16.逆風
もはや夏日、といっていいほどの日差しが駅舎へ降りそそいでいます。
ネット配信型テレビ:グミベアTVのスタジオへ向かうため集まった四夏、
「あの人はっ、何をやってるんですか!」
この日はまさに
番組企画が通ってからは次々とやることが湧いてきて、その忙しさといったら世界大会を控えた【
ただひとつ進展がないのはチームメイトの最後の一人が埋まらないことくらいでした。
「電話してみるね」
四夏はスマートホンを取り出します。画面の時刻は午前8時ちょうど。時差もろもろを考えて、本番開始は13時間後の午後9時からになる予定。移動や打ち合わせ、スタジオスタッフさんとの最終チェックも含めたこの出発時間でした。
「もしもし――」
『ごめん四夏っちゃん! ちょっと遅れるっていうかギリギリになるかもしんない!』
「はっ?」
開口一番そういった電話向こうへ四夏は口をぽかんと開け。
『人手がたりなくて……そうだ、四夏っちゃんもバイトしない? 本番には間に合うようにするからさ』
「ふざっ、ふざけないでください!」
「うわ」
スマホの裏面にぴったり耳をつけて聞いていた朔が怒鳴りました。
『ごーめんってば、――あーもー、ちょっとお父さん! ……とにかくタンマ! また連絡するし何だったら先に行ってて、それじゃ!』
切れぎわ、受話器の背後からドタバタと騒がしい音が聞こえた気がしました。
朔がピョンピョンと地面を踏みつけつつ吐き捨てます。
「何ですかアレは!」
「どしたの? かやのん何だって?」
びっくりした様子の杏樹に四夏は首をひねり。
「わかんないけど……トラブルっぽい?」
あいまいに答えます。その割には緊張感があったようななかったような。
「忙しいみたいだった。どうする、連絡待つ?」
「アテになりません、こっちから乗りこみましょう」
「……おぉ」
その発想はなかったと四夏は手を打ちました。
「住所ならお城の名簿のがあります。……なんですかセンパイ」
「ううん、すっかり隊長だなあって」
しみじみして言うと、照れくさそうにそらされる朔の鼻筋。
「いいですから、そういうの。時間おしてるんですよ!」
「あ、うんごめん、行こっか」
◇
はるか遠くの空に灰色の大きな雲がわだかまっていました。
集まったばかりの学園
ホットパンツの上のミニスカートをひらめかせて、立ちこぎしながら朔が叫びました。
「まったくっあの人はっ自分の役割を分かってるんですかっ?」
後に続く杏樹がおそるおそる訊ねます。
「もし、だよ。かやのんが来れなかったらどうなるの?」
透けるレース地のワンピースは長袖で、いくら薄手とはいえ今は少し暑そう。
「そんなの……」
四夏はつばの丸いペーパー帽子の下で眉をしかめました。パッと想像した限りでも問題が山のように増えるのは間違いありません。
「どうもこうもないですよ。同時翻訳ができない以上、企画が倒れます。センパイたち、英語は?」
「あ、あたしはいつも欠点ギリギリぃ」
「わたしもリスニングはちょっと……」
「っ、だからあの人を信用するのはイヤだったんです!」
朔がガシャガシャとでたらめにペダルをこいで先行しました。四夏も慌ててペースをあげ。
「ね、朔ちゃんてさ、香耶乃と何かあったの?」
「……別に、」
聞くと朔はちょっと後ろめたげに口ごもるとサドルへ腰をおろします。
「あの人、会ってから今までずっと態度が変わらないんですよ。普通ちょっとしたらくだけるじゃないですか、少しくらい」
「そう、かな。結構ユルくなってると思うけど」
むしろ気安さはすでにそうそう見かけないレベルじゃないかと四夏は思います。
「違います。最初からああなんですよ。遠慮なしで、一方的にこっちの都合だけ引き出してペースにのせて。セールスの手口です」
言われてみればセールスかどうかはともかく、香耶乃の物言いはファーストコンタクトからそう変わっていない気がしました。人の思考を先回りするような、その上で自分にとって望ましい道以外を
「でもでも、それがかやのんの性格なんじゃない? オンとオフが一緒っていうか」
「そう、でしょうか……アタシには何か、ずっと一線を引かれているような気がして」
それきり朔は顔を前へ向けてしまいます。口を閉ざした杏樹が「ぁ」と小さく声を漏らしました。
「なに、どうかした?」
「んーん、えへ、そう言えばね。こんな時に言うのもアレだけどさ。近いうちにちょっと良い事があるかもよ?」
珍しく煙に巻くような言い方に四夏はいよいよ首をかしげます。
◇
「ここ……?」
住所に従ってたどり着いたのは横に広いプレハブの平屋でした。
【崎田
木の看板が、ひしめく住宅地に間借りするかのごとく遠慮がちにかかっていました。
「場所はここですね。マップにはアクション事務所で登録されてるみたいですが」
「アクション事務所……?」
ピンとこない様子の杏樹。四夏はおぼろな知識をたぐりよせます。
「ええっと、ジャッキーとかセガールとか? 日本だと時代劇でチャンバラしたりする役者さんのいるところ、かな?」
「芸能人? すごい!」
「そういえば……」
朔が思いだしたようにつぶやいたのに目をやると。
「いえ、最初に三木田先輩の剣に感じた違和感は、ひょっとすると時代劇の
そんなふうにひとり納得しています。
その時。
「――黙れえぇっ!」
ドシンと
轟音に杏樹が首をすくめ。
「ひゃっ」
(あれ、あの人……)
その隣で四夏は、どこか見覚えのある
「ぬううっ!」
つるりと剃られたスキンヘッド、石仏のごとき顔の彫りの奥には黒々とした丸い目が光っています。
「どおしたぁっ、お前の
のしのしと岩のような体躯がドアへ再びとびこむと、もみあうような喧噪が響きます。
ややあって、細くひき締まったスタイルの若者が投げ出されました。
「ぐわあ……っ!」
べしゃりとボロクズのように這いつくばる青年。年齢なら23、4くらいでしょうか。その手が土をつかむとやがて力なく投げ出されます。
「ちくしょう、やめてやるぅこんな事務所!」
ひとまず門の陰から様子をうかがう四夏たち。鬼気迫る空気に飛びこんでいけるほどのメンタルはそれこそ香耶乃くらいしか持ち合わせていません。
顔をあげた青年がしぼり出すように訴えました。
「アンタのしごきはもう沢山だ、いいかげん着ぐるみ以外の仕事を回してくれ! じゃないと――」
「馬鹿野郎があッ!」
追って敷居をまたいだ巨躯が仁王立ちになってその文句をハネ返します。
そして
「立ってる舞台が役者のすべてだろうがッ!」
「うっ……!」
堂々としたオーラに圧倒され言葉につまる青年。
四夏は巨漢の顔つきと雰囲気に、さっき抱いた
(あっ、あのときの時代劇の――?)
『月刊マッチ』編集部で香耶乃が目をうばわれていたテレビ番組。そのなかで撃剣の中心を担っていた役者。ちょんまげでも着流しでもない黒のタンクトップ姿ではあるものの
「お前は何に
睨み伏せる巨漢の問いに青年は口をとがらせます。
「そ、それは当然っアンタ――」
「自分の力の無さにじゃあないのかあッ!」
「ううぅ……っ?」
動揺し言葉に詰まったところを、文字どおり
「間違えるなッ! お前の
「う、た、確かに……」
ふらふらとうなだれる青年。
巨漢はフ、と笑うと次の瞬間、鬼の
「立てえっ! もっと
「お、押忍!」
弾かれたように直立の姿勢を取る青年。
「全力で着ぐるみしてみろっ! その先にお前の演技魂が宿るんだあっ!」
「ぉ押忍うぅ!」
青年は目が覚めたような、あるいは何かに
「よし、まずは掃除からだ、行け」
「押忍、お……え、あ……」
こんどこそ夢から
「どぉしたあ! 男がいちど受け取った仕事を放りだすつもりかあッッ!」
「くっ……う、う、ちくしょうぁああ!」
どやしつけられ悔しげな絶叫とともに建屋へ飛びこんでいきます。
腕組みをしてそれを見送った巨漢が、四夏たちが隠れた門をのぞきこんで言いました。
「さて、キミたちはレッスン希望かな?」
「いっ、え、あの」
ささっと
あとずさったとき、建屋の脇から声がしました。
「お父さん、私の知り合いだから」
白黒のボーダーシャツにだぼっとしたスウェットパンツ。顔をのぞかせた香耶乃はきまり悪そうにたたずんでいます。
(お父さん!?)
ニカリと破顔した巨漢は、
「おっとそうか! いやあ、香耶乃がいつもお世話になってます!」
そう三人へ会釈すると、寄ってきた香耶乃に押されるように建物内へ戻っていきました。
サンダルをつっかけた香耶乃は、四夏たちの数メートル手前で気まずそうに歩調を緩めます。
「ゴメンねー来させちゃって。見ての通りちょっと立て込んでてさ……」
「状況を説明してください」
珍しく歯切れの悪い香耶乃に朔がずばり切りこみ。
「大丈夫、なにか力になれる?」
その性急さを緩和するように杏樹が言い添えました。
香耶乃は四夏のほうを一瞬みて、
「あー……そうだね、こうなった以上みんなに言っとこうか」
くるりと踵を返します。
◇
平屋の入り口をくぐるとすぐ、リノリウム床のトレーニングルームがありました。
ちらばって置かれたウェイトマシーンと、全身を写すような大鏡。汗と消毒液と除臭剤のまじったにおい。
さらに奥へ続くらしいドアへ向かう香耶乃はいまだ口を閉ざしたままです。
明かりが消え静まり返った部屋がすこし不気味で、四夏は声を上げました。
「す、すごく強そうなお父さんだね?」
「んー? ひひ、まぁ腐っても元レスラーで役者だからね」
憎まれ口はけれどどこか誇らしそう。
「あ、この前テレビで観た、よね?」
「あれねー、そうそう。ウォーロック
敷居をまたいだ先にはまた広間。こちらは道場じみた板張りで、正面には四夏も顔くらいは知っている俳優の肖像が大きな
「んで今は後進を育てるために……なんて聞こえはいいけど、それ以外にしたいことがないから役者のタマゴを養成するプロダクションをやってるってわけ」
板の間ではさっきの青年がぶつくさ言いながらモップがけに励んでいます。お辞儀をして道場を横切る香耶乃。
さらに話を広げようとした四夏の
「お
「あー、まあそうなるよねえ……」
ここまでと違い生活感のある狭い廊下。観念した口ぶりの香耶乃は前髪をそっと耳の方へよけました。
「電話でも言ったけど、人がいないんだよね今。たとえば今日ウチの事務所から四人回すスケジュールなんだけど、じっさい行ってくれそうなのは今いた
有永、というのは先の青年の名前でしょうか。
「それで香耶乃が?」
そ、と香耶乃はうなずくと出てすぐ右のドアを開けます。中はソファにガラステーブル、飾り棚ばかりの小さな応接室のようでした。
「依頼に穴開けるわけにもいかないからさ。いちおう私も
四夏はふと、香耶乃のカバンに入っていたノートのことを思い出しました。『スーツアクター』と題された使い込まれたもの。そして最近彼女がしていた電話の内容もようやく
「何でそんなことになってるんです?」
怒るというより理解に苦しむ表情の朔らにソファをすすめてから、自分も対面へ腰掛ける香耶乃。その視線が今しがたやってきた方角へ向けられます。
「所属してる役者さんから、所長が前時代的すぎてついていけないって言われててさー。実際そうだから何にも言えないでやんの、参った」
「ボイコットってこと、それ?」
「まーそうだねー。ウチとしてもざっくり会計でやってきた手前、契約だなんだって強くも出られなくて」
たははと杏樹へ苦笑したその時、朔がテーブルに手を置いて身を乗り出します。
「
むすっとしているものの覚悟のきまった眼差し。香耶乃はそれを手のひらでさえぎった上であさっての方向を見て言います。
「いやー……そんな訳にもいかないでしょ。朔っちゃんにはもっと大事な
「っ何ですかその言い方……! チーム全体のことでしょう!?」
「だからごめんねってば。四夏っちゃんさえ借してもらえたら何とか片づけて合流するからそれまで――っ?」
バン、とテーブルの天板が鳴り。両手をついた朔が香耶乃の目と鼻の先まで顔を近づけていました。
「先輩っやっぱり本気でやってないでしょう!?」
「……? わかんないな、どういう意味?」
火の出るような眼光に、対する香耶乃は静かな口調で問い返し。
「私だって予定通りになるもんならそうしたいけど。どうしたって家のことは優先になっちゃうよ。まだ学生で未成年なんだからさ」
「そうですけど、そういうことじゃ……」
四夏には朔の気持ちが分かるような気がしました。
話を聞けば聞くほど香耶乃の底が見えません。焦ってしかるべき状況なのに妙に落ち着いていて、まるで薄いカーテン越しに話しているよう。
「朔っちゃんだってこんなことで貴重な時間をムダにしてる場合じゃないでしょ?」
「はあー!? そのこんなことでチームの活動をないがしろにしてる人の言うことですか!」
「私は当事者なんだからしょうがないじゃん」
「ふ、二人ともぉ、落ち着いてぇ」
そのうえ噛みあわない会話の歯車はじょじょに
「どうしてそんな冷静なんですか! なんとかするって、万に一つでも先輩がいなきゃ企画倒れですよ!?」
「倒れたら倒れたで立て直せばいいんだよ、心配しなくていいって」
「――っ!」
ぶわっと朔のまつ毛が天を向き、小鼻がふくれあがります。
「二人ともストップ!」
とっさに四夏は腕を割り込ませていました。
「ふぐ」
「四夏っちゃん?」
前に出ようとした朔が鼻先をはばまれてうめき、のけぞった香耶乃がさりげなく座り直します。
「ええっと、わたしが手伝えば解決、なんだよね? だったら、」
「もうそういう次元の話じゃありません、チームとしての自覚の話です!」
完全に噴きあがってしまった朔をどう抑えるべきか、四夏は頭をひねり。
「む、難しい言葉しってるね?」
「馬鹿にしてるんですかっ!?」
噛みつかんばかりの距離へ詰め寄られて、香耶乃に目で助けを求めます。
(分かんないよ、なんとかして!)
「ぷ……くっ……はぁー」
受けて香耶乃は小さくふきだすと前髪をくしゃり。すとんと両肩の力を抜いて目を開きます。
「あれでしょ、朔っちゃんはこう言いたいわけだ。メンバーの問題はチームの問題。全員で共有して解決する。それがチームの
「…………」
四夏に抑えられたかっこうの朔は黙ったまま。けれど反論しないところをみればそう外れてもいないよう。
「いいリーダーシップだと思うよ。でもたとえばそこの、四夏っちゃんなんかは余計なこと考えさせない方がパフォーマンスがいいじゃない。わざわざ悩ませるより適材適所、自分の役目に集中してもらう方が効率がいいと思わない?」
さとす香耶乃に、けれど朔はなぜか勝ち誇った笑みを浮かべると。
「思いませんね、瀬戸センパイはこれでも一応考えて動いてるんですよ!」
(トゲがあるなぁ)
間に入ったとはいえ、
「たとえの話だよ。義理とか連帯感とか、そういう
香耶乃の視線が一瞬ドアの外、道場の方へ流れます。派手にバケツが転んだような音が遠く聞こえました。
「そんなっ……そんなのはチームじゃありません。セールスです!」
「セールス? あぁ、まあそうだね、
わきの下から飛び抜けようとする朔を四夏は抱え込みます。ぎゅう、という呻きを聞き流してふりむくと、ひと睨み。
「かーやーのぉ」
「んえぇー? わっかんないよ、若いコの怒るポイントはさぁ」
珍しく本当に弱った様子でガリガリと頭をかく香耶乃。
小脇にかかえた朔の横腹を
「セールスでもビジネスでもいいから、とりあえず作戦。それをわたしは信用するから。香耶乃はチームの軍師で、ここまできたのもそのおかげだと思ってるし」
ヒートアップした朔をなだめるつもりで言うと、香耶乃がスッと真剣な表情へ変化します。
「『肩書き』と『実績』ね。その信用には応えるよ。けど、実績に関しちゃまだ全然だ」
口は苦笑に歪めつつも
「そうです! それにこれまでアピールしてきたことだって、
「難しい言葉しってるねぇ」
香耶乃はすぐに両手を広げて降参の構え。こうなると
「まぁ、だからこそさ。このチーム相手にそういうのはナシにしたいんだよ。きっと長い付き合いになるだろうから」
そう付け加えると抱えられた朔の頭に手をのせます。噛みつかれる前に立ちあがると、すれ違いざまに四夏の肩を抱き。
「……ごめん、私もちょっと慌ててた」
「ん……」
耳元で囁かれた言葉に四夏は小さくうなずくことで応えます。
ふいに、応接間のドアがノックされました。
「香耶乃ちゃん、ちょっと……」
聞こえたのは青年、有永の声。
彼は扉を開けた香耶乃と入り口で二言三言やりとりします。その途中。
「――ズレ込んだ、ってステージが?」
香耶乃の深刻な声で、それだけが四夏の耳にはっきりと届きました。
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