第48話


 アオイはこんこんと眠っていた。遠くで何度もユタの声を聞いた。彼を呼んでいる。しかし彼は夢を見ていた。


 木の天板の食卓の上にクムラギ産の足附きコップがある。綺麗に発色した赤色の、流麗な捻り飾りの入った足。器部分は肉厚で、まるで透明な陶器のよう。クムラギ製だった。


 そのコップを挟んで二人の人物が話している。人物の姿は見えない。暗い影の中にある。部屋の様子も。ただ、声だけ聞こえる。一人は老人。あの、剣を教えてくれた老人の声。もう一人は女性。その人の声も懐かしい。誰だろう……、顔が見たい……。


「職人が任せて下さいと言った時は、任せた方が良いんじゃ。わしらの予想以上の良い仕事をしてくれる」

「ホントにそうですね。思っていた以上のモノで」


 この夢は何だ……? これ、クムラギのどこなんだ……? この人たちは誰……? それより職人に任せた方がいいって、これまた何なんだ……。もう少し役に立ちそうな話は出てこないのか……。夢の中でぼんやり考えていた。「アオイさま、アオイさま」ユタの声が徐々に大きくなった。


「アオイさま、アオイさま、起きて下さい」


 目を開くとユタの顔が真上にあった。心配そうにのぞき込んでいた。隣にはラナイ少年もいた。「あれれ」呆気にとられた。

「何で俺、こんな処で寝てたんだ?」


 浴堂の脱衣所の床に寝ていた。当然裸。濡れた体に手ぬぐいがかけてある。


 ユタはホッとした顔になった。ラナイ少年が説明してくれた。いつもの冷淡な口調で。「アオイさまは湯船の中で寝てらしたのです。器用に湯船のふちに頭を乗せて」


「え? まぢで」


「まじです」ユタが少し怒った顔をして、いさめる口調で言った。


 漸く思い出した。シュスが出て行き、緊張が解け、少しのんびりしようと思い、いつの間にか泥のように意識がなくなった。昨夜からずっと続いていた緊張が解けて。


「リリナネさまはずっと休憩所で待ってらっしゃったのです。けれど全然アオイさまが出てこられないので心配なさって僕を呼びに来たのです。で、僕が中の様子を見ると、アオイさまは湯船のふちに頭を乗せて眠ってしまっていて」

「二人で運んでくれたの?」

「まさか」ユタはかぶりをふった。「僕じゃ動かせませんでした」


 ラナイ少年が答えた。口調も顔附きも冷淡だったが、愉快げに。「ユタが呼びに来た時、丁度アヅハナウラ様がいらっしゃったので、僕とアヅハナウラ様で」


「まぢで?」それって聖女の叔父じゃないか––⁇

「まじです」腰に手をあてユタ。


 アヅハナウラにそんなことをさせたとは恐縮だった。


「リリナネさまが待ってますよ。早く」

 ユタにせかされて、アオイは慌てて体を拭き着物を着た。ドタバタと男湯を出るとリリナネが待っていた。笑いながら言った。


「寝てたなんて。普通、戦の後は神経が高ぶって眠れないものなのに。君は大物ね」


 褒められても逆に恐縮だった。

「すいません。相当待たせてしまったみたいで」

「いいのよ。気にしないで。私よりも、後でアヅ様にお礼を言わなきゃ」

「ホントに……、そうですね……」恐縮至極とはこのことだ––。眠気も吹っ飛んだと思った。

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