23.課題
いち早く決着を迎えた四夏は壁ぎわから戦いを見回します。
一番はなれた奥の奥で、蹴り飛ばされた杏樹が壁へ激突しました。
「杏樹ちゃん!」
思わずの叫びがヘルムに大きく反響。
バイザーをかなぐり上げたとき、手前の
「やあーッ!」
朔らしからぬ大きな気声。ギリギリの間合いを保っていた彼女が勢いづいた一歩で踏み込むと、応じてヨコさんは即座に後ろ横へ受け流すステップを刻みます。
きっと今まで
手の内の多くを知りあう中で、いかに相手の予測を越えるかがこの二人の勝敗を分けるかという戦況。
「……っ」
不意に、突進する朔が切っ先を大きく下げました。
西洋鎧にくらべ装甲の薄い下肢が急ブレーキを踏み、
戦術上マイナスになりかねない細かな動きの重なりは、一瞬でも
次の瞬間、朔の身体は宙を駆けあがっていました。
一度は殺したとみせた勢いを再加速、ヨコさんのふみ出された膝を足掛かりに身長差を
虚をつかれたヨコさんが振り払おうとしたときにはもう、その後ろ首に太刀が回されていて。
ぐるんと首を支点に背後をとった朔が遠心力と全体重でその長身を引き倒します。重い西洋鎧ではなしえない
「――
後ろ手をついたヨコさんが天井を仰ぐと。
「……今のアタシは騎士より先にチームリーダーです。戦況をみて時間をかけられないと判断しました」
面頬をはずした朔が汗で光る目の上をぬぐいます。
「なるほど、75点あげよう。あと25点はまあ、俺の負け惜しみぶんってことで」
「負け惜しみ多くないですか?」
「だぁって、剣術で勝負しなかったろーあのフェイントはズルい。俺、
「それはまぁ、すみません」
申し訳なさそうに伏せた顔をあげる途中、こちらを見た朔と四夏の目があいます。四夏がせいいっぱいの笑みで親指を立てて送ると朔はかすかに口端をあげて返しました。
ヨコさんはため息。
「まあいいや。本音を言うと
「ありがとうございます。でも自分で決めたことなので」
肩をすくめるとヨコさんはまだ戦いの続く向こう半面を見やります。
「さて、まさか二人もぬけるとはなあ。あっちは……さすがに厳しいか」
ルームの奥半面は手前から
「――ッ」
「……、……」
凜は
そのとき、杏樹が剣を逆さに持って春山選手へ打ちかかりました。さらにそれをフェイントにタックル。
「おぉっ……あ」
まるでたった今思いついたようなトリックプレーに感嘆をもらしかけた四夏が一番に気付きます。
重心の低い春山選手を倒すには絶好の戦法。たとえ偶然だったとしてもその機転は賞賛すべきもの。けれど。
『――
これはヘビィバトルで、今はダガー等のサブウェポンも装備していません。
『
ルールで定められた二つの敗北条件の一方がマスター・ジョエルから告げられます。
(すごい、自分も戦いながらあそこまで見えてるなんて)
まだ余力を残すマスター・ジョエルの底知れなさに目をみはる四夏。
遅れて春山選手の鎧から顔をあげた杏樹は転がった剣に気付きます。
「ぁ……」
呆然としたその肩を、結局ふみとどまった春山選手が叩きました。
「いや、惜しかったけどね、残念」
マスター・ジョエルはそんな二人に太い眉を下げると首を巡らせます。
「ふむ、頃合いかな。こちらは二人ぬけ、【
悩ましげに腕組みする彼にさしもの香耶乃もおそるおそる声を上げます。
「えーと、それってつまり……」
「とはいえ、だ。勝敗はあくまで材料のひとつ。判断はそれぞれに一任している。瀬戸サンの仕上がりはどうだったかな?」
たずねられたお姉さんは
「……個人的にあまり無茶をしてほしくはないんですが」
言い置いてから四夏をにらんで続けます。
「現時点では及第点です。ライトバトルと同じくセンスもある。これからの練習次第では世界も目指せるでしょう」
その表情がふっと緩むと笑みの形へ。
「私があげられなかったものも手に入れた。いい仲間を持ったね、四夏」
じん、とした痺れが胸の奥からわきあがります。どうして、と思うより先にぽろりと目の端こぼれた一粒を気付かれないうちにさっとぬぐいました。
「ふむ。赤根谷さんはどうかな」
問われ、ヨコさんはうーんと腕を組みました。
「
「ああ、それは大いに考えるべきことだ。ワタシからは、そうだな……」
凜ちゃんを真剣にながめるマスター・ジョエル。その眼差しはどこか
「
「むぅ……ご教示、感謝」
ヘルムも脱がず待機していた凜は無念そうに剣を下ろして頭を下げます。
「
「ですよねー私、
(
あけすけな香耶乃にヒヤリとしつつも、全体的にいい評価だと四夏は感じます。
「さて……」
言葉を区切るマスター・ジョエル。全員の視線が集まる最後のひと組。
「うぅ」
脱いだヘルムを正面に抱えて上気した顔をふせる杏樹はまるで判決を待つ被告人です。
「どうかな、アンブレイカブル。彼女は君から見て」
「そうですねぇ」
太い首肩を回しながら春山選手は思案顔。
「基礎はできつつあるようですけど、それだけです。平均以下の体格は世界はおろかそもそもヘヴィバトルに向いてない」
ぎゅっと隣の杏樹の拳が拾い上げた剣の柄を握りしめます。
「
深くうつむく杏樹。四夏はその評を覆す言葉を探しましたが、もっともだと思ってしまう自分もいて。そもそもどうしてそこまで杏樹が頑張れるのか、根っこの原動力が四夏には分かっていないのでした。
そんな二人を横目でみて、春山選手は咳払い。
「まあ。なんてことを先生がたはボクに言わせたいんでしょうけど」
ニヤリと笑うと肩をすくめます。
「別にだからやめるべきだとかボクは思いませんよ。当人の意思が一番でしょう、こういうのは。JKですよ、立派な大人です」
四夏たちが顔を見合わせる隣で、大人たちはけわしい表情。
野木さんがひときわ険のある声で言いました。
「JKとか言わないでください、真面目な話です。まだ保護者のいる年齢ですよ」
続けマスター・ジョエルも。
「意外だな。誰よりもその厳しさを知るキミだからこそ
どうやら杏樹の合否については審査員の内でもひとつの争点であるらしく。
春山選手はあげたバイザーの隙間から指をつっこむと頭をガリガリとかきます。
「ボクは、ただチビってだけでデカい奴らに負けてやりたくないだけですよ。厳しさなんて実は人に言われるほど感じちゃいない。でなきゃこんなに遊んでません」
けど、と。
つぶれた前髪の隙間から鋭い眼光が杏樹を眺めまわしました。
「もし彼女が世界へ向かうならその難しさは今まで誰も経験したことがないものになる。性別、体格、おそらく性格も。それでも」
杏樹の握る剣の上でその視線は止まります。
「彼女が決めた戦場です。そこに割り込めば騎士の勇気を汚すでしょうよ」
しかつめらしく言ってみずから頷く春山選手に野木さんは渋面。マスター・ジョエルは長く黙り込み、ほかの二人の騎士をも見回してからようやく言葉を発します。
「ふむ……困ったことになった。これで我々は練習後のハンガリーワインを我慢して新たな騎士の遠征費を溜めなくてはならなくなる」
いかにも難しげな仕草のなかで、四夏たちを捉えた片目だけがパチリとウィンク。
「っ、やっっっっっ……」
たぁー!とハイタッチを交わす五人。こらえかねたように四夏へ飛びつき泣き出した杏樹をさすがに誰もとがめません。
マスター・ジョエルへ寄り添った野木さんが念を押すようにたずねました。
「……いいんですね?」
「ああ、我々全員が彼女らを護ると決めた以上、教え授けることは無数にある。日本風にいうなら腹をくくるというやつだ」
答えを受けてその眼鏡の奥が光ると、声を張るように姿勢が正されます。
「それぞれの課題にあわせた特別メニューを組むわ。いつまでも喜んでいないの!」
ぴんと引き締まる四夏たちの表情。
「とりいそぎ親御さんから許可をもらってきて。この誓約書はなんの事故の保障も求めないことを誓うものだけど、
「遠征まではこの五人がそれぞれのコーチよ。部活動での練習もこちらの指示に従ってもらう。いい?」
「あ、赤根谷さんは別な。俺、日本の武術は本命じゃないからさ。
「わかりました」
ということは、と四夏はお姉さんをうかがいます。
試合は勢いで乗り切ったものの今はもう横目でちらちらと様子見する及び腰に。
「どうした、もう逃げ出したくなったかい?」
「そっそんなことない!」
むっと睨んだ先のお姉さんの顔が思いのほか優しくて、四夏は毒気をぬかれます。
「そうだろうとも、あの娘のことを追うならそんな暇はないはずだ」
「ぁ、あの子って」
忘れていましたが世界遠征のビデオはお姉さんも見ているはずで、さらに思いだすなら彼女は昔からけっこうなおせっかいなのでした。
「いや、すまない。そういう思いはみだりに言葉にしないものだ。齢をとると下世話になっていけない」
「別にそれが目的ってわけじゃ! ただ……どうしてあんなことしたのかまだ分からないから……」
そうかいと朗らかに笑うお姉さんをふくれっ面で見あげます。ふと視線を感じ見回すと凜がじっとこちらへ怖い顔をむけていました。
「な、なに?」
「別に」
ぷいとそっぽを向かれまばたき。
「スイマセン、いつものことなんで」
先をうながす香耶乃の言葉も妙にひっかかります。野木さんは首をかしげました。
「チームワークは大切よ。人数の足りない騎士団は現地で
「へー、そういうのアリなんですね」
そういえば先の大会でも複数国騎士による混成チームというのがありました。
というかやっぱり自分たちはまとまりに欠けるのでは、と疑念を新たにする四夏。
「野木サン、あれを」
マスター・ジョエルにうなずくと野木さんは書類バッグからそれをとりだします。
「さて、それはともかく先に言った“準備”の話をしましょうか。トレーニングの次に大変で時間がかかるもの、何だと思う?」
ふだん表情の少ない彼女が微笑して抱える書類に五人の視線が集まります。
朔がはっとして口を開きました。
「ひょっとして鎧ですか?」
「正解。身長140cm台はさすがに練習用しかないから。この際女子用のレンタル鎧を新調しようと思って」
それがどれだけの出費か四夏たちにも漠然と察しがつきます。
昔、騎士の鎧といえば現代で車を買うほどの大出費だったそう。そしてその相場は技術が発達した今でもそう変わっていません。市場規模が小さいため大量生産のラインがなく、結局昔ながらの手作りに頼っているからというのが理由でした。
「もしデザイン選びと採寸サンプルの手伝いをしてくれるなら、できたて一番に貸してあげるけど、どうする?」
「やります!」
身を乗り出した香耶乃を皮切りにカタログに群がる四夏たち。つまりそれは実質、大会用の鎧をあつらえてくれるということ。
夢中で相談するうち大人たちは一人二人と席を外し、最後に残った野木さんに別れを告げてその日はお開きになったのでした。
◇
帰り道。なんとなく自転車に乗るのがもったいなく押して坂を下ります。
「そういえば皆、お願いはした?」
夕暮れのオレンジと藍色の境を見上げた杏樹が振り返ると。
「アタシは昨日家族でしました」
「おーさすが」
察した朔が答えます。
今日は7月8日。昨夜はちょうど笹の節句、七夕だったのでした。
「私はきのうクラブの子らといっしょに書いたかな。お父さんが太い笹をもらってきてさ」
ジャージ姿に首タオルをまいた香耶乃がカラらしい水筒をのぞきこんで言うと。
「クラブの子?」
「最近小さい子むけの体操レッスンを始めたんだ。テレビヒーローのアクションが安全にマネできる、って宣伝したらわりと人気でさ」
見せてくれたスマホの画面にはカラフルなマットを引いた道場で思い思いのポーズを取る七、八人の子供たち。彼らを腕や足にぶら下げて写っているのは前に四夏が着ぐるみで共演した有永さんでした。
「インストラクターを頼んでるんだ。もちろん役者の仕事がないときだけね」
その笑顔がなかなかはまっている気がして四夏は胸にささったトゲがひとつ取れた思いがします。
「陶さんは?」
「……昨日の夜、四夏に誘われていっしょに」
「ほお、へえ、それはそれは良かったじゃん」
顔は笑いながらも不発弾でも見るような目を四夏へ向けてくる香耶乃。
「行ってみたら杏樹のただの思いつきだったってオチがなければ百点だった」
「ヒドくない!? せっかく呼んだのに!」
凛の自転車カゴが四夏のそれに軽く当てらると、逆側の杏樹が吠えたてます。
昨夜マンションのエントランスに小さな笹が立てられているのを見つけた四夏と杏樹は、さよならしたばかりの凛も呼んで短冊をかけたのでした。
「みんな何書いた? あーいいや、言わなくていいけどさ。私はほら、子どもたちの手前フツーなこと書いちゃったんだよね」
どことなく惜しむように香耶乃。
「あーわかります。その場にあった願い事みたいなことですよね」
「そーそー! イヤな大人になってるよねえ私達も」
親しげに肩へ伸ばされた香耶乃の手を朔はひょいとかわします。
「あたしは今日、上手くいきますようにって書いたんだぁ。叶ってよかったぁ」
「年に一度の願いをそんな目先のことに使うの、杏樹って感じがする」
「バカにしてる!?」
哀れっぽく手をさまよわせる香耶乃を横目にみてくすりと笑ってから、隣でやり合う凛と杏樹へ声をかけます。
「じゃあ、今日のファインプレーヤーは
「そうだねえ実際あの
何事もなかったかのように同意した香耶乃に杏樹は。
「ホントに……? あたし全然いいトコなかったし、おまけみたいだったけど……」
小さな唇が開くたびにかげっていく顔色。四夏は強く首をふりました。
「そんなことない! わたし最後の方しか見てないけどすっごく……すっごく杏樹ちゃんって感じだった!」
無我夢中であきらめが悪くて、前へ前へと自分を放り投げていくああいう彼女こそ四夏が昔いだいていたイメージに近いものでした。
「……そう、そうかなぁ? えへへ!」
「現金なやつ」
ふわふわの髪で頬をかくす杏樹に小鼻をならす凛。彼女は細長いバッグに入れた自分の剣を担ぎなおすと物足りなさげにまつ毛を伏せます。
「……これからのことを考えれば、勝っておきたかった。チャンスはあったのに、攻めきれなかった」
一瞬、だれもがその真意をはかりかね。
やがて朔がぽかんと口を開けました。
「まさか。モンアルバンの最高実力者ですよ?」
凜の相手だったマスター・ジョエル。日本にアーマードバトルを持ちこんだ創始者にして唯一のランク:
「歩兵が騎士を倒すこともあるのが戦場。少ない勝機をものにできないと世界では戦えない」
真剣な、というより深刻な様子でつぶやいた彼女から重い空気が広がります。
つづいた杏樹の言葉は五人の誰もが言わずとも抱えていたもの。
「本当に行くんだね……」
「んっん、えへん」
香耶乃が咳払いをしました。
「話は戻るけどさ、まーさか我々の中に七夕にあやかったような浮ついた願いごとをした人はいないよね?」
ぴくっと反応する約数名。
馬鹿ばかしいとばかりにツインテールをかきあげた朔は呆れ顔。
「なにを言うかと思えば。そんな相手いるわけないでしょう」
「どうかなー、ねえ陶さん?」
「…………」
正面を向いたまま自転車を押し続ける凜はとたんに無表情。
香耶乃がにゅっとこちらをのぞきます。
「ねぇ四夏っちゃん?」
「えっ、えっと、なんだっけ、かぐや姫?」
「しらばっくれるな、このっ!」
「あははははは嘘うそ、ないないってば!」
脇に手を差し込まれもだえる四夏。杏樹がぴっと挙手しました。
「センセー、だんまりで逃げようとしてる人がいまーすぅ」
「別に」
平坦な声で否定する凛。
まあマンション組三人はかけた笹が同じです。けれど四夏の知る限り香耶乃が言うような願いごとはなかったはず。
「……四夏と再会できたこと、ありがとうって、それだけ」
昨夜、一番はやく短冊を書きあげた凜の短冊には達筆で“願解御礼”の四文字。意味をたずねればためらいもなくそんなふうに教えてくれたのでした。
「うーん逆に重い! お礼参りみたいになってるじゃん」
「ねー、いちいちマジっぽくて相手に引かれるタイプだよねりんち」
「わ、わたしは嬉しかったよ?」
いつも小突きあっているとはいえそこに杏樹を含めないのは意固地だなあと苦笑したものの。
「四夏、結婚しよ」
「へっ? ――ぅわわっ杏樹ちゃん?」
スッと車体を寄せてきた凜にのけぞった直後、背後から回された杏樹の腕にホールドされます。四夏の腕下あたりへ凜の苛立たしげな顔が向けられたとき。
「三人とも、公道でジャレないでください!」
背後から朔の一喝。四夏を中心とした
「イヒヒッ、まあいーんじゃない。それぞれに見てるものが違うのが私たちらしくてさ」
チリン、とベルが注意をひくように。
「けっきょく自分のためが一番頑張れるんだ。それで五人の進む道の中間点が同じだったら最強じゃん、そういうことだよ」
何かを察したらしい朔があとを継ぎました。
「……焦らずいきましょう。着実に進めば結果はついてきます」
すこしだけ軽くなった胸から抜けていったのは、昂揚感とともに感じていた不安。
足を止めた凜はしゅんとして。
「ん、確かにそれしかない、ごめん」
「凜ちゃん、こういうときはおーってすればいいんだよ」
四夏はぎゅっと拳をかかげてみせました。香耶乃がパチッと目くばせ。
「思いだしたみたいにいいこと言うじゃん」
「失礼な」
「おーっ! えっへへ一番乗りぃ」
小さな拳をいっぱいに突き上げた杏樹にそれぞれが続きます。
「「おーっ」」「お、応?」
そんな様子に目を細める朔はどこか誇らしげ。すぐに表情をひきしめると全員へ向けて言いました。
「スケジュールが変わってもアタシたちはチームです。それぞれの課題をクリアして世界遠征で会いましょう」
「ま、いっても部室や学校じゃ一緒だけどねー」
うなずきあう五人。
噴き上がってこぼれそうだった胸のざわめきは収まっていました。けれどそれは熱さを保ったまま、静かに爆発のときを待つよう。
(わたしの目的と、課題)
もはや誤魔化しようもないそれを四夏は自問します。
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