透き通る蒼い空、白い雪。そしてクリスマスの妖精

みずみやこ

灰色の空

 ––––もういい。


 お決まりの言葉に、お決まりのその、眉をしかめたその顔に。

 私の初恋は、イルミネーションの輝きに包まれてゆく。ぼうぜんと見送って、何か喋る言葉も、涙も、全部忘れてしまうようだった。精一杯お洒落して来て、ちょっとだけ露出して来た足が寒い。手をつなぐ為に外した手袋を握る手が、そのまま悴んで動かなくなってしまう。ヒールが高めのブーツを辛うじてで動かした私は、本来向かうべきだった方向から目を逸らした。私の横を通りすがってゆく恋人達は、楽しそうに笑い声をあげながら、ピタリとくっついて歩いている。私もその幸せな二人になるはずだった。イルミネーションが一番綺麗に見える公園で、手を繋いで歩くはず–––––だったのに。

 まだ付き合い始めて一年も経っていない、つまり初めて迎える二人のクリスマスイブ。神様は残酷で、一回ばかりもその時間を与えてくれなかった。クリスマスはキリストを祝うお祭り。それなのに、神様は残酷。一体どういう事?


 明日のお天気予報は曇りです。午後には雪が降るでしょう––––––

 昨日の夜見た天気予報が頭をよぎった瞬間、灰色の空からひとつ、氷のかけらが私の鼻に付いた。

 それが合図となるように、さらに氷の小さな粒がはらはらと降り始めた。私は鞄から折り畳み傘を取り出して、広げて差す。周りの人々も同じように傘を差して–––あるいは相合傘をしてのけて––––冷たい冷たい雪から守ろうとしていた。


「ねえねえ」


 隣から、いいや斜め下位の所から、無垢な声が私に掛けられた。涙を懸命に堪えていたものだから、びくっと驚いて、弾みに一筋だけ涙が出てしまった。急いでぬぐいながら隣を見ると、何もいない。「下、下!」と言われてそのまま視界を下に下げると、そこにはにんまりと微笑んだ少女が立っていた。淡いピンク色のセーターに、白く、花のブローチが付いているマフラー…たいそう愛されていそうな可愛い女の子だ。でも、少し寒そう––––鼻の先が赤い。今はそれどころじゃないほど、私の心は沈んでいたけれど、相手は子供なのだから、私は笑顔で「なぁに?」としゃがんで笑いかけた。


「お姉さん、泣いているの?」


 女の子は、珍しい真っ白な長い髪を揺らして首を傾げた。このような子供にわざわざ嘘をついたりする必要もないので、「ちょっとね」とまぁ少しばかり弱っちい大人を見せてしまう。でも、私だって振られたばかりなんだからいいじゃない、少し甘えたって–––––そうとも、思えた。


「悲しいの?」


 少女の大きな瞳が、イルミネーションに照らされてキラキラと輝いている。その光に圧倒されながら、「大丈夫」と答えると、瞬間に少女はもっともっと目を見開いて叫んだ。


「お姉さん、いい人ね!」


 今の返事のどこがいい人なのか、全くわからなかったけど、それでも「いい人」と言われたら悪い気なんかしない。「ありがとう」と素直に答えたら、今度少女は、少し悲しそうな顔になった。


「あの、あのね––…私、お母さんとはぐれちゃった」

「あら、ら……」


 神話に出てきそうな、妖精の様に美しい少女。私の予想した通り、この人が多い街で、少女は家族と離れ離れになってしまったらしい。

 私にできる事なら––…交番に連れて行く、しか。


「あのね、だからね! …今から、遊びませんか!」

「え?!」


 近くの交番をきょろきょろ探していたら、少女が私のコートを掴んで言ったのだ。子供の瞼に、ダイヤモンドの宝石みたいな輝きが宿る。私は慌ててハンカチを取り出して、わたわたと彼女の涙を拭いてあげた。こんなにも可愛い女の子の涙は、何故か、流させてはいけない気がして。幸せなクリスマスイブの夜に、妖精の涙顔は似合わない。


「……うふふ、やっぱり、お姉さんって優しいね!」


 少女が再び笑ってくれたので、安心して息をつき、また心配になる。どこかへ遊びに…? この子は家族と会いたくないの? どうして? いかにも愛されていそうな、幸せそうな女の子なのに……。

 …いや、私が勝手に、そう決めつけているのかもしれない。


「…いいよ、遊ぼうか。でも、三十分だけね、遊んだらお母さん探そ?」


 どうせやることもない。三十分だけでも、綺麗な女の子と、素敵なクリスマスイブを過ごせるのなら–––。私にとっていい思い出になるだろう。この子のとってもそうなればいいのだけれど。


「うん! ありがとう! お姉さん、名前は?」

「…私は胡桃くるみ。あなたは?」

「あたしはえな! 胡桃さん…いい名前ね!」

「えなちゃんこそ。胡桃でいいよ」

「あたしも! えなでいいよ!」


 えなと名乗ったクリスマスの妖精は、両手を広げてくるくると回り、可憐な舞を披露してくれた。短い時間で、こんなにもすぐ仲良くなれるなんて––––。今までこんな経験がない私は、目の前にいる少女がとても特別な存在に見えた。


「行こっ!」


 えなの小さな手を握ると、信じられないほどの冷たさに驚く。私は手袋をし直していたけれど、えなは手袋をしていなかった。反射的に、ぎゅっと握ると、えなは可笑しそうにけたけたと喉を鳴らして笑った。元々、少し朱色に染まっていた頰が赤になる。釣られて笑って、私達は周りと同じ方向に進んでいった。


 えなはこんな場所に来るのは初めてな様で、行き交う人々や、見えてくる建物やイルミネーションを見て胸を弾ませていた。私は初めてじゃなかったけれど、少女のそんな姿を見ていたら、同じような気分になってくる–––––。私も小さい頃、お母さんに連れられてケーキを買いに行ったっけ。あの時見た、大きなツリーとお母さんの手のぬくもりは忘れられない。今でも、掌の芯から蘇ってくる。この女の子も、そうなのかな?


「ゆきだねぇ」


 えなは、はらりと落ちてきた雪の粒を掌に収めて、みるみるうちに溶けてゆくそれを見ながらうっとりと呟いた。相変わらず空は灰色だった。


「でも、くもってるねぇ」


 私が彼と行くつもりだった、大きな公園を目の前に、えなは空を見上げて囁いた。


「うん。えなの髪とは全然違う色だね。えな、その髪は–––」

「お母さんのものだよ」


 えなはにっこりと、頰を吊り上げて笑った。本当に、この少女は白かった。


「お母さんも、髪は白いよ。でもね、あたし、お母さん、見たことないんだ」

「え…?」


 思わず立ち止まってしまう。人の流れは止まらない。先に行きかけたえなは立ち止まり、手を離して後ろ手を組んで、天使そのものの微笑みを見せた。だって、言ったじゃない、えな。あなたはお母さんを探してるって……。


「胡桃、あたしね」


 はっとした時には遅かった。

 私の目の前に、えなはいなかった。




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