命数

 天候は快晴、風は微風。早朝の訓練と畑仕事、そして食後の法術学が終わり、いつもなら友人と町に出かけたり、弁当を持ってピクニックに行ったり、山越えで狩りをしたり馬に乗ったりと楽しい休日のはずなのだが……。


「ラグナ、キミの馬は優しくて賢いな。わたしは闘いのために馬に乗る訓練はしていたのだが、野山を共に走って楽しむことはしたことがなかったんだ。良かったら今日も馬で走りに行かないか?」


 三日前の早朝に突然、俺の寝室に現れたこの女性はアムサリア。二十年ほど前にこの国を恐怖に突き落とした破壊魔獣エイザーグを討ち倒した奇跡の英雄だ。その聖闘女の霊体らしいのだが、なぜか俺にしか見えず、感じず、声も聞こえない。


 そして昨日、近隣の町まで繰り出して町一番の法術士に視てもらった結果は、


「あなたの妄想では?」


 と、またしても妄想という言葉をたまわって終わった。その他あらゆる手を尽くしたが、どうやっても俺以外に認識することはできずお手上げ状態。


「おーいラグナ、アムはどうしてる?」


 川に魚を釣りに行ったおとうさんがたるかついで帰ってきた。


「今日も馬に乗せてくれってさ」


「アムは堅物の巫女だったから娯楽らしい娯楽なんてしたことなかったのかもな。趣味は祈祷きとうと人助けだったんじゃないか?」


 がはははは、と大きな声で笑いながら家に向かうお父さんにアムサリアは叫ぶ。


「わたしだって裁縫や花壇の手入をしたり、楽器を弾いたり歌ったり、それに守護獣の世話など楽しいことはいくつもあったぞーー!」


 いくら叫んでも聞こえないことはわかっているはずなのだが、聞き捨てならないとばかりに言い返す伝説の聖闘女。


「あんたはいつまでここにいるんだろうな。なんの未練で化けて出たのか知らないけど、こんな真っ昼間に平然としている幽霊って普通じゃないと思うぜ」


 俺は大樹の木陰に茂った芝生に寝転がりながら言った。


「ラグナ、こうしてキミと会ってもう三日だ。そろそろあんたじゃなくて名前で呼んでくれても良いのではないか?」


 確かにこの呼び方にも違和感を感じるようになっていた。でも、名前で呼ぶタイミングをいっしてしまい今にいたっている。


「クルーシルク様って呼べばいいのかい?」


 苦笑いしながらそんなふうにトボケてみた。


「それはあまりに堅苦しいな。年齢もさほど変わらないわけだから、アムサリアと呼べばいいさ」


「あんたはいったい何歳なんだ?」


 幽霊に年齢を問う俺って……


「わたしは十九歳だ」


(これがこの国に命を捧げて闘った少女の命数か……)


「わたしの歳がどうしたというんだ?」


「いや、特に意味はないけど。俺と同じ歳なんだな。俺は先月十九になったんだ」


過去のつらく悲しい記憶を呼び起こすのも悪いので、俺はそんなふうに返した。


「そうか。なら、わたしのほうが少しお姉さんだな。わたしはそう遠くない日に二十歳を迎えるはずだった」


 寝転がっている俺を見下ろしつつ言い放った言葉に、ささやかながら空気の変化が感じられた。


「あと二年したら俺の方が年上のお兄さんだな」


 その変化に抗うべく、ひと言返す。


「人生経験という意味ではわたしもキミと一緒に歳月を過ごすわけだから、その差はかわらないのじゃないか?」


 死んでいるのに人生経験? 己の立場を保持しようという強固な盾を展開させたつもりらしい。


「よくよく考えたらエイザーグとの闘いから二十年経ってるんだから、もうすぐ四十歳ってことじゃないの?」


 盾を貫く渾身の槍!


「そ、そのあいだわたしは存在していなかったのだから、二十年はノーカウントだ」


 たぶん俺の勝利。


 という低レベルなお互いのポジションを奪い合うやりとりをする聖闘女は、普通の少女と言った感じだが、両親の戦友を名前で呼び捨てるのはどうなのか。


 正直アムサリアなんて物語の登場人物という認識が強い。こんな形で目の前に現れたとはいえ、どういった距離感で接すればいいのか良くわからないのが実情だ。


「あのときのようにアムと呼んでくれてもかまわないぞ」


 恐らく負けた仕返しだろう。俺をからかうようにそう言って笑う。これが奇跡の英雄だなんてやはり信じられない。


「わかったよ。なんと言っても国を救ってくれた英雄だし、半年ほどお姉さんだしな。敬意を込めてアムサリアと呼ばせてもらうよ。いつまでの付き合いになるのかわからないけど、よろしくなアムサリア」


「こちらこそよろしく頼む。戦友の息子ラグナ」


 お互い微妙に皮肉を込めた挨拶を改めて交わした。

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