園児からはじめる! 中世武術がよくわかる本

みやこ留芽

ダンボールの章

1.はじめまして


 西へ西へ。

 赤々とした夕陽だけが道しるべでした。

 学校のグラウンドの黒い土をひたすら真後ろへ蹴りつづけるワタシ。向けられる奇異の目にもいい加減慣れてきて。

 だからソレに行きあたった時もワタシは「やれやれ」と肩をすくめただけでした。


【コレヨリ先 附属幼稚園 生徒ノ立チ入リ禁止】


 長々と張られたフェンス。人間の土地事情など知ったこっちゃない天体メカニズムに盲従する以上、それは必然の障害でした。

 ご時世がらか、端のポールの上には監視カメラらしき物も見えます。

 けれどこの先にあるかもしれない取材対象ネタを前に、それが何ほどの意味をもつでしょうか。


「いざ、越柵!」


 軽快に助走をつけワンツースリーでフェンスのてっぺんへ。

 足を置いた瞬間、激しく何かがぶつかって柵全体が震動しました。


「ちぇちぇいあーっ!」


 響いたあどけなくも大きな気声きせい。その出どころを探すより先にぐらり、とバランスを失った体が向こう側へおよぎます。

 はっとしたワタシは逆さになった空を見上げました。地平へ去りゆく太陽が「もう自分を追う必要はない」と告げているようでした。

 なるほど、さようならお天道てんとう様。刑期を終えたらまた会いましょう。

 『幼稚園に不法に侵入した疑いで高校生が逮捕です』と憧れのキャスターさんが読み上げるのを脳内再生しつつ、ワタシこずえ小鳩こばとは落下しました。

 


§



 帝治ていたじ・L・城下しろした高校は幼稚園から高校までをひとかたまりの敷地に配した学園の中にあります。

 校名にはさまる“L”が何の略かというのは創立以来の七不思議。洗礼名だとか『・L・』で顔文字になっているだとか諸説紛々ふんぷん

 なぜそんな謎が放置されているかと言えば、生徒にはもっと他に興味の対象があるからでしょう。部活とか青春とか恋愛とか。


 そんなワタシは放送部員。皆さんが求める部活・青春の美味しいところを切りとってお届けするのがライフワーク。

 いまは総文祭そうぶんさいとよばれる文化系の全国大会めざして取材の真っ最中なのです。

 しょっぱなで学園名のミニ知識なんて披露したのも、ネタがないかと学校資料をひっくり返した成果といえるでしょう。

 出てきたのがこんなしょっぱい謎ひとつというのもお粗末な話ではありますが。ほらワタシ、企画とかよりはアナウンサー志望なので。


 ですがこんなとき頼りになるのが先輩というもの。

 部員数4名のうち唯一の上級生である二年の辻道つじどう先輩は、タロットカードをマシンガンシャッフルで盛大にちらかしたあと目を閉じて言いました。


『――西へ向かいなさい。そこに貴女あなたの運命がある』


 いやー、大丈夫ですかねこの部活。今さら不安になって来ましたよ。

 けれどワラにもすがる気持ちで開き直ったワタシは、ひたすら夕陽をおいかけ幼稚園フェンスに散ったという次第でありました。

 幸いにも首にさげたデジカメを死守する程度の余裕はあり、誰かが駆けつけてくる音などもありません。どうやら即補導ほどうは避けられそうです。


(では、さっきの声は――?)


 午後4時をまわった園内は閑散としたもの。平屋建てでクリーム色の建物が懐かしさを感じさせます。ひと部屋だけ明かりがついているのは職員室でしょうか。

 屋外にいくつも並んだ蛇口やお砂場、埋まったタイヤ。


 ぼすん、ごすん――


 その園庭のすみっこから聞こえる音にワタシは立ちあがります。

 ちょこちょこと激しく動く二つの影と、そのそばに座り込むもう一人。園児に違いありません。

 ワタシが瞬きをしたのはその格好を見てのことでした。


(ダンボールの……ヨロイ?)


 三人のうち立ってぶつかり合う二人はそう、体のほとんどが段ボールに覆われていたのです。

 まるで西洋の騎士のような。5月5日に子供が新聞紙でおった兜をかぶるのとはクオリティが違います。

 ひじひざはいうに及ばずすね、外モモ、胴から喉元にいたるまで完全防備。二人とも微妙に形の違いがあるようですがワタシにはそれがどんな鎧の形式を模したものか分かりません。便宜上、すっぽりと顔までを覆っている方をフルフェイスくん、麦わら帽子のように丸いひさしと牛のような角がついた方をカウボーイと呼ぶことにします。


「ぱぅあーーーっ!」


 カウボーイが両手に持ったぼう状のもので殴りかかると、フルフェイスくんは左手の丸盾まるたてでそれを防ぎます。

 その右手の剣がカウボーイの胴へ届くより早く、カウボーイは体当たり同然にフルフェイスくんを突き飛ばしました。

 ガシャン!とその背中を受け止めたフェンスが揺れます。

 ワタシはこのあたりで、現状を見過ごしてはマズいのではないかと思い始めました。


「はーーぁ!」


 気合一閃。カウボーイの身長より長い武器が、フェンスを背にしたフルフェイスくんの顔面に突き込まれます。ひえぇ、これは危ない!


「ちょっ、ちょっと君たち……!」


 あきらかに子供の遊びだかケンカだかの程度を越えています。泡をくったワタシは彼らに駆け寄りました。

 そのとき、そばに座っていたもう一人、長い髪の女の子がパッと片手をあげます。


「ヘッド、グッド・ショット。アンジュちゃんの勝ち」


 挙げられたのは紙の黄旗。

 歓声をあげて長棒を放りだしたカウボーイがかぶとをすぽんと脱ぎます。

 ……アンジュちゃん?


「やっっったぁー!」


 突き上げられる両手。

 小さな三つ編みをいくつも結んだ頭から湯気が立ち上るようでした。


「ぷぅ……はぁ、びっくりした」


 座り込んだフルフェイスくんもズレた兜を上げています。ぱっつりしたショートヘアの下にくりっとした大きな目。

 なんとカウボーイはカウガールで、フルフェイスくんはフルフェイスちゃんだったのです。


「おねーさん、だれ?」


 いつのまにかワタシを見上げるカウガール。外した胴鎧どうよろいの下、やけにモコモコと膨らんだスモックには〔結城杏樹ゆうきあんじゅ〕の名札が。


「えっとはじめまして。ワタシは隣の高校の生徒です」

「コウコウってなに、りんち」


 杏樹ちゃんが訊ねたのは座っていた長い髪の子。名札には〔陶凜すえりん〕と書いてあります。


「わたしたちがそのお姉さんくらいになったら行くところ。とくに努力をしなくても」


 な、なんて斜に構えたよけいな一言を。これが園児にして県下有数の進学校を約束されたエリートでしょうか。こっちは編入試験のために脳が燃えるほど勉強したというのに。


「そ、それより皆さんは何を? 危ないですよ、今どき気合の入った中高生だってケンカに得物エモノは持ちこまないのがルールです」


 何よりまず、大人として危険を注意をすることのほうが大事だと思い直します。

 むっとした杏樹ちゃん。何を言い返してくるかと身構えたのですが、声があがったのは意外な場所でした。


「け、ケンカじゃないです……アーマードバトル、です……!」


 ついさっき顔面ストライクを受けた張本人が立ちあがってワタシを見据えているではないですか。


「あ、こ、こんにちは。せとしなつ、です」


 思いだしたようにぺこりとお辞儀を。〔瀬戸四夏〕、なるほど。どうもイジメられているというような話ではなさそうです。


「アーマードバトル、というのは? 最近のアニメですか?」


 鎧はグッズとかでしょうか。凜ちゃんの後ろにも似たものが重ねてあります。


「ちがう、スポーツ、です。あの、ほんものの……」


*注: 以降、相手が幼稚園生であることを考慮こうりょし、不肖ワタシが特殊な会話術をもって取材にあたります。可能なかぎりニュアンスを残したまま分かりやすくお届けします。ご了承ください。


「スポーツですか。初めて聞きますが」

「新しいスポーツだってお父さんがいってました。日本には3つチームがあって、世界ではすごく大きな大会もあるって」


 海外生まれの競技ということでしょうか。いや、スポーツと名がつけば何でも許されるわけでは……

 ぬっとワタシの目の前に棒状武器の先端が突き付けられます。


「危なくないじゃん、ほら!」


 杏樹ちゃんが握るそれは段ボールを何重にも巻き締めたものでした。簡単に折れそうにはないものの材質は確かに紙のそれ。重さも大したことはなさそうです。


「ほんとうは鉄の鎧や武器を使ってやるんですけど、わたしたちに合うサイズがなくて……」

「そりゃあってたまるかって感じですけど。それでダンボールを?」


 よく見れば鎧には色鉛筆で絵が描かれています。お花、顔から手足の生えた人、怪獣みたいな何か。とても園児園児していて安心すらしますね。凜ちゃんの腕鎧にはなぜか筆文字で〔鎧袖一触〕と書きつけてありますが。

 その凜ちゃんと目が合いました。


「……大人用プレートメイルの重さは約20kg~30Kg。大人の体重を70kgとしたとき、私たちがその四分の一以下であることを考えると鎧の適正重量は約4Kg強。補強したダンボールと巻きタオル、重ね着したおゆうぎ服で大体その――」

「あなた本当に幼稚園児ですか!? 当然のように小学校高学年の算数を駆使しないでください!」


 あの文字、ご本人ではなく親御さんの筆ですよね。……ですよね?


「りんちはなー、頭がいいんだ」


 そんなかけっこが速い、くらいのノリで言われましても杏樹ちゃん。

 ワタシはせき払いをひとつ。


「危なくない、というのは百歩譲っていいとして。でも何故こんなことを?」


 子供の遊びなんていくらでもあります。ましてや女の子、周りだって心配するでしょう。

 三人は互いに顔を見合わせると、ややあって。


「カッコいいから」

「楽しいから!」

「……暇だから」


 三様の答え。凜ちゃんだけがちょっとクールです。


「世界でいちばん重くてパワフルでカッコいい、シンシのスポーツ、です」

「ほうほう」


 四夏さんが熱っぽく訴えてくるのを意訳しつつ、ワタシはいつしか興味深くそれを聞いていました。

 あるいはこれが先輩の言っていた『運命』なのかもしれないと思いながら。


「……なるほど。あの、写真とか撮ってもいいですか? それにもっとお話も聞きたいのですが」


 コクコクとうなずく四夏ちゃん。

 えー、と天邪鬼な態度の杏樹ちゃん。

 何を考えているか読めない凜ちゃん。


「三人ともー! お迎えが来ましたよー!」


 けれどそれは、園長先生のひと声によって叶わぬ夢と消えたのでした。

 園門へ駆けていく三人が誰ともなしにこちらを振り向きます。三つの口が三様に動き、同じ言葉をかたどるのをワタシは見ました。

 またあした、と。


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