15.龍尾


 初めての実戦で頭上にせまる剣は、走馬灯そうまとうの開始を合図するクラッパー・ボードの拍子木ひょうしぎのように杏樹あんじゅには見えました。

 繰り返した練習にしたがって体が自然に防御の形をとります。

 上段前向『雄牛』の構え。短いながらも頑丈な剣身がそのもっとも強い根元で相手の剣先を迎え撃ちました。


(……1)


 飛び散る火花にうかぶ在りし日の特訓風景。


『――ベタ足だ。どんなに怖くても足を浮かせるな。重心を少しでも上げれば43キロの体重なんて吹っ飛ばされる』


 モンアルバンのトレーニングルームで杏樹を蹴りたおした春山シュンザン選手は言いました。


『キミに猟兵オフェンスは無理だ。体重がなさすぎる。だが歩兵ならデコイにはなれるだろう』


 前半については同意でしたが、後半はなにかそら恐ろしい冗談にしか聞こえません。


『誰もがあなどる小柄さ、四夏ちゃんあたりと比べればもっときわ立つ。二人並べばまず間違いなく、敵はキミを真っ先につぶそうとする。ゲームのボーナス・エネミーを見つけたときみたいにね』


(……2)


 最初の相手はサマンサ。戦列のスライドにより朔とのマッチングをすかされた彼女は怒りをそのまま剣にこめて杏樹を押し切ろうとします。

 ぐにゃりとねじり込まれる両手首。地面とほぼ垂直まで押し込まれた杏樹の剣が、すり落としたサマンサの剣と離れた瞬間、ゴム仕掛けのおもちゃみたいに反回転。

 びゅん、とサマンサの胸前5センチを空振からぶっていく『はたき切り』。


(3……!)


『――当たらなくてもいい、反撃は必ず打つこと。その一瞬だけが相手に近づけるタイミングだ。キミの安全圏は相手のふところにしかない』


(体が重い、こわいぃ!)


 ジャリ、と進めた送り足にすぐ追い足をひきつけて、杏樹は身をちぢこまらせます。

 戦いへの恐怖心は結局とりのぞかれることはありませんでした。敵意を向けられればそれだけで涙がにじみ、全身をかばいたくて仕方なくなります。鎧の下にこれでもかと押し詰めた緩衝材パッディングはそのあらわれ。


 さらに上段前向『雄牛』。


 気心きごころの知れたコーチやクラスメイトではありえない本物の敵意に直面して、杏樹は染みつけられた型だけを機械的に繰り返します。降ってきた二撃目の叩きおろしを真横に払いとばし。


(4んん――!)


 送り足。


「こ、の……っ!」


 彼我の距離はそれで、剣の間合いのはるか内側へ。


『――キミの小ささは極端レアだ。デカい選手なら上から切りつけるしかない。たいていの選手はそんな高さを斬る訓練をしてないから、どうしたって打撃の焦点フォーカスがズレる。つまり威力が乗りにくいってことだ』


 後頭部と左肩に衝撃。

 金切り声みたいな音がして、ふとそれが自分の口から出たことに気付くような酷いありさま。

 それは二人目、三人目が振り下ろした剣のヒットに違いなく。

 杏樹は心をシャットダウンしてやりすごします。恐怖が飽和ほうわした虚無ともいえるこの精神状態は、たしかに一年間の特訓で彼女がえた成果と言えました。……本人が望む、望まざるは別として。


『――たとえば木の根元にうずくまった人間に攻撃を当てるには? その入射角はたった90度の間に限定される。敵のとりついたキミも同じさ。しかも相手が狙えるのは騎士の鎧が視野しやを犠牲にしてでもカバーした背中だけだ』


(しんだ、いまのはぜったい)


 ぼうっと薄いまくでへだてた部屋から外をながめているような感覚。

 じゃりっじゃりっと足が勝手にサマンサとの距離を詰め、嘘みたいにゆっくりと落ちてくる剣に対して両腕が何度目かの『はたき切り』を繰り出します。


((――ご))

(だれだろう、これ、うごかしてるの)


 後ろのほうで、ガコンガコンと空き缶がひっつぶれるような音が複数。


(なにこわいもう! いいけど、どうせ死んでるし)


 あらゆる矛盾むじゅんから目を背けて、自分と切り離しただれかの戦いをそれでもつぶさに観察しつづけます。

 焦れたように、サマンサの膝がぴくりと浮き上がりました。


(――ろく、あ)


 顔面にせまった鋼鉄のひざりを前に、パチンと目が覚めるように襲ってくる現実感。

 恐れる暇もなく、無我夢中で腰を落とすと相手に突き付けた剣先はそのままに、持ち手だけを弧を描くように下ろします。サマンサのすねが肩に衝突。

 同時、外側から回した剣の十字鍔クロスが、その膝裏へとすべりこんでいました。


「なあ――っ!?」

「ちえ、ぁあ、あああ――――っ!」


 眼前に剣を横たわらせ、かちあげる杏樹の身長分だけ高く高く上がる膝。サマンサはなんとか片足で後退するもそう長くは続くはずもなく。

 ニー・リフト、吊り足と呼ばれる鍔技つばわざ。たがいの身長差があればあるほど強力になるそれは、春山選手から授けられた必殺技の一つ。


『――歩兵としてのキミの寿命は長くて10秒だ。これは標準の半分以下。でもエンカウント後5秒間に限ればキミほどやりにくい相手もそういないだろう。ビビらせてやれ、ニホンから小鬼が来た、って』


 ゴスッ、と脇下に衝撃。

 やや遅れて登ってきた激痛に、杏樹の血の気がざっとひきます。

 上がったひじの下を後ろから胴抜きにされたのだ、と気付いたとたん、ぷちりと張りつめていた精神がひきちぎれるのを感じました。


(そう、だった、この技はこれが弱点で――痛い痛いいたいいた!)


 急所を隠せるのは腰を落としひじを張った正しい構えにおいてだけ。

 こんなでも一応ずっと押さえつけていた弱気の虫が大合唱をはじめれば、もう立ってはいられません。それでもなんとか共倒れに、と顔をあげれば何故かそこにはプレートブーツの足裏。


「どけえッドチビがあッ!」


 強烈なフットスタンプが杏樹の頭を後ろへ跳ねさせます。胴斬りの痛みで下がった剣が二ーリフトからの脱出を容易にしたのだと、それが最後の分析らしい思考。


「殺しなさい! カルロ、あなた一人でいいわ!」


 仰向けに見上げた空の外縁がいえんを、黒い鎧影よろいかげがうごめいています。そのうちの一人が短剣ダガーを抜いて杏樹へおおいかぶさってきました。


(だめ、だった)


 だれがドチビだ、と。たとえ事実だろうと言い返せるだけの練習を積んできたつもりでした。けれど結局まかされた役目も果たせず倒された自分に落胆する杏樹。

 でもそれよりなにより今は、体を地面にねじ埋めるほどの力で抑え込んでくるその太い腕が怖くて恐ろしくて怖くてひどくさびしくて。あぁそれでも――。


(勝ってよ、みんな。ごめん。あたしこんなだけど、もうなんにもできないけど、でもお願い気にしないで、あの子を四夏を――)


 ぞぎ、とプレートをこじ突くダガーの音。


(――ひとりにしないであげて)


 ビクンと痙攣しエビのように上半身を丸める騎士。

 そのわき下をから肺方向へ一片のためらいなく突き込まれた小剣が引き抜かれます。


「いま、十秒」


 ごしゃんと蹴り倒されたその巨体の向こうから、憎らしいほど平然とした相貌がこちらをのぞきこんでいました。


「ごくろう、もう泣いてよ、し」





 時は、ロデリック選手のむこうから杏樹の気声がほとばしった直後。

 四夏と向きあう彼がはたと動きをとめました。それを囲むのはさく香耶乃かやのりん猟兵イェーガー組。

 凛は杏樹が抑えた敵の後ろをつくため先行し、ちょうど真後ろにいた香耶乃がスキありとばかりにロデリック選手を羽交はがい絞めにしようと動きます。


「ぃよっし! ……あれっ?」


 一度は両脇に腕をつっこまれた彼がぬるりと低く前屈。


「――低空で戦えるのは君たちだけじゃないさ」

「あ――くっ!?」


 ロケットのごとき突進タックル。気付いた時には両ひざをホールドされている早業はやわざに目を見張る四夏。その視界がエレベーター式に急上昇します。


「うわ、わわぁっ!」

「ハハハアッ!」


 足の間に首を突っ込まれ、そのまま後方に投げ落とされたのでした。迫る地面にとっさの受け身。


「形勢逆転だとも!」


 振り向きざま見得みえたっぷりに突き付けられたロングソードをはらい、即座に立ちあがって相対する四夏。


(あ、だめ)


 ロデリック選手が囲みを抜けたことでスカされたのは朔たち猟兵組。三人で彼を囲むはずが、逆に団子になって左右の敵に押し詰められる形に。

 しかしまあそんな戦術的な視点はともかく。


(この騎士ひと、カッコいいかも……!)


 ふわっと視界が彩度さいどを増すような高揚感こうようかんをおさえきれない四夏。

 機転きてんと思い切りの良さに堂々とした戦いぶり。人一倍の工夫くふう鍛錬たんれんに裏打ちされているだろう自信。

 じわりと手のうちが湿るのを感じます。緊張と興奮と、嬉しさから。

 あれだけのファンや観衆が彼に声援を送る気持ちもわかる気がしました。


「カヤノ、任せて!」

「オーケー!」


 背中越しに伝えます。四夏ひとりでロデリック選手を抑えれば、背後は朔と香耶乃を加えて4対3。まだ数的優位をとることができます。

 られた剣をひと振るいした彼はすうっと息を吸うと一気に吐きました。


「ノックアウトする!」

「か、カモン!」


 互いに吼えれば保たれていた静寂はあまりにもあっけなく。


(あの構えは……!)


 ロデリック選手は幅広はばひろの剣をちょうど、十字鍔クロスのどの前にくるように正面に掲げています。天をむく剣でヘルムのシルエットを二分したまま、ズンズンと無遠慮に詰められる間合い。

 上段上向かんむり』の構え。上半身、とくに頭部の防御力にすぐれる反面、カウンター狙いの待ち構えが基本となる型。


(近づけちゃダメだ)


 四夏の脳裏には先の強烈なタックル。下手にカウンターを恐れて手を出さず、レスリング仕込みのとっ組み合いに持ち込まれればいかに大柄おおがらな四夏とはいえ不利にちがいありません。


(出足のヒザ横、ひっぱたいて切り抜け――!)


 プレートの開いた関節かんせつ部分を狙えば相手を崩しつつ側面に回れると、上段とみせた剣をひるがえし下段をぐ四夏。

 狙いどおり、無防備な歩き足へ直撃する斬撃。


「っあ!?」


 それが弾き飛ばされていました。

 直撃より一歩早く、身体の外へ向けられたロデリック選手の膝上の鋼板プレートによって。


(『受け潰し』――!)


 そう呼ばれる歩兵のテクニック。

 鎧の防御面を熟知し、また相手が意図する打点とはズラした位置で受けることで威力を殺してしまう、いわばさば


(単に攻撃が効かないってだけじゃない、これをやられると……ッ!)


 切り抜けしようと前に出ていた身体は止まりません。そこへ余裕をもって落ちてくる大剣。

 とっさに四夏は加速しながら背中を丸めていました。したたかに打ちえられ、ゴロゴロと地面へ転がります。


「っぐぅ」


 防御に使う必要がなければこそ振るえる迷いのない剛剣ごうけん

 跳ね起きて顔をあげれば、やや開いた間合いの先で悠然と構えたロデリック選手が静かに見下ろしていました。こちらを値踏ねぶみするように。


(位置が……!)


 入れ替わり、背を向けた猟兵組と四夏との間にロデリック選手がいます。

 このまま脅威でないとみなされれば彼は猟兵組の背後を襲うでしょう。


「わああっ!」


 とにかく静止だけはマズいと突っ込んではみたものの、あの『受け潰し』の後ではどこにもすきなどないように見えます。


「っ」


 間合い一歩手前でブレーキをふんだ四夏は、その場で握りを殺撃さつげきへと切り替えました。


(これで一応、クギづけにはできるはず……!)


 十字鍔クロスを重いハンマーへと変える殺撃なら、いくら鎧を着ていようと簡単に背を向けることはできません。

 さらに持ち手をハーフソードへと滑らせ、防御主体の構えに。

 よそ見したら殴るぞ、との全身アピール。


「時間稼ぎか、仕方ない」


 幸い数では勝っている四夏たちです。強力なロデリック選手を一対一で引き留めるだけでも充分に戦術的な意味はあるはず。

 そんな折に、ふと。


  『――ねえ、シナツ。シナツは逃げないでね』


(っ、なんで今パティが……)


  『――逃げないよ。だからパティも負けないで』


(……うー、うー……いやっ、言ったけどぉ)


 ふいに浮かんだ別れの言葉が、ちくちくと内側から胸を刺します。

 組み立てた方針とはまったく逆に四夏を動かそうとする思いがありました。

 ロデリック選手の逆袈裟切りがハーフソードの真ん中へ。


(相手がパティでもわたしはこうする? ううん違う、この人にだって――!)


 騎士道物語からぬけ出たような、かつて四夏が憧れたイメージそのものの彼だからこそ。半端な戦いは自分自身を曲げてしまうという確信に近い危機感。

 でも、それでも。チームを信頼し勝ちを目指すなら、と。


 『――素顔の自分を知れるのは真の勇士だけ、なんて女騎士っぽくてカッコ良いけどさ。窮屈じゃない? 私はそう、パティちゃんだっけ。あの子のほうがよほど自分に正直に生きてると思うけどなー』


(いや、だから、わたしはアレとは違うんだってば……!)


 ふいに押し込まれる剣の重みが半分に。

 気付いて対応するより早く、ロデリック選手のガントレットが四夏の剣の空いたつかへ伸ばされています。


(やばっ、あぁもう!)


 現ハンマーの先端、もとよりそこは刃よりもずっと握りやすく作られた箇所で、十字鍔クロスごと指をかけられては四夏も腹をくくるしかありませんでした。


 『――なんて理由で海を渡った時点で同類に見えるけどね。私からしてみれば』

「しつこいなあ! いいよじゃあそれで、もう!」


 やろう、と。そう決心した瞬間に白く染まる景色。

 この光の向こうにきっとパティはいて、彼女と戦うにはもういちど踏み込まなければならないと自分を納得させます。

 手の内からすっぽ抜かれるような奪剣に、一瞬抵抗したあと四夏はあえてそれを突き込んでいました。


「むうっ」


 後ろ向きにフラついた相手に短剣を抜きながらの体当たり。

 押し倒したロデリック選手の喉首へふりかぶったそれを、フェイントにして即座に転がり離れます。

 防御の為に彼が手放さざるをえなかった四夏の剣を拾って。


「やはり時間稼ぎ――」

「――やあああアアアアアッ!」


 二の句を継がせるより先に四夏は吶喊とっかんしていました。

 相手が剣での防御を必要としないなら、あえてその剣を狙ってみるのはどうか。

 考えは見切り発車で剣を振り始めてもまとまらないまま。それでも浮かんでは消える無数のイメージから一枚のそれをつかみ取り――


「ォオ、ッハハァ、オオオオオッ!」


 気付き、こたえて吼えた彼の高揚にざわりと全身の産毛うぶげをふるわせて。

 下段から相手正面へ。体よりも構えた剣へぶつけるような切り上げは応じるし切りと激突し反射。

 重力に筋力差、あらゆるものが味方しないはずのその軌道きどうはしかし、衝突の一瞬で180度旋回していました。


「ッア!」


 打ち下げられる勢いをたて回転へと転化させ、さらに一歩相手の内側へと踏みこんで跳び込ませる唐竹からたけりの一撃。

 古い戦闘教本フェシトビュッフからマスタージョエルの手で復元され、銀一門しろがねいちもんの頭領が名付けたそれは、いわく。


 『――のぼごい


 ロデリック選手がわずかに肩を縮め重心をスライド。

 頭頂部へ落ちるはずの剣を肩で受け、そのプレートの丸みでもってらすにはそれで充分。

 同じくして四夏はひらめいていました。


(どうしてアレクサンドルさんの『小さな円』があんなに痛かったのか)


 かねてよりの疑問とまさにいま直面する課題。

 そしてはるか昔の戦場で蓄積ちくせきされた技のみに存在するもうひとつの理。

 三つが四夏という身体と心を通して結合し。


「ッ、ぐ、あ!?」


 アーマーでさばかれてなおに肩と首の境へめりこむ剣刃。

 ロデリック選手が片膝かたひざを落としていました。


「こう、だっ、真っ直ぐッ!」


 キュンッ、と崩れた相手の首よ飛べよと返される『はたき切り』。

 防ぎにさしこまれた大剣から火花が散り、その刃がこぼれて四夏のヘルムへとぶつかります。


 刃筋はすじということ。

 それが四夏のいたった答えでした。それもただ面に対して垂直に当てるだけでなく、手の内の握りから上腕、重心にいたるまですべての力がぶれずにそこへそそがれること。

 競技歴キャリアの大部分をクッション巻きのラタンソードによるライトバトルで戦った四夏が、ついぞ真には体得たいとくしえなかった鉄剣てっけんへの理解と熟練じゅくれん


(斬れる、これなら甲冑かっちゅうにだって威力を通せる!)


 これまで選ぼうとして破棄はきした技のすべてがまったく違う意味をもって立ち上ってきます。牽制けんせいにしかならなかった小技が相手をひるませうる崩し技に、崩し技はそれ自体が相手の戦意を断つ殺し技に。


(面白い、おもしろい! 剣術ってこんなに――っッ!)


 逆回転の『はたき切り』を剣を離した右のひじで叩き落したロデリック選手がそのまま飛びかかるようなスーパーマンパンチ。不意をつかれてつい一歩さがったところへ片手かたて大剣の車輪しゃりん切りが四夏の指を狙って振り抜かれ。 


「~~~~っっ」


 ぞわわ、と恐怖か興奮かもはや不明な感情が質量をもった液体のように後ろ首から背中を濡らします。

 なにか得体のしれない美しい獣の前に立っているような、自分も疾駆はしりながらそうなっていくような原始的な感覚。

 呼気を咆哮ほうこうに替えること三度。イコール三合。

 時間にしてみれば数秒にも満たない剣撃をかわし捌きときには受けて、四夏は自分の限界が近いのを感じます。


(ボンヤリしてきた)


 自分の呼吸があるのかないのか、それすらもあやふやでした。白く光り続ける景色はもやがかかったようになり、唯一しっかりと見え続けていた相手も輪郭りんかくくらいしか意識できません。

 疲れから、なんとなしに下げてしまった剣が無意識に切り上げの形で出ていました。

 かち合う剣身。叩き落とされた剣は縦180度に回転し上段切りへ、対するロデリック選手も今度は読んで『かんむり』構えで頭上を固め。


(あ、だめだ、十字鍔で受けられて押し下げられて、それで)


 ゆっくりと進む時間の中、四夏は数瞬先の劣勢を夢想します。

 それは一歩間違えば敗北どころか大怪我もありうる危険な道。


(まあ、いいや。それも、楽しそう――)


 予見しつつもそれをなぞるように剣を振り下ろした、そのはずが。


(――あ、れ、何するの、わたし)


 打ち下ろしの途中でねじれはじめる両手首。それにともなって回転する肩と腰。

 垂直に落ちるはずの剣は横倒しになり、全身の回転でもって篭手こてへの薙ぎへと変化します。


(『昇り鯉』をフェイントに『はたき切り』……!)


 天に剣を掲げたロデリック選手の、それぞれが薄いプレートに守られた五指が弾けます。要訣ようけつをおさえた斬撃は、その複雑な軌道を終えてなお相手の闘争能力を奪うに充分な威力を秘めていました。

 昇り鯉に龍尾りゅうびが生えた、そうのちに名付け親をして言わしめる変化技のイメージはまだ、真っ白な光の中にあるだけ。


(…………、)


 何かを思い、掴んだのかもしれません。けれどそれはすべて後になって思い出すことで。

 ただ今は深い満足感に揺られるように、四夏は脱力します。

 二歩、三歩と無為に進んだところで、背後のロデリック選手が膝を着く音がしました。

 


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