第19話


 町中に時々高い石の壁が聳えている。街並みを遮り。大きくて頑丈な分厚い門がある。ミチモリ氏が説明してくれた。


「これは古い防壁です。つまり昔の町はここまでだったわけです。その後、広がって新しい壁ができ、しかしまたさらに広がりと、それを繰り返し今の姿になったのです。往来を妨げないよう、道の通る場所は壁が壊されていたのですが、蠻族の襲撃が激化して、門が造られました。半鐘が鳴ると門は閉ざされます。お気を附け下さい」


 その門を何度もくぐりながら町を見物し、幾つ目かの門の先に、工場群が広がっていた。木造ながら大きな建物。高い屋根。外観は今まで目にした建物よりずっと安普請。土壁ではなく、黒塗りの板壁だった。道沿いに製品と思しき大量の瓦や鉄の筒などが積み上げられていた。


 飲料工場らしき建物の前の路傍に、王冠が沢山落ちていた。「うわ、宝の山だよ」。二人の少年は目を輝かせて拾い始めた。


 ミチモリ氏は少年たちをそこに残し、一軒の工場にアオイを案内した。

「ここは私の所有している硝子工場です」


 建物の板壁は隙間だらけで、中に熱がこもらないように工夫していた。中に入るとだだっ広く、天井が無く、煤だらけの太い柱がむき出しになっていて、建物の中央に円筒形の窯があり坩堝が赤い口を開いていた。窯を取り囲むように何台も作業台があり、職人達が、坩堝から融けた硝子を鉄の竿で巻き取り、吹きあげては、作業台へ運び、吹きあげた硝子の首を絞っていた。台の上で竿をコロコロ転がして、火箸を用いて。


「これは見たことがあります」


 アオイが目を輝かせて言うと、ミチモリ氏は怪訝な顔をした。


「ほう……しかしそれは奇妙。硝子工場のある町などそんなに多くはありません。と言うよりも、この地方では此処クムラギだけです。アオイ殿は一体何処から来られたのでしょうな……」

「そうなのですか……。じゃあ、硝子工場のある町を探し歩けば、自分の住んでいた町にたどり着くかも知れませんね」

「うーん。ですが……」ミチモリ氏は首を捻りつつ言葉を濁した。


 その後、今朝窯出しした製品を見せてくれた。竹籠が幾つも並んでいて、白い煤にまみれたコップが無造作に沢山入っていた。


 一つ手にとってみた。丸尻のコップ。陶器のように肉厚でぽってりしていた。そのくせ手取りは軽やかで、ずしっと来るほど重くはなかった。


「いいですね。民芸硝子という奴ですね」


 何気なく言うと、ミチモリ氏はまたまた怪訝な顔をした。


「みんげ……?」


 アオイは戸惑った。そのコップを見て頭に浮かんだ言葉を言っただけだったのだが。


「ええっと、その……、ビードロ、とか言いませんか?」


 ミチモリ氏はさらに不思議そうな顔をした。


「いえ。硝子の事をそんな風には言いません。しかしすると、アオイ殿が暮らしていた町は、硝子工場があり、硝子の事をびーどろと呼ぶ町……と、なりますね」

「あ、そうですね」


 アオイは顔を輝かせたが、リケミチモリは首を捻った。


「しかし私の知る限り、硝子の事をそんな風に呼ぶ地方はありません。西国へ行っても。しかも、言葉の問題があります。アオイ殿が今喋っている言葉。当然の事ながら、私達の地方の言葉です。西国へ入れば言葉が変わります。それより遠くの地方はさらに」

「うーん……。じゃあ、有り得ませんね。東の方には何も無いのですか?」

「東方には、昔この地方を治めていた旧王朝の町があります。それより東は広い海です」

「うーん……」


 考え込んだアオイに、リケミチモリはにっこり笑って言った。

「さあ。もうお昼をとうに過ぎています。防壁を出て大河ラーを見物し、廟堂へ戻りがてら何処かで食事をしましょう」



 建物を出ると、二人の少年は硝子工場のゴミ捨て場で、色硝子の欠片を拾い集めていた。


 見ると、粉々になった坩堝や煉瓦の欠片に混じって、色硝子の小さな塊が沢山捨てられていた。アオイも一つくらい記念に拾おうかなと思っていたら、ミチモリ氏は少年達を促してサッサと先に行った。少し残念だった。


 ミチモリ氏は前方に見える門を指して言った。

「これが一番外の防壁です」


 一際高いその壁をくぐると、一瞬湖と見紛うほどの広い川に面していた。岸辺は階段状に石の護岸がなされ、ひたひたと静かな波が寄せている。


「これは……、違う……」思わず呟いた。


「何が違うの?」ユタ少年が顔を見あげて訊いた。


「俺はほんとにここに倒れていたの?」

「うん。もっと下流だけど。僕が見つけたんだよ」

「うーん……」


 人魚を見たときの記憶。速い迸るような水の流れ。茶色い濁流。頭に残るその一瞬の光景と、目の前の川はまるで一致しなかった。


「その時は雨が降って濁流になっていた?」

「いいえ……」

「この川に水の精霊……なんだっけ? ファフィー……」

「ファフィーネイア?」

「そう、それ。ファフィーネイアはいる?」

「そりゃあ、いると思いますけど……。どうして?」

「溺れている時にそれを見たんだ。フィオラパが言うには、ファフィーネイアが溺れている俺を助けてくれたらしい……」


 皆目を丸くした。ミチモリ氏が「うーん」と唸って言った。


「やはりあなたは私の思ったとおり、昔話や伝説に残る人々と同じ種類の人なのでしょうな……。水の精霊ファフィーネイアや土の精霊サカワオは、魔道師達でさえまず会う事が出来ません。ましてや、それに助けられた人など……」


「いえ、俺は……」


 今日、町を見て廻って、ますます分らなくなっていた。何か出来るかもしれないと思っていた希望も失いかけている。


「なにしろ右も左もわからないから……」。そんな人間に何か出来るとはとても思えない。


 ミチモリ氏は慰めるように優しい口調で言った。

「先ずは、ゆっくりなさり、心を休めることです」

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