第81話 優しくお相手してくれるらしい。

 今日の3時間目に5年生と共同の体育の授業があった。


 この時間はダンスの授業だと聞いていたので「ここはお嬢様学校だから、きっと社交ダンスのステップを教わるのだろう」と僕は勝手に思い込んでいた。


 去年までは「フォークダンスなんて、ただの公開処刑だ」と考えていた僕が、美しくて上品な5年生の先輩方と手を繋いで優雅に踊る場面を想像し、実は少し楽しみにしていたのだが、その期待はガラガラと音を立てて崩れ落ちた。


 実際の授業は「音楽に合わせた激しいエクササイズ」であり、蒸し暑い体育館の中で4年生も5年生もヘロヘロな状態だ。この学園の上級生が誰ひとり太っていないのは、きっとこの授業があるからなのだろう。


「みんなー、若いんだから、これくらいでバテてちゃだめですよー!」


 生徒たちと同じメニューを楽々とこなした長内おさない先生は、まだ物足りない様子だったが、普段あまり運動をしていないお嬢様方にとっては非常にハードだ。特に胸の大きな天ノ川さんにとっては、反復横跳びの時と同じくらいに大変だっただろう。


 僕自身も相当にきついと感じたが、オトコなので一応、まだ立っていられる。


「さすがダビデさん。まだ息があるようですな」


 僕に話しかけてきたのは、5年生の升田ますだ先輩。

 意外と元気なようだが、自慢のメガネは汗で曇っている。


「こんなところで、倒れてしまうわけにはいきませんからね」


 僕は天ノ川さんに肩を貸しながら、升田先輩の呼びかけに答える。


「この授業も最高だろ? ほら、耳を澄ませて聞いてみたらどうだい」


 先輩に言われた通りに耳を澄ませてみると――


「はあ……、はあ……、はあ……、はあ……」


 耳元で天ノ川さんの荒い息が聞こえる。

 たしかに、これはかなり官能的かもしれない。


「はあ……、はあ……、もうだめっ……、はあ……、はあ……」

「はあ……、はあ……、私も……、はあ……、はあ……、もう死んじゃう……」


 いや、それどころではない。近くでダウンしている大石おおいしさんや花戸はなどさんの荒い息遣いまで、はっきりと聞き取れた。さすが升田先輩。実にマニアックだ。


 だが、ここで「最高です」と正直に答えてしまったら僕は「変態確定」なので、とりあえず無言で先輩と目を合わせて軽くうなずいてみせる。


「そして、今日のラッキーカラーは、にじ色。言っている意味は分かるかい?」


 荒い息で肩を上下させている子たちは全身汗でぐしょれ。当然、下着が透けて見えている。お嬢様方の下着は色もまちまち。まさにレインボーカラーだ。


「それは分かりましたけど、この状況では不謹慎なのでは?」


「おお、分かってくれたか。ダビデさんなら分かってくれると思っていたよ」


「はあ……、はあ……、チー先輩……、はあ……、はあ……、あまり甘井さんを、はあ……、はあ……、挑発しないであげてくださいね、はあ……、はあ……」


「おっと、ミユキさんは復活しましたか。ところで、ダビデさん、まだ自分探しの旅は終わらないのかい?」


「そうですね。だいぶ方向は定まって来ているのかも知れませんが」


 今の僕の目標は、卒業まで学年1位の成績を保つ事だ。


 ポロリちゃんにとっての、カッコイイ兄でありたい。それが、あの日からの僕の行動指針だ。だから僕は、体育の授業ごときで倒れてしまうわけにはいかない。


 天ノ川さんにも恩返しをしたいし、ネネコさんにも頼ってもらいたい。いつまでも「しかたない」や「まあいいか」で誤魔化ごまかし続けていては成長できないのだ。


「今日はダビデさんにとって、いい話を仕入れて来たんだ。放課後、よかったら付き合ってもらえないかい?」


「今日の放課後でしたら、特に予定はありませんけど」


「ならば話は早い。集合場所は寮の305号室だ。お待ちしておりますよ」


「えっ? 3階って、6年生の部屋ですよね?」


「既に室長に話は通してあるので心配は御無用。直接3階の部屋まで来て下さい。ダビデさんにも必ず喜んで頂けると確信しています」


「分かりました」




 科学部の副部長である升田先輩は、1年生の畑中はたなかハテナさんを「お尻が大きい」というだけの理由で勧誘してしまうような変わった先輩だ。


 僕もおそらく「男子である」というだけの理由で「友達になってほしい」と言われたのだろう。友達といっても普段は廊下で会った時に少し会話をするくらいで、寮の部屋に呼ばれたのは今回が初めてだった。


 指定された部屋は305号室。6年生と3年生が居る部屋である。

 実は、僕が寮の3階に上ったのも今日が初めてだ。


 廊下の端から5つ目の部屋の前で表札を確認する。


【305号室】

【下高 音奈】【針生  練】

【搦手 環奈】【高木 初心】


 上段の名前は6年生。下高したたか先輩は、まだお会いした事が無いが、学年トップの成績を誇る管理部の部長さん。針生はりう先輩は、4月にお会いした手芸部の部長さんだ。


 なんとなく、イヤな予感がするのは気のせいだろうか。


 下段の3年生は、体育や音楽の授業で一緒なので2人とも顔は覚えている。高木たかぎさんは手芸部で花戸さんに紹介してもらい、後日、オムライスに「うぶさん♡」と名前を書いてあげたこともあった。


「トン、トン、トン…………」


 ノックをしてしばらくすると、静かにドアが開いて、見覚えのあるメガネの先輩が夏服姿で出迎えてくれた。僕をここに呼んでくれた升田先輩だ。


「ようこそ、ダビデさん。さあ、こちらへ」

「はい。お邪魔します」


 スリッパを脱いで、一段高くなっているフローリングの廊下に上がる。短い廊下の突き当りにトイレのドアがあり、左に部屋があるのは、101号室と同じだが、部屋の入り口には暖簾のれんが掛けられており、トイレの前から部屋の中は見えない。


 升田先輩が暖簾をくぐって中に入ったので、僕も後に続く。


 部屋の壁の目立つ場所に「もうはまだなり まだはもうなり」と、筆で書かれた半紙がってある。下高先輩が書いたようだが、なにやら深い意味が込められていそうな言葉だ。


 キッチンのカウンターには小さなぬいぐるみがいくつも置いてあり、どれも手作りのようだ。針生先輩か高木さんの作品なのだろうか。


 寮の部屋はどの部屋も同じ広さで、リビングの中央にはテーブルがある。この部屋のテーブルも101号室と同じ、こたつサイズの低いテーブルなのだが――


「えっ? なんですか、これ?」


 ――リビングのテーブルが緑色だった。フチの部分が盛り上がっており、表面はツルツルしておらず、ゴワゴワしているように見える。


 そして、その低いテーブルに向かって、先輩と後輩が1人ずつ座っていた。


「見れば分かるでしょ? ダビデ先輩、もしかして知らないの?」


 白いセーラー服を着て座布団の上で女の子座りをした子が、驚いたような顔でこちらを見上げている。この子が3年生の搦手からめてさんだ。音楽の時間に鯉沼こいぬまさんの左隣に座っている子だが、今までに挨拶あいさつ以外の会話はしたことが無い。


「知らないの?」というのは、この麻雀マージャン卓の事だろう。僕はスマホの麻雀ゲームでなら見たことはあったが、実物の麻雀卓を見るのは初めてだった。


 それで、なぜ麻雀卓であることが分かったのかというと、麻雀パイが既に卓上に広げられていたからである。問題は「なぜそんなものがここに存在するのか」だ。


「スマホのゲームでなら、見たことありますけど……」


「じゃあ、まずは場所決めからね……ダビデ先輩がシャイツを振っていいよ」


「しゃいつ? ああ、このサイコロのことですね。分かりました」


 まだ先輩に挨拶すらしていないのだが、搦手さんからかされるようにサイコロを2つ渡されたので、言われた通り素直に振ってみることにした。


 ――出た目は3と6。


「じゃあ、そっちの席が仮トンね。もう1回振って」


 再びサイコロを振る。

 ――出た目は2と5。


 廊下側の席に座る先輩が6枚並べてある牌を表にして【1筒イーピン】と【2筒リャンピン】を外側に動かし、【1筒】の隣の【ナン】をとる、続いて搦手さんがその隣の【トン】、僕が【ペー】そして、残った【西シャー】を升田先輩がとる。


「ダビデ先輩はペーだからこっちの席」


 なぜキッチン側が東で、入り口側が北なのか。ルールはよく分からないが、言われた通りに席に着く。僕が座った席の座布団は搦手さんのお尻の熱が残っていて、妙に温かかった。


 僕が入り口側の席で、正面に6年生と思われる初対面の先輩。左手廊下側の席が5年生の升田先輩で、右手キッチン側の席が3年生の搦手さんだ。


 部屋には僕を含めて4人しかいない。手芸部の姉妹は、部活中のようだ。


「ダビデさん、今日は来てくれてありがとう。私が、この部屋の室長で、管理部部長の下高音奈したたかおとなです」


 全員が席に座ると正面の先輩が自己紹介してくれた。お互い正座していて、同じ目の高さ。ほぼ僕と同じくらいの体格だ。他の2人と同じ夏の制服を着ている。


 管理部の人はとても忙しいと聞いていたが、今日はお休みなのだろうか。


「こちらこそ、お招きいただいて恐縮です。3階に来るのは、今日が初めてです」


 僕は失礼のないように慎重に言葉を選ぶ。下高先輩は女将おかみ先輩と似た雰囲気の、上級生特有の貫禄があり、正面に座っているだけで緊張する。


「3階は初めてですか。それはとても嬉しいことです。チイさんのお陰ですわね」

「いえ、滅相も無い。ダビデさんなら、必ず来てくれると思っておりましたから」


 升田先輩の頭の中では僕がどんなキャラなのか少し気になるところだが、先輩方に喜んでもらえたのなら良かった。


「本日ご足労頂いたのは、あと1人メンツが欲しかったからなのですけど、ダビデさんはマージャンをご存知かしら?」


 なるほど。3人しかいなかったので僕が呼ばれたというわけか。興味はあるので教えてもらえるのなら、こちらとしても有難い。


「スマホの麻雀ゲームでしたら、何度も遊んだことはありますけど、細かい点数計算とかは難しくてよく分からないですし、本物の麻雀牌を見るのも初めてです」


 そもそも、なぜここに麻雀牌があるのかが疑問なのだが、今は質問できる雰囲気ではないので、後にしておこう。


「麻雀牌は初めてですか。ならば、ダビデさんには優しくして差しあげないといけませんわね」


 普段は優しくないという事なのだろうか。なんだか怖い気もする。


「ありがとうございます。お手柔らかにお願いします」

「ダビデ先輩、ただの遊びなんだから、そんなに怖がらなくても平気だよ」


 搦手さんは、先輩方に囲まれていても緊張感とは無縁のようだ。


「そうですよ、ダビデさん。カンナちゃんだって、まだ初心者ですから」

「ダビデ先輩には負けないけどねー」


「カンナ、いかなるときも、油断は禁物ですわよ」

「はーい、お姉さま。分かってますって」


 搦手さんは、「ただの遊び」といいながらヤル気満々だ。升田先輩の口ぶりからすると搦手さんだけが初心者のようだ。それでも僕よりはずっと強そうだが……。

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