メールから始まる……

安東 亮

第1話

 電話を切ると、間もなくパソコンがメールの着信音を鳴らした。


 差出人は案の定、桜井だった。私が契約している翻訳会社の若い男性スタッフだ。内容は電話で言っていた翻訳依頼のデータだろう。


 私は一旦メールソフトを閉じ、取りかかっている仕事に再び意識を向けた。

 

 日本のフレンチレストランが取引先のフランスの農家に送る商談用の長文の手紙。それを最後までフランス語に訳し終わり、印刷を実行する。


 プリンターがカタカタ動くのを聞きながら、私は背もたれに身を委ねた。瞼を閉じると、じんわり熱いような痛みが眼球全体に広がって眉間を揉む。首を左右に傾げるとゴキゴキゴキとえげつない音が耳に響いた。


 オーバーワークなのは分かっている。しかし、誰にも不平は言えない。そうなるように自分で仕事を増やしたのだから。


 先ほどの依頼もいつもなら断っている。納期まで時間のない仕事が山積みだ。だけど、今は仕事に没頭したい。自分の自由になる時間を少しでも削りたかった。


 理由はシンプル。つまり失恋だ。三十歳を超えても失恋は私の心に大きな穴を穿った。


 結婚するから。他の女と。


 しまった。気を抜いていたら十日前に私の甘い恋愛を一撃で粉砕した男の言葉を頭の中でリフレインさせてしまっていた。


 結婚するから。他の女と。


 数日前まで私の耳元で愛をささやき将来をほのめかしていたのと同じ口がそんなことを告げるとは思いもよらなかった。

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