第105話

七.[独りの午後]


 アオイは話したいことが沢山あった。が、言葉が出てこない。言うべき言葉を探しながら歩いているうち、政治堂のおもてに出た。再び歓声に包まれた。待ち受けていた人々の歓声に。


 仲間達は目と目を交わし頷きあうと、それぞれの方角に別れた。その段取りも指示されている。来た道を引き返し、六方向からタパの廟堂へ帰る。アオイは何も言えないまま仲間と別れた。次の辻まではリリナネと共に歩む。だが、互いに無言だった。


 辻で足を止めリリナネの顔を見た。リリナネもまた足を止め彼を見ていた。微笑んだ。何も心配ないよ、と言わんばかりのお姉さん的な微笑みだった。

 アオイは少し寂しく感じながら笑みを返した。相手が自分に対して取っている距離、それがこの期に及んでも感じられ。が。次いで頷きあうと、背を向け歩んだ。戦士の顔に戻り。沿道の人々の歓声がずっと続いていた。


 * * *


 廟堂へ帰り着くと、人の気配なくしんと静まり返っていた。いつもより薄暗く感じた。

「ユタ?」

 小声で呼んでみた。いないとは知りつつも。ミチモリ家へお泊まりすると聞いている。


 シンと静まり返った屋内。誰も姿を現さない廊下。

 一瞬、足を踏み込むのが躊躇われた。音がないというだけで漂う別世界的感覚。奇妙な感覚、異世界へ入り込んだような。こんなに暗かったっけ––? 独り呟いた。いつもなら、何処かから笑い声聞こえくる。子供達の楽しげな話し声が遠くに聞こえている。人の気配で満ちている。が、今日は一転して無音の世界。


 アオイはそろそろと、足音を立てないように歩いた。マアシナの部屋の前を通ったとき、中に人の気配を感じて、そっと扉を開いてみた。少しだけ開いて覗くと、マアシナの像に向かってアヅハナウラが独り座し瞑目していた。腕組みして。


 独りではないことを知って少し安堵した。一瞬、一緒にとも考えたが、そっと扉を閉じた。

 他の仲間達ももう戻っているかも知れない。気配がしないだけで。それぞれの部屋に。そう思い、アオイも自分の部屋に戻った。タパから予め言い含められている。この午後は心静かに自分の人生をゆっくりかえりみる時間としなさい、と。


 アオイは記憶なく目覚めてから数ヶ月間を過ごした部屋を、あらためてゆっくりと見廻した。黒光りする床板。柱。白い土壁。文机と敷物。開け放たれた木窓。窓から見える庭の木々。すぐに見終わった。

 早いが、期間が短いのだから仕方ない。むろん感慨深いものはあるけれども。他にかえりみるべき記憶はない。

 アオイは文机の前に座った。引き出しを開いた。たいした物は入っていない。文字を練習した紙の束。リリナネに渡せなかった石銀の数珠の包み。あの、梅の種。


 これは––。アオイは眉間に皺を寄せて考え込んだ。


 これ(梅の種)をここに残したままにしておいて、もしも冥界で俺が死んで誰かがここを整理して、これが見つかったら? ……。

 少しの間真剣な表情で考えたが。

 まあ、いいか––。種を引き出しの隅に転がした。


 これ、渡せなかったな。アオイは石銀の包みを机の上に置いて、片肘ついて、暫くの間眺めた。今の段となっては、もはや渡す機会が無い。もしも明日死んでしまったら、一生渡せないままになる––。アオイはふと思った。気附いた。


 もしも俺が死んでリリナネが生き残り、誰かがこの部屋を整理してこれを見つけたとしたら……。勿論リリナネに渡して欲しかった。


 手紙、書いておこう––。


 彼は紙と鉛筆を取り出し、簡単な手紙を書いた。リリナネへあてた短い手紙を。しかし書きおえて読み返してみると、俺のこの想いはとてもこんな短い文章に収まりきらないと思い、破り捨てた。次いでとてもとても長い手紙を書いた。書きおえてそれを読み返した彼は、今度は真っ赤になってそれを破り捨てた。ビリビリと。粉みじんになるまで。絶対に復元できないように。

 最終的に彼は、小さな短冊に『リリナネさんへ』とだけ書いて包みの中に入れた。


 それから敷物を二つ並べて寝そべって、天井を見つめた。時間を持て余していた。持て余してみれば時間とは過ぎ去るものではなく、永劫へとつながる糸口をたずさえていた。時折タパが口にする小難しい講釈の意味が少し分かった気がした。アオイは自己の過去を顧みると言うより、いつしか自己内面の奥深くと見つめ合っていた。


 俺は何処から来たわけでもない。何処かから来てここにいるんじゃない。俺は、俺。ずっといる––。時に始まりは無く終わりは無く、在るのは今、この瞬間。これは永劫と同質。そう感じた。


 それでも時間は過ぎ去る。彼は自分の順番が来たことを懐中時計を見て知り、立ち上がった。風呂に入る順番。今日、浴堂は町の人に開放されていない。冥界入りする彼らのためだけに沸かされている。しかも順番があり、独りずつ、心静かに身を清めるよう言われている。


 浴堂へ行った彼は、独りのびのびと湯船に浸かった。あらためて、広いなあ、と感じた。お湯加減はちょうど良く、きっと誰かが加減を見て薪をくべているに違いなかった。姿を現さないように気を附けながら。


 ラナイかな––。きっとあいつだろうと思った。


 格子窓から射し込む日差しはすでに低い角度で赤みを帯びていた。夕暮れせまっていた。アオイは独り、人生最後となるかも知れない風呂を楽しんだ。ゆったりとした気分で。その時間を。

 音がカコンと響いていた。


 風呂をあがり、咽が渇いたなと思って見ると、井戸の脇の桶の中に飲み物が冷やしてあった。多分、ルルオシヌミが用意してくれたもの。今日は断食だが、飲み物については制限されていない。アオイは誰もいない休憩所に独り座り、果物味の飲料を飲んだ。吹き抜ける秋の夕暮れの風を心地よく感じながら。


 身を清め云々とは格段に違う、極楽な気分で自分の部屋に戻った。さすがに腹が減ったなあ、などと思いながら。こんな脳天気な感じで良いんだろうかと、さすがに自省しながら。

 再び文机の前に座り思った。この調子のまま過ごせば仲間と話す機会もなさそうだな––。独り、己をかえりみる時間としなさいと言われている。しかし、時間が経てば経つほど、逆の気持ち、膨らんでいく。それは寂寥感。仲間と話したかった。明日、共に戦う仲間達と。


 腕組みして考え込んでいると。


 どかどかと足音が二つ近付いて来て、ガラッと扉を開いた。

「よう」と、顔を出したのは。


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