第48話 8月の難しい日本語

 「ヒロ。何好き?う~んと・・・ダンス?」


ジュンは縁側に座っている奈津に近づくと訊いた。ジュンの目は好奇の色を帯びてキラキラしている。奈津はジュンの言っていることの意味を推測する。『えっと・・・?ヒロのどこが好きか訊いてる?』


「ヒロ。ダンス。かっこいい。」


ジュンはそう言うと、いつかのダンス発表会で加賀くんが踊ったダンスを見せた。ヒロのダンスだ。ジュンの姿に重なってヒロが見える。教室で見たとき、思わず息をのんだ・・・。ヒロのダンスは素敵だ。でも・・・奈津はそっと首を横に振った。


ジュンはそれを見て、目を丸くすると、『違うんだって!』という顔でヨンミンを見た。


「歌・・・?」


今度はヨンミンが奈津に一步近づく。そして、


「Woo~、I never walk alone~」


と一節を歌う。ヒロのパートだ・・・。凛太郎がBEST FRIENDSの曲を聴いていた時、ここの透き通るような声がいつまでも耳に残った。でも・・・これにも奈津は首を横に振った。


今度はヨンミンが目を丸くして、『歌も違うんだって!』という顔でジュンを見た。そして、今度は二人が並んで、まじまじと奈津を見る。『え!じゃあどこが好きなの?』という顔で。


『どこが好き・・・?』


奈津はその質問を自分にしてみる。コウキを思い浮かべた。コウキの面影が胸に広がる・・・。すると、今この場にコウキがいないことにはたと気づいた。ただ花火を買いに行っているだけだと頭では分かっているのに、途端に頼りないくらい不安になる自分がいた・・・。会いたい・・・。


「・・・存在。」


ぼんやりと空を見上げながら、奈津は、無意識に答えていた。


「ムスン マリヤ?(なんて言ったの?)」


ジュンはそう言うと、不思議そうな顔をした。ジュンの声で奈津はハッと我に返る。


「あ!なんか、わたし、今、難しい言葉言ったよね。えっと・・・こんなこと言われても分かんないよね。」


奈津は顔を赤くして、アタフタと話す。するとジュンは


「そ・ん・・・?」


と奈津がなんと言ったのか聞き返してきた。ジュンは自分の耳を近づけてくる。奈津はさっきの日本語をゆっくり区切って伝えた。


「そ・ん・ざ・い」


「そ・ん・・・ざ・・・い?」


ウンウン『合ってる!』奈津は笑顔で首を縦に振った。それを見て、ジュンも思わず笑みをこぼす。


「そんざい!」


意味は分からないが、単語が言えたことが嬉しくて、手を叩く。そして、ヨンミンの方を向くと、


「そんざい!」


と今、覚えたばかりの日本語を伝えた。ヨンミンも一瞬キョトンとしたが、ジュンの勢いにただただ押されると、日本語の意味も分からないのに、


「そんざい!」


と嬉しげにジュンの言葉を繰り返した。奈津の顔はますます真っ赤になり、


「もう、恥ずかしいから、そんなに連呼しない!!」


と縁側から降りると、二人を制止しようと両手を大きく振った。


~♪~♪~♪~


ちょうどその時、奈津のスマホが鳴った。奈津がポケットからスマホを取り出すと、画面には『まなみ』と表示されている。時計は18:11。奈津は待ってました!と電話にでる。


「もしもし!まなみ!」


奈津がそう言い終わらないうちに、まなみの声が耳に飛び込んできた。


「奈津!コウキと悠介が一緒にいる!!野々宮小のグランド!!」


奈津はびっくりすると、咄嗟に電話をプツッと切った。ジュンとヨンミンは電話の内容は分からなかった。でも、奈津の照れて赤くなっていた顔から血の気が引き、サッと青くなっていくのは分かった・・・。





 野々宮駅で、コウキと初めて向かい合った時、その力ない視線に無性に腹が立った。あの目は完全にオレに敗北宣言している目だった。『ぼくと奈津はただの友達だから。それ以上の関係なんて望んでないし。』あの目はそう語っていた。奈津と一緒に恋人気取りで汽車から降りときながら、そんな死んだような目しかできないヘタレな奴・・・。オレの大嫌いなタイプだった。そんな奴、あの奈津が好きになるはずなんて絶対にない。そう思ってた・・・。それなのに・・・。あの祭りの日、生き返ったような意志のある目をして、こいつは、自信満々に奈津を連れ去って行った・・・。まるで、別々で居るより、二人で居ることの方が、ごく自然であるかように・・・。そして、今もそんな目をしてオレを見ている。


「それ、ヒロの好きなタイプだ。まるで嘘になってる。」


コウキは、おでこに手をやった。『悠介は、ぼくがBEST FRIENDSのヒロだと気づいてる・・・。』


「嘘はあいこだろ。あいつの好きなタイプは小学校の頃から一途にメッシだぞ。」


悠介は冗談っぽく、大げさに憎々しげな顔をした。


「メッシかあ~。大嘘つきだ。」


コウキは思わずプッと吹きだした。「だろ!」と悠介も笑う。そして、ボールを持っていない左手で金網をガシッと掴むと悠介はコウキに顔を近づけた。


「・・・で?何で、奈津の彼氏がここでオレのこと見てんの?冷やかし?」


急に真顔になる。「あ・・・。」コウキはポリポリと人差し指で頬をかいた。そして、


「ごめん。ただ、サッカー上手い奴いるなあ・・・って見てたら、やっぱり中山だった。」


と少しバツが悪そうに答えた。悠介はハアーとため息をついて、右手に持ってるサッカーボールに視線を落とす。


「メッシが好きなのに・・・、何で、おまえ?」


それから、顔を上げ、続ける。


「おまえも・・・。奈津じゃなくても他にいっぱい相手いるじゃん。奈津のことなんて、どうせ、『気まぐれアイドルのひと夏の恋でした!』チャンチャン。で終わらせるつもりだろ?」


悠介は、どこかで・・・コウキが『そんなことない!』って反論してくるのを待っていた・・・。コウキが奈津に本気であって欲しい・・・そう思っている自分がいる。でも、コウキは反論してこなかった。反論どころか声も出そうとしなかった。そして、悠介を見る目に力がなくなっていった・・・。悠介は「フッ」とあざけて笑う。やりきれない・・。


「図星かよ。」





 まなみは道路の反対側から二人を見守っていた。塾が終わってから、奈津とコウキのところに向かう途中、ふと見た野々宮小のグランドに悠介の姿を見つけた。『恋愛でゴタゴタあっても、相変わらずのサッカーバカだわ。』と思った瞬間、その歩いて行く先にコウキが居た。キョロキョロしたが、その周りに奈津の姿は見えない。『コウキと奈津、一緒にいるんじゃないの?!』悠介の雰囲気がなんとなくやばそう・・・。そう感じたまなみは、慌てて奈津に電話をした。


「奈津!コウキと悠介が一緒にいる!!野々宮小のグランド!!」


まなみがこれだけ言うと、電話が一旦プツッと切れた。しばらくして奈津から折り返しかかった電話では、


「みんなでタクシーで行く。待ってて。」


だった。


「タクシー??みんな???」


なんか奈津が言ってることは謎だったが、話し始めた悠介とコウキが、どんどん緊迫した様子になっていくので、そんなことはすっかり忘れて、ドキドキしながらタクシーの到着を待っていた。もちろん!二人が一戦交えるような事態になったら、飛び出していく心の準備はできていた。『一人の女子をめぐって二人の男子が一戦交えるって、これって恋愛ドラマの見過ぎ?』ふと、そんなことを考えながら・・・。





 「中山のサッカーは・・・」


やっとコウキが口を開いた。


「・・・プレイに迷いがなくて、いつもまっすぐで気持ちがいいな。」


急に自分に話が振られ、悠介は一瞬怒りのテンションを崩した。『は?オレのプレイ・・・?何で?』


「レッドカードもらった時も・・・、いつも、一直線だな。・・・奈津と似てる。」


コウキがそう言った時、タクシーが1台到着した。助手席が開くとヒラリ・・・と女の子が飛び降りた。奈津だ。二人目がけて真っ直ぐ走ってくる。コウキと悠介は奈津を見る。


「奈津!!」


声をあげたのはコウキだった。悠介は奈津からコウキに視線を移す。力なかったコウキの目が明らかに変わっている。まるで、探していた大切なものを見つけたかのように、その目は輝いている。そして、優しく目を細めて奈津を見ている・・・。何でだろう・・・。今、こいつの気持ちが手にとるように分かる。『ひと夏の恋』・・・もしかして、こいつも、そして、奈津も・・・腹をくくって、それを覚悟してるのか・・・?





 タクシーを見つけて、まなみも走り寄ってくる。助手席から奈津が飛び出しコウキと悠介に向かう。まなみもそちらに向かって走っていると、後部座席のドアが開き、見たことのある変な服装の二人が出てきた。後から出てきたスウェットの人が、まなみに気づいてまなみの方を何気なく見た。その人と目が合った・・・。途端に、まなみは全身の力が抜けた。そして、その場にヘタヘタと座り込んんでしまった。それから、おばけでも見てるかのような顔をして、その人に向かって指を指すと、


「ヨ・ヨ・ヨ・ヨ・ヨ・ヨ・・・」


と「ヨ」だけ、謎に連呼した。

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