意識

 交渉の真似事でハーバンに次の行動を誘導した俺が部屋に戻ると、ちょうどそのタイミングで部屋の奥の扉の開き、「ふぅ」と軽やかな吐息と共にアムが出てきた。


「とても素晴らしいお風呂だったよ」


「じゃぁ俺も入らせて……」


 そう言いかけて言葉が詰まる。


 満足げな顔のアムは薄いピンクのチュニックと同色のピタリとしたロングパンツに、赤いカーディガンを羽織っている。その姿を見て俺の頭に衝撃が走った。


「先に入らせてもらってすなまかった。ラグナもゆっくりと浸かってくるといい」


 俺は無言で二度うなずいてから、いそいそと脱衣所に入り、閉まる扉の隙間からチラッとアムの後ろ姿を覗いた。そして、名残惜しくゆっくりと扉を閉める。


(あれがアムか? いやいや、そんなことよりさすがにちょっと意識しすぎだろ)


 俺の家でも、ウォーラルンドで一泊したときも、俺と変わらない部屋着やお母さんの服を着用していた。旅立ってからは巫女装束は着ず、動きやすい戦闘衣姿しか見ていない。


 着る物が変われば人の印象も変わるもんだ。アムの持つ女性らしさの可能性を目の当りにした俺の脳裏には、そのときの彼女の姿が焼き付いてしまっていた。


 浴室に足を踏み入れて風呂桶で頭からお湯を三杯ぶっかける。それで少し心が落ち着いてくる。


 浴室をあらためて見渡すと三人は入れそうな大きな湯船に獣の顔の彫刻からお湯がわさわさと吹き出ている。


「クイバーおじさんのところだってここまでじゃないぞ」


 驚くほど贅沢な作りだった。


「アムが声を上げるわけだ」


 旅の汚れと臭いをガシガシと落として湯船に入り、ゆっくり浸か湯船に浸かる。ひと息ついたところで、この湯船にアムが入っていたのだと頭に浮かび、お湯を巻き上げながら浮かんだ妄想を叩き消す。


(いかん、病的にいかん。風呂を出たら飯食ってひとりで外に出かけたい)


 だがきっと、食後はあいつらと話しをするのだろう。気が進まないがアムがそうするというのなら仕方がない。昔から俺がなにを言っても聞き入れられたことなどないのだから。


 数十分前に襲ってきた奴らの本拠地で食事の用意をしてもらいながら風呂に浸かっているこの状況は異常だ。それができてしまっているのはアム強さとあの性格によるものだろう。つまりは安心感。


 ついさっき同じようなことで自己嫌悪におちいったばかりだが、彼女を護る立場の俺が彼女の庇護ひごで安心するとは情けない。もう襲われることなどないと心の奥で思ってしまっている。だからこんなふうにのんびり風呂に浸かっていられるんだ。


 もしかしたら、こうしているあいだにアムが奴らに襲われているかもしれない。そういう可能性もないわけではないが、アムなら絶対に大丈夫だという思いが俺の頭にどっしりと鎮座ちんざしている。


(この考えが命取りになりかねないんだ!)


 そう強く思い、芯までゆるんでしまった心と体にかつを入れて立ち上がろうとしたときだ。


「ラグナ」


 ドキッ!


 不意に聞こえたアムの声に驚き、俺は再び湯船に浸かった。心臓はバクバクと力強く無駄に鼓動を早めている。


「食事がもうすぐできるからそろそろ下に来てくれってさ」


「あぁ、わかったよ」


 俺は上昇した心拍によって乱れた心を隠し、平静を装ってそう返した。


「用意してくれている食事が楽しみだな。この屋敷の豪華さからしたら、食事もそれに見合った物が出てくるんじゃないかって、わたしは期待が高まるばかりだよ」


 と、心の底から楽しみだという浮かれたアムの声に、俺の心と体はかつによる気合を失って湯船に沈み込んだ。


 再度心と体にかつを入れなおして立ち上がった俺は、そそくさと体を吹きながら心を落ち着け、今の自分の心情を改めて分析した。


 ウォーラルンドでの魔女の事件に巻き込まれたことで、なにか大きな陰謀の波に飲まれつつあるような気がする。それは、ビートレイが最後に『アムを監視する』という言葉を残したからだ。


 なにを企んでいるのか知らないが、この『不安』を『安心』が覆ってしまっているというのが油断に繋がっている。


 ハーバンのお古だというダボついた服を着て部屋に戻るとアムはソファーに座ってゆったりとしていた。


「おまたせ」


「本当に待ったぞ。では行こうか」


「待って」


 立ちあがり扉に向かうアムを引き留める。


「ん?」


「アム、剣を持って行こう」


「なんだ、まだ信用できないのか?」


「うーん、信用できないっていうよりは、なんか気がゆるんでる気がして」


「わたしは大丈夫だと思うんだがな」


「なにかあったあとに後悔したくないから」


「そうか、だけどわたしは置いていくよ。住まいと食事を用意してくれているのに失礼だろ」


(えー、アム、そりゃないぜ。ラグナの言うことも一理ある。ここはおれも連れて行くべきだぞ)


 リンカーが俺の意見に賛成するなんてそうあることではない。間違いなく自分も行きたいだけなのだろう。


「普通ならそうだけど。でも、俺が剣を持って行く心情くらい察するだろ」


「だろうな」


 アムはあきらめ声でそう言った。


 俺はソファー横に置いた荷物に立ててある剣に手を伸ばしかけた手を止めて、その横でわめくリンカーを掴んだ。


「連れていってやるから警戒をおこたるなよ」


「言われるまでもないね」


 その行動を見て彼女は、やれやれといった表情で笑った。

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