第48話 綺麗な受け身は音も綺麗らしい。

 準備運動が一通り終わると、次は受け身の稽古けいこだ。


「まず私がお手本を見せまーす! 必ずあごを引いて、帯の結び目を見てくださーい! 後ろに倒れると同時に、両方の手で畳を叩きまーす!」


 パーン! といい音が道場に響き渡る。長内おさない先生の綺麗きれいな後ろ受け身だ。

 僕の隣で正座していたポロリちゃんが大きな音に驚いている。


「これが、後ろ受け身でーす! 慣れるまでは手が痛いですけど、頭を守る為なので、我慢して練習してくださーい!」


 まずは僕からだ、しゃがんだ状態で待機して、ポロリちゃんにお願いする。


「ポロリちゃん、軽く突き飛ばしてみて」

「うんっ、……あれっ? 動かないの」


「あー、もっと力入れていいよ。倒してくれないと練習にならないから」

「それじゃ、いくね。えいっ!」


 パーン! ――久しぶりなので手はだいぶ痛かったが、無事に受け身は成功。


「ありがとう。こんな感じでお願い。10回やったら交代ね」

「うんっ」


 ポロリちゃんは楽しそうに僕を後ろに倒してくれるのだが、大きな音が苦手なようで、僕が畳を叩く度に驚いた顔をしている。


 隣で僕と同じように稽古している天ノ川さんは、受け身を取るたびに自分自身の胸によって顔面を叩かれていた。まるで自動車のエアバッグのようだ。


「はい、次はポロリちゃんの番ね。しゃがんでみて」

「うんっ、あっ!」

「おっと……」


 ポロリちゃんは、しゃがむ為に腰を落としたのだが、そのまま後ろに倒れてしまうので、僕は慌てて手を伸ばし正面から抱きかかえるように背中を押さえた。


「ポロリ、しゃがめないのかも……」


 なぜしゃがめないのか、ポロリちゃんの下半身をよく観察してみる――どうやら両足の間隔が狭く、かつ内股なのが原因のようだ。


「そんなことないよ。もう少しだけ足を開いてみて。できれば肩幅くらい」

「こう?」


「そう、かかとを近づけて、つま先を広げればひざの上にわきの下が乗るでしょ?」

「ホントだー。見て、ネコちゃん、ポロリでもしゃがめたよ」

「えっ? こんなの誰でもできるじゃん」


 隣のネネコさんは昭和の不良少年のような、美しいヤンキー座りだった。


「ネネコさん、いきますよ。えいっ!」


 天ノ川さんが軽く押すと、ネネコさんが後ろに倒れながら受け身を取り、パーン! といい音が響く。ネネコさんは運動神経があり、飲み込みも速いようだ。


「お兄ちゃん、ポロリもお願いします」


「じゃあ、いくよ。はいっ!」

「わあ」


 ぺしっ、と小さく弱々しい音が聞こえた。ポロリちゃんは運動が得意なようには見えず、どちらかというと苦手なようだ。


「もっと思い切って畳を叩かないと危ないよ。あと、あごをしっかりと引いて、帯の結び目をきちんと見てね」


「うんっ、もう一度お願いします」


「じゃあ、いくよ。はいっ!」

「わあ」


 ぺしっ。……タイミングは合っているはずなのに音がしないのは、ポロリちゃんの体が軽すぎるのか、それとも叩く力が弱すぎるのか……おそらく、両方だろう。


「その調子。手が痛いかもしれないけど、頑張って!」

「うんっ、ポロリ頑張る」


「いくよ。はいっ!」

「わあ」


 ポロリちゃんが10回チャレンジした結果、いい音は1回もならなかったが、後頭部を痛打するようなことは1度も無かった。体が軽くて柔らかいのでダメージもほとんどないようだ。


「だいぶ上手になったね。手は痛くない?」

「うんっ、ポロリはだいじだよ」


 手も痛くないそうだ。それは良かった。


「次は横受け身でーす! さっきと同じようにあごを引いて結び目を見まーす! 横に倒れるときは、倒れるほうの手で床を叩きまーす!」


 続いて横受け身、こちらもパーン! といい音が道場に響き渡る。


「これも2人で稽古してくださーい! 4年生が1年生に、やりかたを教えてあげてくださいねー!」


 僕はつんいになり、ポロリちゃんから遠いほうの手をお腹の下に伸ばす。


「ポロリちゃん、僕の手を両手で思いっきり引っ張ってみて!」

「うんっ。いくよっ、せえのっ……」


 僕の体がその場で反転し、背中から畳に落ちる――

 パーン!

 上手くいったようだ。


「ありがとう。こんな感じでお願い。10回やったら交代ね」

「うんっ」


 ポロリちゃんは、さっきより楽しそうに僕の手を引っ張ってくれた。片手で畳を叩くため、音が小さいからだろうか。


 隣で僕と同じように稽古している天ノ川さんは、受け身を取るたびに、大きな胸を横に揺らしていたが、さほど苦しくはなさそうだった。きっと「反復横跳び」よりはましなのだろう。


「お兄ちゃん、だめだよぉ。ミユキ先輩の胸ばっかり見てたら」

「あっ、ごめんね。ちょっと気になっちゃって……」


「ふふふ、お気遣いありがとうございます。柔道の稽古でしたら昨日みたいなことにはなりませんから、ご心配は要りませんよ」


「えーっ? ミチノリ先輩は、お姉さまのおっぱい見てただけじゃん!」

「そんなことはありませんよ。昨日は甘井さんに助けていただきましたから」


「そう言ってもらえると助かりますが、ネネコさんやポロリちゃんの言う通り、僕が見蕩みとれてしまっていたのは事実です。ごめんなさい」


「ふふふ……、甘井さんらしいですね」


 僕が素直に謝ると、天ノ川さんに笑われてしまった。助けてくれたのは分かっていたが、ネネコさんやポロリちゃんに嘘はつきたくなかったのだ。


「お兄ちゃん、次はポロリの番だよ」


 ポロリちゃんが僕の目の前で四つん這いになり、遠い方の手をお腹の下からこちらに差し出す。僕はその小さな手を握って、合図をする。


「じゃあ、いくよ。ちゃんと帯の結び目を見ててね。……はいっ!」

「わあ」


 ぺしっ。

 小さく弱々しい音が聞こえて、ポロリちゃんがくるりと仰向けになる。


「だいじ? 手、痛くない?」

「うんっ、だいじ。お願いします」


 ポロリちゃんは、くるりとうつ伏せに戻り、四つん這いになって遠い方の手をお腹の下からこちらに差し出す。僕はその小さな手を握って、再び合図をする。


「じゃあ、いくよ。……はいっ!」


 ぺしっ。 


「うん、その調子。……はいっ!」


 ぺしっ。 


「がんばれ。……はいっ!」


 ぺしっ。


 ポロリちゃんは最後まで真剣な表情で畳を叩いていた。

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