第31話 ドーナツをケチった報いだね

 視界いっぱいに広がる薄紫色の空。


――――ここは黄泉の国なのだろうか。


そう思ったその時、冷たい風が頬を刺した。


続けて馬に鼻先で額を突つかれ、陸人はハッとして上体を起こした。


「あれ…?僕生きてる…?」


何がなんだかさっぱりわからないまま、辺りを見回してみる。


傍らにはシメオンとオーガストが意識不明で横たわっていたが、二人ともしっかり息はあるようだ。


厩舎はほぼ全壊状態だった。天井は崩れ落ち、壁は土台しか残っていない。その一方で、白馬達は壊れた壁を乗り越えて外で元気に走り回っていた。


空が徐々にピンク色に染まり始める。柔らかい光が、天井の隙間から優しく降り注ぐ。


「ヒヒィィィィン!」


突然白馬達が天を仰ぎ、一斉に嘶いた。その背から、みるみるうちに白い翼が生えてくる。


「えっ?!何?!進化?進化してる?!」


「いいえ、それが彼らの真の姿よ」


ふいに背後から澄んだ声が聞こえた。


振り返ると、暁光の下で成人化したエレミアが立っていた。


「“真の姿”って、どういうこと?」


「あの白馬達はただの馬ではなく天馬だったのよ。天馬はの光がなければ翼を出すことができないの」


「あれ…?確か天馬の毛って、呪いをはねのけるんだよね?つまり僕らが助かったのは、天馬に囲まれてたおかげってこと?」


「そういうことになるわね」


陸人は訝し気に彼女を見つめた。


「エレミア…もしかして最初から天馬だって知ってたんじゃない?」


「さぁ、どうかしらね。そんなことよりほら、あなたのお友達が起きたみたいよ」


エレミアは誤魔化すように笑って話を逸らした。


「一体何がどうなっているんだ…?」


頭に藁をくっつけたまま、よろよろとシメオン達が立ち上がる。二人共朝日を浴びて元の姿に戻ったようだ。


「な…なんだアレは――――」


翼を生やした白馬達を目の当たりにし、大変仰天している。


「なんということだ…馬が羽化している…!」


「違うよ、おじさん。あれは天――――」


と、陸人が言いかけたその時、天馬達が軽やかな足取りでこちらに近付いてきた。先頭に立つ天馬が身を低くしながら声高に鳴く。


「人間のみなさん、ありがとうございます。おかげでようやく外に出ることができました。大したお礼はできませんが、せめて私共の国にお越し頂き、酒池肉林のもてなしをお受けいただきたく存じます――――と、言っているぞ」


深く頷きながら、オーガストが芝居がかった口調で翻訳している。


「ヒヒン!ヒヒン!」


天馬は文句ありげにオーガストの髪をくわえて引っ張った。


「痛てててて!俺の大事な髪に何をする!」


「あんたがテキトーな翻訳するからだろ」


「もしかしてお腹すいてるんじゃない?おじさん、残ってるドーナツあげたら?」


「それは断固拒否する。あれは俺の大事な非常食――――うわっ!」


突然天馬がオーガストの襟もとをくわえて背に乗せた。


「お…おい!何をする――――」


背の上で騒ぐオーガストなど意にも介さず、天馬は羽を広げて空へと舞い上がった。


「あちゃ~どうしよう…」


「また連れていかれたな」


「ドーナツをケチった報いだね」


遠ざかっていく天馬とオーガストを、陸人達はぼうっと眺めていた。


『心配ありませんよ』


思いがけず、目の前の天馬が話しかけてきた。


「え?君達喋れるの?」


『はい。改めてお礼申し上げます』


天馬は頭を深く下げ、穏やかにこう続けた。


『わたし達を吹き溜まりの女王から解放してくださってありがとうございました。お礼と言っては何ですが、みなさんを山の麓の町までお送りいたします』


天馬は前足を折って身を低くした。その両脇にいる二頭の天馬も同様に屈みこむ。


「まぁ、天馬に乗れるなんて夢みたいだわ」


キラキラと瞳を輝かせるエレミアは、早くも天馬と雪のせいで幼女化してしまっていた。


「天馬に乗って空を飛ぶなんて、これぞまさにファンタジーだね!」


陸人も興奮を抑えきれない。


「空を…飛ぶだと…?」


一方シメオンは渋い顔だ。


『ではみなさん、背中に乗ってください』


「「はーい!」」


シメオンだけは返事をせず、なぜかその場から動こうとしない。


「シメオン、どうしたの?早く乗りなよ」


「ちょ…ちょっと待て。心の準備が――――」


『寒いので、早くしてください』


天馬は彼を無理矢理背に乗せ、合図もなしに飛び立った。


「うわああああ!やめてくれぇぇ!」


広い空に、汚い悲鳴が木霊する。


「俺は高所恐怖症なんだぁぁぁぁ!」







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