19.大嵐

 二つの雄叫びはノートPC越しにも胸を震わせるようでした。

 双斧を拳につけるほど短く持つ趙天佑チョウテンヨウ選手に、真っ向からへばりつくように立ち回る四夏さん。

 チーム日本の女子テントに広げられた簡易テーブル。がらんとしたそこでワタシは映像を注視します。画面の中で舞う四夏さんはどこか人形めいた無機質さであり。


(いいえ、それは)


 否、趙天佑という暴威を前にしてなお怯まずためらわない戦いぶりがそういう印象を与えるのだと思いなおします。

 彼女が剣のリーチを捨ててでも得ようとしたのは純粋な感知力の土俵どひょう。遠心力で振りまわされればガードすらままならない戦斧も至近戦クロスレンジならば威力を弱めます。とはいえマトモにくらえば一撃必殺は疑いなく。

 叩きつけられる斧刃をときにヘルムでらしときに剣柄でうちおとして四夏さんは詰め将棋のごとく剣身をぶつけていきます。一手差し違えれば自分のぎょくが死ぬ、そんなギリギリの駆け引きを強張こわばりひとつなく。


「寒気がしますね」

「……そうですか」


 ついこぼれた心の声への反応は背後から。

 四夏さんはぼんやりと録画映像をながめています。


「いえ、悪い意味ではありませんよもちろん。凄すぎてトリハダが立つ的なアレですとも」

「はあ」


 ジャージ姿の彼女は当たり前ですが鎧を着たときよりずっと小さく感じます。そですそからのぞく素肌には厳重にまかれたテーピングと大きな絆創膏ばんそうこうがいたましく。

 もう何度目かのループになる映像をそのままにワタシは訊ねました。


「何か思い出せそうですか」

「いえ……」


 首を振る四夏さん。その表情は途方に暮れた迷子のようで。

 こうなったのはそう、ちょうど今の動画が撮り終わった、その直後から。





「――イ、センパイ! 大丈夫ですかッ!?」


 細く線のように切り取られた青空。

 じんじんとしびれる頭の芯へ駆け寄ってくる足音と声が響きます。


「あれ……わたし」


 一瞬どこに自分がいるのか分かりませんでした。背中に擦れる砂利じゃりの感触でどうやら仰向けに倒れているらしいと気付きます。

 身体をひねって周りを見回そうとして鋭い痛みにうめき声をあげ。


「い、たた、うぅ」

「センパイ!」


 けっきょく仰向けのまま声の主を迎えます。のぞきこんださくは手甲でおおわれた指先で四夏の面覆バイザーを押し上げて訊ねました。


「立てますか?」

「う、うん、平気だけど、えっと――っ」


 そこまで口にしてやっと思い出します。


「しっ試合は!?」


 決勝への切符を争うチームチャイナとの戦い。

 全員でトリックプレーを成功させ、それでもなお残った趙天佑と四夏の一騎打ち。

 それに――、


「――わたし、負けちゃったの?」

「お、ぼえてないんですか」


 こわごわ頷けばみるみる険しくなる朔の表情。あとから寄ってきた他のメンバーが四夏を抱え起こそうとするのを強い口調で制止して。


医療メディカルスタッフ――!」

「えっ、えぇ?」


 大げさにとり囲んだ黄色い胴衣タバードの大人にされるがままにタンカへ乗せられ、試合後のあいさつもしないままに戦場をあとにします。

 医療テントへ担ぎ込まれ、セルビア人の医師から英語で問診をうけたり目の底をライトで照らされたり。

 検査が終わるころには首回りが凝ってばきばきになっていました。

 ようやく開放されると今度は、テントの前で待っていたヨコさんが帰り道を付き添います。

 なんだか要人にでもなった気分で時間ばかりがせわしなく進んでいました。


「ごめんな四夏ちゃん、本当は野木さんが同じ女性だし適任だと思うけど。話し合いの最中でさ」

「いえ、あの……」


 そんなことよりまず、ずっと気になっていたことを訊ねます。


「あの! 試合、勝ったんですか負けたんですかっ?」

「……勝ったよ」


 ヨコさんはのぞきこんだ四夏から目を逸らすように素っ気なく答えました。

 ほぅっと大きく胸をなでおろす四夏。


「ポーランドの騎士見習スクワイアチームは?」

「勝ったみたいだね」

「よかったぁ、それじゃ」

「とにかくまずはテントへ。それから話そう」


 かぶせるように言ったヨコさんの口調に違和感をおぼえた四夏は数歩おくれでその後ろへ続きます。

 日本テントで待っていたのは大人組の主たるメンバーでした。マスタージョエルに“金庫番”の野木女史、“不倒不壊アンブレイカブル”春山選手の姿もあります。

 それに当然、従軍記者たるワタシも。


「野木さん、買ってきた夕飯ですけど――センパイ!」


 四夏がイスをすすめられるころ朔たち四人もやってきます。それぞれが平時用のドレス姿。


「しっなっつぅ、平気なの!?」

「とびつこうとする、な、大型犬」

「元気そうじゃん、ケバブ食べる?」

「あ、うん、あは、ありがと」


 レースとドレープの群れにもみくちゃにされることしばし。パチンと野木女史が手を打つとマスタージョエルが口を開きます。


「さて、みな揃ったところでだ。まずは瀬戸さんの容体について聞こう」


 厳めしく淡々とした声。シンと静まったテントにヨコさんのやや緊張した報告が響きます。

 すべてを聞き終えてマスタージョエルはうなずきました。


「つまり目立った外傷はないと?」

「はい、打ち身や擦り傷も頭部にはないそうです。ただやはり、趙くんとの打ち合いについてはすっかり記憶が抜け落ちているみたいで」

  

 申し訳なくうなずいてみせる四夏。

 ヨコさんの言う通り、試合後半までは思い出せるものの趙天佑との一騎打ちからがどうにも空白となっているのでした。


「頭部に衝撃を受けたことによる一時的な健忘けんぼうだろうとドクターは。多くのばあい一過性で回復するらしいんですが」


 報告にマスタージョエルは長いまばたきのあと。


「まずは大事がなくてよかった。その次にモッタイナイ、と言うべきだろうね。あれだけの激戦、覚えていれば多くのものを瀬戸さんに与えただろうに」


 茶目っ気のある笑み。向けられた四夏はつられてあいまいに笑います。


「チームの奮戦ぶりも素晴らしいものだった。これまでの輝かしい戦果はもう日本へも届いている。キミたちはジャパン騎士見習スクワイア黎明れいめい期を担ったチームとして歴史に長くきざまれるだろう」


 穏やかな口調はどこかさとすような頑なさも含んでいて。


「ゆえに、万全を期すべきだと考える」


 違和感は次の瞬間に実体をもってあらわれます。


「ならびなき栄誉を取り返しのつかない事故で汚すことなどあってはならない。明日の決勝、キミたちは棄権きけんするべきだ」

「そんな……!」


 不意をつかれたのは四夏ひとり。チームメイトを振り返るも異をとなえる者はいません。一様に無念そうな、四夏を気遣うような視線をくれるだけ。


「わたし、やれます」

「我々としても苦しい決断だとわかってほしい。脳はいまだ未知の領域が多い。いまは小さな傷だとしても次にダメージを負ったとき無事とは……」

「死んだってかまいません!」


 シンと静まるテント内。

 はっとして口をつぐんでも大人たちの険しい表情はかわらず。杏樹や朔が理解しがたいものを見るような目で四夏をにらんでいます。

 代表するように野木女史が口を開きました。


「瀬戸さん今のはよくないわ。どれだけの人があなたを心配してその言葉に傷つくか」

「……すみません、でも」


 くすぶる気持ちは消えません。体中は痛いですが、心配されるような脳がどうこうというのはまったく自覚がないことで。


「君が決勝を戦いたい気持ちはわかる。ライバルはときにどんな他人よりも深くかれ合うものだ。だが機会はいずれまたあるとも。君が競技を続けるかぎりね」

「でもっ……!」

「君を決勝に送り出してしまえば結果がどうであれ私はキョーイチローに顔向けできなくなる。どうか了承してほしい」


 そんなふうに諭されてしまえば不承ふしょう不承にうなずくほかなく。


「君たちも、瀬戸さんのことを頼んだよ。一緒に大会が終わるまで多くのことを吸収してほしい。一歩引いてこそ見えてくることもあるだろうからね」


 うなずく朔と杏樹あんじゅ。黙ったままのりん

 香耶乃かやのが丸メガネを押しあげ質問します。


「棄権理由は四夏っちゃんのケガが経過けいか観察を必要とするものだからと、そういう認識でいいですか?」

「そうよ。でも実際がどうという話じゃもうないからね。脳について医師の診察を受けた、その事実だけで私たちは瀬戸さんを試合には送り出せない」


 答えたのは野木女史。その口ぶりは香耶乃に釘をさすようでもあり。


すえさんの肩も心配よ。暴走や心得違こころえちがいをしないように」

「……なるほど、わかりました」


 肩をすくめた香耶乃は神妙にうなずきます。四夏はそれを一の望みが絶たれる思いでみつめました。

 そんなタイミングで。


「――こんばんは、ごめんください」


 戸口を叩く声。

 ぴりっと耳の輪郭まわりを電気が走ったような感覚。ハッとふりむけば入り口近くに立ったヨコさんがマスタージョエルをうかがっています。許しが返るとそのカーテンをまくりあげ。

 果たしてそこには。


「やっと目がめたのね、シナツ」

「パ、ティ」


 パトリツィア・スヴェルチェフスカ。

 濡羽色ぬればいろの夜会服からむきだしの白い肩にこぼれかかる金髪。そのあいだから爛々とした眼光が四夏をまっすぐにとらえています。


私の天使ムィ アニオ


 ドクドクと鼓膜をうつ血潮ちしおの音に四夏はぎゅっと胸を押さえました。


「えっとあの、どうして?」

「挨拶とそれから、お見舞いにきたの。せっかくだものね」


 そこへ遅れてやってくる違和感。他の誰もが一番に気付いたであろうそこに四夏だけが一拍おいて目を向けます。


「パティ、それ。足が……?」


 座っている四夏とパティの目線の高さが変わらないということ。

 彼女は車椅子くるまいすに腰掛け、その背をナタリアが押しています。印象だけならパティのほうがよほどお見舞いされる側のようで。


「ちょっとね、練習で関節がすり減っちゃって。半年くらい前からこうなのよ、シナツとの試合にはなんの影響もないわ。ね、ナータ?」

「……よく言うわ、痛み止めを飲まなきゃ鎧を着て歩けもしないくせに」


 苦々しくこぼすナタリア。パティはぷぅと唇をとがらせます。


「歩くくらいできるわ。それに」


 四夏は〈放浪者たちの島アダ ツィンガリア〉からの帰りのバスですれ違った人影を思い出していました。パティによく似た後姿をした車椅子の。そんなハズはないとかき消した、思えばあれは本人たちだったのでしょう。


「充分よ、ここまでもってくれたんだから。ねえ、シナツ」


 まるでもう長くはないように、ほっとした調子で手を差し出すパティ。


「ワタシたちもウクライナに勝ったわ。お祝いしてくれる?」

「あっ、う、ん」


 そうか、アレクサンドル選手はパティたちと戦ったのか、と。

 誘われるままに立ち上がろうとした四夏の首を椅子へと引っぱり戻す杏樹。


「うぐ」

「だぁめぇ……っ!」


 後ろからすがりつく両腕。四夏の顔をのぞいた彼女がひくっと怯んだような表情をみせます。

 凛がパティの前に立ち塞がりました。


「四夏に近づかないで」

「あらご挨拶、ワタシはシナツの気持ちを尊重するわ。アナタたちと違ってね」

「減らず口、を」


 一触即発いっしょくそくはつの雰囲気。剣がなくとも排除はできると言わんばかりの凛を、剣呑けんのんな笑みでパティが受け止めます。

 それを厳としたまとう空気ひとつで収めたのはマスタージョエルでした。


「残念だがパトリツィア君、明日の試合に瀬戸さんを出すわけにはいかない」

「あらおじさま。おひさしぶりね、たしか……」

「……君のお父さんを見舞ったとき以来だね」

「あぁそうだったわ、その節はありがとう」


 複雑そうな顔をしたマスタージョエル。対するパティは涼しげなもの。


「おかげさまでリハビリも順調みたい。もっとも治ったところで前みたいに剣は握れないでしょうけど」


 パティの父、ヤクブ・スヴェルチェフスキはこの競技界で知らないもののない騎士でした。四夏も幼いころ一度だけ、パティをつれてモンアルバンを訪れた彼に会ったことがあります。パティと四夏の火遊びに激怒した彼へ立ち向かった恐怖は忘れがたいもの。

 いつになく険しい声でマスタージョエルが答えて言うには。


「君は前年の大会でも多くの選手を……あえて言葉を選ばず言うがしまった。次いで自分の父親を、それに先の試合では前年ベストプレイヤーまでも」


 前触れのない情報に四夏はとっさに強くジャージの膝を握りしめました。

 おぼろげに想像しつつも聞けなかったこと。アレクサンドル選手ほどのプレイヤーがパティと戦って負けた、具体的な結末。そしてパティが前にこぼした、


 ――もうワタシ、パパより強いもの


あの言葉の真意。彼女の父親ほどのプレイヤーを優越したと断言するその根拠。


「そうね。どの戦いも素晴らしかったわ。結果として誰かの道をさえぎってしまったのは残念だけれど」


 前に出ようとしたナタリアを手で制してパティは応じます。


「だけど、そうすることでしかワタシの道は開かれない。シナツと戦うための道は」

「わたし?」

「小さいころのシナツには話したわ。ワタシの使命は戦うこと。神様の加護のもと、美しい戦争をすること」


 そこまで踏み込んで聞いたかまでは覚えていません。ですが信仰と戦いが一緒になった価値観が四夏に少なくないインパクトを与えたのは確かで。


「買いかぶりだよ、わたし」

「あなたじゃなきゃダメなの。本当にキレイな戦争はもっとずっと怖くて苦しい場所にある。シナツならわかるでしょう?」

(あぁ、)


 疑いひとつないパティの言葉。確かにそれはピタリと胸のどこかへはまります。

 彼女との戦いで初めて触れ、強敵相手に幾度いくどもその向こうへと届きかけた白い光。

 四夏が感じてきたあの清冽せいれつな、憧れにも似た衝動をパティもまた抱いているとしたら。


「パパも、他の誰もワタシと最後までのぼりつめてはくれなかった。でもあなたとなら」

「やめて!」

「むぐぁ」


 杏樹の腕が顔面に巻き付きます。


「四夏はあなたが思ってるみたいな子じゃない、ちょっと剣術オタクでいいカッコしいなだけだもん!」

「いいカッコしいって」


 ふさがれた視界のむこうで小さな嘆息。


「……窮屈そうね、シナツ」


 同情か、あるいはどこか冷めたような響き。


「あったかい毛布にからまって身動きが取れなくなってるみたい。せっかく目が醒めてもそれじゃおはようのハグはできないわ」


 キィ、と車輪が動きだす音。つづく声はもう背を向けて発されたもので。


「アナタが決めればいい。お友達と話し合ってね。どのみちその調子じゃワタシの求める場所には届かないから」


 胸をしめつける声色は失望。もがく四夏はなかば無理矢理に杏樹の腕をかなぐり捨てます。


「ぃたっ」

「あ、ごめん――」


 謝りつつ見やるもすでに車椅子はテントを出たあと。

 ナタリアの陰からわずかに見える金髪はこちらへ振り向けられる気配もなく。


「――ッ」


 ぞっとするような視線が眉間を射抜きました。曲がるとき垣間かいま見えたナタリアのくらい瞳。それは悲憤ひふんを煮詰めたような色をしていて。

 呼び止める声さえかけられぬまま四夏は取り残されます。


「なんですか、あれ!」


 カーテンが閉まるなり地面を蹴りつけて朔が怒鳴りました。

 

「勝手に言い寄ってきて好き放題! センパイあんなの真に受けてないでしょうね!?」

「う、ん」


 ずっと入り口を睨んでいた凛が手をとって目線を合わせます。


「四夏……」


 さすられる手の甲から抑えてきた混乱が渦を巻いて出ていくような気がしました。


「りんちゃあん」

「うん」


 四夏はその胸に顔をうめると湿っぽい息を吐きだします。


「四夏はベストを尽くした。誰にもそれを否定させない。だから、泣いたっていい」

「うぐ、うぅ、ふん」

 

 低くおさえた嗚咽がひびくテントは一人、また一人と大人たちに席を立たせていきます。最後に残ったのは四夏たち五人となりゆきを記録していたワタシだけ。


「……では、ワタシもこれで」

「ぅあのっ」


 目を真っ赤にはらした四夏さんが急に顔をあげたのでドキリとします。


「前の試合の動画って撮ってもらってますか?」

「ええモチロン、ハイ」

「見たいです、忘れたままじゃ嫌なので」

「センパイ……」

「構いませんよ。女子テントのほうにあるのでいつでも来てもらえれば」


 物言いたげな視線をいくつか受けつつテントを出ようとするワタシ。そのあとをついて四夏さん。

 すぐに、というのは意外でしたがひょっとすると一人になりたいのかもしれません。


「行きますか、じゃあ」


 うなずいた四夏さんとワタシは女子テントへと向かいます。

 あとに残されたのは杏樹、凛、朔、香耶乃の四人だけに。


「ど、どぉしよぅ?」

「……どうも何も、遅かれ早かれでしょう。見ちゃうのは仕方ないですよ」

「でもぉ、それでやっぱり出たいーって言いだしたら?」

「いくらセンパイでもそんな聞き分けのないこと言わないと思いますけど」

「あんがい四夏っちゃんが一番ビックリするかもねえ。完全にたから」

「……」


 不安そうに肩を抱く杏樹。


「四夏、まだちょっとうわの空だった。試合中のカンジが残ってるみたいな」

「アタシも……ここに来てからのセンパイは少し怖くなるときがあります。鬼気迫るっていうんですかね、ああいうの」


 同意する朔。

 シンとした空気に香耶乃が、さも当然のように言い出したのはそのとき。


「大方針だけでも決めないとね、私たちの」

「方針、とは……?」

「つまりさ、あくまでこのまま大人の言う通りにするのかってコト」

「それ、って」


 ぎゅっとスカートを握りしめる杏樹。朔が信じがたいものを見るように香耶乃を凝視しました。


「ありえない!」


 それまで黙っていた凛が大きな声をあげ。


「あんな状態の四夏をた、戦わせるなんて」

「そうですよ! たしかに……好敵手ライバルと決着をつけたいって気持ちは分かりますけど。あんな状態で」

「でも本人はいたって問題なさそうだ。診察を受けたから出場禁止ってのはようするに引率側の都合でしかない。私たちは親でもコーチでもなくチームメイト、でしょ」

「死んでもいいなんて勢いでも言うような状態がまともですかッ!?」


 詰め寄る朔を見るともなく香耶乃はひとりごちるように続けました。


「マトモじゃないよね、まあ。でも一がいに悪いとも言えないでしょ。武術の心構えは生死を越えたところに極意があるって頭領さんもいつも言ってるじゃん? あれって今の四夏っちゃんみたいなことなのかも」


 パシンッ、と手のひらが頬を打つ音。

 頭をかたむけた香耶乃の足元に丸眼鏡がカシャンとはねます。


「センパイが死んでもいいんですかっ!?」


 涙につまった怒声を前に香耶乃はメガネを拾いに屈むと。


「……そうだよね、ゴメン。でも……そりゃ出場してケガしても責任とれないよ。けど同じ理屈でさ、ここで諦めてあの子が一生後悔するとしても私たちにはどうしてあげることもできないなって思うんだ」

「そんな、おおげさな……」


 立ち上がって三人を見回した香耶乃。そこにいつものおどけた態度はありません。


「せめて私たちだけはもう一回決めとくべきだと思う。四夏っちゃんの意思を尊重するのか、しないのか」

「っそんな言い方、おかしいよ、そんなに迷うことっ?」

「……どんな議論をしても、無駄」


 おろおろする杏樹とは対照的な、固い眼差しが真っ向から対立しました。


「ケガなら私もして、る。私は絶対に次の試合に出ない。だからチーム出場はできない」


 凛はそれ以上の話し合いをすら拒むように背を向けます。


「……私情と試合は分けるんじゃなかったっけ?」

「これは友情。私はここにいる誰より四夏を理解してる。だからこそ」

「そういうマウント今いいですから。何か知ってるなら話してくださいよ」


 こちらはこちらで苛立たしげに朔。


「っとぉ朔っちゃん? タンマ、別にピリピリさせたいわけじゃないんだって」

「四夏は――」

「……」





 瀬戸四夏というプレイヤーと戦った選手がのちに口をそろえて言いました。喜びのうちに戦う騎士だった、と。

 ですが今、覚えのない自分の戦いをみつめる彼女は憂いか、あるいは苦悩するような表情で。

 ノートPCの画面では、拳斧をかいくぐり趙選手の背後へまわりこんだ四夏さんが、振りまわされた剛腕のヒジめがけて兜割かぶとわりを叩き込んだところでした。


「……小さいころパティに言われたんです。わたしの剣はパティと同じ、神様がくれた才能だって」


 相槌あいづちをもとめるでもなく四夏さんがこぼします。

 ベッドサイドに着かれた手はシーツ以外の何かを掴もうともがいているよう。


「買いかぶりだと思ってました、ずっと。同じ趣味の友達をみつけて嬉しがったパティの勘違いだって。でも……」


 膝のテーピングをさする手。

 長い長い沈黙のなか、動画だけが流れていきます。

 背中での体当たり――八極拳はっきょくけんにいわく鉄山靠てつざんこう――を不意打ちぎみにくらった四夏さんは大きくのけぞり、倒れながらもなお足切りの剣を放ちます。結果的にその一撃が、趙選手のくるぶしを砕くフィニッシュブローとなりました。


「……パティが、戦ってるみたい」


 短くも熱っぽい声。


「ずっとあんな風になれたらいいなって思ってたんです。でも今は怖い。まるで――」


 ――みえない何かに引っぱられているみたいで、と。

 自分をかき抱く四夏さんは見たこともないほど弱々しく、どうしていいか分からなくなります。


「……小鳩こばとさんはもう、いいですか?」


 ワタシごときがこの肩を抱いていいものか、と逡巡しゅんじゅんしたのもわずかな間。


「はて、何がでしょう?」

「このままわたしたちがリタイアしても。番組に、取材は――あぃたっ?」


 ぴしりと指弾。


「平気です、なんて言ってあげませんよ」


 それは義務感というよりはワタシ自身のエゴによるものでした。


「困ると言っているわけでもありません。自分で決めなさい、と言っています」

「ぁ……」


 おでこを押さえたその涙目をまっすぐにのぞいて、どうか曲がらずにいてほしいと願います。


「ワタシは文化部でしたけど。それでも何かを諦めて何かに向かわなければいけない分岐点はありました。経験上、そこで他人の気持ちを理由に決断すると後悔します」


 “選ばない”という選択は一番楽で、もっとも人生を暗くする悪魔。これまでそんなものに袖さえ触れさせなかった彼女だからこそ、陰のさした物言いはひどく耳にひっかかりました。


「ワタシは四夏さんがどうなろうと構いません。引率責任をとらなきゃいけないでもなし、傷心をなぐさめなければいけないでもなし。そういうロクでもない立場からの言葉だと受け取ってください」


 こんな大人になってはいけませんよ、と。ほつれた前髪をよけてやると四夏さんは目を細めます。


「撮れだかはもう充分。ですがそこにがあるならテープを回し続けるのがリポーターというものです」

「そう、ですか」


 まさに嵐のただなかにある彼女に、外から投げた言葉はどれくらい届いたでしょうか。

 ワタシはしょせん彼女たちにとっては脇役。取材対象にあまり口を出すのも三流の証です。あとは。


「あれ……いま誰か、って杏樹ちゃん?」

「四夏ぅ、だいじょうぶ?」


 当人たちに任せることにして記録係にもどることにします。

 かつてワタシの道を拓いた光が、もっと無数の人々を照らす希望になることを信じて。

 

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