第51話 8月のグランドサッカー

~【  】は実際は韓国語で話しています。~


 悠介の出す正確なパスは寸分狂わず真っ直ぐコウキに向かって飛んでいった。ドスン。コウキはそのボールを胸でトラップした。「コホッコホッ。」久しぶりに受けたロングパスは、コウキの胸にずしりと響いた・・・。思わず小さな咳が出る。夕日を背中にしている悠介がシルエットのように見える。そんな悠介を奈津は眩しそうに目を細めて見た。

「悠介ナイスパス!」

悠介は右手をゆっくりあげる。

奈津は振り向くと大きな声でみんなに声をかけた。

「じゃあ、もう、あんま時間ないけど、このまま続けるよ~!コウキと悠介とまなみはこっちのゴールね!わたしとジュンとヨンミンは向こうのゴール!」

奈津の言葉をコウキが通訳してジュンとヨンミンに伝える。伝え終わるか終わらないうちに、2人はチーム分けを理解したのか、

【行くぞ~!!】

と言って、ボールを持ってるコウキに向かってきた。「わ!」急いでコウキはドリブルを始めた。ポーン。足でボールを前に蹴ってみる。ん?なんか強すぎたかな。それは本当に久しぶりのドリブルだった。久しぶり・・・?ううん、小学生以来だから、ボールを蹴らなくなってもう何年も経ってる。ボールを蹴る足の感触が懐かしい。全然上手くなんかドリブルできてないのに、顔がほころんでしまう。楽しい・・・。2人がすぐ近くまで来た。今度はパスしてみよう。コウキは、少し離れたところに立っているまなみの姿が目に入った。

「吉村さん!」

名前を呼ぶと、コウキはボール蹴った。でも、そのパスは、さっきの悠介のように正確ではなく、まなみから離れたあさっての方向に飛んでいった。

「わ!ごめん!」

両手で顔を覆い上を向いた。でも、なぜだか、ボールがそれたことさえ、コウキには楽しく感じられた。まなみには悪いが、思わず笑みがこぼれる。名前を呼ばれたまなみはそれたボールを慌てて取りに走った。「ふぅ。」やっと追いつき、足でボールを押さえたと思ったら、なにやら後ろから「や~!!」の声が・・・。振り向くと、なんと!ヨンミンとジュンが自分を目がけて走ってきている!(正確にはボールを目がけて・・・なんだが。)まなみは足でボールを押さえたまま、思わず胸の前で手を組んで立ちすくむ。2人が体がぶつかるほど近くで、息がかかるほど近くで、わたしを(いや、ボールをだろ)取り合っている。足の下からボールを(わたしを・・・と思いたい!)奪っていったのは、ヨンミンだった。ボールが自分のものになったヨンミンは、こぼれるような笑顔でそのまま自分たちの目指すゴールにドリブルで向かい始めた。ジュンは少し間をとると、パスがもらえるような位置に移動していく。こちらも無邪気に手を叩いてずっと声を出して笑っている。悠介とコウキがディフェンスしに行く。コウキもまた、フラフラとドリブルしているヨンミンを見て、おなかを抱えてケラケラと笑っている。自分のドリブルだってそんなにヨンミンと変わらないというのに。

【ナツさん!】

ヨンミンが前方にいる奈津の名前を呼ぶと、奈津が手を挙げて待っているところにパスを出した。ボールは若干それたが奈津はそれをうまく足でキャッチした。奈津がドリブルしようと振り向くと、コウキが奈津のディフェンスについたところだった。コウキは奈津からボールをとろうと足を出す。でも、奈津の足さばきは上手でなかなかボールが奪えない。コウキは何度も試みるが、奈津はそれを軽くいなす。コウキが奈津の顔をチラッと見ると、奈津が軽く舌を出した。「わ、むかつく!」奈津が余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)なのが分かると、「くっそ~!」コウキはますますムキになった。

 ヒロが奈津からボールが取れずに振り回されてる光景がジュンとヨンミンは可笑しくて仕方なかった。歌でもダンスでもあんなに器用にこなすヒロが、今、目の前で、奈津に簡単にあしらわれている。ボールが取れる気がしない。ヨンミンは思わずジュンの肩に手をやって声をあげて笑う。ジュンも笑う。2人はしばらくヒロと奈津のボール争奪戦を見ていた。その時、ジュンがボソッとつぶやいた。

【ヒロが・・・息してる・・・】

スキャンダルが報じられてから、ヒロは顔は笑っていても、いつも緊張していた。それは、きっと無意識に・・・。ダンスをしていても、歌っていても、撮影の表情さえも、どこか硬く、ヒロの呼吸はいつも浅かった。心を無理に説き伏せているような・・・。本人は分からなくても、何年もヒロの傍にいるジュンにはそれが分かった。でも、あのヒロのこと、きっと時が解決してくれるに違いない・・・そう思いながらここ数日を過ごしていた。今回、ヒロに会いに来たのも、その心配が理由の根底にあった。だけど今、目の前のヒロは思いっきり息ができている・・・。ヒロと奈津、2人を包んでいる空気がそれを教えてくれる。【ナツ・・・?】


 なかなかボールが取れないヒロにジュンが声をかける。さっき奈津から聞いて覚えたばかりの日本語を使って。日本語だから意味は分からないけど、まあ、いいか!たぶん、どうやら奈津が好きなヒロの部分には違いない!これ聞いたら、ヒロ、ますます張り切るぞ!

「ヒロ~!!ナツが『そんざい』って!」

ジュンの大きな声が響いた。「そんざい」の発音が日本語の響きと違って、なんだか違う言葉に聞こえる。でも、奈津だけはジュンが言っている言葉の意味が分かった。急に奈津の顔が火照る。悠介とまなみは、ジュンが何か言ったことで奈津の表情が変化したことには気づいたが、ジュンの言っている言葉の意味は全く分からなかった。もちろん、ボールを奪おうと必死のコウキにも何のことやら分からない。まして、奈津の表情が変わったことなんか気づく余裕もない。

【ジュン、何言ってんの?それ、韓国語?日本語?】

奈津のボールをとろうと懸命なので、コウキは半ば面倒くさそうに半分やけになって訊いた。

【日本語!奈津に教えてもらった!奈津はヒロの『そんざい』が好きって。それって、どこ?】

ガードの甘くなった奈津からコウキは簡単にボールを取った。そして、

「ぼくの好きなとこ・・・?」

コウキは奈津の顔を見た。その表情を見て、コウキは、今やっと取ったボールだと言うのに、誰もいないところに向かって蹴った・・・。そして、


「そんざい?」

コウキはジュンの発言のまま奈津に尋ねると首をかしげた。それって何だろう?すると、どうしてか、

「ごめん・・・。」

奈津は謝ってきた。そして、

「重たいね・・・。」

それだけ言うと下を向いた。


コウキが飛ばしたボールを追ってジュンとヨンミンが競うように走る。それに続いてまなみも。(追っているのはもちろんボールではない。)悠介は・・・奈津とコウキの方をあえて見ないように体の向きを調製した。そして、走るポーズだけすると、ボールを追う振りをした。『何だ?そんざいって。』悠介もジュンの発音のまま、その言葉を頭の中でリピートしてみた。


さっきまで、ぼくをからかうような顔をして笑っていた奈津が、急に唇を噛むような表情をして謝ってきたかと思うと、下を向いた。それだけのことで、ぼくは、また、どうしていいか分からずあたふたする・・・。奈津、まさかこんなグランドのまん中で、泣いたりなんかしないよね・・・?

「えっと、奈津。ごめんって何が?それに、重たいって?」

コウキは、ツンツンと周りに気づかれないように奈津の頭をつついた。

「もしかして、泣いてる・・・?」

つつかれて、一瞬、間をおいた後、奈津は顔をあげた。

「残念。泣いてません。」

あげた顔は、両手で両目を垂れさせた、すっごい変顔だった。『よかった。』奈津は変顔のままホッとする。『コウキが意味分かってなくて。』あと二日だけなのに、そんな相手に「そんざいが好き」なんて言われたら・・・・。


「やった~!ゴール!!」

向こうのゴール前で、ジュンの声が響いてきた。「キャ~!!」まなみの甲高い歓声もあがった。


「ジュンがゴールしたみたい!行こ行こ!」

奈津は満面の笑顔で小さくガッツポーズすると、コウキに促し、ヒラリと向きを変え、走り始めた。

「はあ、まったく!」

泣いたと思ったら、これだもんな。コウキは笑顔で軽くため息をついた。その時、ふと・・・、今、手が届くところに居た奈津が、目の前からいなくなったような感覚に襲われた。走る奈津の後ろ姿がどんどん離れていく。「嫌だ・・・。」思わず心が反応する・・・。コウキの想いがそこに達した時、コウキの頭の中で『そんざい』というひらがなが『存在』という漢字に変換された。存在・・・。奈津の存在・・・。

「奈津。」

奈津の背中に声をかけると、コウキは追いかけるように走り始めた。呼ばれて、奈津は振り返る。『ごめん。』『重たいね。』奈津の言葉がまだ耳に残っているというのに・・・。ぼくは言ってしまう・・・。

「ぼくも・・・、ぼくも、奈津と同じところが好きだよ。」

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