第119話 スマホは家族で使うものらしい。

 ネネコさんを見送ってから1時間ほどが経過した。「家に着いたら電話する」と言われていたので、しばらく待っていたのだが一向に連絡はない。


 これが、もしポロリちゃんなら、家に着いたらすぐに連絡をくれそうだし、連絡が無ければ誘拐や事故を疑って心配になってしまうが、ネネコさんの場合、きっと疲れて昼寝をしているか、弟さんと遊んでいるかのどちらかのような気がする。


 このまま待っていても仕方がないので、とりあえずシャワーでも浴びようと、浴室の前で服を脱ぎ、ちょうどパンツを脱いだところで、スマホの着信音が鳴った。


 なんという見事なタイミングであろうか。


「はい、ドーテーと書いてミチノリです」


 偶然にも全裸待機状態で、ネネコさんからの電話に出る。


「ミチノリ先輩でいらっしゃいますか? 今日はおうちにご招待して下さって、お昼までご馳走ちそうして下さって、本当にありがとうございました」


「ははは、どういたしまして」


 ネネコさんの「お嬢様モード」は、まだ続いているらしい。


 普段のネネコさんを知っている僕にはギャグとしか思えないが、お嬢様を演じる役者さんとしては素晴らしい演技力ではないだろうか。


「優しい先輩に、いつもアイスをおごってもらったり、お誕生日には、素敵な靴までプレゼントしてもらったりしただなんて、我が娘ながら、うらやましい限りです」


「え?」


 ――我が娘ながら?


「あの……もしかして、ネネコさんのお母様でいらっしゃいますか?」

「はい。ネネコの母でございます」


 マジすか? 声がそっくりなので全く気付かなかった。


「し、失礼いたしました。ネネコさんのルームメイトの甘井あまい道程みちのりと申します」


 反射的に頭を下げると自分の股間が目に入り、僕は急に恥ずかしくなって、バスタオルで前を隠す。


「ルームメイトって事は、ミチノリ先輩とネネコは、毎晩同じ部屋で一緒に寝ているという事ですよね?」


「はい、朝晩の食事も毎日一緒ですし、いつも仲良くしてもらっています」


「もう仲良ししちゃっているのですか?」


 仲良くすることを、仲良しするというのか。

 これは、どこかの方言なのだろうか。なかなか可愛らしい表現だ。


「はい、いつも仲良しさせていただいています」


「うふふ、ミチノリ先輩はとっても正直な方なのですね。先生に見つかって、寮を追い出されないように気を付けて下さい」


「それは、問題ないと思いますけど」


 ルームメイトと仲良くしただけで寮を追い出されるなんてことが、あり得るのだろうか。そこまで厳しい寮なら、きっと僕は最初から隔離されているはずだ。


「それなら私としても安心です。それではミチノリ先輩、娘の事、末永くよろしくお願いします」


 末永くと言われても、僕が寮で暮らせるのは後たったの3年だ。それに、来年はネネコさんと同じ部屋になれるのかどうかも分からない。だが、たとえ違う部屋になったとしても、ネネコさんとはずっと親しくしていたいとは思う。


「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。ところで、ネネコさんは――」


 ――プツ。


 どうやら、電話を切られてしまったようだ。

 どうして僕はネネコさんのお母様と全裸で通話していたのだろう。


 まあいいか。ネネコさんが家に帰っているのは間違いないようなので、次はこちらから掛けてみよう。




 シャワーで汗を流した後、僕はまず「電話の掛け方」をスマホで検索し、予習をする事にした。ネネコさん本人のスマホならともかく、ネネコさんのお父様のスマホらしいので、失礼にならない程度の知識は欲しいところだ。


 予習が済んだので、こちらから電話を掛けてみる。

 もちろん、パンツはちゃんと穿いた状態だ。


 2回コールした後、電話が繋がった。


「はい、蟻塚ありづかです」


 低くて渋い声の男性が電話に出た。おそらくネネコさんのお父様だろう。

 不機嫌そうな声なので少し緊張するが、これは想定内だ。


優嬢ゆうじょう学園の甘井道程と申します。ネネコさんはいらっしゃいますでしょうか?」


 予習した通りに、名乗ってから用件を伝える。


「いるけど、俺のゲームの邪魔しないでくれない?」


 これは想定外だった。イヤな予感のほうが的中したという事らしい。

 僕が電話したせいで、お父様のスマホゲームを中断させてしまったようだ。


「すみません、後で掛け直した方がよろしいでしょうか?」


「いいよ、べつに。ミチノリ先輩でしょ? 俺はトラジ。ネーちゃんの弟だけど、ネーちゃんから、いろいろ話は聞いたよ。学年トップの天才で、学園で1番人気のモテるオトコなんでしょ?」


 お父様ではなく、弟のトラジ君らしい。

 小学5年生にしては非常に声が渋く、僕より5歳も年下とはとても思えない。


「いえ、ミチノリは僕ですけど、僕は天才でもモテ男でもないですよ」


「すげー、それってさー、『ノーあるタカはツメかくす』ってヤツでしょ? ドヤ顔のうちのネーちゃんとは大違いじゃん! ミチノリ先輩かっけー!」


 僕にはもともと隠すような爪なんかないが、それにしてもすごい洗脳効果だ。

 ネネコさんは、いったい弟さんに何を吹き込んでいるのだろうか。


「トラジ君こそ、小学生なのに声が渋くてカッコいいし、背も高くてイケメンなんでしょ? ネネコさんがいつも寮で自慢していたよ」


「ウソでしょ? ネーちゃんが俺の事なんか褒めるわけないじゃん。いつもケンカしてばっかりだし。俺の事なんて、どーせ、おもちゃか子分としか思ってないよ」


 トラジ君の話し方は、普段のネネコさんにそっくりだった。それだけネネコさんと仲が良いのではないかと思う。僕としては非常に話しやすい感じだ。


「そんなことはないでしょ。きっとネネコさんはトラジ君の事大好きだと思うよ」


「俺はヤダよ、あんなガサツな女。ミチノリ先輩も、ネーちゃんと付き合うのはやめといたほうがいいと思うよ。あっ、もう付き合ってるんだっけ?」


「付き合ってるっていう訳でもないんだけどね」


「でも、今日デートして2人っきりで食事したんでしょ?」

「まあ、そうだけどね」


「誕生日プレゼントも買ってあげたんでしょ?」

「そうだね」


「毎晩一緒に寝ているんでしょ?」

「隣のベッドだけどね」


「それって、もうカレシじゃん」


「トラジ君がそう思うのなら、トラジ君の脳内では、きっとそうなんだろうけど、ネネコさんは多分、そうは思っていないと思うよ」


 もちろん、僕もネネコさんを自分のカノジョだとは思っていない。


 ネネコさんは僕にとって最も親しい友人であり、かわいい後輩であり、大切な人ではあるが、僕の脳内辞書の定義する「カノジョ」には程遠い。


 それに僕自身も、ハテナさんから教わった「カレシ」の条件には該当しない。


「でも、ネーちゃんはミチノリ先輩のこと、母ちゃんに自慢してたし、母ちゃんもそれが本当かどうか、さっき電話で本人に確認しておいたって言ってたけど」


「マジすか?」

「マジすよ」


「僕、告白とか、してもいないし、されてもいないんだけど」

「そんなの関係なくね? ミチノリ先輩はネーちゃんの事好きなんでしょ?」


「まあ、それはそうだけどさ」

「じゃあ両想いじゃん」


 これは、前にポロリちゃんからも同じことを言われた気がする。

 だが、それは必要条件であって、決して十分条件ではない。


「僕も嫌われてはいないと思うけど、立場的には弟みたいなものだよ」


「俺の身代わりかー。それは大変だね。それならミチノリ先輩は1週間ゆっくり休んだ方がいいよ。1週間たったらネーちゃんを返すから、ちゃんと引き取ってね」


「大変ってわけでもないんだけど、ありがとう。トラジ君はオトナだね。ゲームの邪魔をしちゃったのに、アドバイスまでくれるなんて」


「いいって事よ。ミチノリ先輩は、俺の兄ちゃんみたいなものなんだから」


 まだ小学5年生なのに、こんなにしっかりしている上に、長身でイケメンなら、きっとトラジ君は学校でも物凄くモテるのだろう。


「ところで、そろそろネネコさんと代わってもらってもいいかな?」

「あー、ごめん、今ネーちゃん風呂に入っちゃった」


「そうなんだ、じゃあ出たら連絡くれるように伝えてもらってもいいかな?」

「それは無理。このスマホ、俺たちが使っていいのは5時までだから」


「え?」

「このスマホ、持ち主の父ちゃん以外、5時以降は使っちゃダメな決まりなんだ」


 現在時刻は午後4時58分……あと2分か。


「それじゃ仕方ないか。なら、お盆明けは学園まで一緒に行きたいので、時間があるときに連絡が欲しいと伝えて下さい」


「分かった。ミチノリ先輩が、ネーちゃんと一緒に行きたがってたし、声も聞きたがってたって伝えておくよ」


「ありがとう。では、失礼します」


 僕はトラジ君に礼を言ってから、通話を切った。


 スマホは便利だが、1台を家族4人で使うのは無理な気がする。

 この連絡先には、こちらから電話を掛けないほうがよさそうだ。

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