第52話 8月のアンニョン!
ジュンがゴールを決めた。韓国からきたアイドルの2人は飛び跳ねて喜んでいる。悠介は、サッカーゴールの中で転がっているボールを拾い上げた。ちょうど『悠介、fight!!』と書かれている文字が上になっている。マジックで書かれたその文字は、かすれて薄くなっている。『あ、なぞらなきゃ。』と反射的に思ってから、悠介は首を振った。あの時・・・悠介は中学2年の冬を思い出す。
「奈津!!サッカー辞めんなよ・・・。」
グランドの隅で自分のエナメルバッグに荷物を詰めている奈津に声をかけた。小さい頃から泣き虫のオレは、中学2年になってもまだ泣き虫で、鼻をグズグズいわせて、泣きながら奈津に訴えていた。「小さい頃から一緒にサッカーをやってきた仲間だろ。」「奈津のドリブルはオレの目標なんだから。」「中途半端で辞めんなよ。」「お母さんが亡くなったからって、奈津がサッカーやめることないじゃんか。」思いつく限りの奈津を辞めさせない理由を涙声でくどくどと並べた。オレの涙の訴えを聞きながら、奈津は背中を向けたまま、黙ってスパイクの手入れをしていた。寒さで白くなった奈津の息が静かに宙を漂う。・・・今なら分かる・・・あの時、1番泣きたかったのは、オレじゃなくて、本当は奈津だったって・・・。
「奈津!!」
こっちに背中を向けたままの奈津をどうにか振り向かせたくて、オレは駄々をこねるように名前を呼んだ。奈津の手が止まる。そして振り向く。
「もう、決めたことなんだから、泣いたらいけん!」
奈津は笑っていた。いつものように。優しく。明るく・・・。ナイターのライトが奈津の目で反射する。大きな目がいつもよりもキラキラと輝いて、その時の奈津の目は本当に綺麗だった。オレは幼すぎて気づかなかった・・・。あれはきっと・・・目に涙がいっぱい溜まっていたからだって・・・。
「悠介のボール、貸して!」
奈津に言われて、すごすごと自分の荷物からボールを取り出して奈津に渡す。奈津は道具の名前が消えかけたら、いつでも書き直せるようにマジックを持ち歩いている。そのマジックをバッグから取り出すと、キュッキュッ
『悠介、fight!!』
とボールに書いた。
「昨日、凛太郎のサッカーボールにも書いたんよ。悠介にも特別!!これでサッカーがめっちゃ上手になるからね!!」
オレと凛太郎だけの特別・・・。
この字が消えかかる度に、オレは奈津の字を上からマジックでなぞった・・・。そう、消えてしまわないように・・・。
悠介は顔を上げた。こちらに向かって奈津とコウキが走ってくる。2人が何か言葉を交わしている。そんな2人を包む空気が、悠介に別の映像を見せる・・・。あの日・・・背中を向けて中学2年の奈津がスパイクの手入れをしている。白い息まではっきりと見える・・・。そこにあいつが現れた。あいつは奈津の横に静かに座る。何も言わず、ただ黙って・・・。そのうち、2人の吐く白い息が寄り添うように宙を舞う。すると、奈津の目に溜まっていた涙が、ポトッポトッと落ち始める・・・。そんな映像。悠介は静かに目を閉じた。
『ああ、そっか・・・「そんんざい」って、「存在」のことなんだ・・・。』
悠介はジュンの言葉を、今、理解した。
夕日が更に傾き、ジュンとヨンミンが帰る時刻になっていた。
2人はみんなに向かって、
「カムサハムニダ。」
とお礼を言うと頭を下げた。それから、2人は顔を見合わせると、まなみの前に進み出た。2人に目の前に立たれて、「えっえっ。」と戸惑うまなみ。まず、ジュンがまなみの手をとると両手で握手をした。まなみはカチンコチンに固まってしまう。そんなまなみの手を今度はヨンミンが両手でしっかり包む。とっておきのスマイル付きで・・。今こそ、何か言わなければ!まなみは口をパクパクさせるが、散々奈津に語ってきたヨンミンへの想いが言葉として口から出てこない。まなみは固まったまま、ヨンミンのスマイルの前で、声を出して泣き始めた。
「夢・・・みたい~。」
ただそれだけを言って・・・。
奈津はまなみの肩をギュッと抱きしめた。
そんな奈津をジュンが見つめる。ファンミ前日のヒロの言葉が蘇る。『ジュン・・・。ぼく、大丈夫だから・・・。もう一人の自分でちゃんと彼女に会ったら、ヒロとして韓国帰るから・・・。』そして、少し離れた所に立っているヒロ・・・?違う。黒髪で少し日に焼けた・・・コウキ・・・を見た。ヒロが帰る場所に、先に帰っていくオレたちを黙って見つめている。コウキと目が合う。『何が大丈夫なんだよ。』ジュンの目はコウキにそう語る。でも・・・だからって、何ができる?この子とBEST FRIENDSのヒロが普通の高校生みたいにこのまま恋愛できるか?オレたちはアイドルなんだぞ・・・。それは分かってる。痛いほど分かってる・・・。だから・・・。
「ナツ。ミアネ・・・。」
まなみを抱きしめる奈津の横顔に、ジュンはそっと言った。
「ミアネ?」
奈津はジュンの顔を見た。なぜか・・・あんなに大はしゃぎして、紅潮していたジュンの綺麗な顔が悲しみの色に変わっている。
「『奈津、ごめんね・・・。』って」まなみが、涙声のまま横で通訳をした。ああ・・・。奈津は、ジュンの悲しそうな顔と『ミアネ(ごめんね)。』の意味を知る。
さっき、グランドの真ん中で、コウキが言った。
『ぼくも・・・、ぼくも奈津と同じところが好きだよ。』
その言葉に、わたしは一瞬すべてを忘れた。
・・・忘れて、コウキと恋人同士になる。学校から一緒に帰る。デートする。ふざけ合う。笑い合う。プンって怒る。ヒックヒック泣く。手を繋ぐ。キスをする。そして、ずっとずっと一緒にいる・・・。
【ヒロ~!ヒロ~!シュートが入った~!】
飛び跳ねているジュンとヨンミンの声で、現実に引き戻される。
ヒロ・・・?そうだ、ヒロ。BEST FRIENDSヒロ・・・
最終の新幹線の時刻が迫っていた。ジュンとヨンミンはみんなに手を振ると、
「アンニョン!」
まず、ヨンミンがタクシーに乗り込んだ。続けて、
「アンニョン。」
ジュンも乗り込む。でも、何となく納得のいってない、悲しそうな表情のまま。
離れたところに立って、【じゃあな】と言っているコウキの方を向くと、奈津は手招きをした。それを見て、コウキはこちらに駆け寄る。
「コウキ、今から言うことジュンに伝えて。」
奈津はコウキに通訳をお願いした。コンコン、タクシーの窓を叩き、窓を開けてもらう。
窓が開くと、奈津は笑う。そして、いつものように、優しく、明るい調子で、ジュンに伝えた。
「ありがとう!わたしは大丈夫!!だから、悲しい顔しないで。」
元気印のガッツポーズ付きで。
ジュンへの言葉・・・、ううん。本当はコウキに向けての言葉。これがわたしの精一杯。
ちょっと離れてこの光景を見ていた悠介のところにも奈津の声が聞こえてきた。『ありがとう!わたしは大丈夫!!だから、悲しい顔しないで。』強い意志を表す、奈津の言葉・・・。
悠介がそう思ったとき、奈津のガッツポーズしている右手を、コウキが握った。
「さっきから・・・。」
コウキの顔が怖い。
思わず、みんなが固唾を飲む・・・。奈津もびっくりして、自分の握られた右手とコウキを見る。
奈津のガッツポーズしたその手は、コウキに下におろされる。
「無理しなくったっていい・・・。」
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