第59話
ツキツキ小屋の中は広く天井も高いが、壁は安普請な板壁。中央に土を盛った舞台があり、その周囲は立ち見の土間になっている。その後ろに木製のひな壇が段々に作られていて、観客はそこに並んで見物する。
中に入ると目が慣れるまでしばらくかかった。灯火の術や筒灯で照らされた小屋の中は、明るい日差しの戸外に比べ薄暗く、足下が不用心だった。板壁の隙間から陽が漏れていた。ルルの取った席はひな壇の前の方だった。アオイはルルに附いて階段を登り、台の上に立った。しかし後から後から人がやって来て、アオイとルルは奥へと詰めた。次第にぎゅうぎゅう詰めになり、隣の人と肩が触れるくらいの間隔になった。
「土俵の側の券はとても高いのです」申し訳なさそうにルルが言った。
「ここの方が見やすいです」この辺が一番見やすいと、アオイは思った。それに立ち見の土間もひな壇同様すし詰め。「すごい人気ですね」皆、券を片手に興奮気味だった。入場券ではない何かの券。「アレは入場券じゃないですよね?」
「皆さんお金を賭けているのです」
「へえ……なるほど」
その時「あっ」と小さな声をあげてルルはよろめいた。ひな壇から落ちそうになったその体を、アオイは慌てて支えた。肩を抱くようにして。
「あ、ありがとうございます」ルルは真っ赤になって顔を伏せた。
「いえ」アオイは手を戻した。しかし少し戸惑っていた。自分の中で保っていた距離感が曖昧になり。
興行主が挨拶をし、その後進行役の人が現れるとどっと歓声が沸き起こった。進行役は大声で開始を告げたが、何を言っているのか声が聞こえなかった。多分選手の名前を叫んだのだとアオイは思った。こんな光景は見たことある気がした。
歓声の中、選手が登場した。上半身裸。拳には布を巻いて。アオイの朧な記憶と一致しない拳の装備。アレレと感じた。思わず、
「アレで殴り合うんですか?」隣のルルに訊くと「はい。まともに当たると大抵倒れてしまいます……」真面目な顔で答えた。何となく納得してしまい、「でしょうね……」と頷いた。
「どっちがツキツキ王ですか」と訊くと、ルルは彼の勘違いに気附き「これは前座の試合です」と教えてくれた。
試合が始まると、アオイはさらに自分の勘違いに気附かされた。拳の応酬ばかりではなく、蹴り技もあった。そういえばこうだったと思った。さらに蹴り技を見て思ったこと。特に、後ろ回し蹴り。
俺はひょっとしてこれをやっていたのだろうか––。
後ろ回し蹴りの回転動作。前後の足の運び。一瞬、自分の動きと重なって見えた。
俺は、西国近くの遠方の町、ビドリオが訛って硝子をビードロと呼ぶ町、そこでツキツキの選手だったのだろうか? しかしいくら辿ろうとしても辿る記憶が全くなかった。
その後もう一つ前座の試合があり、今日の選手権試合、王者戦が行われた。
「ルルさんはどちらを応援しているのですか?」アオイは訊いた。ルルは祈るように手を握りしめて試合前の選手を見つめていた。
「ニコニコさんです。ケレケレさんの方が強いのですけど……」ハラハラドキドキといった感じの顔附きで答えた。
熱狂の坩堝、そんな形容がピッタリくる歓声の中、挑戦者ニコニコが一瞬の隙をついて放ったとび膝蹴りが王者の頬を捉え。それまでの不利な試合展開を覆し、挑戦者が勝利した。紙切れと化した券が宙を舞った。隣できゃあきゃあ言っているルルオシヌミを見て、アオイは何故か心が和んだ。素の相手が、ようやく見えた気がした。
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