第151話 栗拾いは初心者でも簡単らしい。

 10月9日、土曜日の午後。

 今日は栗林くりばやしさん達と一緒に「甘栗祭あまぐりさい」の準備をすることになっている。


 栗林さんからは、ジャージ着用で待機するよう言われていたので、食堂で昼食を済ませた僕は、自室に戻って制服から体操着に着替えることにした。


 左手が自由に動かせるようになったとは言え、利き腕は吊るされたままなので、着替えるだけでも一苦労だ。


「ただいま~」


 僕が左手のみで、ゆっくりと着替えていると、ネネコさんが部屋に戻って来た。


「ネネコさん、おかえり」

「あれ? なんでミチノリ先輩が体操着に着替えてるの?」


 ネネコさんは僕に質問しながら隣でセーラー服を脱ぎ、体操着に着替え始める。


 下着までなら、お互い見られても平気なので、パンツを脱ぐとき以外は同じ場所でも気にしないのが、ネネコさんと僕の暗黙のルールだ。


 僕は自分の下着姿を見られるのは平気でも、ネネコさんの下着姿が見える事に関しては非常に気になるのだが、ここは紳士的に振る舞うのが正解だろう。


「今日は『甘栗祭』の準備だから。ネネコさんこそ、休んでなくていいの?」

「うん。ガジュマルが『部活サボるな』ってうるさいから」


 ガジュマルとはネネコさんと同じ陸上部の1年生、小笠原おがさわら我寿がじゅさんの事だ。

 ネネコさんは女の子の都合で部活を休んでいたが、今日から復帰するらしい。


「おなかは痛くない?」

「痛かったのは昨日までで、今日は何ともないよ」

「それは良かった。あんまり無理しないようにね」

「ありがと。ボクは部活に行くから、ミチノリ先輩は転ばないようにね」

「あははっ、いってらっしゃい」


 ネネコさんは素早く着替えて、すぐに部屋を出てしまった。


 机の上にセーラー服が脱ぎっぱなしなので、しわにならないようハンガーに掛けておいてあげる事にしよう。






「甘井さーん! 迎えに来たよー!」


 ジャージに着替え終わったところで、廊下から栗林さんの声がした。


 部屋の入口のドアは、引き続き開けたままの状態で固定されている。

 僕の右手が治るまでは開けたままでいい、という事になったからである。


「はい。準備は出来ています」


 スリッパを履いて廊下へ出ると、ジャージ姿の栗林さんの隣には、同じジャージを着た、やや大柄な1年生が立っていた。


 栗林さんの妹である熊谷くまがいさんだ。

 僕と目が合い、お互いに軽く頭を下げる。


 お姉さまが小柄なので大柄に見えるが、熊谷さんの身長は天ノ川さんや脇谷わきたにさんと同じくらい。ちなみに、お姉さまである栗林さんの身長は2年生のアイシュさんや、尾中おなかさんと同じくらいだ。


「この子は荷物持ちだから、甘井さんは手ぶらでいいからね」


 熊谷さんだけ、なぜかリュックを背負っているようだ。

 どこに何を持っていくつもりなのだろうか。


「今日は学園の外に出るんですか?」

「門からは出ないよ。まずは、食堂でネギマ先輩に挨拶あいさつしないと」


 最初に食堂まで、料理部のネギマ先輩に挨拶に行くらしい。

 僕は栗林さんの後に続き、食堂へ向かった。






「ネギマせんぱーい。甘井さん、連れてきました!」


 食堂のカウンター越しにネギマ先輩と目が合ったので、軽く頭を下げる。

 ポロリちゃんや大間さんは、ここにはいないようだ。


「ありがとう、クリちゃん。――甘井さん、怪我しているところ、ごめんねー」

「いえ、もう左手は自由に動かせますから」


「クリちゃんから聞いていると思うけど、今から2時間ほど協力してね」

「はい。それで、僕は何をすればいいんでしょうか?」


「甘井さんには、クリちゃんと一緒に食材の調達をお願いしたいの。体育館の裏に栗の木があって、そこで栗が拾えるから、出来るだけ沢山拾ってきて欲しいんだ」


「栗拾いですか? 僕、栗拾いって、一度もやったことが無いですけど」


 栗がイガの中に入っているのは知っているが、実物は見たことが無い気がする。


「難しい仕事ではないから、初めてでも特に問題はないと思うよ」

「それなら良かったです。頑張ってみます」


「甘井さんが栗を沢山拾ってきてくれれば、誰も文句は言わないだろうし、誕生日パーティーも、きっと盛り上がるよ」


 なるほど、そういう訳でしたか。


「たしかに、僕だけが誕生日をみんなに祝ってもらえるのは、不公平ですよね」

「実は、甘井さんだけじゃなくて、クリちゃんもお誕生日なんだけどね」


「えっ! 栗林さんって、僕と誕生日が同じだったんですか?」

「私は12日だけど、ついでに1日早く祝ってもらう事になっているから」


 僕はネギマ先輩に質問したつもりだったが、栗林さん本人が先に答えてくれた。

 栗林さんの誕生日は10月12日で、僕と1日しか違わないらしい。


「そうでしたか。知らなくてすみません」

「甘井さんとクリちゃんのお誕生日だから、甘栗祭。なかなかいい企画でしょう」

「それで、今から一緒に栗を拾うわけですね」


「そう。『栗のケーキをみんなで食べよう』って言うより『ダビデさんが拾った栗で作ったケーキをみんなで食べよう』って言ったほうが盛り上がるでしょ?」


「それは、なんか宗教っぽくないですか?」


「いいんじゃないの? スポーツ選手や芸能人のファンだって、宗教みたいなものだし、私も甘井さんのお陰でパーティーを開いてもらえるんだから」


「なんだか、みんなをだましている悪徳宗教みたいで申し訳ないです」

「そうならないように、今日は、栗を沢山拾ってきてね!」


 ネギマ先輩からトングの入った大きなカゴを渡された。


 1人あたり、このカゴ一杯が今日のノルマらしい。栗林さんと僕だけではなく、熊谷さんもカゴを持たされているので、3人でカゴ3杯分だ。


「分かりました。行って参ります」


 こうして、僕は栗林さん達と一緒に体育館の裏で栗拾いをすることになった。


 寮の玄関を出た所で、栗林さんが熊谷さんのリュックから軍手と虫よけスプレーを取り出し、作業の準備をする。


 栗林さんは、僕の左手にも軍手をはめてくれて、虫よけまでしてくれた。

 虫よけスプレーは服の上から使えるタイプで、これで準備は万全らしい。






「体育館の裏に、こんな場所があったんですね」


 体育館裏には広い丘があり、大きな栗の木が何本も植えられていた。

 雑草の生い茂る中、落ち葉に混じってトゲに守られた茶色いものが落ちている。


「たくさん落ちてるでしょ? これを拾うんだけど、まず、こうするの」


 栗林さんは、少し割れた茶色いイガの両端を靴で踏み、器用に中の栗をトングで取り出す。


「1つのイガに栗が3個入っているんですね」


「普通は3個だけど、出来損ないで数が少ないのもあるよ。ここで虫がついていないかどうか確認して、虫食いだったら除外します」


「捨てちゃうんですか?」


「そうだけど、仕方ないよね。捨てた栗を間違えて拾わないように、捨てる場所は決めておいた方がいいかも」


「分かりました」

「それじゃ、栗拾い開始ね!」


 栗林さんの合図で作業を開始する。


 僕はトングを持つとカゴを持てないので、熊谷さんと一緒に行動し、拾った栗は熊谷さんの持つカゴに入れさせてもらう事になった。


 比較的おしゃべり好きな栗林さんに対し、妹の熊谷さんは無口であるが、表情はとても明るく、楽しそうである。


 僕がトングで栗を拾うと、入れやすいようにこちらにカゴを向けてくれて、栗が1つ増えるごとに笑顔をくれる。物静かで心の温かい、いやし系のお嬢様だ。


「こっちのほうに沢山落ちてるよー」


 栗林さんは僕達に指示を出しながらも、率先して手際よく栗を拾っている。カゴの中の栗の数は、僕が熊谷さんと2人掛かりで拾った数よりも多いようだ。


「栗林さんは拾うのが上手ですね」


「私は小さい頃から、毎年拾ってるからね。実家の隣が大きな栗林で、うちの近所に住んでいる人は、みんな『栗林さん』なんだよ」


「それは面白いですね。みんな親戚なんですか?」


「多分、遠い親戚なんだろうけど、どこの家もお爺ちゃんかお婆ちゃんしかいなくて、子供は私だけだから、みんなに可愛がってもらってたよ」


 もしかして「限界集落」ってやつだろうか。


「子供が1人だけって……小学校は、どんな感じだったんですか?」

「隣の町まで自転車で1時間かけて通っていたから、雨の日は大変だったよ」


 自転車で1時間かかるところを、雨の中で徒歩となると、2時間くらいかかりそうだ。小学生の女の子には過酷すぎる。


「それは大変でしたね」


 栗林さんは、僕とおしゃべりしながらも、次々と栗をカゴに放り込んでいる。

 僕も頑張らないと。






「そろそろ休憩にしようか」


 リーダーの栗林さんの合図で、体育館裏のコンクリート部分の端に腰かけて休憩を取る。座っている順番は、熊谷さんを挟んで左側が栗林さん、右側が僕だ。


「さすがですね。これで何個くらいですか?」


 栗林さんのカゴは、すでに栗で一杯になっていた。


「2キロくらいはあるとして、一粒20グラムだと100個くらいかな。ここの栗は粒が大きめだから、数はもっと少ないかも」


 熊谷さんのカゴは、まだ半分くらいだ。


「こっちは半分くらいですから、50個以下って事ですか」


「2人とも初めてにしては上出来だと思うよ。ユメちゃん達と一緒だと、うるさいだけで全然仕事がはかどらないから。みんな毛虫を見ただけで大騒ぎだよ」


 お嬢様方には、虫が苦手という人が多いようだが、栗林さんも熊谷さんも、特に虫が苦手という訳ではないようだ。


「ああ、それで『みんなが付いてきちゃうと困る』って言ってたんですね」

「そういう事。――あっ、お茶は、甘井さんからどうぞ」


 4年生2人のおしゃべりをニコニコしながら聞いていた熊谷さんが、お姉さまの合図でリュックから水筒を取り出し、カップに温かいお茶を注いでくれた。


「どうぞ」

「ありがとう。いただきます」


 熊谷さんから、左手でカップを受け取る。

 カップは水筒のフタを兼ねているものなので、1つしかないようだ。


「ごちそうさまでした」


 僕がお茶を一気飲みしてカップを返すと、その様子がおかしかったようで、熊谷さんは「ふふふっ」と笑いながら、再びお茶をカップに注ぐ。


「そんなに慌てて飲まなくてもいいのに」 


 栗林さんは、そう言いながら熊谷さんからカップを受け取る。


 そして、半分飲んだところで「ありがと」と熊谷さんにカップを渡し、残った半分を熊谷さんが飲み干して、すぐに2杯目のお茶が用意された。


「どうぞ」

「ありがとう。いただきます」


 2人とも、僕が口を付けたカップでも、全く気にしないようだ。

 僕は少し気が引けるが、ありがたく頂くことにしよう。


「ごちそうさまでした」


 僕が再びお茶を一気飲みしてカップを返すと、その様子がおかしかったようで、熊谷さんは「ふふふっ」と笑いながら、お茶をカップに注ぐ。


 このループは、水筒が空になるまで3回ほど繰り返された。


 その後は栗拾いを再開し、熊谷さんと僕でカゴの残り半分を埋め、栗林さんは空だった僕の分のカゴが一杯になるまで栗を集めてくれた。


 これで、今日のノルマは達成したのだが、これだけ拾っても寮生1人当たり2個から3個程度なので、せめて1人当たり5個にしようという事になり、一度食堂に戻ってカゴを空にし、お茶を補充してから栗拾い続行となった。


 初めての栗拾いは、予想外に楽しい。甘栗祭当日も楽しみだ。

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