第80話 梅の日は兄の日でもあるらしい。

 6月最初の日曜日。寮の外は朝から雨だ。


「ネネコさん、今日も眠そうだね」

「うん。ボク、朝はいつも眠いけど、今日はいつもより眠いや」


 室内もだいぶジメジメしている。

 もしかしたら、もう梅雨つゆ入りしたのかもしれない。


「1日中雨みたいだから、後で、ゆっくり部屋で昼寝すればいいんじゃないの?」

「そうしよっかな。特にする事ないし」

「ふふふ……、あまりお昼寝が長いと、夜に眠れなくなってしまいますよ」


 いつも以上に眠そうなネネコさんと、いつも通りに背筋を伸ばして歩く天ノ川さんと、寝間着のまま3人で一緒に食堂へ向かう。


 ポロリちゃんは料理部員で、みそ汁担当なので、今日も早起きして朝食の準備に参加している。


鬼灯ほおずきさん、おはようございます」

「ポロリちゃん、お疲れ様」

「ロリ、おはよ」


「えへへ、おはようございます」


 仕事を終えたポロリちゃんと食堂で合流し、4人で朝食をとるのが101号室の日常であり、それは日曜日でも同じだ。


「あれ? なんで今日は大きな梅干しが、たくさんあるの?」

「そうだね。そういえば、今までは無かったですね。梅干し」


 いつもと違うのは朝食のメニューだ。ネネコさんの指摘の通り、今までの朝食に梅干しは、ありそうで無かった。もしかしたら夏季限定なのかもしれない。


「そうですね。ネネコさんには、眠気覚ましに丁度いいかもしれません」

「チョーすっぱそう。ボク、見ただけで目が覚めたよ」


 ネネコさんの切れ長な目がパッチリと開いた。梅干しの効果は絶大だ。

 今日は4人とも大きな梅干しをお皿に追加し、いつもの席に座る。


「あのね、お兄ちゃん、今日は6月6日だから、ウメの日なの」

「梅の日? そんなのがあるんだ。ポロリちゃんは物知りだね」

「えへへ、実はさっきツクネ先輩に教わったの」


 ポロリちゃんは、恥ずかしそうに舌を少しだけ出して僕に見せる。

 もともと世界一かわいい子が、こういう仕草をすると宇宙一かわいい。

 ツクネ先輩とは、今も調理場にいる4年生、料理部の百川ももかわつくねさんの事だ。


「えーっ、どうせならニクの日がよかったのに」

「ネネコさん、肉の日は毎月29日ですよ」


 ネネコさんのリクエストに、天ノ川さんが即答する。

 肉好きなネネコさんは、やはり梅干しより肉の方がいいらしい。


「肉の日は毎月あるんですね。それだと、2月はどうなるんですか?」

「2月だけは、9日が肉の日らしいです」


 なるほど、たしかに29にくの日だ。


閏年うるうどしだと2月の肉の日は2回なんですかね?」

「そうなのかもしれませんね」


「ネコちゃん、11月29日は、いい肉の日だよ!」


「それって、ただの語呂ごろ合わせじゃん。まあ、ボクは肉が食べれるなら、何でもいいけどね。それで、なんで6月6日がウメの日なの?」


「大昔、6月6日に梅を奉納して雨乞あまごいをしたら雨が降ったそうです。それに、梅の実が熟すのもこの時期なので、梅雨ばいうという言葉があるらしいですよ」


「そうだったんですか。天ノ川さんは物知りですね」

「さすがお姉さま」


 もしかして、今日も百川さんが梅干しを用意したから雨なのだろうか。

 6月6日って、単に雨が降りやすい日というだけな気がするのだが。


「ふふふ……、それでは、おいしい梅を頂きましょう」

「そうですね。いただきます」

「いただきまーす」

「いただきまーす」




 そして、アマアマ部屋恒例の朝食後の座談会。

 トレイは片付けて、テーブルの上には人数分の湯呑ゆのみだけが残っている。


「では、今日の本題に入りましょうか?」

「本題って、今日は『梅の日』以外にも何かあるんですか」


 天ノ川さんの言う「本題」とは何だろうか。


「お兄ちゃん、今日はね、それだけじゃないの。お兄ちゃんの日でもあるの」

「お兄ちゃんの日?」


 ポロリちゃんの言う「お兄ちゃんの日」とはどういう意味なのだろうか。

 僕の誕生日だとしたら、まだずっと先だ。


「ミチノリ先輩の誕生日は10月じゃなかったっけ?」

「ネネコさん、そんな事よく覚えてたね。たしかに僕は10月生まれだけど」


 年功序列の話をしていたときに、天ノ川さんに聞かれて答えた覚えがある。


 たしか、ネネコさんが8月生まれ、天ノ川さんが2月生まれで、ポロリちゃんが3月生まれだったはずだ。


「ボクの誕生日は8月7日だから、ミチノリ先輩も覚えておいてね」


 これは、お誕生日プレゼントの催促だろうか。


「忘れないように、生徒手帳にメモしておくよ」


 その日は夏休み中だと思うが、はたしてネネコさんとは会えるのだろうか。


「甘井さん、実は今日、6月6日は『兄の日』でもあるんですよ」

「えっ? 『兄の日』なんて日があるんですか? 僕は全く知りませんでした」

「うんっ、だからね、今日はポロリがお兄ちゃんに感謝する日なの」


 そういえば、母の日はとっくに過ぎてしまっていた。

 ――母上様、親不孝で申し訳ない。


「特にポロリちゃんから感謝されるような事は、してあげられてないような気がするけど……」


「そんなことないよぉ。お兄ちゃんは、いつもポロリのこと『かわいい』って褒めてくれるし、パンツも干してくれるし、バスに酔った時も助けてくれたもん」


「ポロリちゃんが世界で一番かわいいのは、客観的事実だと思っているし、バスに酔ったかわいい妹を助けてあげるのは、兄としては当たり前の事でしょ?」


 パンツに関して言えば、「干してあげている」というよりは、どちらかというと「干させて頂いている」という立場だ。干す仕事は眼福であり役得でもある。


「ロリがかわいいのは認めるけど、世界で一番は、ちょっと褒めすぎじゃね?」

「ふふふ、残念ながらネネコさんは、甘井さんの世界では2番目のようですね」


「それにね、お兄ちゃんは4年生で一番を取ってくれたの」


「いや、それは『たまたま』だと思うし、『ポロリちゃんの為』ってわけでもないんだけど……」


「でもね、ポロリはすごーく嬉しかったの。お兄ちゃんが一番を取ってくれて」


 そうか。僕は料理部でポロリちゃんが先輩から褒められているのを聞いて自分の事のように嬉しかったが、ポロリちゃんも同じように思ってくれていたのか。


「ありがとう。ポロリちゃんにそう言ってもらえると、僕も頑張った甲斐かいがあるよ」


 学年でトップを取れた事よりも、ポロリちゃんがこんなに喜んでくれた事のほうが、僕にとっては比べ物にならないくらい嬉しい事だ。


「ボクは、ミチノリ先輩が、お姉さまより上になるなんて思わなかったけどね」

「ネネコさんにそう言われてしまうと、私も甘井さんに負けてはいられませんね」


「だからね、お兄ちゃんには、ずっと一番でいて欲しいの」


「いや、それは難しいと思うけど……ポロリちゃんが応援してくれるなら、次も頑張ってみるよ」


「うんっ、ポロリもお兄ちゃんから『かわいい』って、ずっと思ってもらえるように頑張るから、これからも、カッコイイお兄ちゃんでいてね。いつもありがとう」


「なんかさ、完全に2人だけの世界に入っちゃってるよね?」

「ふふふ……、仕方ありませんよ。今日は『兄の日』ですから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る