4.前夜

 滑らかな白い砂浜、だったもの。

 そこに竜がのたうったような無数のわだちが刻まれています。

 端を踏んだ四夏はぱっと足をひっこめました。


「なにこれぇ、まさか練習跡ぉ……?」


 おっつけて背中にぶつかった杏樹がうめき。

 無数の足跡に何かが引きずられ、転がったような筋。その中心に見覚えのある形がいっそう深く掘り込まれています。

 約5メートル。およそポールアームを装備した騎士同士の間合いが触れ合う距離を全径とする正円は、四夏たちの部活場所にもいつしか自然と出来上がっていたもの。ただし四夏たちのリングが浅い黒土の露出にとどまっていたのに対し、目前にあるのは隕石でも落ちたようなクレーター。柔らかな砂地ということを差し引いても異様な光景でした。


「ひえぇ、どんなトレーニングしたらこんなんなるの」

「……死の行列デス ライン、アーマードスクワット、レスリングスパー……柔道」


 行くあてのない香耶乃の問いに、ぺたりと頬を浜につけた凜が答えます。


「どんな理屈だ、島国育ちは皆そんなマネができるのか?」


 同じ高さへ視線を下ろしたヨンが気味悪げに言いました。凜は意に介さず立ち上がると長い黒髪をかきあげ。


「これはアパッチ・追跡術トラッキングの応用。教わったのは教授プロフェッサーにだし、私の育ちはカリフォルニア」

「うーん一年たっても底知れないなぁ。でも会話できるくらいには打ち解けたみたいで何より何より」


 二人を眺めてしみじみと腕組みした香耶乃の後ろで、呆然としていたウーナと四夏の目があいます。


「……シナツ、わたしね~」


 ざふざふと隣までやってきた彼女は川面をみつめながら。


「もう満足~って思ってたの、さっきまで。初心者が出場できただけでもスゴいことだし~この一年は人生で一番忙しくて楽しかった。でもね~」


 その手がギュッと鎧袋のヒモを握りしめます。


「でも~違うかもって今は思うの。だってわたし焦ってる。勝てるわけないって。まだ負けたくないのに~って。もしかしたらこれがあの日、わたしがうらやんだ人達が見てた景色かもしれないって」


 四夏は半開きの口から抜けかけていたものをぐっと飲み下しました。それはたぶん必勝の覚悟とか優勝したいと皆で言い合ったときの気持ちとかそういうもの。


「だったらまだ立ち止まれない。ここで満足したらきっと同じ戦場に立ったことにはならないから。初心者でも三人チームでも、本気で勝つためにぶつかってみたい。たとえシナツたちと当たることになっても」


 知らず起きかけていた弱気の虫を恥ずかしく思うと同時、それを素直に口にできるウーナをいっそう好ましく感じます。


「そう、だね」


 うなずき、ふり仰いだウーナの横顔はでもやっぱりすこし不安そう。


「わたしも、ウーナたちと当たったら全力で戦う。友達だからって手加減しない」

「友達……わたしたち? 嬉しい~!」

「もふ」


 峡谷をわたる陽の光みたいにあっという間に明るくなった表情は再び胸におさまった四夏にキラキラした眼差しを向けて。


「シナツはきっと勇気にあふれてるのね。こうしてるとわたしまで不安じゃなくなる気がするもの~」

「それは……」


 自分も同じだと四夏は思います。自分とウーナたちは似ていて、だからこそ共に戦場にいることが心強いのだと。たとえ相争う相手だとしても。


「……うん、そうかも。いっぱいあげるね」


 けれど本当のところは言わぬが華と精いっぱい凛々りりしい顔で微笑みました。それがせめてもの先輩らしさだと強がって。

 そうして見上げたウーナの表情。こわばったそれに四夏は一瞬おくれて異変を察知します。

 ぴりりと張り詰めた空気。


「――おいEi


 パラソルの影から次々とわき出てくる武骨なシルエット。遠目にもわかる特徴的なそれはこの惨状の主であろうウクライナチームの面々に違いありません。

 寄せてくる鎧の群れはキズだらけで、これまでくぐってきた場数の多さをものがたるようでもありました。


「っ」


 あとじさった香耶乃をみて四夏は凜へ目くばせします。


「ん」


 頼もしい無表情でうなずいた凛と二人、前衛へ。まるでゲームのパーティのようだとふと思います。

 正面で立ち止まった騎士の一人がトサカつきヘルムを脱ぎました。


「~~~、~~」


 ドングリ目と薄い唇にワシ鼻。白く若々しい肌は彼が四夏たちと同年代であることをうかがわせます。ですが一番の特徴は全面を剃り上げ、頭頂部から長く左前へ垂らした結び髪。


(なんだっけ、見たことある……そうだ、コサック)


 ロシア・ウクライナを起源とする"奔放ほんぽうな番人"。馬賊だった彼らはロシアやポーランドといったキリスト教国の庇護ひごのもと、異教との戦いの最前線へ赴いたといいます。

 のちのウクライナの祖となった彼らにふんしたかのようなその姿はしかし、本来の軽騎兵的イメージとは離れたプレート鎧に覆われています。


「~~、~~~」

「何言ってるか分からない……ロシア語? えいごはわかりますかCan you speak English?」


 香耶乃の問いにリーダーらしいその男はむっつりと考え込みます。ややあって。


「我々は、だ。観光客か?」


 ブツ切りで癖の強い英語が発せられました。正面に立った四夏が応じます。


「わたし達も騎士です」

「……そうか。すまない、気づかなかった。ちーむウクライナ、のアレクサンドル・シュトルーベだ。明日はな試合をしよう」


 片眉を意外そうに上げた青年は友好の手を差し伸べながら後ろへ目くばせ。

 それを受け浜へ散っていく騎士たちが持つのは武器ではありません。


「トンボだ」


 意外そうな杏樹のつぶやきの通り。T字の整地具がすごい勢いで浜のくぼみをならしていくのを四夏たちはぽかんと眺めます。


「剣を振るうことが好きなら、土を埋めることも好きじゃあないとな」


 そこへ残った別の騎士がやってきて言いました。


「ジャマル。お前も仕事を果たせ」

「よく言うぜ、女子と目も合わせられねえクセによ」


 アレクサンドルと同じコサックの髪型に、それよりもぎょろりとした目と太眉が目立つパワーのある顔つき。いかつさの割に不思議と警戒をおこさせない愛嬌のある笑みが、アレクサンドルの肩を抱いたうえでこちらへ向けられます。


「ジャマル・ビーリクだ。よろしくなお嬢さんがた。コイツもジャガイモみたいな見た目だが悪いヤツじゃあないのさ」


 アレクサンドルとは違う、訛りはキツいものの流暢な英語。


はお前だろう」

「ぶふっ」


 一足先にそのやり取りを理解した香耶乃がふきだします。

 ジャマルはしてやったりとばかりにクカカと笑い。


「ほうれみろウケたぞ。だからテレビ取材にもオレが答えればよかったんだ。お前はカタすぎる」


 バシバシと肩を叩かれ、アレクサンドルが物憂げに頭を掻いたとき。


「あのあの~! もしかして~去年も出場してましたか?」


 ウーナが投げた質問に二人はピタリと表情を固まらせます。


「おお、そりゃあな。俺らはこのリーグじゃあ古参だよ。ま、去年からだけどな」

「やっぱり~ネットで予選の動画を見ました! 皆さんすごくカッコよくって~」


 すぐにおどけたジャマルは応じると、両眉を跳ね上げたまま固まったアレクサンドルの肩を強めに小突いて言いました。


「ほぉ、それで憧れてここに? ほうれみろアレク、なにも無駄なことなんかない。オレたちは立派に仕事を果たしたってことだ」

「いえ~あの~わたしが憧れたのは~……」


 マイペースに言いかけたウーナが言葉を区切るのと前後して。アレクサンドルは三度目のパンチでハッと我にかえると彼女を正面にとらえます。


「……いい身体ふぃじかるだ。素養がある。勇気ひとつで戦士になれるだけの」

「え~いえ~そんな、わたしなんて~」


 照れるウーナは体をよじりよじり。それを見たヨンがぴくりと下まぶたを震わせるより早く、アレクサンドルは浜へ歩き出していました。


「我々は今年こそ優勝する。後進に恥じることのない結果を残す。それをもってに報いよう」


 投げだされたトンボを拾いに屈んだその背中へ。何度もためらうウーナの背をマリアがポンと押します。


「わたっわたしたちも、勝ちたいって思ってます~!」


 しぼりだすような戦意表明。四夏は内心で拍手喝さいを送っていました。

 ジャマルはおお、と感心したように。アレクサンドルは変わらずむっつりとした表情でそれを聞き。


「むろん、誰もがそうだろう。だからこそ我々は自らの理想に真摯しんしであるほかない。最後に立っているのは自分だと信じ、信じて、信じ続けた者が勝つ。それが世界だ」


 確固たる宣言にウーナはほう、と息を吐きます。


「じゃあな、勇ましいお嬢さんがた。かなうなら敵に回したくはないもんだが」


 お世辞にしても過ぎた言葉でジャマルが締めくくると、二人は今度こそ川辺へ。

 ヨンがチッと舌打ちしました。


「アイツら、オレを見もしねえ」

「女のコだと思われたんじゃないー?」

「ぶっ倒す……!」

「も~う~、やめてよヨンってば~!」


 マリアに煽られ二人の背中へ噛みつかんばかりの彼をウーナが引っ張り戻します。


「ウーナ! お前もヘラヘラしてんじゃねえ、本当に勝つ気もないくせによくあんな事が言えたな!?」

「な~っ!?」


 彼女の顔にさっと朱が差しました。瞬時にぷぅっと両側へ膨らむ頬。

 そのとき、軽快な電子音が鳴り響きました。


「電話? 野木さんからだ。もしもし…………はい、はい……」


 香耶乃がスマホを耳へ当てると全員が無言モードに。けれどそのわずかな時間にウーナとヨンのあいだを流れる空気は取り返しのつかない緊張をはらんでいくようでした。


(あ、あ、香耶乃、お願いだから空気読んで)

「……分かりました。皆と相談してできるだけ早めに」


 通話を切った香耶乃は首を傾げてその内容を伝えます。


「なんか、取材の人がもう来てるっぽい。急かされてるってワケじゃないけど待たせるのも悪いからって野木さんが」


 顔を見合わせる四夏たち。予定ではこの後もう少しウーナたちと行動を共にする予定でしたが。


「えっと! 私たちのことは気にしないでください」

「でも、」


 ぶんぶんと手を振ったマリアと、睨み合う二人とを四夏は交互に見比べます。

 マリアは手のひらを耳打ちの形にかざして言いました。


「あの二人はまあ、いつもの痴話ゲンカだと思うので」


 それでもやや気重そうにメガネを触った彼女に、四夏たちができる手助けは何も無いように思えます。


「じゃ、お言葉に甘えさせてもらおうか。リーダー、それでいい?」

「あっ? は、はい。そうしましょう。帰ります」


 気遣わしげに二人を見ていた朔が了承すると四夏たちは帰りのバス停へと急ぐことに。

 後ろ髪をひかれる思いだったものの、バスへ乗ってしまえば嫌でも先へと流れる時間に気付きます。


「で、取材って? 何話せばいいの?」


 そう、まだチームとしてやるべきことを一つ済ませただけ。

 混みぎみのシートの間に立つ四夏は同じく立ち組の香耶乃へたずねました。


「ま、本番も近いしゆるーく適当に……なんて言うと思った?」

「はいはい思ってません」


 ウキウキとした香耶乃に反比例してげんなりしていく朔が、今度はどんな無茶をとばかりにため息をついてみせ。


「あっはは、いい心掛け。そんな朔っちゃんに朗報だ。なんと今日の取材はJABL公式アカウントからライブ配信!」

「……って生中継ってことぉ?」

「その通り! フォロワーが一番注目してるこの一夜を逃す手はないってね。インタビュー場所にカフェテラスを予約してあるから帰ったらみんなお化粧ね」

「か、顔出し? なんでそんな重大なこと今まで黙ってたんですか!?」


 抗議する朔に香耶乃はチッチと指を立てると。


「生配信だからって、去年みたく大騒ぎされちゃ困るからね。さっと緊張してさっと試合前テンションに切り替える、そのためのサプライズだよ」

「去年大騒ぎしたのは誰のせいだと!」

「いやぁまあそれはそれ。感謝してるよ本当」


 詰め寄られる香耶乃から目を切って四夏は車窓へとそれを投じます。また大変なことになりそうだなあと思いながら。

 ふいに、ガタンとバスが不穏に揺れた気がして四夏は座席の柱へつかまりました。


 聖サワ大聖堂。バスは小山のようなそのランドマークへ差し掛かったところ。


(あ、れ……?)


 一世紀近い建設期間を経ていまだ未完成という世界最大規模の聖堂。真っ白な壁にひすい色のドーム屋根がいくつも備わったその周囲には、端正な石畳の道と美しいグリーンの芝生が輝いています。


「四夏、どうしたの」


 それはひとかたまりになった二人分の人影でした。聖堂から大通りへいたる参道をこちらへむけて歩いてくる。ひとりは車椅子に腰掛け、もう一人はそれを押して。

 明るすぎる初夏の日差しは個々の印象を曖昧あいまいなものにします。けれど車椅子に座る人影の、深くかぶった麦わら帽子の下。かすかにわかる陰影とこぼれる金髪のきらめきが頭の中でひとつの像を結びかけます。


(パ、ティ?)


 おかまいなしに走り行くバスはすぐにその姿を背面に変えてしまい。あとには車椅子を押すスラリとした青髪の女性だけが四夏の瞳の中で小さくなっていきます。


「四夏」

「あ、うん」


 座席からじとぉっと見上げる凛に生返事。


「なんでもないよ、たぶん気のせい。力みすぎかな、あはは」

「…………そう」

(よく似てた気がするけど、でも)


 去年の動画で繰り返し見た彼女パティとはあまりにも雰囲気が違いすぎた気がして四夏はその妄想を打ち消します。かわりに思い返した本物オリジナル映像イメージはぬるい闘志ともつかぬ心地となって胸の底を浸すのでした。


「いたっ、凛ちゃ、痛い、なに?」


 ジーンズの内ももをデコピンで連打されて我に返ります。


「筋肉のハリのチェック。確かに少し固い」

「え、すごい、そんなことも出来るの?」

「嘘」


 むすんと窓へ視線をはずした凛に四夏は唇をとがらせて。

 

「えいっ」

「ひっ、四夏、首はくすぐったいからダメ……あっ、ふうっん、く」


 おかえしに凛の長い毛先でそのうなじを撫ぜまわしてやると彼女は気持ちいつもより鼻にかかった嬌声をあげて身悶えします。


「そこ! この大変な状況でイチャつかないでください!」

「そうだぁ、あたしはどうせスイーツの感想くらいしか話さないけどっ」


 朔と杏樹からひんしゅくを買って切り上げると凛は残念そうな満足そうな吐息とともに脱力。四夏は頭のもやを払うように一度かぶりを振りました。


「わたし、アイスがいいな。杏樹ちゃんがけさ言ってたやつ」

「あーそれ! いいかもぉ!」

「たしかに、お店はレビュー高得点だし味わう余裕はほしいとこだね」

「なにを呑気な……!」


 小鼻をふくらませた朔がやがて諦めたように肩を落とし。


「いいです、私も食べますから。あとお願いします、先輩がた」

「うんうん、たまには任せときなー」


 鷹揚おうようにうなずく香耶乃をみながらも四夏は、いざとなったらこの二人が流れを作ってしまうんだろうなと思います。頼もしさと嬉しさと、それに恥じない自分でなければという克己心。

 これに似た思いを抱えた騎士が参戦国の数だけいると思うと自分のプレッシャーがちっぽけに思えます。ウーナたちも他のチームの騎士たちもきっと、同じように仲間が誇らしくそれに報いたいのだろうと。ならあとは大きなうねりに身を任せて力を振るうしかないという前向きな諦観。


「わたしも。いつもより喋るから安心して、朔ちゃん」

「本当ですね? ならまあ、アタシも……」


 バスはさっきの揺れが夢だったように平常運転。四夏はにぎりしめたシートの柱をいつのまにか離していました。

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