第47話

十五.[朝風呂]


 廟堂の入り口にラナイ少年がいた。桶を沢山並べて着物の血抜きをしていた。アオイとリリナネの姿を見ると、この少年にしては珍しくにっこり笑った。「お疲れ様でした。浴堂へ行って着替えられたら、血の附いた着物は私に下さい」


「うん。ありがとう」リリナネが答えた。


 アオイも剣にかけてくれた呪文のお礼を言って廟堂に入った。リリナネと並んで上がりかまちに腰掛け、戦履きを脱いで吃驚した。足の裏の皮がズルッと剥けていた。

「あれれ」全く気づいていなかった。一晩でズルッと剥がれてしまっていた。


「うわあ」二人の少年が痛そうに顔をしかめた。リリナネに「大丈夫? お風呂に入れる?」と訊かれた。それほど痛みは感じなかったので、「はい。あまり痛くないですから」と答えた。


 しかし歩くと、はがれた皮がぺったんぺったんと床にくっついて、変な感じだった。今更ながらヒリヒリしたし、歩きにくいので、絹のしとうずをもう一度履いた。


「お風呂に入る時は紐で縛るしかないですね」ユタが言った。

「そうだな……」そう答えたが、それも何だかおかしな気がした。

「それとも、鋏で切っちゃいますか?」

「うん……」それは何だか聞いただけで痛そうだった。言ったユタ本人も痛そうにブルッとした。


「お風呂から上がられたら、包帯を持って来ますね」

「うん。悪いな」

「じゃあ、僕とリュウは朝ご飯の支度に行きます。行こう、リュウ」

「うん」


 ユタとリュウ少年は駆けていった。リリナネは立ち止まった。彼女の部屋の前だった。


「じゃあ、支度して玄関で待ってるね」

「え?」

「忘れたの? 今から浴堂へ行くんでしょ? 私も一緒に行くから」

「あ、はい」そうだった。一緒に浴堂へ行きましょうと約束していた。


 リリナネは「入り口で待ってるね」と言って自分の部屋へ入った。


 アオイは自分の部屋へ戻り、しばし考えた。ちょうど良い手ぬぐいを見つけて、敷物の上に胡座をかいて座った。剥がれた足の皮をピタッと元通りに合わせて、手ぬぐいをあて、グルグル巻きに縛り上げて固定した。鋏で切るよりは良案だと思えたし、こうしておけばまたくっつくかもしれない。剣を教えてくれた老人の言葉を朧に思い出した。

 何度も何度も皮が剝けて、そうして硬い足の裏になるのじゃ。


「まてよ。てことは、俺は前にも足の皮が剝けたことがあったのか? いやそもそも、てか、どうでもいい教えだなあ。もうちょっと、なんて言うか、ちゃんと役に立ちそうな事を思い出せないのかな」独り、笑った。


 手ぬぐいと着替えを持って玄関に行くと、リリナネはもう待っていた。二人仲良く肩を並べて浴堂へ向かった。


 処が朝早い浴堂は誰もいなかった。入り口に靴が無く、もしかしたらと思ったら、思った通り休憩所は無人だった。二人一緒の処を町の人たちに見せたかったのだが。


「これじゃ意味ないわね」クスッと笑ってリリナネは言った。


「そうですね」笑顔を返したが、もうその必要はない気がしていた。今朝、お廟へ帰る時感じた町の人々の様子から。けれど毎日一緒がいいに決まっているから何も言わなかった。


「それ。そのままお風呂に入るの?」足の手ぬぐいを指して、リリナネはもう一度クスッと笑った。


「はい。あがったらユタが包帯を持ってきてくれるから巻き替えます」答えながら、風呂に入ったら固まるどころかふやけそうだと思った。


「私は粉を持ってきてあげるわ」

「え!」


 リリナネは真っ赤になってアオイの思い違いを否定した。

「違うの。魔法じゃなくて医薬品。傷口が膿まないようにふりかけるサラサラの粉」


 アオイも真っ赤になった。「あ。ですよね。すみません」

「魔法の粉があったらいいんだけどね」リリナネは申し訳なさそうに笑った。「じゃあね。あがったらここで待ってるわ」

「はい。じゃあ後で」


 リリナネと別れ、藍色ののれんをくぐった。脱衣所の籠に着物があり、先客がいると分かった。入り口の下足棚に履き物が一足だけあったことを思い出した。

 湯殿に入ると、そこにいたのは大魔導師シュスローだった。


 大魔導師は、独り、湯船に浸かっていた。アオイの顔を憶えていた。何も言わず軽く黙礼した。


「どうも……こんにちは……」アオイも頭を下げた。


 何を話して良いか分からなかった。とりあえず体を洗うことにした。互いに無言だった。


 何か話した方がいいよな––。無言って変だし––。


 焦ってそう思ったものの、何も思い浮かばなかった。訊きたいことは勿論色々あったが、いきなりそれを訊くのは変だった。きっかけの会話を思い附かなかった。すごかったです、プレルツ––、頭に浮かぶのはそれくらいだった。けれどそれを言うのはやめた。それは生き物を沢山殺したことを褒めることになり、それをこの相手は喜ばない気がした。


 やがて体を洗い終わった。仕方なくお湯に浸かった。浸からない方が変。するとシュスローの方が口を開いた。どうやらアオイが体を洗い終わるのを待っていた様子。


「タパ様より君のことを聞いた。記憶がないそうだな」

「あ、はい。そうなんです」


 変に緊張した。その相手は気さくなところが全くなかった。


「教えたいことがある。しかし今日は私は帰ってきたばかりで忙しい。君も疲れているだろう。明日の午後四時頃は空いているか?」

「はい。あ、よく分かりませんが……。空けておきます」

「うむ。では、明日」


 言い残して大魔導師は出て行った。背中に刀傷がいくつもあった。アオイは大きく息をついた。息が詰まっていた。足の裏にお湯が沁みてヒリヒリしていたが、それも全く気にならないほど。


「はあ……。ちょっとのんびりしよ……」


 漸くくつろげた。

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