5.軍師

 俊直たち三人組とのいさかいに割り込んだヨコさんに招かれて、本棟二階へやってきました。

 個人戦デュエルリングの上に位置するそこは受付や応接室、ショップ等を併設したマルチスペース。他にも事務などレッスン以外のすべてを担う施設です。

 あめ色の木のテーブルにパッチワーク柄のソファ。本棚にはなかなかお目に掛かれない西洋の武術書や歴史書、騎士道物語までがぎっしり。


「うーわ何ここ、ゲームじゃん。ギルド?」


 ショップスペースに所狭しと並んだ鎧や武器、中世風の洋服等を見回して香耶乃かやのが圧倒されたようにこぼします。


「アタシ、ちょっと失礼します」


 と、スマホを手に部屋の外へ出たさくのぶんまで、机にティーカップを並べてヨコさんは微笑みました。


「何はともあれおかえり四夏ちゃん。また来てくれて嬉しいよ」

「えと、ありがとうございます?」


 妙に歓迎ムードなのが逆に落ち着かず四夏は恐縮して頭をさげます。お尻の下で沈んだソファは懐かしい匂いがしました。

 きょろきょろとなかなか座らない香耶乃に「よければ好きに見て」と勧めたあと、二人になったテーブルでヨコさんは給湯ポットをのぞきます。


「実を言うとね、けっこうな反省点なんだ。四夏ちゃんをやめさせちゃったのは」

「え?」


 それはつまり「逃がさなければよかった」とかそういう話かと四夏は座ったまま腰を引き気味に。

 けれどヨコさんはガラスのティーポットを準備する手を一瞬とめただけで続けました。


「剣才も志もあった君に重荷おもにを背負わせすぎた。あの年頃の子どもに、大人からの期待なんてほんの少しで十分なのに」


 ポットの底へティーバッグが入れられます。隣でコポコポと沸騰した音をたてはじめる給湯器。


「皆、君にはとくに厳しく指導をしていたと思う。そのうえ毎度取材に付き合わせたりね」

「そう、でしたっけ」


 あまり覚えていません。というよりやめたのはほぼほぼ四夏の都合です。

 この空気でそれを言おうか言うまいか迷った四夏。ですが。


「騎士道精神を教えると言いながら、上辺うわべを守らせるだけで本質を伝えることをしなかった」

「……本質?」


 続く言葉が気になってつい聞き返します。

 ヨコさんは再度手をとめて告げました。


損得そんとくを越えて善をなそうとするとき、その後ろ盾となるもの」


 その言葉の意味がすぐにはのみこめず、四夏は何度か頭のなかで繰り返し。

 ガラスのポットに満をして熱いお湯が注がれ、茶葉色のグラデーションがくるくると吹き上がるように広がっていきます。


「騎士道を守った結果、善いことをするんじゃなくて、ですか?」


 ようやく感じた違和感を口にするとヨコさんはうなずきました。


「もともと道で人の心は縛れない。強制力もないしね」


 ティーバッグがその紐を引かれ、熱湯の中をあちらこちらとさまよいます。


「理屈をこえた献身の心がうまれたとき、それが合理や損得に駆逐くちくされないための大義名分として騎士道はある。そういう見方もできると俺は思う」


 ふたたび四夏が考え込むうちに、ヨコさんはそっとポットのフタをのぞいて。

 茶葉を引き上げたあと、中身をカップに回し注いでいきます。

 ふわりとそれまでポットの内にこもっていた紅茶色の香りが一気に場を満たしました。


「……それ、建前っていうんじゃ」

「ハハハ、まあね! もちろんこんなこと子どもたちには教えないさ。ただ、四夏ちゃんには必要だったかもしれないと心残りだったんだ」


 ヨコさんは懐かしむように目を細めて。


「君は正しく騎士見習スクワイアだった。その上で言うけれど、騎士道なんて格好つけたい時と誰かを助けたいときにだけ思いだせばいい。少なくとも聖人じゃない俺はそう思ってるよ」


 その言葉が胸に落ちるにしたがって四夏はなんとなく肩が軽くなったように感じました。

 ずっと知らずに背負っていた荷物に羽が生えたような。

 ガチャンと背後からドアが閉まる音。


「そういうヨコ先生は『博愛』の徳ばかりを発揮しすぎだと思いますけどね」


 戻ってきた朔は二割増でツンとした様子で。


「そもそも男子が調子に乗ってるのも、先生が女子の修羅場から逃げて男子の練習ばっかり見てるからじゃないですか」


 非難がましくヨコさんをじろり。

 四夏もそれにならうと、彼は慌てたように手を振って否定します。


「いやいや、それは語弊があるよね赤根谷さん。あれは俺が教えると集中できないみたいだから代わってもらっただけで」

「結果的に何人かの女子のストレスがマックスで空気がド重いんですよ。好かれたんなら責任持ってください」


 どうやら痴情のもつれのよう。いつの時代もあの年頃にはそういういさかいが尽きないのだなあとしみじみ思う四夏。

 何かを嗅ぎつけたかちょうどショップコーナーから戻ってきた香耶乃も加わって、ヨコさんを囲む形に。


「俺からは何もしてないんだって、ただちょっと顔がいいだけで」


 うつむいて顔を両手で覆ったヨコさんに。


「うわあ」

「うっわ」

「寝言ですか? 起きてください」


 四夏はドン引き、香耶乃はスマホをカツカツ、朔は飲んだ紅茶に視線を落としたまま毒づきます。


「キッツイな!? 冗談だよ! 俺だって参ってるんだ」


 立ちあがったヨコさんは逃げるように席を離れつつ頭をかきました。


「まぁ、俊直トシたち三人にはまた言っとく。聞くかどうかは微妙だけど……ぁージェネレーションギャップだなー」


 それは怒りというより自分の至らなさを嘆くふうでもあり。


「悪い奴らじゃないんだよ。ただ個人主義っていうか、ジム通ってるのに近い感覚なのかな。自分以外に関心がない」

「だからって設備を我が物顔で独占していい理由になりません。ああいうのは相手の土俵で思い知らせないと分からないんですよ」


 憤然とソファに沈みながら朔。

 四夏の隣に腰掛けた香耶乃がたずねます。


「それで、朔っちゃんはどうだったの。したんでしょ電話?」


 受けて、朔は膝の上で手を握りました。


「山村さんは……怪我とかは大したことないらしいです。でも、大会に出るのは……」


 さっきの電話はどうやら上級生に打ちのめされた友達へのものだったよう。四夏は言われるまで思い至りませんでしたが。


「そっかぁ。じゃあさ、私じゃダメかな、三人目」

「は」


 軽い調子で口にした香耶乃にぎょっとして四夏は見返します。


「いやー見てたらなんか面白そうだなって」


 香耶乃は再度ぐるっと部屋を見渡して。テヘッと照れたように小首を傾げるとウェーブしたサイドテールが肩に。


「……お気持ちはありがたいですが、そんな軽いノリでやれるものでも」


 朔がやや慎重に返すと、即座に丸眼鏡の奥の目が細まります。


「そうかな、朔っちゃん的にポイント高いんじゃない? さっきの試合を見てまだ面白いなんて言えるのはさ」

「む……」


 考え込むように口をつぐむ朔。


「こういう道場でまあまあ流行ってて、それでも外部に助っ人ってそういうことでしょ?」


 いまいち話が読めない四夏はたずねます。


「えっと、どういうこと?」

「なまじ競技事情を知ってる人間ほどやろうと思わないようなことをしたいんだ。じゃなきゃ人材は内輪にいくらでもいる」


 香耶乃はスマホを何度かフリックするとその画面を突き出しました。

 表示されているのは明らかに機械翻訳された海外のニュースサイト。


「今から二年前、アメリカから女性だけの騎士チームが大会に出場して世界をおどろかせた。これの後追いをしたいんだ、違う?」

「っ、どうしてそこまで」


 振ってわいたような話に、けれど朔は息を呑んで目を見開きます。

 何でもないふうに香耶乃。


「依頼じゃ女の子を希望ってハナシだったけど【BLADE!】に男女の別はない。というより女性の出場がわずかだ。なら見てるのはその先かなって」


 朔は感心を隠すように紅茶をのみほすと、一息ついてから答えました。


「半分は正解です。でも一番はさっき言った通り、思い知らせるため」


 義憤に寄せられる小さなひたい


「下級生で女子、そういう分かりやすい記号を並べて実力で殴れば傲慢ごうまんな先輩がたも普段の行いを省みざるを得ないでしょうから」

「そのためなら三人中一人は素人でも構わないって? 大した自信だねぇ」


 面白がるような香耶乃にもその表情を保ったまま。


「自信なんて……ないですよ。でも結局ナメられてるなら見返すしか根本的な解決法ないですから」


 あぁ、こういう子だったなぁと四夏は懐かしく思います。四夏なら安易に流れてしまいそうなところをハードモードで突っ切る気真面目さ。

 だからこそ放っておけないというか、人が慕って集まるのかなとも。


「んーいいねぇカッコいい! そういう強いコ好きだなぁお姉さんは」

「何ですか急に、おだてたって……。一応ききますが武道経験は」


 すでに親しげな香耶乃から身体を引いて、じっと値踏みするようにその目をのぞく朔。


竹光たけみつなら振ったことあるよ。ヤットゥって」

「……どういう人なんですか?」


 困惑したように振られて、四夏は苦笑いしました。


「あ、はは、ゴメンあたしもよく分かってなくて」


 部活のたぐいには入っておらず、もっぱら人脈作りとバイトなどの校外活動に走り回っている印象。

 当の香耶乃はさらに身を乗り出します。


「それに世界大会は五人で1チームでしょ。頭数は必要だし、もし後からその友達が戻ってきてもまだ余裕がある。どう?」

「……本気ですか? 男子との体格差や、親の許可をとる難しさもあります。あなたの目的は?」


 じぃっと細められる朔の目をまっすぐに見返して香耶乃は。


「マネジメントがしたいんだよ。大きな目標を設定して、人を動かして達成した経験が欲しいの」


 魔女のごとく裂けあがった口から、何かを期待するように。


「つまり軍師だ。きみは私が苦手かもしれないけど、そういう相手を使うのも人徳だよ、隊長さん?」


 長い腕を握手の形に差し出して提案しました。


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