第97話 真の意味が隠されているらしい。

 今日の5時間目の授業は音楽だ。


 4年生の音楽の授業は週に2回あり、うち1回は3年生との合同でリコーダーの授業。そして、あとの1回が5年生との合同で歌の授業だ。


 リコーダーの場合、上手じょうず下手へたかの差はあっても、全員同じ笛を使っている為、音色は同じだ。しかし、歌となるとそうはいかない。お嬢様方と一緒に歌うと、僕の声だけはどうしても目立ってしまう。


 男子は女子より1オクターブ下げて歌うのだが、僕の場合それだと音が低すぎて歌えず、かといって女子と同じにしようとしても高すぎて歌えない。しかも歌詞は全てドイツ語なので覚えるだけでも一苦労だ。


 授業中は全く練習になっていないどころか、僕の下手くそな歌でみんなの綺麗きれいな歌声を台無しにしてしまっているような気がする。これは大変心苦しい。


「はい、今日の授業はここまでです。来週は試験を行いますから、各自よく練習しておいてください」


 そんな状態にもかかわらず、来週は1学期末の歌の試験だ。

 僕は幸田こうだ先生の宣告を聞き、席に座ったまま、なすすべもなく茫然ぼうぜんとしていた。


「ダビデ君、お先に。ごきげんよう」


 声を掛けられると同時に、右のほおを指でツンツンと2回突かれた。


 隣の席の5年生、文芸部の交合こうごう生初きうい先輩だ。この先輩は僕を玩具おもちゃ替わりにしているようだが、僕は愛情表現だと受け取っているので不快感はまったくない。


「交合先輩、ごきげんよう」


 僕は座ったまま軽く頭を下げて、交合先輩の大きめのお尻を見送る。


「おやおや、ダビデさん、元気がないようですね。何か困りごとかい?」


 続いて声を掛けてくれたのは、お馴染なじみのメガネの先輩。

 升田ますだ知衣ちい先輩だ。


 歌の時間は声の高さの順に席が決まっていて、僕の席は後列の左端。

 右隣が交合先輩で、僕の前の席に座っているのが、升田先輩だ。

 ちなみに、天ノ川さんは升田先輩の右隣、僕の右斜め前の席である。


「各自よく練習しておくようにと言われても、どうしたものかと思いまして」


「ふむふむ、ダビデさんは来週の歌の試験で良い成績を取りたいという訳だね」

「まあ、そんなところです」


「ならば、今回は心の友である私が一肌脱ごうじゃないか」

「いいんですか? それは助かります」


「私もダビデさんの美声を聞きたいからね。協力は惜しまないさ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


「ミユキさん、そういうわけで、今日の部活動は欠席します。部長とハテナちゃんには、よろしくお伝えください」


 升田先輩は、隣で帰り支度をする天ノ川さんに伝言を頼んでいる。

 わざわざ部活を休んで、僕に付き合ってくれるようだ。


「はい。そのように申し伝えます。甘井さん、ご健闘をお祈りします。それでは、お先に失礼します」


 天ノ川さんは、にっこりと笑って、手のひらと長い髪と短いスカートをヒラヒラとなびかせながら、音楽室を出て行った。


「すみません、部活まで休ませてしまって」


「ノープロブレム。まずは伴奏者を味方につけましょう。歌を上手に歌うには伴奏者の協力が必要不可欠。まだピアノの横に誰もいない、今がチャンスです」


 僕は升田先輩に背中を押され、ピアノの横まで連れて来られた。

 ピアノ担当は声楽部の4年生、馬場ばば芭七ばななさんだ。


「チイ先輩、今日はダビデさんと一緒に居残り練習ですか?」


「その通り。それで、バナナさんにご協力願いたいのです。ダビデさんは試験の課題曲とキーが合っていないようなので、見てあげて下さい」


「分かりました。それじゃあ、ダビデさん、この音に合わせて発声して下さい」


 ポロン、ポロン、ポロン。


「あー、あー、あー」


 馬場さんのピアノの音に声の高さを合わせる。


「では、この音ではどうですか?」


 ポロン、ポロン、ポロン。


「あー、あー、あー」


 音が低くなった。なんとか声が出せるが、低すぎて不安定だ。


「ちょっと苦しそうですね。ではこっちで」


 ポロン、ポロン、ポロン。


「あー、あー、あー」


 音がだいぶ高くなった。このあたりは楽なようだ。


「ここは出せますか?」


 ポロン、ポロン、ポロン


「あー、あー、あー」


 もっと高くなった。声は出るがかなり苦しい。


「はい、OKでーす。3度くらい上げれば丁度いいみたいですね」


「では、ダビデさんの伴奏は、それでお願いします」

「任せて下さい」


「それでは特訓を開始しようじゃないか」

「特訓ですか? お手柔らかにお願いします」


 課題曲はシューベルトの「Dieディ Forelleフォレーレ」。


 我が国では「ます」として知られる有名な曲だ。

 歌詞は当然のようにドイツ語。馬場さんの伴奏は、授業中よりも音が高目だ。


「イン アイネム ベッヒライン ヘーレ ダー ソースィン フローエル アーイル ディー ラウニンセー フォレーレ ヴォーリューベー リー アイン ファーイル……」


 少し高くしてもらっただけで、だいぶ歌いやすくなった。


「どう? これくらいの高さでいい?」

「はい。とても歌いやすいです」

「じゃあ、試験当日も、これでいくからね」

「えっ? 課題曲の音の高さって、変えてもらえるんですか?」

「当たり前じゃない。ソプラノの子もアルトの子も同じ曲なんだから」


「ダビデさん、歌は伴奏に合わせて歌うものじゃなくて、歌に合わせて伴奏してもらうものなのです。あくまでも、歌が主役なのですよ」


「そうだったんですか」


「私がダビデさんに合わせてピアノを弾くから、ダビデさんは好きなテンポで、歌いやすいように歌えばいいからね」 


 僕の為にピアノを弾いてくれるというだけでも有難い事なのに、そこまでしてくれるとは、まさに至れり尽くせり。馬場さんのお陰でハードルが下がった感じだ。


「ありがとうございます。とても心強いです」


「あとは、課題曲に関する知識。重要なのは、歌詞の理解だ。ダビデさんは、このドイツ語の歌詞の意味を理解しているかね?」


「はい。たしか、川辺で鱒が泳ぐのを見ていたら、釣り人がやって来て、川を濁らせてから釣りあげる。それを見て腹が立った……そんな歌詞ですよね?」


「正解だ。だが、ダビデさんだったら、その程度で腹を立てたりするかい?」


 言われてみれば、たしかにそうだ。この人はなぜ腹を立てたのだろう。釣り人が魚を釣るのは当たり前で、釣れたのなら、逆に拍手してあげてもいいくらいだ。


「そうですね、腹は立ちませんね。川の鱒は、自分の魚じゃありませんし」

「だろう? ならば、なぜこの歌の主人公は腹が立ったと思う?」


「澄んでいた川が濁ったから……ですか?」


「でも、それだけでは腹は立たないだろう?」

「たしかに、そうですね」


 まさか、釣り禁止の場所だった……というオチでもないだろう。


「ダビデさん、実はこの歌詞にはもっと深い意味が込められているんだ。なぜ腹が立ったのか、真実を知りたいかね?」


「はい。とても気になります」

「ならば、ご説明しよう」

「お願いします」


「実はこの鱒、魚ではなく人間。しかも、みんな美しいお嬢様たちだ。当然生娘、即ち処女。年齢は12歳から17歳くらいとしておこうか」


「なるほど。この学園の生徒達と、ほぼ同じ年齢なわけですね」


「そう。そして、澄んだ川はこの学園だ。それをダビデさんが見守っている」

「今の僕と同じような状況なわけですね」


「そこにやってきたのは百戦錬磨のガールハンター、即ちヤリチン大学生だ」

「魚じゃなくて、女の子を釣りに来たのですね。何かイヤな予感がしてきました」


「そのヤリチン大学生は、ジュースだと偽ってお嬢様方にお酒を勧めます。何も知らない無垢むくな少女達はジュースだと思って、そこに手を伸ばしてしまう」


「それは、何としても止めないと」


「そして、べろんべろんに酔い潰れてしまった1人の少女は、ついにヤリチン大学生にお持ち帰りされ、意識が朦朧もうろうとする中で、破瓜はかの痛みを知ることになります」


「ハカって、何ですか?」

「処女喪失の文学的表現です」


「それは許せませんね。死刑でもいいと思います」


「この歌詞には、実はそういう深い意味が込められているのさ。本当は歌詞に続きがあって、釣り人のような悪いオトコがいるから、おバカな鱒のように釣られないように気を付けなさい……というような警告の為の歌なのだよ」


「そうだったんですか」


「デビデさんは、その男を死刑でもいいと思った。そのやるせない怒りの感情をぶつけるように歌えれば完璧だ。ダビデさんなら、きっと出来ると信じているよ」




 ――そして、試験当日。


「……ウン ディッヒ ミット リーゲン ブルーテ ザー ディーベ トローグネ アーン ウン ディッヒ ミット リーゲン ブルーテ ザー ディーベ トローグネ アーン」




 課題曲を歌い終え、伴奏が止むと、音楽室が静寂に包まれた。


 そして、数秒後に、盛大な拍手が沸き起こる。

 大きな拍手の中で、僕は皆に頭を下げ、伴奏者の馬場さんと握手をした。


 ――僕の心の友。升田先輩のお陰だ。

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