第72話 髪を整えるだけでモテるらしい。

「3年前に、そんな大事件があったんですね……」


「私にとっては、ダビデ君がこの部屋に来てくれた事の方が大事件だけどね」


 上佐うわさ先輩に髪を切ってもらいながら、興味深い昔話までしてもらった。

 頭のほうはだいぶ涼しくなったが、心は温まった気がする。


「私の仕事はここまでかな。――おーい、ハヤリ! アンタの出番!」

「はーい!」


 上佐先輩に呼ばれて、部屋で待機していた杉田すぎたさんが風呂場に入ってきた。


「ここからはハヤリと交代するけど心配しないで。仕上げに関してはこの子の方が私よりずっと上手だから。――というわけでハヤリ、仕上げはアンタに任せるからよろしく。私は残りの洗濯物を取り込んでいるからね」


「まかせて、お姉ちゃん。――ダビデ先輩、さっきのおわびに私がさらにモテモテな髪型にしてあげるからねー」


 ここで杉田さんと交代らしい。そういえば最初に「私が助手で」と言っていた気がする。さっきは泣きながら出て行ったはずだが、何事も無かったような笑顔だ。


 手芸部員で手先が器用そうだし、上佐先輩が「仕上げに関しては自分よりずっと上手」というのだから任せておいて問題ないだろう。むしろ僕としては楽しみだ。


「よろしくお願いします、杉田さん」


「それでは始めまーす。スタイルは、ソフモヒです」


「そふもひ?」


「そう、ソフモヒ、ソフトモヒカン。横と後ろを短くして真ん中あたりがやや長めの髪型です。トサカみたいな極端なのじゃなくて、やや長めのスポーツ刈りといった感じです。清潔でさわやかですし、少し背も高く見えますよ」


 杉田さんは僕の髪を触りながら鏡越しに分かりやすく解説してくれた。男性向けのヘアスタイルなのにオトコの僕よりずっと知識があるようだ。


 考えてみれば、いつも近所の床屋さんで、ただ伸びた分を切ってもらっていただけの僕は、今までに自分の髪型というものを気にした事が無かった。


 シャキ、シャキ、シャキ、シャキ……。耳元で涼しげなハサミの音が続く。


 杉田さんは、上佐先輩とは対照的に黙々とハサミを動かす。こちらからも話しかけてはいけないような雰囲気だ。


 話をする余裕が無いという訳ではなく、きっと集中力が高いのだろう。鏡越しに見える杉田さんの表情は真剣で、僕より年下の女の子なのに、とてもカッコよく見えた。


「できました! どうですか?」


 杉田さんは自信満々に感想を聞いてきた。 

 そして鏡に映る僕の姿は、まるで別人のように爽やかだった。


「すごいですね。どうやったらこんなに上手に切れるんですか?」


「それは練習ですよ。手芸部でもハサミを使っていますし、あとはソーコの髪でいろいろと試させてもらいました」


 ソーコ? その名前は僕にも聞き覚えがあった。朝食の準備や陸上部の練習に参加していた上田うえだソーコさんの事だろう。


「あの、とっても髪の短い上田ソーコさんですか?」


「そうっス。上田宗子そうこっス。お知り合いっスか?」


「はい。たしかに、そんな感じの話し方でした」


「ソーコとは1年生のときに同じ部屋だったので、去年の今頃からずっとハヤリが髪を切ってあげています。長いと鬱陶うっとうしいそうです」


 そうか、それで上田さんはあんなに髪が短かったのか。


「僕も、伸びたらまた杉田さんに切ってもらってもいいですか?」


「それはダメですよ、先輩」


「え?」


 やはり、さきほど下着を見た件で嫌われてしまったのだろうか。


「ハヤリはお姉ちゃんの助手ですから、お姉ちゃんにお願いしてください」


 なるほど、僕が直接杉田さんに依頼してしまうと、上佐先輩に対して失礼な行為になってしまうというわけか。すごくしっかりとした妹さんだ。


「そうでしたね。つまり、次も上佐先輩にお願いすれば、杉田さんに仕上げてもらえる、というわけですね」


「もちろんです。――お姉ちゃ~ん、仕上げ終わりましたぁ!」


「どれどれ、おお、さすがハヤリ。ダビデ君、イケメンだね。じゃ、またハヤリと交代するね」


「はーい。ダビデ先輩、またねー」


 上佐先輩が戻り、杉田さんと場所を交代した。


「では、最後に髪を流します」


 髪の短くなった頭をわしゃわしゃと手ででまわされる。

 僕の首の周りには短い髪の毛が大量に落ちる。


「本当はお湯で洗ってあげたいところだけど、制服のズボンがれちゃうかもしれないから、これで我慢してね。今晩、お風呂に入ったときに自分でよく洗って下さい」


「分かりました。ありがとうございます」


 しばらく先輩の手で頭についた細かい髪を落としてもらってから、首を通していたビニールを外され、最後にドライヤーとブラシで髪を整えてもらった。


「はい、お疲れ様。それじゃ、部屋に戻ろうか」


 上佐先輩と一緒に浴室を出て部屋に戻ると、制服姿の先輩と後輩がそれぞれ1名ずつ増えていた。これで、この部屋の住人は勢ぞろいだ。


「ダビデ君、いらっしゃい。わー、前よりずっとかわいい!」


 僕に気付いた先輩が、正面からいきなり頭を撫でてきた。


 僕なんかをかわいいと思える感性は理解できないが、先輩にかわいがってもらえるのは悪い気分ではない。この人が5年生の乙入おといりチカ先輩だ。


「センパイ、私も触っていいですか? いいですよね?」


 許可を出す前に横から僕の後頭部に手を伸ばしているのは、2年生の尾中おなかクルミさんだ。


「短い髪の毛って、触ると気持ちいいよねー」


 杉田さんも、いつの間にか尾中さんと一緒に僕の頭を撫でまわしていた。


「もう、アンタたちみんなで何やってんの。お客様に対して失礼でしょう?」 


「ごめんねー、ダビデ君。かわいかったから、つい」


「あわわっ、私もお姉ちゃんも、ちゃんと手は洗いましたからっ!」


 上佐先輩の一言で、乙入先輩と尾中さんが手を止めて僕に謝る。

 どうやら2人でトイレに行っていたというのは本当だったらしい。


「いえ、こちらこそ、突然お邪魔してしまって……」


 僕は反応に困り、苦笑いするので精一杯だった。


「ハヤリは出来映えを触って確認しただけです。サイコーの手触りでした」


 杉田さんは自分の作品を自画自賛している。


「ありがとうございました。今日はこれで失礼します」


「また伸びたら言ってね。いつでも切ってあげるから」


「えー、ダビデ君もう帰っちゃうの? このまま泊まっていけばいいのに」


 乙入先輩に引き留められたが、これはきっと社交辞令というやつだろう。


「またよろしくお願いします。お邪魔しました」


 少し気まずい感じだったので、頭を下げてから204号室を後にした。


 気まずかったのは、皆に頭を撫でられた事もあるが、僕が一方的にお願いした事に対し、上佐先輩も杉田さんも見返りを求めずに無償で応えてくれたからだ。


 つまり、僕が言葉以外のお礼を用意していなかったのが原因だ。


 気持ちだけでなく、何かをお返ししたい。でも、何を返したら喜ばれるのか、僕にはよく分からなかった。




「ただいまー」


 101号室に戻ると、ルームメイトの3人が僕の帰りを待っていてくれた。


「お兄ちゃん、おかえり。わっ、とってもカッコよくなったの。すごーい!」


「マジ? ミチノリ先輩、髪型だけイケメンじゃん」


「ふふふ……、随分と印象が変わりましたね。よくお似合いですよ」


「僕も髪を切ってもらうだけで、ここまで変わるとは思いませんでした。天ノ川さんが上佐先輩を紹介してくれたお陰です」


「ミチノリ先輩、ここに座ってよ」


 ネネコさんに言われて自分の椅子いすに座ると、待ってましたとばかりにネネコさんから後頭部を撫でられた。杉田さんがハサミで丁寧に刈り上げてくれたところだ。


「これ、チョー気持ちいいね」


 ネネコさんは手触りが気持ちいいのだろうが、実は触られている僕のほうがもっと気持ちよかったりする。触ってくれているのが、かわいい女の子なら尚更なおさらだ。


「ネネコさん、いくら親しい仲でも無断で先輩の頭を触るのは失礼な行為ですよ」


「いえ、僕は全然構いませんよ。天ノ川さんもよろしければどうぞ」


「そうですか。それでは、私も遠慮なく……これは見事な刈り上げですね」


「お兄ちゃん、ポロリも触っていい?」

「もちろん、いいよ。好きなだけ触って」


「えへへ、じょりじょりするの」


 こうして僕はルームメイトの3人にも頭を撫でてもらった。

 その後、食堂の行きと帰りにもすれ違う先輩や後輩から頭を撫でられた。


 そして、翌日も教室でクラスメイト達から頭を撫でられ続けたのであった。

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