第204話 コンドームに興味があるらしい。

 天ノ川さんと一緒に101号室を出ると、廊下の奥から暖かい風が流れてきた。

 小笠原おがさわらさんの言っていた通り、かなりエアコンが効いているようだ。


「今日は、エアコンが効きすぎていて、少し暑いくらいですね」


「そうですね。女子は寒さに弱い人が多いのですけど、これなら、薄着で廊下を歩いても、寒くはありませんね」


「あまり廊下の温度が高くなると、この袋の中身が心配です」


 僕の持っている袋には、冷暗所に保存すべき「ターメリックによく似た特産品」や「神に祝福された黄金色の液体」が入っている。


 これは、なるべく早く、保健室である110号室に提出したいところである。




 廊下を進むと、109号室の前あたりまで順番待ちの列が出来ていた。


 最後尾は3年生の柔肌やわはださん――ではなく、柔肌さんの後ろには、既に102号室の2人が並んでおり、僕は宇佐院うさいんさんに軽く頭を下げて、その後ろに並ぶ。


「甘井さん達、先に戻っていたはずなのに、今まで何やってたの?」


 出席番号4番の宇佐院さんは、僕達に質問をしながら場所を譲ってくれて、出席番号3番のヨシノさんと一緒に、僕達の後ろに並びなおしてくれた。


「すみません、着替えるのに、少し時間が掛かってしまいまして」


 本当は天ノ川さんに「いいもの」を見せてもらった後、僕の欲棒が鎮まるまで、しばらく待機していたのだが、そんな事をわざわざ説明する必要もないだろう。


 僕は、ヨシノさんに頭を下げ、前に並ぶ3年生達にも軽く頭を下げる。


 並んでいる3年生は、橋下はしもとさん、羽生嵐はぶらしさん、ジャイコさん、柔肌さんの4名。

 比較的大人しそうな顔ぶれにも関わらず、廊下は、だいぶ賑やかだ。


「そう言えば、ミチノリさんとミルキーって、着替えのときは、どうしてるの?」


「甘井さんとは、普通にベッドの横で、一緒に着替えていますよ」

「僕には刺激が強すぎますので、一応、背を向けて着替えていますけど」


 ヨシノさんからの質問には天ノ川さんが答え、僕が補足する。

 この程度なら、正直に答えても特に問題は無いはずだ。


「なるほど、なるほど。――ところでミチノリさん、冬休みに、カノジョを自宅に呼び出して、6連発でエッチしたといううわさは、本当なのでしょうか?」


 ヨシノさんは1歩こちらに踏み込み、真顔で質問してくる。


 ――やはり、そう来ましたか。さすが広報部の取材班。


 上佐うわさ先輩に知られてしまったのだから、噂は既に広まっていて当然か。

 いや、もしかしたら情報源はネネコさん本人で、リーネさん経由かもしれない。


「それは、ヨシノさんのご想像にお任せします」


「ふふふ……、その噂は本当らしいですよ。私のかわいい妹が、とても嬉しそうに報告してくれましたから」


 ネネコさんと僕とのプライベートな事なので、質問を受け流そうとしたところ、天ノ川さんに証言されてしまった。


 お姉さまの立場としては、隠すよりも広めたほうがいいという考えなのだろう。


 僕としては、隣で顔を真っ赤にしたまま固まっている柔肌さんと、その肩を叩いているジャイコさんには、あまり聞かせたくなかった話だが、まあ仕方がない。


 美術部員の2人に、この噂が伝わるのも、時間の問題だったはずだ。


「なるほど、なるほど。――ではミチノリさん、次の質問です。なぜ、5連発でも7連発でもなく、6連発なのでしょうか?」


「あー、それは、コンドームが6個入りだったからです」


「コンドーム! 避妊具の事ですね? ――って、あたし見た事ないや。チハヤは見た事ある?」


「あははは、私も実物は見た事ないよ。ミユキさんは?」


「袋に入ったままの状態でしたら、甘井さんに見せてもらいましたけど、その中身がどうなっているのかは、たしかに気になりますね」


 3人とも、まだコンドームを見たことがなく、どんなものか興味があるようだ。


 つまり、3人とも、まだカレシはいないか、いたとしても「仲良し」は未経験という事か。お嬢様方が「生」でしている――なんてことは、僕には想像できない。


「それでは早速、ミチノリさんに解説していただきましょう!」


「そうですね……雨の日にスーパーとかに行くと、滴が落ちないように、入口で傘に袋をかぶせるじゃないですか。あんな感じで、精液が漏れないように、男性器にかぶせるのがコンドームです」


「それだと、エッチしたら簡単に外れちゃいそうじゃない?」


 僕が解説をすると、すぐに宇佐院さんから質問が入る。


「材質は使い捨てのゴム手袋みたいな感じなので、サイズが合っていれば、簡単には外れないと思います」


「使い捨ての手袋って、サイズが合っていても、すぐに破けますよね?」


 これは、ヨシノさんからのツッコミだ。真顔だと、ちょっと怖いです。


「怖い事を言わないで下さいよ。コンドームは、もっと丈夫だと思いますけど」


 もし、行為の途中で破けてしまったら――これは大問題だ。


「6個で6回という事は、1回射精するごとに取り替える必要があるのですね?」


 天ノ川さんからの質問は鋭く、故に生々しい。


「はい。射精すると、男性器は元のサイズに戻ってしまいますから、そのままだと外れてしまう恐れがあります」


 僕は、どうして寮の廊下で、お嬢様方と、こんなことを議論しているのだろう。

 ――まあいいか。




 ヨシノさん達と、そのまま会話を楽しんでいたところ、誰かに背中をトントンと2回叩かれた。


「次はダビデ先輩の番ですよ」


 背中を叩いて知らせてくれたのは、保健室から出てきた橋下さんだ。

 3年生の橋下れいさんは、鹿跳しかばね先輩の妹で、陸上部の幽霊部員である。


「はい。どうもありがとうございます」


 いつの間にか、3年生は全員いなくなり、僕の順番が来ていたようだ。


 3人に頭を下げてから、寮の保健室である110号室に入る。

 保健室と言っても、部屋の構造は他の部屋と全く同じである。


 入口でスリッパを脱いで、短い廊下を進むと、突き当りはトイレのドア。

 そこから左を向いて1歩進むと中の様子が見える。


 目立つところにハンガーが設置されていて、ここにジャージを掛けるらしい。

 僕のジャージの他に、ワインレッドのジャージは3着。


 羽生嵐さんは、部屋の奥でTシャツをまくり、胸に聴診器を当てられているようだが、肝心なところは、診察している先生の頭でよく見えない。


 ジャイコさんは、その手前で、椅子いすに座って聴力検査を受けている。


 そして、柔肌さんはキッチンのカウンターに左腕を載せ、採血されていた。




「4年生の甘井ミチノリさんですね? どうぞ。検体袋はお預かり致します」

「はい。よろしくお願いします」


 看護師さんに101号室の検体袋を渡し、採血を終えた柔肌さんの隣に座る。


「血圧を先に測りますので、こちらに腕を通して下さい」


 僕は言われた通りに、血圧計に左腕を通し、しばらく待つ。


「――はい、特に異常ありません」


 しばらく腕を締め付けられただけで測定は完了し、特に異常も無いようだ。


「ありがとうございます」


 次は、柔肌さんの座っていた席に移り、血液検査。


「ここに腕を載せて、手は軽く握って下さい――はい、ここから採りますよ」


 左腕をゴムの紐で縛られてから、採血開始。

 看護師さんは明るい表情であるが、僕の方はかなり不安である。


 注射針を腕に刺された後、容器の中に血液が溜まっていく。

 1つ目が一杯になると、2つ目と交換、それも一杯になると、3つ目と交換。


 見ていると気分が悪くなりそうだったので、目をらすと、部屋の奥でTシャツをまくり、胸に聴診器を当てられているジャイコさんと目が合ってしまった。


 ジャイコさん、ごめんなさい。


「はい、終わりました。しばらく押さえていて下さいね」

「はい、ありがとうございます」


 注射針のあとを押さえていると、部屋に天ノ川さんが入ってきた。

 診察が終わったジャイコさんは奥の席を立つ。

 柔肌さんが奥の席に移動し、僕は柔肌さんの座っていた場所に移動する。


 次は、視力検査か。

 測定器をのぞいて、輪の切れている方向を答えればいいらしい。


 こちらの看護師さんは、採血担当の方よりも若い女性である。

 長内おさない先生と同じくらいの年齢だろうか。


「始めます。見えたら、どんどん、答えて下さい」


「――左です――上です――下です――右ですかね――下だと思います」


 最初は良く見えるが、小さくなるにつれて、だんだん自信が無くなってくる。


「はい。今度は反対の目です――」


 反対の目も同じように調べてもらったが、どちらも特に異常は無さそうだ。


「次は、聴力検査です。聞こえたところで手を上げて下さい」


 隣の席に移り、ヘッドホンを装着する。


「……それでは、胸の音を聞かせて下さい」


 耳を澄ますと、部屋の奥から女性医師の声が聞こえた。


 そして、その先生の肩越しに、Tシャツをまくり、胸に聴診器を当てられている柔肌さんと目が合う。


 柔肌さん、ごめんなさい! 悪気は無いんです! 見えちゃっただけなんです!


「――あれ、聞こえませんでしたか?」

「あっ! すみません、聞こえてます! もう1度お願いします!」


 柔肌さんが、あの時のように泣き崩れてしまったらどうしようかと心配したが、なんとか恥ずかしさに耐えてくれたらしい。 (第19話参照)


「――はい、異常ありません」


 僕の耳も、特に異常はないようだ。


「ありがとうございます」


「最後は診察です。あちらの席に移動してください」


 僕は柔肌さんに小声で謝罪してから、柔肌さんのお尻の温もりが残る席に座る。

 天ノ川さんは、採血が無事に済んだようで、視力検査に進む。

 ヨシノさんは血圧測定を終えて、採血の席に座る。


「よろしくお願いします」


「最近調子の悪いところや、健康面で気になるところはありますか?」

「特にありません」


「では、喉を見ますね。口を大きく開けて下さい」


 僕は声楽部で教わったように、あくびをする要領で大きく口を開ける。


「特に異常はないようですね。それでは、胸の音を聞かせて下さい」


 Tシャツをまくって胸を見せるのは、オトコの僕でも少し恥ずかしいものだ。


 採血中のヨシノさんと聴力検査中の天ノ川さんが、こちらを見ているような気がしたが、僕はなるべく目を合わせないようにした。


「次は後ろを向いて、背中を見せて下さい――はい、特に異常はないようです」

「ありがとうございます。失礼致します」


 先生にお礼を言って席を立ち、ジャージを着て、すぐに保健室を出る。


 ネネコさん以外の人の胸には興味を示さない事を、天ノ川さんと約束したばかりだが、空腹な上に血を抜かれた状態なので、思考力が低下している気がする。




大石おおいしさん、お待たせ致しました」


 廊下に出て、先頭に並んでいた大石さんに声を掛ける。


 大石さんは腕を組んでいて不機嫌そうであるが、その分、胸が大きく見える。

 しかも、既に大石さんはジャージを脱いでいて、検体袋にかぶせていた。


「べつに、陛下の事なんて、待ってなかったわよ」


「それは、分かっています。大石さんが待っていたのは、僕じゃなくて、健康診断の順番ですよね? 次が大石さんの番ですよ」


「えっ? ――ああ、そうね。ありがと、すぐに行かないと」

「行ってらっしゃい」


 今日の大石さんは、普段と比べて、なんとなく元気が無さそうだ。


「ミサは分かりやすいよね?」


 大石さんが保健室へ行った後、次に並んでいた栗林くりばやしさんに声を掛けられた。


「元気が無さそうでしたけど、栗林さんには何か心当たりがあるんですか?」

「今日の席替えで、甘井さんと席が離れたからじゃない?」

「――え? そうなんですか?」


「冗談だよ。実はミサって注射が苦手で、今日も血液検査を受けたくないみたい。1年生の時なんて、注射針を見ただけで大泣きしてたんだから」


「そうだったんですか。それは意外ですね」

「でしょ?」


「でも、僕も注射は苦手ですし、注射が好きな人なんて誰もいないと思いますよ。ところで、僕は柔肌さんと、はぐれてしまったのですが、次はどこでしたっけ?」


「そっか、甘井さんは今年初めてだもんね。次は心電図検査だけど、心電図とレントゲンは時間が掛かるから、午前中は3年生までで、私達4年生は午後からだよ」


「つまり、僕は、もう昼休みですね?」

「そういう事」


「ふふふ……、私も、もう昼休みですよ。クリちゃんは中へどうぞ」

「ありがと、ミユキさん。――2人とも、ごきげんよー!」


 天ノ川さんと一緒に栗林さんを見送った後は、ヨシノさんと宇佐院さんを待って4人で食堂へ。


 食後のティータイムでは、なぜか、コンドームの話の続きで盛り上がった。


 宇佐院さんが、去年卒業したお姉さまから聞いた話によると、「イチゴ味のコンドーム」というものが存在し、めると本当にイチゴの味がするらしい。


 なぜ、コンドームを舐める必要があるのか、僕には理解不能だが、世の中には、まだまだ僕の知らない事が沢山あるようだ。

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