第5話

 音が聞こえない。

 エンジンの音も。切り裂かれる空気の音も。


 分からない。

 私は機体のパイロットとして操縦席にいるはずだ。


 だが、視界に入るはずの機体上部を覆うガラスやその枠を目と頭が認識せずにその先の様子を記録していく。

 そこに死神の姿はない。青い世界に白い航空機がいるだけだ。敵機であるはずだが、恐怖や憎悪のような感情は湧かない。敵であることを理解できないのではない。あれは敵だ。それは変わらない。


 だが……、私は何を見ているのだろう。


 目の前の白い航空機が風に乗るカモメのように見える。

 この機体は風に溶け込むように飛んでいるのだろう。


 機体の下方、車輪が格納されている機体の腹側をこちらに見せてゼロは飛んでいる。距離は分からない。それが比較対象がないからか感覚がマヒしているのかは分からないが、手が操縦桿をしっかりと握っていなかったら掴めないと知りながらも手を伸ばしてしまっていたことだろう。


 翼の先が丸みを帯び機体に直線を感じさせるものがなく、魚のシルエットを思わせる生物的な構造…雲の上をトビウオが飛んでいるとでもいうべきだろうか。だが、機体全体から感じるのは海の上を風に乗って気ままに飛ぶ海鳥、空という遮るものが何もない世界を何者にも縛られずに自由に飛ぶカモメなのだ。


 その海鳥は赤い日の丸を翼と胴体に機体の白に負けないかの如く輝かせて、雲海の白い海面から少し高い場所を果てしない空の青を背に飛んでいた。


 時は流れているのだろう。

 だが、私は長い時間同じものを見ているかのようだった。


 海鳥のようなその機体が白い海面に左の翼を着けると、まるで雲の一部であったかのように雲の中にその姿を消した。


 白昼夢だったのだろうか。

 魔法が解けたかのように私の機体が発するエンジン音と機体が空気を切り裂く音が帰ってきたが、私の心は風一つ無い湖面のように穏やかだった。

 機体は操縦桿を握っているだけで雲海の波を時折かぶっては周囲が白くなる以外、雲海の上を撫でるように飛び続けている。


 この先のことを頭は考えようとせず、周囲の警戒をたまにしながら進む方向に顔を向けているが、瞳は記憶のほんの数秒の出来事をまとめた1枚の写真に見入ってしまっていて現実へ戻るのに相当の時間を要した。

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