込む陽光に照らされている。光の帯には細かな埃が踊っていて、他の部分でも舞っているという事実にさえ目をつむれば、美しい眺めと言えなくもなかった。
少なくとも、長閑ではある。
視線を手近に向ければ、毛布が見えた。
より正確に言えば、『ぼろぼろの毛羽立ったカビ臭い何らかの布切れ』が、毛布として自分の身体に掛けられているのを見た、と言うべきだろう。
幸い、虫やネズミの寝床になってはいないようだ。エマはやや頬をひきつらせながら、悪臭を放つそれを傍らに退かした。
ずきずきと、痛みが存在を主張する。
髪がごわつくこの感触は、出血を放置したときのそれだ。
気を失う程の衝撃だから当然だが、やはり傷は出来たらしい。とはいえどうやら、血はもう止まっているし、身体に不具合を感じるわけでもない。
だとすると、エマは身を固くした。この状況にはいささか、疑問が残る。
――何故、私は生きている?
死後の世界が楽園だとはエマとて思わないが、さりとてこんな、廃屋の床は極楽とも地獄とも思えない。
ヒトは生きたら死ぬ。死後の世界は満員御礼、自分がいくような地獄なら、こんなおんぼろの財政難とは考えにくいし。
だから生存は間違いない。問題はその理由だ。
記憶の最後、自身を撥ね飛ばした砂嵐は、どう考えても自然発生したものではない。
恐らくは、魔術。
何やら聞き覚えの無い言葉を聞いたような気もするし、それに、追跡していた相手が相手だ。砂くらい、息をするように操るはず。
何せ、相手は――。
「っ!!」
敵、敵、敵!
そうだ、そうだった。
エマは思い出した――私は、敵を追いかけてここに来たのだと。
じんじんと、後頭部が痛む。犯人が側にいるぞと叫ぶように。
「…………」
自身の耳が粟立つような、冬の風に首筋を撫でられたような、一瞬で体温が下がる感覚に、エマは身を固くした。
そもそも自分は、小屋の外で気を失ったのだ。小屋の中では、ない。
誰かによって、気絶させられたのだし――誰かによって、運ばれたのだ。
常識的に考えれば、その二者は同じ人物だ。何者かが気絶させたエマを、小屋の中まで運び込んで、そして放置した。
「…………」
武器は、と身体を探る。
衣服の類いは脱がされてはいない、必然、懐に隠した武器もそのままだ。
安堵と同時に、不気味だった。
捕らえた相手の身体検査をしないなんて、どういうわけだろう。
事ここに至って、追跡が気付かれていないとは思えなかった。エマの追跡は敵にとっては想定内で、その存在を、とっくの昔に看破していたに違いない。
村外れの小屋だなんて、そう考えると出来すぎなロケーションだ。恐らく、というより確実に、エマは誘き寄せられた。
しかし、だとしたらなおさら不思議だ。敵にとって敵であることが解っているのなら、所持品をそのままにするだろうか?
「拘束も、されてない……」
せめて手を縛るくらいはするだろう。
例えば蜘蛛だって、毒が獲物の内蔵をポタージュに変えるまでの間、糸で縛って動きを止める。化け物だって、そうするはずだ。
いったい、これは――?
ぎしり、という音に、エマは跳ね起きた。
頭痛が激しさを増すが、そんなことに構ってはいられない。
敵がいる、戦うにしろ逃げるにしろ、寝ていては不味い。
聴覚を生かして暗闇や物陰から暗殺するのもありだが、やはり、跳ね回るのが王道だ。
とにかく立て、構えろ。でなければ死ぬ。
エマは教わってきた通りにした。
身を低く、いつでも動けるよう身構えながら、音のした方へ視線を向け。
「…………え?」
「…………」
不機嫌そうに顔をしかめる少女が、立っていた。
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