8.初陣
頑丈に外と内をへだてる木の柵を越えたそこはまごうことなき聖域。
真白い砂の地面はふりそそぐ歓声も、またこれから流されるであろうあらゆる闘争の
ごくりとその一歩を噛みしめた四夏のはるか前方に、今より
「一年ぶりだね、自己紹介が必要かな?」
フランス
「……?」
男子のみのメンバーは去年と一人をのぞいて同じ。並べば鉄の塀のごとく立ち塞がる鎧は関節が丸くふくらみ、バケツ型のヘルムとあいまって誰もが想像する中世騎士のスタンダードといった風。
小首をかしげたパティに相手リーダーは兜をあげました。
「あ……!」
はっと四夏の喉を抜ける声。
その傷がちょうど一年前、今と同じ対戦カードにおいてつけられたのを四夏はビデオをみて知っていました。
「……? えっと、お願いします?」
「馬鹿……」
あいまいに
「剣魔め。この傷はキミにとってそれほど
「ちょっと!」
「……ナタリア、いいわ」
穏やかでない言いざまに憤慨するナタリアと対照的に、パティは
「ごめんなさい、思い出したわ。去年の大会、ワタシの剣があなたの
その
「あの時のあなたもその傷跡も、とても素敵よ。だからどうかつまらない言葉でそれを
気品すら感じる言葉でシルベストロ選手を慰めるパティ。
(……あれ?)
胸に手を当てる四夏。そこにある
たてつづけに張りつめた空気をあびた嫌気でもなければ、友人を非難された怒りでもなく、それは。
(なんだろう、ああいうこと誰にでも言ってるのかな)
パティが自分以外にそんな顔をすることが地味にショックで。またそんな自分への驚きが二重の衝撃となってやってきます。
(わたし、パティにやきもちやいてる……?)
いやいやそんな。そもそも嫉妬とは。かつてお姉さんを取られた父への感情がそうと言えばそうだったかもしれないけれど。
(恋愛経験が不健全すぎる……!)
まるで参考にならないうえに痛々しい過去への回想を断ち切って四夏は頭をふります。
「つまらない、か」
シルベストロ選手は苦虫をかみつぶしたように絞り出すと。
「やはりキミは異物だ。
薄い唇をひき結びヘルムをかぶりなおします。
「新しい騎士道なんて必要ない。伝統は継承するものだ。壊したいだけなら
「伝統ねえ。それじゃあ聞くけども、完璧な騎士道が歴史上のどこにあったの? 十字軍? それともアーサー王物語まで遡れば見つかるかな? ひとつくらいは」
剣を上げたレオがいかにも難問とわざとらしく宙をにらめば。
「はっハハハ、その通りだな! 道とは
アントニーが続きます。口を開きかけたパティを今度はナタリアがおさえて、相手チームを見回しました。
「あなたたちがどう思おうと彼女は私たちの愛する騎士よ。そちらこそ独善を通したいなら戦って通すことね。ありもしない大義なんて
「ナタリア……」
ほうっと頬をおさえるパティ。その目がもの欲しげにこちらを見たような。
(な、何。なんも言わないよ、ふんだ)
とっさに顔をそむけてしまう四夏。突然にらまれた正面のバケツ頭がわずかにのけぞります。
パティはそれでもいくぶん力の抜けた様子で。
「……これまでワタシをあくまって呼んだ人が五人いたわ。悲しかったのは四人、彼らはワタシから離れて行ってしまったから。つらくても嬉しかったのは一度、その人はワタシを倒そうとしてくれたから」
歌ほどに感情をこめて語ると、それまでより1オクターブ高い声で。
「貴方はきっと二人目ね」
シルベストロ選手をのぞきこむように言いました。
(ま……またそうやって!)
むらむらと燃え上がる心の火に蓋をしたのは
「むろん、そうすることでしかキミを
フィールド両端の開始線へ
チーム【
四夏は横一列の左端。
「4:1だな。
隣でアントニーがつま先で地面を掻きます。
戦う相手を自由に変えられる新ルールにおいては、互いが互いを
4:1といえば戦列を作り戦う【
「なあに簡単だ、オレの横を離れないだけだからな」
ドシンと背中を叩く衝撃につんのめり。ヘルムで全面を覆ったアントニーが親指を立てていました。
四夏も言葉なくうなずいて返します。
「あとは、歌姫の声にのればいい」
まもなくして開戦の黄旗が上げられました。
◇
グングンと狭まる視野。隣に歩調を夢中で合わせるうち、壁のように伸びあがる敵の戦列以外はなにも見えなくなります。
呼吸のしかたすら一瞬忘れ、四夏は
(大丈夫、見えてる! 見え……て、あれ?)
敵の右端がいつの間にか内側へズレ込んでいます。つまり四夏の前からアントニーの正面へ。
(しまった、遊んじゃってる――!)
自分だけがすかされた形。四夏が相手にされていないぶんだけ、歩兵列逆サイドのレオは不利な二対一を強いられてしまう、そんな計略にかけられた状況。
「
ナタリアの指示が耳へ届きます。声量か声質か、両チーム入り乱れる騒音を
四夏はズレた敵戦列の端を横から包むように、自分を無視した騎士の側面へ斬りかかります。しかしすでにアントニーと切り結んでいた相手は、短く持ったポールアームの先端で四夏の剣を、続けて石突きでアントニーのポーリッシュアクスを打ち払い。構えは堅実で、反撃する気はないと見えました。
「押し込め、自由騎士どの!」
「ぅえっ!?」
アントニーの
いや決して
(いやっ、行く、行くぞ! ええいっ)
チームの看板を背負った救援で情けないところは見せられないと、自分を
「だ……っ、むっ、このっ」
ザリザリと
(やっぱしおっも、い! 正面じゃ無理、なら……!)
アントニーの石突きを腰をひねって避けた相手騎士は、ついでとばかりに四夏をはね返そうとします。そのとき、四夏は敵の持ち手を掴んでいました。
「Ha、Ahアアアァァ!?」
悲鳴をあげ後方へ宙を舞う騎士。
「……へ?」
いや、確かに後方へ投げを打ちはしたものの。果たしてこんな
「いい崩しだ! なかなかやるな?」
次の瞬間、理解。アントニーが高らかに掲げた石突きが、彼の腰にぴたり沿っててこの原理で相手を放り投げたのだと。
(すごい、まるでサイみたい!)
相手に勝る超重量級でなければできない
「トドメは任せていいな!? うおオオオッ!」
言うなり戦列に突撃するアントニー。側面防御を失った敵はなすすべなくそこを
「やああああっ!」
手からヒジほどの短剣をふりあげた四夏に対し相手騎士もまた尻もちを着いたまダガーを握り。手負いの獣のようなカウンターの気配がびりびりと。ある意味いちばん危険な瞬間と言えるでしょう。
(んんんっ……スキがない、から作る!)
覆いかぶさる寸前でカットを切った四夏は膝立ちになりながら側面へと滑り込みます。
相手の頭を抱え込んだ四夏の腕下へ、逆手に返されたダガーが突きこまれました。
「ふぐっ」
狙い通り。肩で胴鎧をずり上げた四夏は
「ガフッ!」
今度こそ前後不覚におちいった相手のダガーを膝で踏みつけ、四夏はすばやくその喉首へ短剣を押しこみました。ピッとその
(よし! 仕留め、た――)
立ち上がって振り向けば、あれだけ整然としていた戦列はもはやありません。仰向けになってもがくチームフランスの騎士を、ナタリアとアントニーが二人がかりでとどめにかかっています。その向こうではレオが高くかかげた相手の短剣を、
その中心で、ぼうっと天をあおぐようなパティの姿。
足元には
彼がふ、とこちらを見るなり叫びました。
「よせ――!」
「へ」
ナタリアをつきとばしてパティがまっすぐこっちへ突っ込んできます。ようやくその可能性に気づいて四夏が背後を振り向けば。
「Uo、アアアアアッ!」
ごす、と地面がなくなった感覚。するどく硬い石突きが四夏の脳を揺らしていました。ちょうど振り向きざまのあごをやられて消失したバランス。
(どう、して。トドメはさしたと思ったのに――)
疑問はつのるもののどうしようもなく膝をつきます。ひるがえり襲ってきたポールアームの刃を、割り込んだパティが受けていました。
美々しく散る金髪。
「――――
そのブーツが地面を深くえぐり。
爆竹のごとき破裂音。四方八方、すさまじい回転数で斧刃と石突きの乱打を繰り出しながら前進する身体。相手の必死の反撃をときには切り落とし、ときには鎧でうけてなお決して緩まぬ突進はさながら懐に飛び込んだ打撃の爆発。
「ア、ァア ア ア ア ア ア !」
動物としての本能が
(あぁ、だめ、もうとっくにおわってるのに)
胃からこみあげるものを堪えながら四夏はその背中から目を離せずにいます。
(きっと正しくない、でも、なんてキレイ)
理屈を超えて心を惹きつけるなにかが確かにそこにありました。憧れか
『
中断の黄旗が割り込むと同時、相手選手がぐしゃりと倒れ伏します。
ぴくりとも動かないソレに背を向けてパティは四夏へ手を差し伸べました。
「だいじょうぶ?」
「あ、うん、へいき」
素直に力を借りて立ち上がると、パティはそのまま四夏の持ったダガーを見つめます。
おもむろに、パティが自身の内
「ひぇ」
身を固くすると同時、ピッと電子音。
「送信器の故障かも。ほら」
言われ柵外に置かれた判定装置を見てもクリティカルのランプは点灯しておらず。
「あ、あれ? ほんとだ、あんなにチェックしたのに……ごめん、交換しなきゃ」
「いいわ、終わってからでも」
腕を開放するとパティはチームメイトのほうへと歩いていきます。
そこにはいまだ五体満足なシルベストロ選手が立っていました。
「…………騎士の作法にしたがい降伏する。受け入れてもらえるだろうか?」
静かに理性的に、けれど今にも血を吐きそうな軋み声で彼が言えば。
「受け入れるわ。勇気ある決断に敬意を」
パティもまた淡々とそれに応じます。
「感謝する」
シルベストロ選手はそう言うとチームメイトの二人に肩を貸して試合場をあとにします。
パティが最後に戦った四夏のマッチ相手は担架で運び出されていました。
去り際に、
「悪魔め!」
堪えかねたようにシルベストロ選手が叫びます。二人の騎士を支えて歩く彼の背中は一番いたましく四夏の目にうつりました。
おそるおそるパティをうかがえば目が合い。
「彼、去年よりずっと弱かったの。よくあることよ、ワタシと戦うとクセがついちゃうみたい」
大きなケガを負うと治ってからもそれを
「ねえ、シナツ。シナツは逃げないでね」
それを
「逃げないよ。だからパティも負けないで」
パティはきょとんとしてから。
「ふふ、そんな風に言われたのはじめてかも」
「自慢か、くっそぅ」
勝って当然の環境なんて考えただけで息苦しそうだけど、きっとパティはそんな悩みもないんだろうなと思えばちょっとだけした心配もバカらしくなり。
撤収をはじめた【
「じゃ、わたし行くね。ミハウさん、だっけ。早くよくなるといいね」
「おう! なかなかの戦いぶりだったな、援軍感謝する!」
「んーまあそっちも頑張ってねえ。もし当たったら……つっても決勝だけども、お姫の勘はアタるからなあ。ま、正々堂々やりましょ」
カラリと送り出してくれる歩兵二人にたいしてナタリアはじっとりと四夏を睨み付けてから。
「トリシャの期待を裏切ったらあなたを殺すわ」
うへえ、といい加減なれてきた敵意に首をすくめて四夏は。
「努力するよ」
日本人的答弁でかえして日本テントのほうへ足を向けます。
「シナツ」
呼ばれ振り向けばヘルムを脱いだパティの姿。上気した頬にひとすじ汗でほつれた髪の毛にドキリ。
「きてくれてありがとう。嬉しかった」
「ん……」
それを悟られないようヘルム越しに頭をさわって四夏は応じました。
「わたしも、いい準備運動になったかな。パティと一緒のチームっていうのも新鮮だったし」
できる限りサラリと言い切ってあとは背を向け。こういうときは自分の表情筋がさほど豊かでないことをありがたく思います。
「シナツ、カバンを忘れてるわ」
「え、あ、わ、ごめんありがと」
そもそも顔なんてヘルムで見えないんだったと気付いて大汗。うわーわたし照れてるすごく、と。
「ふふ」
「な、何」
「シナツ、大きくなったのね」
「どこ見て言った今!?」
パティの下げた視線にブレストプレートを腕でかばってあとずさり。
彼女はぱっと目先をそらして手を振ります。
「ち、違うの。そうじゃなくて、えっと……そうかも」
「そうかも!?」
「ううん、その、知らないことがあるってなんだか……そう。シナツにはワタシが知らないチームメイトがいて、見たことのない部分があって、それってとてもステキだなって思って」
耳触りのいい言葉をまぜてもごまかせないっていうか余計にマジっぽさが出て怖いような、と四夏は二の腕をさすり。でも、と。
「そうだね、パティもあんがい人望あるみたいだし?」
軽い口調で言ってみます。でもパティはそんな心の底を見透かしたようにニッと笑って。
「シナツ、妬いてるの?」
「ばか、もう来ないでよ決勝まで」
ダメだ
「シナツ!」
「なにー?」
今度は歩いたまま振り向きません。
「シナツのかみさまはまだそこにいる?」
自然と止まる足。返りみればどこか思いつめたようなパティ。
「……もうわかんないよ! パティは!?」
「ワタシは――」
「――ふざけんなよ、待ておい!」
試合フィールドを囲む観客の間からきこえた覚えのある声に四夏は首をめぐらせます。人垣をかきわけるように消えていったボリュームのある茶色のウェーブヘアにはっとして、四夏はそれを目で追います。
「やっぱりいいわ。ごめんなさい、気にしないで」
「……そう?」
けっきょく言葉をにごしてメンバーと去っていくパティを見送って考えます。
たいして信心深くない自分はいつの間にかそうなっていて、転機らしい転機もなかったけれど。昔あれだけ神様を信じてやまなかったパティにはこの十年でどんな変化があったのだろうと。
帰り道、人ごみをすり抜けながら、足は自然と先の人影を追っていました。
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