お嬢様学校に男子枠で合格した僕、美術部のヌードモデルを引き受けたら、学園の人気者になれました。――以上、当作品「ろりねこ」の紹介文です。

さらば蛍

第1章 オトナの階段

プロローグ

第0話 お嬢様学校を受験できるらしい。

 曇天の放課後、窓の外には大きなイチョウの木が見える。つい最近まで残っていた黄色い葉は、全て冷たい風に飛ばされ、もう1枚も残っていない。


 期末試験も近く、ほとんどの生徒は既に下校しており、校舎内はとても静かだ。


 目の前では担任の佐藤先生が困ったような顔をしている。あと数か月で卒業だというのに、僕はまだ自分の進路を決められずにいるのだ。


甘井あまいクン、就職希望って言っても、中卒で雇ってもらえる仕事なんて、飲食店やコンビニのアルバイトくらいしかないのよ。それでもいいの? あなたに向いているとも思えないし、仕事も大変よ」


「…………」


「それとも、ほかに何か特技でもあるの?」


「…………」


「自分の事なのに何も考えてないのね。今のあなたじゃ、アルバイトの面接にすら通らないわよ」


 僕には「高校に行きたくない」という考えがある。

 何も考えていないと思われるのは心外だ。


「すみません……僕は学校という場所が苦手なので……」


 決して勉強をするのが嫌というわけではない。

 ただ、人が沢山いるところが苦手なだけだ。


 同じ年齢の人間が多数集まると、どうしても弱い者がストレス発散の的になる。


 今年に限っては、新型コロナウイルスのお陰で文化祭も運動会も中止になり、僕自身は非常にありがたかったが、このまま高校に進学したとしても、自分が弱者であるという状況は何も変わらないだろう。


 僕はこの世界から逃げ出したかった。

 だから進路調査票に就職希望と書いたのだ。


「そうね……それは担任である私の責任でもあるんだけど……」


 担任の先生に対しては特に不満があるわけではない。とても優しい先生で、大声で怒ったりしない為、生徒からめられてしまうような人だが、決して出来の悪い生徒を見捨てたりはしない。


 今日も実際に、こうやって僕を心配して、わざわざ進路指導室に呼び出してくれたし、きちんと面倒をみてくれている。悪いのは、もちろん僕のほうだ。


「いえ、僕が悪いんです。すみません、いつも迷惑ばかりかけて……」


「迷惑なんてことはないわ……でも、そんなに進学はイヤ?」


「はい」


「でもね、今のあなたでは社会に出てもやっていけないでしょう? それは、あなた自身が一番よく分かっていると思うの」


「…………」


「今、何もしなくても大人になれば何でも出来るようになるってわけでもないし、今しかできない事……大人になったら出来なくなってしまう事も、沢山あるのよ」


「…………」


 佐藤先生のおっしゃる事は、きっと正しい事なのだろう。

 僕は何も言い返せない。


「将来の夢はないの?」


 僕にも夢がないというわけではない。「理想の未来」という意味では「不安のない場所で幸せに暮らす事」というのが、おそらく僕の「将来の夢」ということになる。


 しかし、この場合の、先生から聞かれている「将来の夢」とは「希望する職業」という意味だろう。


 何かの職業に就きたい――そんなものが果たして「夢」といえるのだろうか。


「特には……」


 希望する職業なんて、もちろん、あるわけがない。


「将来結婚したいとか思わないの?」


 ――結婚? 結婚なんて考えたことすらない。


 もし僕が女だったら「お嫁さんになりたい」とか思うのだろうか。男である僕には「結婚なんかしてもいい事はないだろうな」くらいにしか思えない。


 男は結婚したら結婚相手を養わないといけない――これが世間一般の考え方だ。

 これは明らかに男女差別だと思う。どうして世の中、こんなに男に厳しいのか。


「全く思いません。僕が誰かを一生養うなんて、多分無理です」


 まあ、男として情けない考えだとは思うし、自分がどうしようもない人間であるという自覚もある。


 でも、自分の将来を全て捧げたくなるような魅力的な女性が、はたしてこの世に存在するのだろうか? そんな人がいるなら、是非お会いしてみたいものだ。


「そう……それなら、専業主夫なんかどう?」


「えっ? 専業主婦ですか?」


「甘井クンは、誰かのお婿さんになりたいとか思わない?」


 なるほど。自分に好きな人がいて、その人が自分を一生養ってくれるなら、きっと楽しい人生なのだろう。しかし、そんな都合のいい人、いるわけがない。


「僕には、そんな相手いませんし……」


「そういう意味じゃなくて、職業としてよ」


「職業として……ですか?」


「社会に出て働く女性をサポートする専業主夫。これは立派な職業だし、意外と需要はあるのよ」


 そうか、つまり住み込みのお手伝いさんみたいなもので、女性のご主人様が外で働いているときに掃除や洗濯や料理をして帰りを待つお仕事か。


 もちろん、ご主人様次第なのだろうが、毎日満員の電車に乗って会社へ行くよりはずっと楽そうだ。それに、ご主人様が心の優しい人だったら「不安のない場所で幸せに暮らす事」という僕の夢も叶えられる。


 そう考えると結婚するという選択もアリかもしれない。

 女の子がお嫁さんになりたいと思う気持ちも分かる気がする。


「でも、僕、まだ15歳ですよ」


「そう。だから、これから3年間花婿修業するの」


「花婿修業ですか? そんな言葉、聞いた事ないですけど」


「実は、今年から募集があるの。ネットにも載っていない情報だから、競争率は低いし、そこならあなたでも上手くやっていけると思うわ。どう? 興味出てきた?」


 専業主夫になりたくても、今の僕では簡単な掃除ができるくらいで、洗濯も料理もできない。修業が必要となるのは当然だろう。授業内容に関しての興味はもちろんある。しかし、それでも人がたくさんいるところには行きたくない。


「まあ、人がたくさんいる場所でなければ……」


「生徒数がとても少ない学校だし、主夫を目指すような子は、あなたのような優しい子ばかりだから、きっと大丈夫よ。受けてみる?」


「その学校は、ここから近いですか?」


 僕としては、できるだけ遠くのほうがいい。知っている人とは、もう顔を合わせたくないし、まわりは全く知らない人ばかりのほうが気楽だ。


「ここからは通えない距離だけど、寮があるから大丈夫よ」


「寮って、結構お金がかかりませんか?」


「そう思うでしょ? でも、その学校は、寮の宿泊費込みの学費で都立高よりも安いのよ。つまり、学費は実質無償よ」


 それなら両親も賛成してくれるだろう。これはいい話かもしれない。


「それはいい条件ですね。そこでなら僕も、なんとか頑張れそうです」


「それに、あなたの成績なら単願推薦にすれば、ほぼ確実に受かるわよ」


「そうなんですか? それなら是非お願いします」


 単願推薦――素晴らしい制度だ。僕には他に行きたい高校なんて無いのだから。


「推薦は私に任せといて! 甘井クンは、ご両親にちゃんと自分の意思を伝えておいてね」


「ありがとうございます。……ところで学校名はなんて言うんですか?」


優嬢ゆうじょう学園よ。優しいお嬢さまで優嬢。明治時代から続く伝統あるお嬢様学校よ」


「お嬢様学校なんですか⁉」


「そうよ。でも来年度からは合格さえすれば男子も堂々と入れるの。別に女装したりしなくても大丈夫だから安心して」


「はぁ……」


 本当に大丈夫なのだろうか? いや、佐藤先生が自信満々に推薦してくれたのだから、少なくとも今までの環境よりはずっとましだろう。



 こうして僕は、東京から遠く離れた場所にある「お嬢様学校」を単願推薦入試で受験することになったのである。

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