未練

 馬車で居眠りをしていたとき、俺はまた彼女の記憶をのぞき見ていた。


「ここはどこだ?」


 陽の沈みかけた空に星がいくつか見える窓辺に立っているのはアムサリアだ。そんな彼女に声をかけているのはどうやら彼女の相棒の奇跡の鎧ラディアらしい。


「とうとう明日か」


「おまえと一緒に闘ってそろそろ一年半が経つな。エイザーグが現れてからイーステンド領土で暴れる獣たちの数はどんどん増えてきている。それに加え領土外から侵入してくる魔獣の対処に駆りだされる騎士や兵士たち。疲弊も限界に達しつつある今、エイザーグどころか陰獣の対処もままならなくなってきた。あと数ヶ月こんなことが続けばどうなるか、ラディアも理解しているだろ?」


 俺の知る歴史では、アムサリアの誕生祭以来、エイザーグが王都の東の山腹に立つ大聖法教会に立てこもった。


 聖域がけがされたことによる影響なのか、狂暴化した動物や野生獣たちが大聖法教会や王都街近郊に多数現れるようになり、ときには群を成して押し寄せてきた。


 それに輪をかけてイーステンド領土外からの魔獣の侵入。このことによって出撃する機会が増えた騎士団や街の自警団に傭兵、そして教団の闘女に巫女たちの心身の疲労は限界を迎えようとしていた。


 討ち漏らした魔獣はそのまま国内の森林や山岳、渓谷に住み付いてしまい、人々に害をなすことも多く、もはやエイザーグや陰獣だけを対処すればよいという事態ではない。


 内と外の脅威きょういさらされて人々の不安と疲労は日を追うごとに高まっていくことになる。


「これ以上はジリ貧だと国王も判断したのだろう。君が必勝の作戦を進言したおかげで決戦に踏み出すことを決めたわけだが……」


「納得してないのか?」


「作戦の概要は仲間たちと決めたものだし私も納得している。確実とは言えないが野獣や陰獣の群を抜けてエイザーグのもとにたどり着くことはできるだろうと思える。だが、エイザーグとの最終決戦という点では詳細に話されてはいない」


 俺にはラディアの焦燥感すらも伝わってくる。冷静に話してるつもりでも言葉に苛立いらだちが出ている。


「国王がその作戦を納得した理由はなんとなくわかる。エイザーグとの闘いについて詳細に語られなくても作戦決行を承認したのは、君がリプティの生まれ変わりで、その力を信頼しているからだ。そして、これ以上の長期戦はまずいという焦りが気持ちを後押ししたのだろう」


「ラディアに黙って勝手に作戦の決行を決めたことは何度も謝っただろ。事後報告に渋々だがおまえも了承したわけだし。大丈夫、ラディアと一緒ならなんとかなる。国王がわたしを信頼してくれているように、わたしもおまえの力を信頼しているんだよ。だから明日もわたしを護ってくれ」


 ラディアの焦燥感の理由は、アムサリアが勝手に国王に進言して明日の作戦の決行を決めたからのようだ。


 沈みかけた夕日に照らされ、朱色に染まった鎧の肩をポンと叩いて彼女はニコリと笑う。


「改めて言われなくても護るとも。それが私の使命だからね」


「そうか、期待しているよ。ではわたしは食事に行ってくる。明日のためにすべてを万全にしておかないとな」


 最後はいつもの調子で話が締めくくられ、部屋をあとにする彼女の背中に向けてラディアはつぶやいた。


「護るとも。絶対に護り抜く」


 黄昏時たそがれどきの部屋に残された奇跡の鎧の心情が伝わってくる。それは、伸ばす手を持たないその身が少しだけもどかしいということ。そして、その思いは、明日の最終決戦の結末で心が引き裂かれるほどの激情へと変わることを俺は知っていた。


 これは未練。だけど、彼女のものではない。



   ***



 ゴトゴトとゆるやかに揺れる馬車の振動で目が覚めた。


 外は夕日が沈もうとする黄昏時で、乗客が入れ替わっているところを見ると何度か停留所に停まったようだ。


「また夢か…」


 どこかの部屋でアムサリアと奇跡の鎧が会話をしていた。また彼女の記憶が流れてきたらしい。アムサリアが最後の決戦に出る前日。そのことを心配していたのは奇跡の鎧のラディアだろう。


 バスの客席前方にある時計を見ると十八時を回っている。十四時のバスに乗ってこの時間まで寝てしまうとは、朝の訓練疲れか? あまりの馬車の快適さにうたた寝を通り越して熟睡してしまった。


 ここはどこだと考えたと同時に彼女のことを思い出す。


「アムサリア?」


 辺りを見回して彼女を探した。


「起きたかい」


 当然だが返事は隣の席から返って来た。


「そ、そこにずっといたのか?」


 寝ぼけていたのか横に座る彼女に気が付かなかった。


「その質問には答え難いな。いた気もするがいなかった気もする」


「なんだよそれ?」


「馬車に乗る前にもそんな話をしただろ」


 俺は馬車に乗る前の話を思い返す。


「キミが寝ると言ってからわたしはここから離れていないが、キミが寝ているときにわたしもどうしていたのかわからない。それはラグナが毎晩寝ているときも同じだ」


 俺が寝ているあいだは彼女も意識がない。俺にしか見えないし声が聞こえないことと関係があるのだろうか。


「そうそう、またアムサリアとラディアの夢を見たんだ。エイザーグとの決戦前日の夕暮れのときに部屋で話をしていたよ」


「あぁ、あのときのことか。ラディアは不機嫌だっただろ?」


 そのときのことを思い出して苦笑した。


「悪いとは思ったんだが慎重なラディアはきっと反対するだろうと思ってね」


「あんたを思ってのことだろうに」


「わかっているさ。だが、状況は切迫していた。闘士たちが消耗し切ってしまう前に強引にでも士気を上げて決戦に挑む必要があった。そのための『武器』が手に入ったからな」


「武器?」


 気になるキーワードに俺は飛びついた。エイザーグに挑むにあたりそれを決断し得る『武器』とはいったいなんなのか。


「お疲れさまでした。あと五分ほどでシグヤ中央広場停留所に到着します」


 俺たちの目的地へ到着する案内が流れた。


「どうやらその話は次の機会だな」


 またいいところで話が途切れるのか。


 丘を下る道に入ると大きな街が見えてくる。夕飯時の活気ある街の光だ。


「腹も空いてきたし街に着いたらとりあえず飯にするかな」


 小声でそうつぶやきながらチラリと横目でアムサリアを見ると、やはりうらめしそうに俺を見ていた。


「仕方ないだろ、俺は腹が減るんだから」


「いちいち見るんじゃない。わたしのことは気にしなくていい」


「そんな目で見られたら気になるって」


 家でも食事のときは毎回こんな目で見られていたのだ。


「まさかあんたの未練はその食欲が関係してたりしないよな?」


「し、失礼なことを言うな。そんな理由で出てきたわけがなかろう。死んではいてもわたしは聖闘女だぞ!」


 言葉のチョイスが微妙で、まったく聖闘女の威厳が感じられない。


 何度目かの時の英雄の意外な一面を垣間見た俺は、改めて彼女も年相応の女の子なのだと認識した。

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