第2話意外な依頼。
「よお、お疲れ。シアン」
ステージの裏手で掛けられた聞き慣れた声に、シアンはため息を吐いた。
軽やかな調子、ということは、いつものお小言だ。挨拶代わりに挙げられた右手を無視して、シアンは彼の前を通りすぎようとした。
「おいおい、薄情な真似をするなよ」
それを読んでいたように、彼は身軽な動きでシアンの前に立ちはだかった。「その様子じゃあ、俺が何を言いたいのか、もう解ってるんだろ?」
「そのつもり。だから聞きたくないのよ、解りきった答えなんか」
「俺も言いたくないがね。問題を起こすのはいつもお前だ」
挑むように睨むシアンの視線を、彼の深緑色の瞳は平然と受け止める。いつものことだと言うように――いや、彼はいつものことだと言っていたか。
シアンにとっても、これはいつものことだ。気持ち良く、上手くいったとシアンが思ったその時に、こいつは水を差しに来る。
【マレフィセント】の同僚、リック・クラフトエールは、無造作に流した金髪を軽く弄りながら、芝居がかった仕草で首を振った。
「派手な主張で気を引くのはお前の得意技だけどな、シアン。今回のはちょっと過激すぎるぞ」
「間違ったことは、言ってないつもりだけど。それに、そのくらいじゃないと興味は引けないわ」
「お前の独演会なら勝手にすれば良いけどな。今回は合同講演会なんだぜ? あとに話す奴の身にもなってみろよ」
「アンタだったら良かったのにね、リック」
「だったらこんなのんびり話してないで、発表の途中でお前を引きずり下ろしてるよ」
形の良い眉をひそめながら、リックはシアンの背後を顎で示す。「見ろよ、マルス教授がお冠だぜ」
肩越しに、自身を睨み付ける老人の姿を認めて、シアンは肩を竦めた。
「あの人の発表なら、空気が変わって丁度良いでしょう? どうせまた、古臭い薬草の話なんだから」
「マルス教授の話が少々古典的なのは認めるがね、シアン、お前の話はちょっとばかし先進的すぎる」
「そうかしらね」
「ラックについての発言は危険だぜ、お前の論調は選民思考にも繋がってくる」
本気を示すように、リックは笑みを消した。「あいつらただでさえ、角無しだの
「彼らは私たちの未来を象徴しているわ、リック。色々なものを、無くしていく未来。なにもかもを無くす前に、手を打たなくちゃ」
「お前だってラックだろ、シアン」
リックの尖った耳を、シアンは冷ややかな目で眺めた。
世界人口の五割を占める
「……私には、
「……悪かった。だが、それなら尚更、君は進む道をじっくりと考えるべきだ。じゃないと……」
「私の道は既に決まってるわ、リック」
「どうせ、褒められたものじゃないんだろうな……っと、こいつは……」
リックが虚空に鼻を利かせ、それから肩を竦めた。「怒られるぜ、お前」
え、という疑問の呟きが空気を震わせるよりも早く。
空気そのものが入れ替わった。
「え……っ?!」
「うおっ!!」
足元が空に変わり、大地が頭上を覆う。
アズライト聖国随一の設備を誇るホールに居た筈だったシアンたちは、揃って黄昏の空に投げ出されていた。
大空を染め上げる、茜色の太陽が眼下で燃え盛っている。
思わずよろけた手が、固い地面に触れた。何もない空を撫でると、床板の手触りが返ってくる。
「幻術……?」
果てしなく広がる夕焼け空と、荒涼とした大地の天井を見比べながら、シアンは呟いた。「ここは、まださっきの……」
魔力の探知にかけてはシアンよりも鼻が利くリックが、首を振った。「そうとは限らないぜ、もしかしたら、こういう世界に連れてこられたのかもしれない。あの人なら、基本的にはなんでも有りだからな」
「あの人……?」
「決まってるだろ、シアン。俺たち教授、准教授をこき使う、【マレフィセント】の支配者ったら、一人しかいない」
「……リック……?」
「いや「そうだ」これは、ちが「その通りだとも」うぜシア「シアン」ン」
リックの口が二重にぼやけて見えることに、そこに渦巻く濃密な魔力に、シアンは遅まきながら気が付いた。
その魔力の感覚に、覚えがあることにも。
「ミスター・【マレフィセント】、シーガル学園長……!」
「イエス、大当たりだとも君!」
リックの口が彼の思いとは裏腹に動き、やたらハイテンションな言葉を紡ぎ出す。
いや、とシアンは空の地面を見下ろしながら思った。あれもまた、幻覚ではないか?
「それもまたイエスだな、シアン助教授」
声は、背後から聞こえてきた。「我輩なりの、遊び心というやつだ」
弾かれたように、振り返る。
そこに立っていたのは、長い金髪を一本に編み込んで背中に垂らした、青い瞳のラックの女性――シアン自身だ。
ただし着ているのは、年代物の漆黒のローブだったが。
シアンは――本物の方だ――はため息を吐いた。「これもまた、演出ですか、学園長?」
「おや、驚かないか」
偽物のシアンは眉を寄せた。「昨今の若者は感動離れがひどいと聞いていたが、やれやれ、神秘が沸き起こす奇跡に動かす心を持たないとは」
「俺は驚いてますよ、学園長?」
「私はそうでもありません、鏡を見たことがあるので」
「ふむ……」
学園長は指を鳴らした。瞬間、その全身は水着に変わっていた。「これなら驚くかね?」
「きゃああああっ!?」
「うむ、素晴らしい悲鳴だ」
再び指が鳴り、衣装が戻った。
リックが残念そうな呻き声をあげた。こいつ死ねばいいのに。
「さて、場が和んだところで、話に移ろうか」
「話、ですか」
そっと深呼吸をして、シアンは背筋を伸ばした。「あの、先程の講演に関しては、その――」
「講演? そんなことはどうでも良い」
「……え? あ、あの、私の講演が不味かったとか、そういうことでは?」
「ナニソレ? また何かやらかしたのか君は」
「いいえ! 最高の講演となりました! もちろんですとも!」
「あそう、まあ、話はあとでリック君に聞くけれども」
シアンは、余計なことを言うなという思いを込めてリックを睨み付けた。
それから、奇妙な気持ちを抑えながら、自分と同じ顔に向き直った。
「しかしでは、いったい何のお話ですか? わざわざこんな大掛かりな手段で……」
「それはもちろん、大掛かりな話題なのさシアン君。ちょっと、君たちに動いてもらいたくてね」
「君、たち?」
リックが目を剥いた。「俺もですか、学園長?」
「一人では大変だろうと思うよ、准教授とはいえね。何しろ、事態はまあまあ不味い」
シアンは、そしてリックも、思わず息を呑んだ。
世界の神秘と魔術の独占者である【マレフィセント】の学園長が、まあまあ危惧するような事態とは、いったいどのような脅威だろうか。
それに何より。
シアンとリックは顔を見合わせた。よりにもよって、対策として呼び出されたのがこの二人ということは。
学園長はニヤリと笑った。「ご承知の通りさ、二人とも。それが、君らの専門分野だからね」
「では、その不味い事態の当事者というのは……」
「そうとも、シアン・マッカラン。リック・クラフトエール。君たちの相手は、またしても魔術師だよ」
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