第40話 体力測定はおっぱい不利らしい。

 4時間目の保健体育は3年生との合同授業だ。今日は最初の授業なので体力測定が行われるらしい。


 僕は名札を付けるのに手間取ったため、到着が時間ギリギリになってしまった。

 体育館にはすでにみんな集まっている。


 体育館の中は、さほど気温が高いわけではないのに、体操着の上にジャージを着ている人は誰もいない。ジャージを下だけ穿いている人は何人かいるが、上は全員が体操着のみだ。僕は急いでいて着てくるのを忘れただけだったのだが、もしかして名札を見せる為なのだろうか。


「はーい! みんなー、こっちに集まってー! 出席番号順に2列でねー」


 チャイムが鳴り終わると、胸の名札に「おさない」と書かれている1番背の低い人が号令をかける。体は小さいのに声はとても大きい。


 僕は4年生の出席番号1番なので急いで列の先頭まで来ると、天ノ川さんが僕の直後に並び、声をかけてくれた。


「ふふふ……、間に合ってよかったですね」

「ありがとうございます。お陰様で、なんとか間に合いました」


 天ノ川さんの長い髪は、水色のリボン付きのシュシュで1つに束ねられている。

 隣では3年生が列を作っているが、僕が名前を覚えた2人は列の最後方だった。


「私が保健体育担当の長内おさないでーす! 新入生と間違えないでねー!」


 全員が整列すると号令をかけた人から自己紹介をされた。なるほど、この人がうわさに聞いた長内先生か。たしかにネネコさんの言っていた通りだ。


 背丈はネネコさんよりわずかに高いくらい。3年生と4年生の中には先生より背が低い子は誰もいないようだ。しかし、その小柄な体に似合わず非常に太ももが太い。ネネコさんが「強そうな先生」と言っていただけのことはある。


 ポロリちゃんの話によると、長内先生は体操の選手だったそうで、たしかに全身が筋肉でできているような感じの女性だった。


「まずは準備運動しまーす」


 最初に先生の指示通りに準備運動。これはラジオ体操と同じだった。


 一通り体操が終わって、次は体力測定だ。

 測定する種目は全部で8種目。体育館で4種目、校庭で4種目を測定する。


「それでは2人で組んで、お互いに測定してくださーい」


 2人で組んで……中学の時はクラスの人数が奇数だった為、僕は必ず余った。イヤな思い出だ。このクラスは18名で、今日は見学者もいないようなので余ることはないと思うのだが……。


「甘井さん、どうかなさいましたか? お嫌でなければ私とペアを組んでいただきたいのですが……」


「いえいえ、嫌だなんてとんでもない。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ――というわけで、天ノ川さんと組んで測定することになった。


 前半4種目の記録は以下の通りだ。


 1.握力       天ノ川さん 30㎏    僕 32㎏

 2.長座体前屈    天ノ川さん 46㎝    僕 45㎝


 このあたりは、ほぼ互角――といっても男女のハンデを考えると僕の完敗だが。


 3.上体おこし    天ノ川さん 17回    僕 24回

 4.反復横跳び    天ノ川さん 34回    僕 49回


 こういったスピード勝負の種目では、運動音痴な僕が同情してしまうほど、天ノ川さんにとっては悲惨な結果だった。特に反復横跳びをしている姿は、大きく揺れる2つのスイカが重そうで痛々しく、大迫力で揺れる胸を見ても素直に喜べない。


「過ぎたるは及ばざるがごとし」というのは、きっとこういうことを言うのだろう。


「お疲れ様です。胸のほうは大丈夫だいじですか?」

「はあ……、はあ……、少し痛みますけど……、なんとか……」


 昨日、天ノ川さんが「胸が大きくても、あまりいい事はないですよ」と言っていたのを思い出した。


 あれはネネコさんへの気休めではなく、きっと本心だったのだろう。


 僕たちのペアは、2人ともひどい結果ではあったが、これで体育館での測定が終わったので、靴を履き替えて校庭へ出る。


 校庭での最初の種目は50メートル走だ。

 天ノ川さんはストップウォッチを持ってゴール前で待機してくれている。

 レーンは6つなので、6人ずつ一緒に走るようだ。


「甘井さん、私と勝負してみない?」


 スタートラインで隣に立つのは、昨日一緒に薬局に行った、陸上部の宇佐院うさいんさんだった。今日の放課後は部活に誘われているが、その前に一勝負というわけか。


「お手柔らかに」


 女の子が相手とはいえ、陸上部員だ。全力で走らないと勝ち目はないだろう。

 スターターは長内先生で、手にはピストルではなく、旗を持っている。


「位置についてー」

「よーい!」

「スタート!」


 3年間陸上部で鍛えたというだけあって、宇佐院さんは速かった。僕はなんとかくらいつき、少しずつ差を詰め、ほぼ並んでゴール出来る――と思ったところで、2人まとめて一緒に走っていた3年生の1人に差し切られた。


「チハヤのタイムは……7秒7です!」

「ふふふ……、甘井さんも7秒7ですから、引き分けですね」


 ヨシノさんと天ノ川さんの測定によると、宇佐院さんとは同タイムらしい。


「あははは、悔しいけど、2人とも負けだね」


「それでも僕は、これが自己ベストです。去年は8秒台でしたから。宇佐院さんも速かったですけど、一緒に走った中に、もっと速い子がいるなんて驚きました」


「私だって、3年生に負けちゃうとは思わなかったよ」


 少し離れたところで、1着のタイムを測定していた子が大喜びしていた。


「7秒6です~。ダビデ先輩と宇佐院先輩に勝つなんてすごいです~」

「わー、ホントに勝っちゃいました。たまたまですけどねー」


 1着だった子の胸の名札には「こいぬま」と書いてあった。


 続いて天ノ川さんと場所を交代して、ゴール前で待機する。

 お嬢様方が6人ずつ全力で走ってくるところを眺めるのは、なかなか楽しい。


 僕がみんなの名前と顔を覚えようとしているのもあるし、僕自身がみんなから興味を持たれているという事もあって、いろんな子とやたらに目が合う。


 僕と目が合ってしまった子の反応もまちまちで、軽く頭を下げてくれる子や、驚いたあとに笑顔を見せてくれる子。手を振ってくれる子もいれば、恥ずかしそうに目をらす子もいる。


 露骨に嫌な顔をする子が誰もいないのは、あの新聞のお陰だろう。


「ごきげんよう、ダビデ先輩。調子はどうですか?」


 僕の隣でストップウォッチを持ったジャイコさんから声を掛けられた。食堂と同じニコニコ顔で、胸の名札に「ふじや」と書いてあるので間違いないだろう。


「あっ、え~と、藤屋ふじやさん、ごきげんよう。僕、あまり運動得意じゃなくて……」

「そうですか? あんなに速かったのに。私は10秒近く掛かっちゃいました」

「女子と違って男子だと速い人は6秒台ですから、僕も平均より遅いはずです」


「いいじゃないですかぁ。ここに、さらに下がいるんですから。それに、男子は先輩だけですから、平均より遅くなんてなりませんよ。あと、私の事はジャイコでいいですよ」


 ここでは男子の平均イコール僕の記録だ。他の男子と比較されない分、気楽とは言える。だが、僕がダメだと男子はみんなダメという事になってしまうのではないだろうか。そう考えると責任重大なような気もする。


「うーん、ジャイコさんの考え方も素敵ですけど、上を目指したほうが……」

「あっ、センパイ。次、ミユキ先輩とサラちゃんが一緒に走りますよ」

「そうみたいですね。僕も準備しないと」


 天ノ川さんがスタートラインについたので、ストップウォッチを構え、合図と同時に計測開始。ジャイコさんは柔肌やわはださんのタイムを測定しているようだ。


 天ノ川さんは反復横跳びの後遺症で胸を押さえないと痛くて走れないらしい。


 柔肌さんも胸の揺れを気にしていて足が遅かったが、天ノ川さんはさらに遅れてのゴールとなった。


「サラちゃんは10秒ちょうどだよー」

「えーっ、頑張ったのに……」


「天ノ川さんは10秒9です」

「はあ……、はあ……、私は……、もうダメかも……、しれません……」


 5.50メートル走  天ノ川さん 10秒9   僕 7秒7


「無理しないほうがいいですよ。少し休みましょう」

「はあ……、はあ……、申し訳ないですけど……、そうさせていただきます……」


 少し休憩を挟んでから2種目測定し、結果は以下の通り。


 6.立ち幅とび    天ノ川さん 1m55㎝  僕 2m03㎝

 7.ハンドボール投げ 天ノ川さん 12.8m  僕 20.6m


 ただ走るだけの50m走はまだしも、他の測定結果はまるでダメだった。それでもお嬢様たちの中に混じると僕の記録は好成績に見えてしまうのが不思議だ。


 最後は持久走だが、こちらは全員一斉に走り、ゴールラインで先生がタイムを教えてくれる事になっている。


 1周500メートルの外回りコースを女子は2周、男子は3周するらしい。これこそ男女差別なのではないかとも思うが、長内先生の説明によると文部科学省がそう決めているので仕方がないそうだ。


「スタート!」


 長内先生の合図で、36人が一斉にスタートする。宇佐院さんがあっさり先手を取って独走状態だったが、僕も2番手から追いついて並びかける。


「ほらね。楽勝でしょ? さっきは油断して負けちゃったけど、中距離なら多分負けないよ。甘井さんは瞬発力より持久力のほうがありそうだし」


「そんなもんですかね?」


「だって甘井さん、全然疲れてないでしょ? ミユキさんは今にも死にそうって感じだったけど」


「あー、たしかにそうですね。天ノ川さんは大変そうでした」

「胸が大きい子はそれだけで走れないからねぇ。普段は羨ましいけど」


「胸を押さえて走っていましたね。男には分からない痛み、なんでしょうけど」

「あははは、女の私にも分からないんだけどね」


 僕の隣で自虐的に笑う宇佐院さんは、ささやかな胸を小刻みに震わせながら軽やかに走っていた。


「そういえば、さっきの子も陸上部なんですか?」

鯉沼こいぬまさんね。あの子はたしか声楽部だったと思う」


「それは意外ですね」

「声楽部のほうが練習はきつそうだけどね」


「そうなんですか?」

「大声出すのって結構大変で、腹筋を鍛えたり走って体力つけたりするみたい」


「それで足も速いわけですね」

「まあ、短距離の場合、才能もあるだろうけど」


「長距離は才能と関係ないんですか?」

「私は、長距離は根性で決まると思うけどね」


「根性ですか。僕には才能も根性も両方なさそうですけど……」


「あははは、なら楽しんで走ろうよ。私みたいに。――それじゃ、お先に。ラスト1周頑張ってね!」


「4分20秒!」


 長内先生が宇佐院さんのタイムを告げる。


 あれ? もう2周も走っていたのか。おしゃべりしていて気付かなかった。

 宇佐院さんは宣言通り余裕で1着だった。僕はあと1周だ。頑張ろう。


 園芸の授業で使う畑の外を周り、残り半周というところで前に人が見えた。

 水色のリボンと長いポニーテール。あれは天ノ川さんの背中だ。


 僕はなんとか追いついて励ましてあげようと思い、全力で走るとゴールの少し前で追いつき、一緒に並んでゴールインした。


「6分35秒! 2人とも、お疲れ様」


 長内先生が僕たち2人のタイムを告げて、体力測定は終了。

 まだチャイムは鳴らないが、少し早めの解散となった。


 8.持久走      天ノ川さん 6分35秒  僕 6分35秒


「天ノ川さん、お疲れ様」

「はあ……、はあ……、もうだめです……、動けません……」


 ずっとスイカを2つ抱えて走っているのと同じような状態なのだから、こうなってしまっても仕方ないだろう。


 僕は、みんなより1周多く走るだけで「男女差別だ」なんて思ってしまったが、これは、たった1周では全然足りないほどの、かなりのハンデだと思う。走った時間は同じでも、天ノ川さんのほうが僕よりずっと大変だったはずだ。


 天ノ川さんの全身は汗でびっしょりとれており、呼吸に合わせて上下する肩には髪のリボンと同じ色の下着が透けて見えていた。


 天ノ川さんが息を整えるのを待ってから、更衣室の入り口まで肩を貸す。


 こんなに弱々しい姿の天ノ川さんを見たのは初めてだったが、いつもお世話になりっぱなしの天ノ川さんに、少しでも恩返しできたらいいな――と僕は改めて思ったのだった。

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