第62話

二十三.[それぞれ]


 クムラギの街路を西に東に駆ける武人ら。その中にあり、自分も蜥人捜索に駆けながら、しかしオニマルはずっと気が散っていた。頭から離れなかった。アオイセナに寄り添うルル。彼には見せたことのない表情。何度も自分を叱責していた。くそっ、俺はなんて度量が狭いんだ、男のくせに嫉妬するなんて―。


 ツキツキに行ったと言っていた、今日の試合か―、くそっ、俺は男の腐れだ、もうあきらめろ、交際秒読みと言っていたじゃないか、ルルさんが幸せなら、それが一番じゃないか―、それを好しと思えないようで、なにが男だ―。

 俺は小さい、と自分を責めた。



 同じく、クムラギの街路を辻から辻へ駆けるリリナネとイオワニ。


「おい。まあ、そんなに気にするな」後ろから声をかけたイオワニ。


「わっ、私が何を気にしていると言うのだ」バッとふり返り、思わず素の喋り言葉が出たリリナネ。


「別に交際しているわけじゃないだろう」

「だっ、だからどうしてあの子達が交際していたって私は全っ然気にしてない」幾分危うい文法で吐き捨てると、話しかけるなとばかり足を速めた。


 しょうがない、ほっとくか、イオワニは思った。リリナネがあの青年をどう思っているのか、聞かなくても分かる。あの青年が現れる前と今とでは歴然と様子が違う。一言で言えば、女の子になった。カタジニも勿論分かってからかっているし、シュスとアヅも帰ってきて、その変わりように吃驚したはず。


 まあ、今まで免疫がなさ過ぎたからな―、イオワニは足を止め腕組みをした。眉間に皺を寄せ、困った奴らだとばかり苦笑いを浮かべた。


 だいたい―。矛先はアオイに向いた。あいつは不用心過ぎる―。


 とは言えだいたい予想はついていた。断れなかったんだろうな―。朝酒の酔い残るこめかみを指先で揉みながら、やはり困った奴らだと苦笑いを浮かべた。


 半鐘の音が一つ残らず消え去り、程なく伝令が駆けてきた。


「残りの蜥人も退治されたと連絡がありました。イオワニ殿。ご苦労様でした。リリナネ殿には私から伝えておきます」

「そうか。ご苦労。やれやれ……」自分の道場へ足を向けた。



 政治堂で会合のさなか、シュスはその報を聞いた。ふむと笑みを浮かべた。驚きはしない。ある程度予想していた。しかし、彼も今理解した。フィオラパがその青年に言ったという『図抜けてる』とは、こういうことだったのか、と。


 ケイが術者の力を開く。術者がケイに宿る魔力を引き出す。術者の精神が高みにあればあるほど、非凡な結果となる。その時あの若者は、己を無として、そこあった空間、物象、すべてに己を同化させることで、そこに奔ることができたのだ。迸る水流のように。


 それにしても。昨日の今日でそれができたか―。それは大魔導師シュスにも意外だった。


 あの若者には非凡な何かがある。多少無頓着で鈍く見えるところもあるが、それもまた、大成の道を歩んでいる表れ。小賢しい者には望めない。

 あの若者に俺の後を託したい―。


 ふと、顔をあげると議事が進んでいた。決に至り彼の意見を求められていた。居並ぶ武人や市民代表者らの顔が、彼を見つめている。議事進行役の武人がもう一度繰り返した。


「今後の人選、並びにクムラギの防衛については、各方面からの要望を鑑みて、このような形に。宜しいですかな?」


 シュスは頷いた。「異存はない」


「うむ。では、明日、タパ様の廟堂の会合にて、本人らの意志を聞き、決定としましょう」



 お似合いじゃないか―。廟堂の自分の部屋に戻ってきたリリナネは、同じ言葉を何度も頭の中で繰り返した。笑みを浮かべながら。お似合いの二人―。自分でも、良い感じの笑顔になっていると感じながら。さっきも、ちゃんとこんな感じの笑顔で「気を附けて帰ってね」と言えていたなら、私もなかなか大人じゃないかと思いながら。


 だいいち―。文机の前に座り、腕組みしてみた。あの子は、自分じゃ憶えていないけれど、どう見ても十八くらい。あの子が十八なら私は五つも年上。相手にしているわけがない―。文机に頬杖をついた。自然と失笑が漏れた。自分に。しかしじわっと目に何かが浮かんだ。慌ててこすってそれもまた笑い飛ばした。馬鹿だな―。


 だいたい―。こう考えるべきだと思った。あの子は観賞用。見て、眺めて楽しむもの。恋愛対象にはならない。私がおつきあいするとすれば―。再び腕組みをした。すぐに数人の武人の顔が浮かんだ。どの男も武芸に秀で人柄も善い。なんだ、さすがクムラギだな、ちょっと考えただけで、けっこういるじゃないか―。


 しかし問題は、その誰にも興味が持てないことだった。


 ふん―。幾分投げやりに。恋をしなければいけないという決まりはない、そう結論づけようとして。ふと気附いた。


 恋、したこと、あったっけ……?


 真っ青になり次いで真っ赤になり、額に汗を浮かべながら記憶を辿った。私だって恋くらい―。しかし大魔導師になるべく幼い頃からそれ一筋に歩んできた人生。好いなと思った同年代の男の子もいたが恋にはならなかった。ずっと好きだった異性くらいいる―。一生懸命頭の中で捜した。シュスは格好良いと思っていた、アヅも―。しかしそれはどう考えても捜していた答えではなかった。真っ青になった。


 まずい。ますますもって好きだと知られるわけにいかない。二十三歳で恋愛経験なしなんて、言ってしまえば初恋ってことじゃないか。そんな女……、重すぎるだろ……。


 いや、どころか。


 気持ち悪いと思われるかも……。涙ぐんでしまった。

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