10.代理決闘

 マンション前の小さな公園は、夕闇のなごりで薄暗さを保っていました。

 二人が足を踏み入れたのと前後して、時間式の街灯が白々とその空間を照らします。角のないすべり台、砂場、ベンチ。


「ルールはどうする?」


 車からおろした自前の防具を着けながらお姉さんが問います。


「ビギナー・カウンテッドブロウズ」

「いつもと同じだね。よし」


 四夏の答えにうなずくとロングソードを手に取りました。

 格闘なし、ヒット位置によるポイント差なしの3ポイント制。

 互いにストレッチをして開けた場所へ。


「本当にいいのかい。今ならまだ私はキミの剣、恭一郎さんはキミの父親だ。その立場から願う限りすべての望みは叶うだろう」


 軽々かるがると数回の素振りをしたお姉さんが念押しします。

 四夏は迷うも、でもそれでは一番の願いが叶わないと頭を振りました。


「わたしはもう、あなたの特別でいたくない」


 本気で嫌がれば二人とも聞いてくれるでしょう。でもそれではワガママを通しただけ。


「今のままじゃ本当のトクベツにはなれないから」


 朔のうらみ言がよみがえります。四夏は本当に大切にされていて。でもだからこそお姉さんからは遠いと四夏は感じていました。


「あなたのこと全部知りたい。嫌なことも、苦しいことも、これまでわたしに隠してたことぜんぶ」


 自主トレのとき不意にみせる苦い表情の意味も、本当に喜んだときのどうしていいか分からないような顔の奥も。

 先生と生徒のような今の関係に満足していないかと言えば否です。でもこのままではいつか四夏が大きくなったとき、ふっとお姉さんが離れていってしまうような気がするのでした。


「今度はわたしがあなたを守るから」


 そうするのが一番早いと思いました。それだけの力もつけてきたつもりです。

 お姉さんはとっさに顔の焼き網バーグリルを押し上げ、やがて気がつくとヘルムを脱いで目元をぬぐいました。


「……光陰こういん矢のごとし、か」


 しばらくそうして、やがて上げられた眼差しに四夏はひるみます。

 燃えるような怒りの瞳でした。


「ひどい思い上がりもあったものだ。誰がそんなことをキミに求めた?」


 固く突き放すような口調にかすかな違和感を覚えたものの、それどころではありません。

 今まで見たこともないお姉さんの表情に、一線を越えてしまった予感をビシビシと感じます。思わず四夏は後ずさりました。


「気持ちが固いなら仕方ない。私は自身の心を賭けて仕合おう。四夏には悪いが私にも譲れないものがある」


 ヘルムをかぶり直しロングソードを構えるお姉さん。もはや言葉を交わす意思はない、とその全身が主張しているよう。

 けれど覚悟を決めているのは四夏も同じ。


「マイレディ!」

「ま、マイレディ――いっ!?」


 スパァン! と。

 応じた瞬間、四夏は脳天を打たれていました。

 腕を真っ直ぐにリーチを極限まで活かしたお姉さんの打ち。身長差で上段の防御すら越えてくる、特訓では使うことのなかった技。


「……まず1ポイントだ。どうした、そんな実力で何を守る?」


 知らず圧倒されていた自分にはっとして四夏は構え直します。こんな気組みでは何のための決闘か分かりません。

 高速の踏み込みを待つのは不利。ぶつかるくらいの気持ちで前に出た四夏は、速度重視の切り付けを面に。

 お互い微妙にタイミングを外れた剣はその中心でまっこうからカチ合いました。


(バインド――)


 四夏の得意なパターン。最近はこれで三本に一本は勝っています。

 剣の【重さ】を逆転させる間もあたえずその切っ先がお姉さんの胸へ向けられました。四夏が無意識に使ってきた【巻き】と呼ばれるバインドの基本。

 蛇のようにふところへ潜り込む切っ先。とった、と思った瞬間、お姉さんの剣が視線の端で円を描きます。


「っ!」


 【巻き突き】への【巻き】返し。押しらされた剣をもういちど回り込ませるカウンター。もしこのまま突きに行けば四夏の剣は外側に逸れ、逆に内にあるお姉さんの剣に刺されることになるでしょう。


(させない……っ)


 内へ回った剣を強引に押し下げます。『かたい』防御。

 ふっとその重みが消失しました。


(【はたき切り】――!)


 こちらの対処を読み切ったような切り返しに四夏もまた即座に反応しました。逆面を襲う打ちこみを上段上向【屋根】の構えで防御。

 振り下ろせば届く距離にお姉さんの面があります。防いだ彼女の剣は当然に外側にあり。

 四夏が面を打とうとしたのと同時、今度はお姉さんのつかが弧を描いていました。


(柄頭の【巻き】――!?)


 切っ先はどうあっても間に合わないと判断したのでしょう。斬撃の下をくぐるように回り込んだ柄頭ポンメルが四夏の目前へ振り上げられ。


「おおおッ!」


 さながらくい打ちのごとき打撃が四夏の手首を襲います。同時、刃部分が四夏の肩から胸へめりこんでいました。

 気付けば空をきっている四夏の剣。


「2ポイント。すまない、もう終わってしまうな」

「……今まで手加減してたの?」


 感じたこともないプレッシャーと、何をしても先を行かれる予感に呆然としてたずねます。

 お姉さんはその気声とは裏腹に湖面のような眼差しで答えました。


「いいや。今が本気以上なだけさ。なんせ必勝しなければいけない。普通の精神では無理だ」


 剣のことわり以外をそぎ落とした無の境地。

 その奥にあるはがねの克己心のみなもとを思い、抑えきれない思いが四夏の口をついて出ます。


「そんな……そんなにっお父さんと結婚したいのっ? どこがいいの? オジサンだし、運動オンチだし、面倒くさがりだしっ、ひげが痛いし、それから……!」


 思いつく限りの悪口に、お姉さんは呆気にとられたように剣先をおろし。

 やがてくつくつと肩をゆらして焼き網バーグリルをさわると穏やかな声で言いました。


「確かにね。けれど四夏のことを大事に思っているだろう、だからかな」


 意外な答え。でもたったいま剣をかわした相手は確かにお姉さんだと再確認できる答え。


「優しくて繊細せんさいで、不器用で損ばかりする人だと思った。だから私が守りたいと思った」


 燃え上がる闘志とあたたかな愛情。太陽みたいなそのありかたに四夏はよく似た二人を思い浮かべます。

 ひとりはパティ。そして二人目はかつて何度も夢に描いた騎士ブラダマンテ。

 かの女騎士もまたさまざまな冒険と苦難をその剣で切り開き続けた勇士でした。ひとえにそれは、はじめ戦場で敵として出会った最愛の男性のため。


「キミはどうかな四夏。誰かの特別になりたいから守る、というのでは順序が違いはしないかい」

「それ、は」


 指摘されきゅうっと胸が冷たくなりました。

 否定しようとすればするほどそれを軽蔑けいべつの目で見つめる自分に気がつきます。妄想的な愛を噴き上げ美姫のあとを追い続けた『狂えるオルランド』。そんな恋をのろいだと断じたかつての四夏。


「見返りを求めるのは真の慈愛ではない。あまつさえそれを決闘で得ようと? 独善どくぜんが過ぎるぞ。そんな剣を髪の毛一本にすら触れさせるわけにはいかない」

「違う! ちがう、ちが……っ」


 がむしゃらに頭を振る四夏へ、お姉さんが剣を振りかぶります。

 足がすくんだように動きませんでした。とっさに頭をかばい屈みこみます。

 ややあって腕に軽くあてられるプラスチックソード。おそるおそる目を開ければ焼き網バーグリルの向こうにお姉さんの静かな瞳がありました。


「分かっているさ。四夏くらいの年頃にはよくある、大人ですらときにはまってしまうあやまちだ。もちろん私もね」


 剣を下ろした彼女は屈みこんで苦笑。大きな掌が四夏のヘルムにのせられます。


あやまちは気付いた大人が正さなければいけない。四夏にとってのその役目を私が担えたのはほまれだ」


 遠く聞こえる車の音。夏虫の声やコウモリの羽ばたき。同時に緊張の糸が切れたように遠くなる意識。

 お姉さんはふらついた四夏をそっと支えて。


「私はキミに守られるつもりはないよ、四夏」


 諭すように告げました。





 出発の準備をするというお姉さんを見送り、お父さんとも言葉少なに話した後。

 まずは汗を流しなさいと言われ、お風呂へ。


(落ち着く……)


 いつもは早風呂で友達にも驚かれる四夏ですが、今日ばかりはいつまでも湯船に浸かっていたい気分でした。

 自分をむしばんでいたものがゆるゆると溶けだしていくようです。

 車酔いで吐いたあとのようなスッキリ感とやってしまった感。意外にもドラマや漫画みたいな激しい感情はありませんでした。

 お見送りのとき、お姉さんの顔を見て笑えたのは良かったなと自分を褒めます。


『――四夏、いるかい?』


 脱衣所のほうからお父さんの声。


「なにー?」


 ずずっと首まで湯に沈みながら返事します。


(デリカシー、なし)


 ふつりと苛立ちに似た何かが胸におこっていました。

 放っておいてほしい気持ちと、どうしてお姉さんはこの人をという思いが混ざり合った妙にトゲトゲした何かです。


『今日はごめん。彼女と話したんだけど、僕らも急ぎ過ぎていたと思う』

「……べつにいいよ。わたしに気を遣わないでも」


 ややぶっきらぼうに応じると、壁の向こう側に背中を預けた気配。


『ありがとう。でも僕らだって四夏に我慢はさせたくないんだ。とにかくすぐという話ではなくなったから、それだけ伝えておきたくてね』


 また後で、と言い置いて出ていった人影に我知らず嘆息します。


(ほんとにどうでもいいのに)


 むしろ四夏だって早く忘れたいくらいです。変に気を遣われたらそのたびに自分の暴走が思いだされてしまいそうでした。

 頬にひとすじはりついた髪の毛を指でまいて、ふと。


(失恋したらどうすればいいんだろう、これ)


 手首のミサンガのおまじないが目にとまりました。

 連日の工作やレッスンにも耐えて残り続けているあたり頑丈です。それとも恋なんてそうそう叶わないという皮肉でしょうか。


(こんど杏樹ちゃんに聞こう)


 ちゃぷんと手を湯船に沈めてゆらめく模様を観察します。

 あぁ、こうやって女子は長湯になっていくのかなと、そこだけは昨日までの自分をうらやんだ11歳の夜でした。

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