第36話
八.[恋の種]
夕食後のユタの当番を聞くと、皿洗いだと答えた。
「ふーん。じゃあ俺も手伝うよ」
「いいですよ、そんな。悪いですから……」
嬉しそうにニヤけた顔を見たら、一緒にやりたそうだった。
「気にするな」朝と同じやりとりだった。
ユタと一緒に箱膳を抱えて厨房へ向かった。「ここが厨房ですよ」案内されて入った部屋で、またかと思った。もう何度目になるか分からない違和感。
その部屋は半分だけ板の間で、奥が土間になっていた。土間には竈っぽい調理台と手押しポンプの井戸があった。
正直その違和感にはもう慣れっこだったから、ここもか―と思っただけだった。
食器棚や配膳台がある板の間を通り過ぎ、土間に降りた。井戸の周りは石を敷いた洗い場で、大きな木桶が幾つかあって、使い終わった食器が沈められていた。
この日の食器洗いの当番は、ユタとリュウ少年と、着物の染み抜きをしてくれたラナイ少年だった。
ラナイナライ(ラナイ・西風)は一番年かさで、お廟の少年達の差配役ということだった。
ユタとリュウ少年、ラナイ少年と並んで、アオイは桶の中のお皿を洗った。タワシに粉末の洗剤をつけて。
なるほどね、としか思わなかった。
しかもタワシも、タワシに似ているというだけで、どうもタワシとは雰囲気が違っていた。藁で出来ていた。「これ、何?」と訊くと、ユタは「タワシです」と答えた。「あ、そう」と答えた。
タワシは良いとして、ふと疑問が浮かんだ。訊いてみた。
「なあ。お湯は使えないのか?」
ユタが答えた。
「お湯? 真冬ならヤカンでお湯を沸かして桶に入れたりするけど……」
「ふーん……」
「どうしてですか?」
「いや……」お湯で洗っていたような気がしたのだが。「井戸からお湯がでるわけないよな……」
みんな笑った。「井戸からお湯がでたら、それは温泉ですよ」
「だよな」
「ですよ。あ、アオイさま。次はそこの鉄鍋をお願いします」
「てつなべ……?」ユタの指差す方を見ると、大きなそれがあった。確か、なんとかパン。何パンかは思い出せなかった。鉄鍋でかまわなかった。「これだな」
アオイが鉄鍋を取り、洗剤の粉をふろうとすると皆一斉に言った。「あ、ダメです」。ユタだけでなくリュウ少年とラナイ少年も。
「え……?」
ユタに注意された。「アオイさま。鉄鍋は洗剤で洗っちゃダメです」
「え? そうなのか?」
「洗剤で油分がとんで、焦げ付きの原因になります。鉄の表面に油が馴染んでいるんですから」
「へえ……」言われてみればそんな気もした。洗剤で洗っていた気がして、深く考えずうっかり洗おうとしたのだが。「よく知ってるな」
「よくじゃないです」ユタは諭すような口調で生意気を言った。「アオイさまはご記憶がないにもほどがあります」
リュウ少年とラナイ少年も、もっともだと言わんばかりに頷いた。常識、らしかった。
皿洗いを終え、皿を食器棚に並べ、箱膳を食器棚の横の壁際に重ねて積み上げた。それで今日の仕事は終わりだった。
みんなで厨房を出て、家に帰るラナイ少年とリュウ少年を見送った。
ユタと二人連れだって廊下を歩き、部屋の前まで戻るとリリナネが立っていた。待っていた様子。
アオイは一瞬ビクッとしたが、喧嘩を売りに来たのではなさそうだった。雰囲気からして、和解、だった。ルル・オシヌミから話を聞いたんだと思った。
不思議な事にユタの顔が見る見る赤くなった。
「僕は自分の部屋に戻るね。じゃあ、お休みなさい」真っ赤な顔でそう言い残して、そそくさと自分の部屋に入り引き戸を閉じた。
どうしてあいつが照れるんだ? 不思議に思った。
「あの……」リリナネは泣きそうな顔で頭を下げた。「ごめん……」差し出した手の平に、あの種が乗っていた。
「私、どうしたら……」
「気にしないでください。もとはと言えば俺の不注意ですから」
リリナネは首を振った。
「私、これをみんなに見せて説明する」
「いえ。いいです」誰にも言わない代わりに、という約束だった。「その種は俺に下さい」
「どうして……? それじゃ君は痴漢って事に……」
アオイは笑って答えた。
「説明しなくても俺とリリナネさんが普通に話していれば、みんなアレは誤解だったと思う筈です」
「分かったわ。じゃあ明日から一緒にお風呂にはい」
「え?」
リリナネは真っ赤になって言い直した。「違う……、一緒に浴堂へ行きましょう……」しどろもどろだった。「あそこが一番人が多いから……」
「はい」
リリナネはもう一度手の平を指しだした。アオイは種を取った。リリナネは笑った。まっすぐ目を見て笑顔をくれたことが嬉しかった。
「じゃあ、もう一度あの石をもらえますか?」
「おまじないの石?」
「はい」
「着けてくれるの?」
「はい」
アオイは手を差し出した。「紐を。自分じゃほどけないので……」
「うん」リリナネは紐を解き、赤い石を紐に通した。「じゃあ手を出して」
「はい」
双方顔が赤くなっていたが双方相手の事には気付いていなかった。
紐を結んでもらいながらアオイは言った。軽口のつもりで。「これで、戦場で死なずに済みます」
するとバツが悪そうに目を伏せた。「うん……」と言いながら。その表情はちょっと意外だった。
戦場で死なないおまじない、じゃないのかな? と思った。
紐を結び終ってリリナネは言った。「本当にごめんね……」
「気にしないでください」
「じゃあ、お休み」
「はい。お休みなさい」
リリナネと別れ、自分の部屋に入った。鶏冠竜の毛皮を文机の前に敷いて座った。種を机の上に転がした。
自然、笑みが浮かんだ。万事治まった上に、距離が縮まった気がした。
「恋の種、か……」
しかし経緯を考えてみれば、そんなステキな名前が似合う代物では全くなかった。笑顔も凍り付く代物。汚名返上できただけでも良しと思わなければ。自嘲気味に笑うと、種を引き出しに入れ、ビシャンと閉めた。
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