第220話 妹達が助けを求めているらしい。

 109号室の皆さんも例に漏れず会話好きのようで、僕が関心を示したり相槌あいづちをうったりしているだけで、僕の耳には様々な情報が集まってきた。


 その中でも、4人の近況報告や、将来に関しての話は、僕が自分の将来を考える際に参考になる内容であったと思う。




 横島よこしまさんは、109号室で預かっているマー君を毎日お風呂に入れ、体を洗ってあげているらしい。


 生後1歳8ヶ月のマー君を、横島さんは「マサルさん」と呼んでおり、もちろん寝る時も「マサルさん」を自分のベッドで一緒に寝かせているそうだ。


 マー君に限らず、小さくてかわいい男の子が大好きなので、学園を卒業した後は保育士の資格を取る予定らしい。


 横島さんが常に成績上位なのは、きっとその為に勉強しているからだろう。


 マー君との共同生活は、マー君の母親である新妻にいづま先生が病院から戻られる、次の日曜日までの予定なので、母親代わりの横島さんは、別れが辛いそうだ。




 脇谷わきたにさんは、自分の婚約者について話してくれた。


 その婚約者とは、名前を聞けば誰もが知っている有名な漫画家の先生らしい。


 以前からファンだったという脇谷さんが、去年の春休みにイラスト付きのファンレターを送ったところ、担当編集者を通してアシスタントに誘われたのだそうだ。


 脇谷さんと面接をした先生は、脇谷さんを一目で気に入り、「アシスタントではなく、次の作品のヒロインのモデルになって欲しい」と言ったらしい。


 これはチャンスだと思った脇谷さんは、「学園を卒業したら、アシスタントでもモデルでも、住み込みで何でもやりますから、私を一生雇って下さい!」と自分の想いを熱く語ったそうである。


 そして、次に呼ばれた時には、先生から高価な婚約指輪を贈られ、去年のゴールデンウィークには、泊りがけの「研修」に呼ばれたらしい。 (第63話参照)


 先生は既に大金持ちだそうなので、脇谷さんの人生は、これで安泰だろう。




 小笠原おがさわらさんは、実家が沖縄らしい。


 帰省するだけでも相当お金がかかってしまう為、夏休みも冬休みも実家には帰らずに、お姉さまである横島さんの実家に泊めてもらっていたそうだ。


 家族からは「わざわざ帰って来なくていい」と言われ、地元にカレシがいるわけでもないので、小笠原さん本人も家に帰りたいと思わないらしい。


 まだ1年生なのに、家族と会わなくても平気だなんて、小笠原さんはオトナだ。




 ハテナさんは、小笠原さんとは逆で、実家がそれほど遠くない為、日曜日にバスと電車を使えば日帰りで実家に行けるそうだ。


 今のカレシとは違う男性とお付き合いしたいようだが、小学校の時の男友達は、みんな子供っぽく、理想の男性は、なかなか見つからないらしい。


 既にカレシがいるのに、より上を目指すハテナさんは、僕よりずっとオトナだ。




 今日、109号室の4名から新たに得られた情報は、こんなところだ。

 皆さんとの話が面白くて、だいぶ長居してしまった。


「今日は楽しかったです。あまり遅くなると悪いので、僕はそろそろ帰りますね」


「お兄さん、もう帰ってしまうのですか?」

「ダビデ先輩、また一緒に遊んで下さい!」

「甘井さん、また明日、教室で。――マサルさんも『ばいばい』して下さい」

「だびでー! ばいばい!」

「ダビデ君、『極太の恵方巻』ごちそうさま。また遊びに来てね!」


「はい。では、また。お邪魔しました」


 僕は109号室の皆さんに挨拶あいさつをして、部屋を出た。




 それから、ほんの10秒後くらいの出来事だ。


「――あっ! ダビデ君、ちょっと待って!」


 109号室を出て廊下を歩いていると、107号室の手前あたりで、背後から聞き慣れない声に呼び止められた。


「こっち、こっち!」


 振り返ると、可愛らしいパジャマを着たクラスメイトが、手招きしている。

 108号室の八女やめ珠恵たまえさんだ。いったい僕に何の用だろうか。


「どうしましたか? 八女さんが僕に声を掛けてくれるなんて、珍しいですね」


 八女さんは、普段から僕を避けているかのように、全く接点がない人だ。

 部屋も遠く、教室で席が近くになった事もなく、会話の機会も特になかった。


 クラスメイトなので、もちろん、挨拶くらいはしたことがあるし、名前も知っているが、ほとんど初対面のようなものである。


「お願い! 今から妹達を助けてあげてくれない?」


「え? 今からって、事故でもあったんですか?」

「――いいから、いいから、早く部屋の中に入って!」


 僕は八女さんに腕をつかまれてしまい、もはや断れない状況だ。


 しかし、仮にそうでなかったとしても、クラスメイトに助けを求められたのなら助けてあげない訳にはいかない。


 八女さんの救援要請には、応えてあげる事にしよう。


【108号室】

【矢場 久音】【八女 珠恵】

【椎名  彩】【若杉 瑠夏】


 108号室は109号室と違って完全にアウェイな場所なので、少し緊張する。


 椎名しいなさんから「右の玉と左の玉は入れ替えが可能か?」と質問された事は覚えているが、個人的に親しい人は108号室には誰もいない。 (第161話参照)




「クネちゃん! ダビデ君を捕まえたよ!」

「やるねぇ! さすが、タマちゃん。――ダビデ君、いらっしゃい!」


 八女さんに腕を掴まれたまま部屋に入ると、目のやり場に困るようなスケスケのパジャマを着た矢場やばさんが、僕を歓迎してくれた。


 そして、矢場さんの横には、体操着姿の1年生が2名。椎名さんと若杉わかすぎさんが、今年の恵方を向いて正座したまま固まっている。


 2人とも恵方巻を口にくわえたままで、目には涙を浮かべていた。


「いったい、2人とも、どうしちゃったんですか?」


 僕が質問すると、2人は涙目で首を横に振るばかりだ。


「縁結びの儀式が終わらなくてさぁ、ダビデ君に手伝ってあげて欲しいんだけど」


 2人の代わりに、椎名さんのお姉さまである矢場さんが、スケスケのパジャマに透ける下着を僕に見せびらかしながら、こんな事を言ってきた。


「ほら、恵方巻って、無言で全部食べないと願いがかなわないでしょ? 私たちは、もうおなかが一杯だから、ダビデ君に妹達を手伝ってあげて欲しいんだよ」


 若杉さんのお姉さまである八女さんが補足説明をすると、椎名さんと若杉さんは2人で同時に「うん、うん」と2回うなずく。


 全部食べる必要があるけど全部は無理で、食べ残し厳禁なので、残すのもダメ。

 つまり、僕の役割は2人の「残飯処理」という訳か。


「分かりました。食べきれない分は僕が食べますから、安心して残して下さい」


 かわいい1年生達の食べ残しなら、僕に不快感は全く無い。

 それに、ちょうど、小腹が空いてきたところでもある。


「さすが、頼りになるねぇ。じゃあ、アヤの方からお願い!」


 矢場さんの合図で、椎名あやさんが、背筋を伸ばして顔を上げる。

 僕と目を合わせた後、椎名さんは、少し恥ずかしそうに目を閉じた。


 そうか、本人が途中で食べるのをやめてしまったら縁結びの願いは叶わなくなってしまうから、僕が手伝うとなると「丸ごと引き継ぐ」しかないのか。


「では、いただきます」


 これって、恋人同士が、ポ●キーとかでやるものだと思うが、まあいいか。


 今回は「縁結びの儀式を手伝ってあげる」という「大義名分」があり、お姉さまから依頼され、本人もそれを希望しているのだから、特に問題はないはずだ。


 とは言え、ダイレクトに唇を合わせてしまう訳にもいかないので、僕は大きく口を開けて、できるだけ恵方巻を奥まで咥えてから、それを引っ張った。


 続いて、椎名さんと同じ方角を向き、それをよくんで一気に飲み込む。


「ぷはーっ! 心臓がドキドキし過ぎて、死んじゃうかと思いましたよぉ!」

「あははは、椎名さん、死ななくてよかったですね」


 復活した椎名さんは、やっぱり面白い人だった。


「ダビデ君、ルカも助けてあげてね」


 八女さんの合図で、若杉瑠夏るかさんが、背筋を伸ばして顔を上げる。

 若杉さんは、目をパッチリと開けたままで、こちらは、かなり緊張する。


「では、いただきます」


 椎名さんの時にコツは掴めたので、同じように恵方巻を咥える。

 お互いの鼻がぶつからないように、顔の角度を変える事が重要である。


「……はあ……はあ……はあ、……ありがとうございます。助かりました」


 若杉さんの口の中に残っていた恵方巻を口移しで受け取り、美味おいしく頂いた。

 目はパッチリして大きいのに、残念ながら、口はかなり小さかったようだ。


「いえいえ、どう致しまして。お茶も頂いていいですか?」

「はい。私の飲みかけでよろしければ、どうぞ」

「センパイ、私のもどうぞ!」


 2人の飲み残したお茶も頂いて、任務完了。

 これで、4人に満足してもらえただろうか。




「ダビデ君、今日は、どうもありがとうね」

「こちらこそ、僕も楽しかったです」


 今日、僕が108号室の中に入れてもらえたのは、八女さんのお陰だ。


「やるねぇ! さすが総大将!」

「その呼ばれ方は、懐かしいですね」


 矢場さんは、スケスケのパジャマを見られていても、恥ずかしくないようだ。


「センパイと恵方巻って、同じくらいの太さでしたよね?」

「あははは、椎名さん、そういう事は、あまり口に出さない方がいいですよ」


 椎名さんは、もともと、こんな性格らしい。


「ダビデ先輩と恵方巻が……同じくらいの太さ?」

「若杉さんは、聞かなかった事にして下さい」


 若杉さんは、椎名さんの言葉の意味が良く分かっていないようだった。






 102号室、109号室、108号室と渡り歩き、101号室に戻ってきた。

 部屋の中には誰もおらず、コタツのテーブルの上に1枚のメモが置いてある。


『お兄ちゃんへ 3人ともロビーにいます。お兄ちゃんも来てね』


 これは、ポロリちゃんが僕に書いてくれたメモだ。

 僕も急いでロビーへ向かう事にしよう。






「やっと来たか~、おそいよ~」

「ごめん、ごめん。いろいろとあってね」


「お兄ちゃん、ちょうど『ひなだん』ができたところなの」

「3人で、これを準備してたの? 僕も手伝うよ」


 節分が終われば、暦の上では、もう春。


 ロビーで3人が準備していたものは、ひな人形を飾る為の雛壇だった。

 すでに赤い雛壇が完成しており、あとは人形を並べるだけのようだ。


「甘井さん、よろしければ、最上段の飾り付けをお願いします」

「分かりました。この『メインの2体』を並べればいいんですね」

「はい。2人合わせて『内裏雛だいりびな』と呼ぶそうですよ」


 最上段が、この2人であるという事は、知識の乏しい僕でも分かる。

 しかし、どちらが右で、どちらが左だったか……。


「……えーと、男が右でしたっけ? それとも左でしたっけ?」


 自分で分からないときは、素直に天ノ川さんに聞いてみるのが一番だ。


「ふふふ……、甘井さんとネネコさんが、2人で並ぶ時と同じですよ」

「なるほど。それなら、こうですね」


 僕達が2人で横に並ぶ場合、特に制約が無ければ僕が右で、ネネコさんが左。

 つまり、向かって左が男雛で、向かって右が女雛というのが正解か。


「はい、その通りです。ありがとうございます」


 ネネコさんと付き合う前の僕では気付くことが出来なかった事だと思うが、これはきっと男性が女性を左手で抱き寄せて、右手で女性の体をまさぐる為だろう。


 もし男性が左利きなら、男女の位置は逆の方がいいのかもしれない。

 4人で雛人形を飾りながら、僕はそんなどうでもいい事を考えていたのだった。

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