20.暁鶏 - Chicken alarms the sunrise -(1)

 屋台でデザートでも探してきます、とテントを出ていったワタシ。

 入れ違いになった杏樹あんじゅは、四夏しなつの腰かける反対側のベッドサイドによじ登って座りました。


「四夏、ゴハンまだでしょ。はいこれ」

「あ、うん」


 差し出されたのは薄い生地のピタに巻かれたケバブ。プラカップに注がれた不思議な飲み物、クヴァスはこれで二杯目。


「ノド乾いて途中でひとくち飲んじゃった、えへ」

「いいよ、もっと飲む?」

「ううん、四夏にあげる。それ飲むと疲れがとれるんだって」


 期待にみちた笑顔にちょっとした圧を感じながらちびり。軽いスパークリングと乳酸、香ばしさが舌先に広がります。


「冷たくておいしいよ、ありがと」

「ふへへぇよかったぁ」


 褒められた子供そのものな表情は、いくら記憶を手繰たぐろうと近くにあったもので。頭を打った今はそんなところにも安堵感をおぼえてしまう四夏。


「……? どうかした?」

「ううん、杏樹ちゃんといるとホッとするなあって」

「えー、いいよぉぎゅってしても」


 にへっと笑って杏樹はそでのあまった両腕を広げます。淡いピンクのフリルドレスは中世ファッションが推奨される会場内にあってもひときわ可愛らしいもの。それは意中の騎士を応援しに来た貴婦人というよりは、イタズラで忍び込んだ有力者の孫娘といったふう。


「こんなに小さいのに」

「ひゃん!?」


 二の腕から脇の下にかけてを撫でおろすとビクッと縮こまる華奢きゃしゃな身体。


「戦ったねえ」


 しみじみとつぶやきます。この細い体が積み上げた戦績は、自分のそれよりずっとすごい事に思えて。


「しっ、四夏はっ」


 丸まって亀になった杏樹は上目遣いでこちらを窺います。


「もう、いいの?」


 少しの緊張をはらんだ声。

 ついさっき本テントで怯えたように四夏を見ていた彼女が、それでもこうして思いやりをくれることに胸が温かくなりました。


「……しょうがないよ」


 マットレスへ目を落として答えれば、ずりずりとベッド上を進出してくる杏樹。物言いたげな視線が四夏を再捕捉ほそくします。


「そうじゃなくて。えっと、出たい? 決勝戦、出られるなら」

「そりゃ……」


 もちろん、と言いかけて口を閉ざしました。出かかった言葉が口の中でぷくぷく。


「……どうかな、そう思ってたけど。今はわかんない」

「そっかぁ」


 それでようやくホッとしたように杏樹は引きしめた目元を緩めました。


「わたしは元々からっぽで、パティに憧れてただけなのかもって」

「ぇ」


 丸く見開かれる瞳。ふわふわした栗毛とあわさって猫みたいで、四夏はそのツーサイドアップをもてあそびながら気持ちを吐きだします。


「ホントはすごい才能も目標もなくて、だからあの子みたいになりたいって追いかけてきただけなのかなあって」


 あぶなっかしいまぶしさと、それをまっすぐ貫く力強さを備えた彼女パティに。


「だからね。そんな浅い気持ちで立っちゃダメかなあって。あの子の前に」


 決戦を前にぶつけられた気持ちは重く。それを受け止めるだけの器が自分にあるとは思えないのでした。

 不意に。

 形のよい鼻先が四夏のそれに触れます。大映しになった不機嫌な童顔にのけぞりそうになって。


「いいよ!」

「ひ、え?」

「あっいやダメだよ!?」

「は?」


 眉をひそめます。そんな四夏に杏樹もまたれた声をあげました。


「だからぁ、ケガとかなんにもなかったらいいよってこと!」

「あぁー、うん」

「マジメに聞いて!」

「えっ聞いてるよ!?」


 ついフラットなテンションで返してしまう四夏。なぜかここ数十秒で急激に気分を害したような杏樹は。


「誰もうらやましくないときなんてないし、それでも自分は自分で人は人だもん。それに――」


 反論をくりだす唇が一瞬、ためらうように空回りします。それから。


「――四夏はからっぽなんかじゃない。だってパティさんと会うよりずっと前、幼稚園のときにはもうあたしたちを巻き込んじゃってたんだから」

「それ、は」

「覚えてない? りんちなんてあの頃から四夏にべったりなんだよ」


 じっとりと睨まれて妙に言い訳がましい気持ちになる四夏。

 あの頃はただ騎士道物語のをするのが楽しくて。やがて相手が欲しくなり家が近い二人を勇気をだして誘っただけで。

 もにょもにょと言うたびむすくれていく杏樹の頬。


「じゃあ誰でもよかったんだ?」

「そっ……そんなの小さい頃なんだから仕方ないっていうか……!」

「今も?」

「違う、今は凛ちゃんも杏樹ちゃんもわたしの特別。当たり前でしょ」

「むーっ」

「ええぇ?」


 どうしてこの流れでふくれられるのか分からず困惑しきり。


「四夏はもうちょっとハッキリしたほうがいいと思う」

「……どういう意味?」

「教えない、ふんだ」

「あのさぁ」


 杏樹のちょっとした癇癪かんしゃくはいつものこと。ですが今は四夏もそう余裕があるわけでもありません。そろそろ文句の一つも言ってやろうと口を開いた瞬間、ベッドに着いた手のひらが掴まれます。


「はっ――ッ?」


 ボフン、と反転する世界。

 見上げたのは天幕と、それを背におおいかぶさった杏樹の胸のフリル。


「勝負して」

「なに、を」


 するりと後ろ首へ回される杏樹の腕。上から降りてきた顔の下半分がささやくように告げることには。


「5秒フォールで勝ち。あたしが勝ったら諦めて、明日の試合」

「へ……うぶっ!?」


 ぎゅむっとあごの下にねじこまれる杏樹の肩。首と片腕を抱え込まれた形は柔道の押さえこみ。


「ちょっイキナリひきょ――!」

「いーち」


 両足にからまる杏樹の爪先。


(距離が近いたいイタイばかばか!)


 密着したパーソナルスペースにそわっとしたのもつかの間。固定された首とまきこまれた髪の毛が悲鳴をあげます。

 何で突然、そもそも明日の試合は棄権じゃ、とさまざまな疑問が瞬間的に浮かんでは消え。


「にーい」

「っ」


 とにかく自由な片腕で抜け手を試します。またがった杏樹の片膝を押してバランスを崩そうとじたばた。


(スカートがすべる……!)

 

 服装に加えて短い脚は思いのほかしっかりと四夏の胴回どうまわりからお尻を抱え込んで離しません。


「さーん」

「っく、ふっ」


 身体を思いきり反らせてもがき。腕のリーチをいかして弱点の脇腹わきばらをくすぐってみたりしますがウンともスンともいわず。


(本気だ――)

「よん」

「――んっく!」


 ぞおっと背筋を熱いものがのぼりあがっていきました。まるでお腹の奥にへばりついていた黒い泥みたいな思いに火がついたような。

 抱きこまれた腕を曲げる力だけで真横にある杏樹の頭を撃肘げきちゅう。横転すれば入れ替わる二人の上下。


「ぷはぁっ、はあ……っ」


 困惑のまま見下ろすと、乱れた髪のすき間からジットリとした目がのぞいていました。


「やっぱり、出たいんじゃん」

「今のは痛かったから……」

「ムリに返すほうが痛いでしょぉ」


 軽く頭が振るわれると浮かび上がる口元や眉。


「もう。これで満足?」


 苦労してしまい込んだ思いを掘り起こしてどうしたいのか。ともかくもういいだろうと唇にはさまれたほつれ髪をとってやる四夏。


「なんで?」

「え――ぅわっ!」


 その腕を引き込んだ杏樹はまるでフェレットのように細身をくねらせ体勢を入れ替えました。


「5秒フォールって言ったじゃん」

「だっ、まだやるのぉ?」

「何か勘違いしてるかもしれないけど」


 一転して真剣な呼気ひとつ。また首後ろを狙ってきた腕を四夏は外から抑え込みます。


「あたし本気で四夏のジャマしてやろうと思ってるから」


 簡易ベッドがきしみをあげました。はねたのはマットレスに沈むばかりだった四夏の腰。上に逃げようと足を引き抜いたその柔らかい付け根へすぐ杏樹の膝が詰め寄せます。


「あたしが勝ったらやめて。アーマードバトル」

「は、ぁっ!? 後付けでトンでもないこと言わないでよ――!」


 顔の横へ伸びてくる手。とっさに防ごうとしてすかされ、逆に手首をとられます。

 壁際に押しつめられ拘束されたようにベッドに繋がれる四夏の身体。


「こんな苦しいことやめて、ちょっと前までのぼーっとした四夏に戻ればいい」


 そうじゃなきゃあたしに勝ち目なんて、と陰になった二人の隙間ににじむ声。


「え?」

「隙ありぃ!」


 死角へ回されていた杏樹の腕が四夏の右脇から背中へと突っ込まれます。後ろえりをつかまれまる気道。


「ホンキだからね! いちッ!」


 のけぞり、体を揺らし膝をこじ上げ、あらゆる抵抗を試しますがこれだけ各部を抑えられてはどれも望み薄といえます。


「にぃ!」

(落ち着こう)


 寝技は一朝一夕に身に着くものではなし。特に杏樹などは体格的にそもそも必要な状況まで持ち込めまいという予想からトレーニングは最低限。しかもその練習相手はもっぱら大柄な四夏だったはず。ですが。


(練習のときよりキレがある、なんで?)

「さん!」


 先入観をそぎ落としてます五感。観受かんじゅけん

 テントに入ってきてからここまで、杏樹の挙動言動が走馬灯そうまとうのようによみがえります。

 気遣いと怒り、友情と敵愾心てきがいしん


「よん!」


 ぎゅうと握られるジャージ。トクトクと胸前で鼓動こどうする小さな体が、耳元で吐き出す切なげな吐息。

 ピシャっと電光のように答えは全身をかけ抜けました。


「はっ……杏樹ちゃんっ、もしかして自分だけパティに覚えられてなかったからヤキモチ妬いてるの!?」

「ごお! そんなワケないでしょバカぁ!」


 ぼふす、と胸に刺さる杏樹のおでこ。さらに強くしぼられた喉から四夏は死にかけのガチョウのようなうめきをあげます。


「ふ……くっ、あはははっ」

「へ? え?」


 胸に額をうずめたまま肩をふるわせる杏樹。

 そんなに喜んで引導いんどうを渡されるようなことをしただろうかと四夏は往生際おうじょうぎわ悪く考えをめぐらせますが。


「あぁごめんね、苦しいよね、ふふっ」


 身体の上からどいた杏樹はこれまでが嘘のように穏やかな表情で笑います。

 起きあがれた開放感にホッとしつつも四夏はぱちくりとそれを見返しました。


「やっぱりトクベツなんだ、四夏にとってパティさんは」

「うんまあ……それはそう、だと」

「試合したい?」


 二回目になる問いかけ。四夏はじっと自分の手を見つめてから。


「うん、したい」


 それを握り拳に変えて訴えます。

 杏樹はいつか四夏を泊めてくれた夜のような優しい声音で、


「そっか、だよね」


うなずくと、ぴょんとベッドから飛び降ります。


「でも……」

「大丈夫!」


 もうどうにもならないこと、と言いかけた四夏をさえぎって彼女は。


香耶カヤちゃんが作戦あるって言ってた。あたしは――」


 話しながら背を向けます。垣間かいま見えた横顔は見たことがないくらい真剣。



「――いちばん頑固なのをどうにかする」









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