第29話
三.[石選び]
お廟に帰って入り口の三和土から廊下に上がるとき、アオイは迷った。戦履きを何処まで脱げばいいのか。
イオワニの道場では全部脱いで裸足になった。剣術の練習は裸足ですると思ったから。しかも、見ればみんな裸足だった。けれどここでは一番下の絹の物は履いていて良い気がする。
迷っているとユタが教えてくれた。
「皮のしとうずだけ脱ぐんだよ」
「だよな」そんな気がしていた。
「じゃあ、僕とリュウは晩ご飯の支度に行くね」ユタとリュウ少年は厨房の方へ立ち去った。
アオイは一人自分の部屋に戻った。剣を壁に立てかけた。斬馬刀も壁に立てかけてあった。並べて見るとあらためて感じた。
格好良い。
これは殺傷の爲の道具、格好良いと感じるのは不謹慎だ、それは分かっていても、やはり格好良いと感じてしまう。
斬馬刀を手に取った。かなり重い物。柄の部分は青い金属製。龍の浮き彫りが手に馴染み握りやすい。自然、これでどう戦うか、頭の中でイメージした。
これを振るって―。
するとやはり思い出してしまう。のたうち廻る生き物の姿。手に染みついた厭な感触。
彼が殺めたのは人間とは全く違う奇怪な面貌の生き物だった。けれど生き物である以上、母がいて子がいて、親は子を慈しみ育てるはず。そこに思い至ると、やはり殺生を是とは言えない。
奴らは悪龍の霊力に影響され、凶暴化しているだけ―。
アオイは斬馬刀を再び壁に立てかけた。鶏冠竜の毛皮の敷物の上に片膝立てて座り、考え込んだ。
暫く考えたが、回答らしきものには至らない。
これは答えのないことだった。これは、正義では無い。たとえ人々を護る爲だとしても。
けれど自分に納得させ、人々を護らなければならない。手の平に染みつくはずのものに堪え、あの時感じた不確かな何かを、胸に育てながら。
ノックの音がして扉が引かれた。着物の染み抜きをしてくれたラナイ少年だった。
「リリナネ様とタパタイラ様がお待ちです」と言った。
附いていくと例の広い板の間、祭祀場に通された。マアシナの神像の前に、リリナネとタパタイラは座っていた。前に古びた木箱を置いていた。
木箱を挟んで、アオイは座った。
タパは言った。
「貴殿のケイ「龍翅」にあわせて附ける石を、リリナネに選んでもらいなさい」
「すみません。ありがとうございます」頭を下げた。
「気にしないで」
リリナネは相変わらずアオイの目を見ないようにしていた。巧みに視線を逸らしながら、木箱を開いて彼の方に向けた。箱の中は細かく仕切られ、綺麗な色の石が沢山入っていた。
「何色が好きかしら?」
「え? 色で選んで好いんですか?」
基準がそことは思いもよらず、少し驚いて問い返すと、リリナネは慌てた。
「え、……ええっと、その、基本的には水晶を中心にあわせるの。他は、とりあえず好きな石を選んでみて。そしたら意味を教えてあげる。意味も大事だけど、あんまり欲張って色んな石を附けると良くないから。好きな色の石を中心にして、他を選べばいいと思うの……」幾つか石をつまみ上げて手の平にのせて見せてくれた。「これなんかどう? 色は地味だけど」。
アオイはリリナネの手の平の上の石をしげしげと見た。確かに地味で、茶色っぽい石だった。
二人が石を選び始めると、タパタイラは立ち上がった。リリナネに言った。
「では、私は行くとしよう。後は頼まれてくれるか?」
「え」
リリナネは手の平にのせていた石をバラバラと溢した。慌てて拾い集めた。明らかに動揺していた。
何故だろう、慌ててるみたいだけど、アオイは不思議に思った。
種を明かせば、二人きりになるのは予想外だったから。タパタイラも一緒だと思って安心していたのだ。
まずいぢゃないか、と彼女は焦っていた。また昼間みたいにどもってしまう、と。
しかしそれはアオイには分からない事情。
巫術師タパは、
「良い石を選んでもらいなさい」言い残して出て行った。
何故だか急に気まずい雰囲気になった。リリナネは綺麗に座り直した。正座に。アオイも慌てて真似をした。
「あの……。その黄色い石は何ですか?」リリナネが手にのせた石の名前を訊いてみた。
「こ、これは虎目石。集中力を高めるの。魔除けにもなるわ。ツフガだけじゃなくて、普通の人が持つにも良い石なの。ケイと一緒に附ける石は、大抵、普通の人が持っててもいい石ばかり……」
語尾が尻切れトンボになった。アオイは慌てて箱の中の石を指差した。
「これは何ですか?」
「それは、魚目石。巫術師がよく着けている石なの。占い師とか、霊視を使う人とかも」
「へぇ。こっちの黒い奴は?」
「それは黒瑪瑙。精神力や運動能力を高めてくれる。君にはぴったりかも」そう言って、にっこり笑った。説明しているうちに照れが消えたようだった。
「じゃあ、これにします」
「え、もう決めるの? もっと色々選んでみたら……」
「いえ。これがいいです。黒くて格好良いですから」
「そう……。じゃあ、こうしたらどう……?」
リリナネは箱の中から光沢のある青灰色の石をつまんで出した。
「これは曹灰長石。私たちが着けると霊的能力を高めてくれる。修復してくれたりもする。これを「龍翅」の両脇に一つずつ置いて、その先に、黒瑪瑙と水晶を順に並べていったらどうかしら?」
「いいですね。格好良さそうです」
お互いに、にっこり笑顔になり、目が合った。
すると一瞬で、これまでのアオイの気遣いも、リリナネの頑張りも水泡に帰した。ギクシャクした空気が戻ってきた。そして途轍もない難関がやってきた。それが難関であることは、アオイにも容易に分かった。
「じゃあ、手を出して……」
「え……?」
「紐を外さなきゃ……」
「そうですね……」
アオイが手を差し出すと、リリナネは「龍翅」を通した紐の結び目をほどいた。膝にのせて紐に石を通し始めた。
難関は過ぎ去ったと、アオイにも分かった。さらに空気が和む事を願い、アオイは世間話をした。
「リリナネさんのケイにも名前があるんですか?」
リリナネは紐に石を通しながら答えた。
「うん。あるよ。私のケイの名前はメア・マタギ。メアはツフガの言葉で『物』とか『人』の意味。マタギは『風』よ。千八百年前に、この世界にもたらされた物なの」
「千八百年も前に……?」
「うん。この世界にあるケイはおよそ三百。ずっと魔導師の師から弟子へと継承されてるの。さあ、できたよ。でも、もう一個だけ石を入れてもいい?」リリナネはそう言って、小さな赤い石を出して、手にのせて見せてくれた。
「はい。それはどんな意味なのですか?」
「あんまり意味は無いんだけど……、これはおまじないの石。例えば戦場で命を落とさないようにとか、そんな感じの……」
「じゃあ、是非。入れてください」
「うん」
リリナネは嬉しそうな笑みを浮かべ、その石を紐に通した。一番端っこに。
アオイにその石の意味が分かったのはずっと後のこと。叶わないおまじないだと、冷酷な運命の歯車が二人に告げた後。
「じゃあ、もう一回手を出して。結んであげる」
「はい」
今度はさほど難関では無いみたいだった。アオイにも分かった。紐を結んでもらいながら訊いた。
「紐が切れて石が飛び散ったりしたら大変ですね」
「切れないよ。精霊に貰った紐だから」
「え? 切れないんですか」
「不思議よね。鋏で切れば切れるのに。神霊や精霊のくれた紐は切れないの。いつまで経っても」
「そうなんですか……」
ごほん、ごほん、子供の咳払いにふり返った。見ると祭祀場の入り口の黒い木戸が開き、ユタとリュウ少年がこっちを見ていた。ニヤニヤ笑いながら。
膝をつき合わせるようにして向かい合っていた二人は、慌てて離れた。
「アオイさま、リリナネさま、ご飯が用意出来たよ」
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