第112話

十五.[ヴェセプタ召還]



 群衆の只中を進む。


 やがて前方にその場所が見えた。祭壇のような岩がある。ぐるりと人が円形に取り囲んでいる。岩の前にタパを中心に巫術師達の姿があった。岩の背後にはやぐらが組まれ、見たことないほど大きな太鼓が据えられている。打ち手のココオリベが太鼓の脇にかしこまって控えていた。


 六名は召喚の岩の前に並んだ。


 アオイは周りを見廻した。見知った顔をいくつも見つけた。中にユタの顔を見つけた。最前列にいた。半べそかいているその顔に、心配ないと頷いてみせた。ユタはごしごしと拳で目を擦った。


 死地におもむくが、死にに行くのではない。


 オニマルの顔も見つけた。無言で頷きあった。既に何一つ言葉は必要なかった。送る者も。おもむく者も。誰一人として。


 タパの前にシュスが進み出た。互いに言葉は無い。タパが差し出した瓔珞、石を連ねた物、ハハキリの首飾り。シュスは両手で受け取ると、己の首にかけた。巫術師らは深々と頭をさげ、そして脇へしりぞいた。


 始まる。


 シュスは召喚の岩に向かい、両手を広げ、天を仰いだ。次いで唱えた呪文文言は、元素術とは異なるものであり、祝詞だった。


「我らを導く女神、調和の原理ヴェセプタよ。我はプアロア(とこしえの花)の賢者シュスローなり。我は今、御身を求め、御身に申す。御身調和の女神なれば、我が願い聞き届け、我らの前に扉を開き、我らを冥界へと入らせ給え。我らが冥界より戻るまでその扉を開いたままにし給え。全てはこの宇宙をあるがままに保つためなり。まがごとを滅ぼさんがためなり。我はシュスロー。プアロアの賢者。解放の原理ノアにつかえる魔導師」


 呪文を唱え終わったシュスロー。無事だ。変化は無い。彼自身には。しかし周囲は。


 人々は呪文が終わる前から気附いていた。アオイも。驚き空を見上げた。頭上全天を覆うようにして飛び交う者の姿。フィオラパ。シュスの頭上を中心に渦巻き飛んでいる。空を覆い尽くしているのに、翳らず、むしろ逆に眩い。その中から二体のフィオラパが舞い降りて召喚の岩の左右に立った。その時には皆目にしていた。召喚の岩の上にいる美しく眩いその姿を。


 光を纏い、衣たなびかせ立っている美しい女神。いや、その足は岩に触れていない。浮かんでいる。

 大魔導師は膝を屈した。耳から血が流れ出ている。袖で口を覆い、その袖は血濡れている。駆け寄ろうとしたアオイをアヅハナウラが止めた。


 女神が口を開いた。

「勇気ある人間、汝シュスローよ。其方こそ勇者と呼ばれるに相応しい。我聞かむ。何ゆえ己が命を顧みず我を呼びしや?」


 苦しげな声でシュスローは答えた。何を当然な事をと口の端に笑み含み。

「定めに……殉ずるがため……」

 女神は微笑んだ。

「汝知るや? 定めの意味を」

 即答してシュスロー。

「否」

 優しく頷いた女神。脇に立っていたフィオラパが口を開いた。

「あんたってほんとに立派ね。人間じゃないみたい。感心しちゃうわ」

 シュスは苦しげな笑みに口を歪めながら、そのフィオラパに問うた。懐かしむ色を双眸に浮かべ。

「君は、ひょっとしてあの時のフィオラパか?」

「うふふ。そうだとも言えるし、そうで無いとも言える。私達はそれぞれ別に見えても、一つ。私達はみんな知っている。あんたがどれほど勇敢に戦ってきたか。自身と。ノアと。そして今、死を怖れず原理神召喚呪を唱えた。あんたにはご褒美があるわ。死後、どうなりたいか、希望があればヴェセプタ様が叶えてくださるわ」

 大魔導師は満足げに笑み、まるで用意していたかのように簡潔に答えた。

「私は、死後、なおひの御霊みたまとなり、故郷プアロアの地を見守りたい」

「それだけ?」

「うむ。そしてできるならば、この定めの結末を見届けたい……」途中から苦しげな口調となった大魔導師。もはやひざまずくその姿勢も辛いらしく、手の聖杖すがるように握りしめていた。

 厳かな口調で女神が言った。

「賢者シュスローよ。そなたの願いは叶えられる。そなたは死後、健霊たけるだまとなり、故郷プアロアの地に宿るでしょう。そしてやがてはラギとなりましょう」次いで控えている冥界入り五名へ目を向けた。

「賢者シュスローの犠牲により扉は開かれた。彼の目的が達せられるまで我は此処にある。されど無限ではない。扉は次元の歪み。我が力及ばぬ時もある。事を成し、必ず生きて戻りなさい」光る手を自身の胸に当てた。手を当てた胸が眩く光り、その光は女神を包んだ。

 女神が変化した球形の光。それが扉。


 再び最前のフィオラパがシュスに言った。

「さあ。あんたにはもう時間がないわ。仲間に伝えたいことがあれば早く話しなさい」


 両手を地についた大魔導師シュス。駆け寄る仲間。アヅハナウラとカタジニがその躰を抱きかかえ仰向かせた。人々に見守られる中、シュスはリリナネを呼んだ。ハハキリを差し出した。

 涙さしふくむ眸でしっかりとシュスを見つめ受け取ったリリナネ。シュスは言った。

「もしも使えずとも、自分を責めるな……」

 リリナネは無言で頷いた。涙があふれこぼれ、つと頬を伝った。

 シュスは周りの全員と無言で目を交わし、頷いた。最後にアオイを呼び寄せ、手に握りしめていた聖杖と悪魔除けの首飾りを渡した。

「頼むぞ」

 アオイは奥歯を食い縛り、受け取った。言うべき言葉が見つからなかった。昨夜イオワニとカタジニから言い含められていても、微かな期待を抱いていた。打ち砕かれた。

 シュスは最後にタパと目を交わし満足げに頷くと、その目を閉じた。がっくりとその躰が力なく垂れた。見守る人垣の方々から、女性達の嗚咽漏れ。

 アヅハナウラとカタジニは、抱きかかえていた躰をそっと地に横たえた。

 その時にはフィオラパは全て姿を消していた。


 誰が持って来たのか、その躰に純白の道服がかけられた。それは彼がノアの魔導師となったとき、脱ぎ捨てたモノ。大魔導師の証し、白練りの道服。


 大きく、そして厳かに太鼓が打たれた。アオイが顔をあげると、ココオリベが真一文字に口結び、目を真っ赤にして、打っていた。葬送の打。まるで鐘をつくように。一つ、一つ、打ち鳴らされる。その音がクムラギに届き、呼応して打たれたクムラギ中の門の太鼓。半鐘。何が起きたのか、クムラギの留守を守る衛兵達にも伝わったのだ。蒼天を震わせて打ち鳴らされる葬送の打。


 頭を垂れる人々、焼け野原を埋め尽くした群衆。響き渡る鎮魂の太鼓。アヅハナウラをはじめ冥界入りする五名も、地に横たわる大魔導師に頭を垂れ、その魂に祈りを献げた。


 やがてココオリベの打ち鳴らす太鼓の打が、一転した。勇壮な打に変わった。涙こらえ打ち鳴らす、はなむけの太鼓。冥界へゆく戦士らへ。



十六.[光の扉]



 顔をあげた五名。今や冥界入り筆頭となったアヅハナウラ。紅一点リリナネ。三名の武者、カタジニ、イオワニ、若き剣士アオイセナ。

 リリナネはハハキリを、アオイは悪魔の憑依を防ぐ首飾りを、それぞれ自分の首にかけた。リリナネが袖で目尻の涙をぬぐった。

 目を交わす五名。今は感傷に耽っているときではない。シュスが開いてくれた道。無駄にしてはいけない。一刻の猶予もない。

 イオワニがアヅハナウラに言った。

「命は預けた。貴様のめいに従う」

 カタジニも続けた。「俺もだ」

 リリナネとアオイも頷いた。

 アヅハナウラは仲間の顔を見回して、「うむ」と言った。

「シュスの前で誓おう。必ずや御子をクムラギへ」


 無言で力強く頷いた五名。


 アヅはタパとリケミチモリらに一礼し、激しく打ち鳴らされる太鼓の中、召喚の岩の上に立った。

「ゆくぞ」仲間達に言い残し、己が先になり光へ飛び込んだ。


 続いてカタジニ、イオワニ、そしてリリナネも。タパやリケ、見送る人々に黙礼し、次々と岩にあがり、光へ飛び込んだ。リリナネは飛び込む前に一瞬立ち止まり、アオイをふり返った。微笑んだ。アオイも笑みを返した。一番最後に岩にあがり、光の前に立ったアオイセナ。


 人々から声が飛んでいた。頼むぞ、必ず生きて戻ってこい、方々から。アオイはユタをふり返って見た。大丈夫だと目で伝えた。笑ってみせた。ユタは涙を浮かべて彼を見つめていた。光へ向き直った。


 不思議な球形の光。穏やかな光を放っている。光でありながら光源ではなく、その表面には七色の光が油膜のように流れている。


 この先に冥界がある––。行け––。


 アオイは飛び込んだ。


 真っ白い光の中。何も見えない。ただ、眩い。先に飛び込んだ仲間の姿などない。上下感覚がない。落ちている感覚とは違う。昇っているのでもない。浮遊感。不可思議な、およそ人が生涯体験し得ない感覚。しかし彼は過去に一度経験していた。その記憶と共に脳裏に流れ込んできたもの。

 億の映像、津波の如く襲った。異質な映像群。大都会、高層ビル、鉄道、車、パソコン、スマホ、学校の校舎、自宅のリビング、テレビ、そして文字、言葉。失われていたモノの数々。そして瞬時に符合した知識の数々。


 これ、どういうことだ! これ、本当なのか! 俺は――!


 光の中で彼は取り戻した。混乱を極めた。


 ビードロの語源はビドリオではない。ビードロの方が語源だ。ビドリオは現代語。

 バルも。

 マーホーズは違う。意味が港なら、それはラテン語より古い言語。

 あの時、靄が降りてきて途切れた記憶の糸。遠のいた蠢動。オシヌミ、製鉄、それは忍海部オシヌミベ。古墳時代の鉄工技術を持つ人々。

 オシヌミが忍海部なら、サザキベは雀部、ワニは和邇。いずれも古墳時代の豪族の末裔。

 そして平安時代の狩衣や水干を簡素にしたような装束。

 胴服は室町後期のものにそっくりである。

 いったい何処まで一緒で何処から分岐しているのか。


 いや、違う。そんなことじゃない。

 ここ、何処だ⁉︎ クムラギって何処なんだ‼︎ 違うだろ! これって現実なのか! こんなことが本当にあるなんて!

 クムラギって異世界じゃないかっ!

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