第84話

十九.【草原の暮らし・お別れ】



 彼らが沢山飼っている山羊。山羊もまた竜類ということだった。「へえ……」とニニは答えた。山羊が竜なんて変、と思ったが。山羊は頭に羽根飾りをつけていた。黒い体で、噴水のような白い羽根飾りを頭に乗せていた。草原で時々見かける野生の鹿も、頭に羽根飾りをつけていた。こちらは色とりどりの羽根。


 居留地にも羽根飾りをつけている竜がいた。首の後ろから背中にかけて大きく広がる羽根飾り。孔雀竜と呼ばれていた。(勿論ニニは孔雀について正確な記憶などなかったが)孔雀と呼ばれるくらいだからとても派手な羽根飾りだった。ブワッと広げるととても綺麗だった。そして、そもそもの孔雀は神鳥で、絵の中にしか居ないそうだ。


 そんな竜を常々目にしているから、羽根飾りがある以上、山羊も竜に違いなかった。


 しかし山羊の番をしている犬。これは、犬だった。彼女がこの草原で目を覚まして以来目にしてきた中で、唯一、まったく違和感のない生き物。これは犬に違いないと自信を持って言える姿。


「あんた知ってるわ。犬でしょ」そう言うと、犬は「わん」と答えた。尻尾をふって嬉しそうに。


 * * *


 ニニが眠ったあと、その寝顔を見ながら、ニコ母さんはリコ父さんに言った。


「私は思うのですよ。こんなことを願うのはとってもいけないことだと思うのですけど、このままニニの記憶が戻らないでくれたらと……」


「それは……私も同じ思いだが……」


 その言葉を聞いてニコ母さんは嬉しそうに微笑んだ。けれどリコ父さんは口ごもりながら難しい顔をして続けた。


「だが、そんな事を考えてはいけない……。きっと今頃、ニニのご両親は必死にニニを捜しているだろう。それを考えれば、早くご両親の元へ帰してあげなければいけない……」


「その通りですね……」ニコ母さんは寂しげに言った。


「もうすぐ夏が終わる」


「はい……」


「お前は皆と一緒に里へ帰りなさい。私は予定通り、数人を引き連れてクムラギへ行く。物資の調達が目的だが、ニニを連れて行こうと思う。途中の村で聞いて回ろう。ニニを知る人がいないか」


「そうですね……」

 ニコ母さんは寂しげに微笑み、次いで寝返りを打ってお父さんに背を向けて、気付かれないように袖で目を擦った。




 翌日、リコ父さんから話を聞いたニニは小躍りして喜んだ。大都邑って何のことだか分からなかったけれど、クムラギがとても素敵な所だということは分かった。そこでしか手に入らない灯火の粉や名産品の刀剣を買いに行くらしいが、ニニには着物を買ってくれるという。


「クムラギの着物はとっても綺麗なのよ」

 そう言ってお母さんが持って来て見せてくれた着物は、みんなが着ている物と形は同じだったけれど、うっとりするほど手触りの良い絹製で、染めと刺繍で綺麗な模様が描いてあった。花と竜。


「わあ……」ニニは目を見開いて。自然と口をついて出てきた言葉は。

「スカジャンみたい」


「スカ……?」

「ジャン……?」

 怪訝な顔で問い返したリコ父さんとニコ母さん。けれどニニは、自分で言ったのにスカジャンが何かさっぱり憶えていなかった。首を捻っていると。


「気に入った?」ニコ母さんに聞かれた。

「うん。とっても」ニニは満面の笑顔を返した。


 その日の内に出立の準備がなされ、出立は翌日と決まった。頭首リコチャキと五名の若者がクムラギへ向かい、他の人達は竜使いの里コロナエへ帰省する。そこはラエモミ(真珠岬)よりもずっと西方だという。ラエモミが何処かニニにはさっぱり分からなかったけれど。


 その夜は、お互いの旅の無事を願って、ちょっとした宴が催された。ご馳走が出て、大人の男達はお酒を飲んだ。大きな焚き火を囲んで。


 ニニはずっとニコ母さんの隣に座っていた。体をくっつけて。しばらく会えないから。ニコ母さんは腕を回して優しく肩を抱いてくれていた。

「お別れしても私を忘れないでね」


 ニニはどうしてこんなこと言うんだろうと、不安になった。

「忘れるわけないよ。だって大好きだしぃ」言いながら照れたけれど、ニニは大好きだと伝えることができて嬉しかった。ずっと言いたかった。ここで暮らし始めてからずっと。


 ニコ母さんは嬉しそうに笑って、指先で目尻を擦った。そんなニコ母さんの様子には気附かず、ニニは笑顔で続けた。


「コロナエで待っててね。私も早くコロナエへ行きたいなあ」

 クムラギも楽しみだけれど、竜使いの故郷コロナエへ早く行ってみたかった。きっと素敵な場所に違いないから。


 満天の星空へ昇らんばかりに、舞い上がる火の粉。パチパチとはぜながら。白く瞬く星々の中へ昇り、明滅して消えてゆく赤い小さな炎の欠片。煌めいては暗がりへ消えて、沈んでいく。その様子をにっこり微笑んで眺めながら、ニコ母さんは言った。言いにくそうに。


「あのね……。もしもね……。もしもニニの記憶が戻って……、本当のお父さんお母さんのことを思い出したら、私達には何も遠慮しなくていいからね。本当のお父さんお母さんと一緒に幸せに暮らしてね。でも、私達のことも、時々でいいから思い出してね」


 ニニは立ち上がった。拳を握りしめた。お母さんが何を心配しているのか分かってしまった。「わた、私……」ポロポロと涙がこぼれた。


「私、頑張る。ぜったい何も思い出さないっ」

 ふぐ、ひぐ、と嗚咽が漏れた。吃驚したニコ母さんに抱きしめられた。彼女はこらえきれなくなり泣きじゃくった。

「私、ニコ母さんの子供がいい……」


 彼女は知っていた。過去の自分の事はまったく思い出せない、けれど自分にはお父さんもお母さんもいなかった、と。

 リコとニコが私の本当のお父さんお母さん。私をここへ連れてきてくれたのは、きっと、神さま—。




 翌日。


 竜使いの人々は出立した。それぞれの方角へ。


 高原から天幕が消え去った。彼らがいた痕跡は何一つ残っていなかった。ただ、焚き火で焼け焦げた地面だけが、そこに人が暮らしていたことを物語っていた。

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