第214話 貴重な経験が役に立ったらしい。
早朝からの仕事だったので、現在の時刻は、まだ9時半頃だ。
「カンナさん、お疲れ様でした」
「ダビデ先輩、またねー!」
階段を上るカンナさんに手を振った後、僕は廊下の右側にあるドアを開ける。
ロビーから最も近い、この部屋が僕の自室。通称「アマアマ部屋」である。
「ただいまー」
「お兄ちゃん、おかえり!」
自室に戻ると、小さくてかわいい僕の妹が、いつも笑顔で迎えてくれる。
笑顔は伝染するらしく、この笑顔を見ると、それだけで僕も笑顔になれる。
暗い性格だった僕が、少し明るくなれたのは、ポロリちゃん達のお陰だ。
「あれ? ポロリちゃん、1人なの?」
「ネコちゃんは、ミユキ先輩と一緒に図書室で、お勉強中なの」
天ノ川さんとネネコさんは、2人で勉強中らしい。
2人がポロリちゃんを仲間外れにするなんてありえないので、おそらく、ポロリちゃん自身が2人の誘いを断って、部屋に残ったのだろう。
「ポロリちゃんは、僕を待っていてくれたって事?」
「うんっ! お兄ちゃんにね、見てもらいたいものがあるの」
ポロリちゃんは、いつも以上に、ご機嫌だ。
いったい、何を見せてくれるのだろうか。
僕はかわいい妹に手を引かれながら、部屋の奥へ進み、コートをハンガーに掛けてから、自分の席に着いた。
「あのね、
ポロリちゃんは、僕の左隣の自分の席に着き、嬉しそうにノートを広げる。
新妻先生は昨日から入院中で、今日か明日には赤ちゃんが生まれるそうだ。
「そうだね。4年生も課題は出されたけど、1年生の課題は、どんな内容なの?」
「えーとね、小さな子供向けに、絵本を作るの」
「絵本? ……そうか、1年生は、美術も新妻先生だったね」
うちの学園には美術専門の先生がいない為、国語の先生である新妻先生が、美術を兼任して教えていらっしゃるらしい。
美術の授業があるのは3年生までで、4年生以上の芸術科目は音楽のみである。
「それでね、絵はまだだけど、お話はできたから、お兄ちゃんに見て欲しいの」
「あー、だから、このノートは、ひらがなばっかりなのか」
ポロリちゃんのノートには、漢字が一切使われていない文章が、大きくてかわいらしい文字で、ゆったりと書き込まれていた。
「うん。おかしなところがあったら、教えてね」
「どれどれ……タイトルは『ロリとロル』? 『ロリとロラ』じゃないの?」
どこかで見たようなタイトルだと思ったら、元ネタは「ぐり●ぐら」か。
「それだと、どっちも女の子になっちゃうもん」
そういえば、「ぐり」と「ぐら」って、どっちもオスだったか。
もしかしたら、2匹とも「ボクっ
「そうか。ロリが女の子で、ロルは男の子なんだ」
「うんっ! 早く読んでみて!」
――それでは、今から、かわいい妹の作った童話を読ませてもらう事にしよう。
ロリとロル
ほんのちょっとだけむかし、きむすめやまのふもとに、ロリがすんでいました。
ロリというなまえは「ちいさくてかわいいおんなのこ」といういみです。
12さいになったはるに、ロリは、きむすめやまにのぼろうとしました。
それは、きむすめやまで、おりょうりのしゅぎょうをするためです。
あるいてのぼるのはたいへんなので、ロリはバスにのることにしました。
きむすめやまに、のぼるみちは、くねくねと、まがりくねっています。
ロリは、バスによってしまい、きもちがわるくなってしまいました。
きむすめやまについたころには、ふらふらで、はきそうでした。
これは、もうだめかもしれません。
そうおもったときに、ロリのからだはかるくなり、ちゅうにうかびました。
さっそうとあらわれたロルがロリをおひめさまのように、だっこしたからです。
ロルは、おむこさんになるために、きむすめやまにしゅぎょうにきていました。
ロルというなまえは「かっこいいおにいちゃん」といういみです。
ロリとロルは、すぐになかよしになり、いっしょにくらしはじめました。
そして、きむすめやまで、きょうだいとして、いまもなかよくくらしています。
めでたし、めでたし。
……まさかのノンフィクション作品ですか。 (第3話参照)
「さすがポロリ先生。素晴らしいお話です」
「えへへ、全部お兄ちゃんのお陰なの」
「あははは、何で『ロリとロル』なのか、すぐに分かったよ」
ロルを縦書きにすると兄に見える。これは新しい発見だ。
「ところで、絵のほうはどうするの?」
「ポロリは絵が上手に描けないから、今日はサクラちゃんかクマちゃんに、似顔絵のコツを教わろうと思っているの」
2人とも美術部の1年生で、ポロリちゃんとは仲の良い友達同士である。
「それは、いい考えだね。2人とも絵が上手だからね」
ポロリちゃんと僕の似顔絵か。
この童話に絵が付いたらどうなるのか、とても楽しみだ。
「お兄ちゃんの課題は?」
「国語の課題は、ただ試験範囲を自習するだけだから、たいした事ないんだけど、4年生は双子の世話を任されたよ。僕も時々育児室には顔を出さないと」
授業中は今まで通り、
「新妻先生は、お母さんなのに、マー君たちを置いて行っちゃったの?」
「それは仕方ないでしょ。病院に連れて行っても邪魔になっちゃうから」
新妻先生の2人のお子様は、最近、オムツも外され、元気に歩き回っている。
2人とも普段から新妻先生にべったりという訳ではなく、育児室でいろんな人と接している為、お母さんが急にいなくなっても平気なようだ。
「夜はどうしてるの?」
「マー君は109号室、ミャーちゃんは105号室に泊まっているらしいよ」
マー君ことマサル君が最も懐いているのが、109号室の
ミャーちゃんことミヤビちゃんが最も懐いているのが、105号室の
――というのは、表向きの理由で、実は逆だったりする。
僕の見解では、最もマー君を
新妻先生は、事前に横島さんと花戸さんに相談し、預ける部屋を決めたらしい。
――ドンドンドンドン。
ポロリちゃんとの会話中に、部屋のドアを連打する音が聞こえる。
「だびでー!」
「お兄ちゃん、ミャーちゃんが呼んでいるみたいなの」
「そうだね。何かあったのかな?」
ここからは「下ネタ注意」の話です。
15歳未満でもOKですが、お食事前の方は召し上がってからご覧ください。
僕は急いで部屋の入口に向かい、ドアを開けた。すると、よちよち歩きで部屋に入って来たミャーちゃんが、トイレの前で立ち止まり、悲痛な声を上げた。
「う●ち! むれちゃう!」
「むれちゃう」とは「蒸れちゃう」ではなく「漏れちゃう」の地元言葉だ。
どうやら、ミャーちゃんは、う●ちが漏れそうな状態らしい。
この部屋に遊びに来たのは初めてのはずだが、正面のドアがトイレの入口である事は理解しているようだ。
「ここまで我慢してきたんだ。えらいねー」
報告してくれたら褒める。これは
「お兄ちゃん、急がないと、むれちゃう!」
ポロリちゃんが心配してくれている。
こんなところで漏らされてしまっては困るので、急いでなんとかしないと。
「じゃあ、トイレに入ろうね」
僕はトイレのドアを開け、ミャーちゃんの行動を待つ。
ミャーちゃんの排泄訓練に立ち会うのは、今回が初めてでは無いし、それ以前はオムツの交換もしてあげていたので、本人からの信頼は得られているようだ。
ミャーちゃんは、不器用ながらもパジャマのズボンとパンツを下ろし、その場に脱ぎ捨てる。トイレに慣れるまでは、このほうが服を汚す心配もない。
「おっ、ちゃんと脱げた。えらいねー」
まだ1歳半の女の子に「はしたない」なんて
ここは褒めるのが正解のはずだ。
後は、下半身裸で待機するミャーちゃんを便座に座らせれば――と思ったところで問題が発生した。
育児室のトイレには幼児用の「補助便座」があるのだが、ここには無いのだ。
このままでは、ミャーちゃんはお尻から便器に落っこちてしまう。
もしそうなったら、大惨事だ。
「だびでー! むれちゃう!」
このまま抱っこして育児室へ走るべきか――いや、それだと間に合わない。
ならば、どうしたら――そうだ、アレを試してみよう。
「ミャーちゃん、ここに座って!」
僕は自分が用を足す時と同じように便座に先に座り、お尻丸出しのミャーちゃんを自分の
つまり、僕が補助便座になってあげれば良いのだ。この作戦は、
――ジョボ、ジョボ、ジョボ、ジョボ。
ミャーちゃんは、僕の膝に乗った途端、おしっことう●ちを同時に排出した。
まさに、間一髪で間に合ったという感じだ。
「う●ち、でたー!」
あの時の貴重な体験が、こんな形で役に立つとは。
クルミさん、ありがとう。
「はい、良く出来ました。お尻も、
ミャーちゃんは一応、自分でお尻を拭けるようだが、かなり雑なので、僕がもう一度
「はい、綺麗になりました。そうしたら、次はどうするの?」
僕はミャーちゃんを立たせて、水を流すように促す。
「はい、良く出来ました」
問題なく、トイレの水は1人で流せるようだ。
「パンツは、
一緒にトイレから出て、先ほど脱ぎ捨てたパンツを穿くように促す。
脱いだパンツとズボンも、1人で問題なく穿けるようだ。
「おー、えらい、えらい!」
「ミャーちゃん、すごーい!」
ポロリちゃんと一緒に2人掛かりで褒めると、ミャーちゃんは得意げな表情だ。
もう補助便座さえあれば、1人でも用を足せそうである。
「僕はミャーちゃんを育児室まで送りに行くけど、ポロリちゃんはどうする?」
「えーとね、ポロリは、今から美術室に行って、似顔絵を教わろうと思うの」
「あー、そうだったね。課題、頑張ってね」
「うんっ。完成したら、お兄ちゃんに最初に見せてあげるね」
「あははは、楽しみにしているよ。それじゃ、行ってきます。――ミャーちゃん、お部屋に戻ろうね」
「行ってらっしゃい! ――ミャーちゃん、また遊びに来てね!」
僕はミャーちゃんを連れて、2人で育児室へ向かう。
ここが生娘寮の廊下でなければ、誘拐犯と間違われてもおかしくないだろう。
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