第42話 8月の囃子

 そこに立っていたのは、コウキではなかった。ちょうちんの赤い光が照らし出す彼の目は大阪の空港で見たあの目だった。・・・やっぱりそうなのだ。

「・・・ヒロだったんだね・・・。BEST FRIENDSの。」

そう言って、奈津は握り合っている二人の手に視線を落とした。まなみに聞かされて知っている限りでは、握手会に当たれば、数秒だけの握手がやっと許される・・・ヒロはそんな人なのだ。コウキとは違う・・・。

 会えたことで震えるように息を吹き返し、そして、彼の腕の中で傷ついた羽を休めていた恋心が、今、また安住の地を失う・・。

「大阪の空港に来たんだね。凛太郎くんに聞いた。」

ヒロは握っている手に力を込めた。奈津はまなみと加賀先輩が大阪行きの新幹線の中で嬉しそうに話している声を思い出す。『ヒロが戻ったBEST FRIENDSは無敵よね!やっぱり、7人揃ってBEST FRIENDSよね!!』そして、空港でキラキラと輝いているファンの姿も蘇ってくる。みんながヒロを待っていた・・・。

「・・・ずっと、錯覚を見たのかと思ってた。やっぱり奈津だったんだ。」

ヒロの顔が近づいて、眼鏡を外した目で奈津を見た。奈津もその目を見る。心に焼き付けるように・・・。『ヒロ、復帰宣言したね~!カムバも決まったね~!』加賀先輩の弾けるような声がそう語っていた。それは、ヒロが元々居た場所に帰っていったことを意味する・・・。

「いつ、ソウルに帰るの?」

奈津は鼻声ではあったが、日常会話を交わすかのようにサラリとヒロに訊いた。

 赤いちょうちんの光が、奈津の顔を照らしている。頑張っていつもの奈津らしくしてくれているのが、ヒロには痛いほど伝わる。そして、顔全体が赤く照らされ紛れてるけど、今、この子の鼻は泣きはらして真っ赤になっていることをヒロは知っていた・・・。 

「13日」

ぼくは、奈津に負けずいつものぼくの調子で告げた・・・つもりだった。それなのに・・・奈津は、手にしているハンカチでぼくの頬を拭き始めた。ぼくは、いつの間にか泣いていた。そして、ぼくの頬を拭く奈津の目からも涙がこぼれた。13日・・・そう。ぼくが告げたのは、ぼくの恋のタイムリミットだった。そして、奈津は、きっと、それを知っていた・・・。

  

 以前、昼には訪れたことがあって、その時もとてもエキサイトした。でも、夜のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の方が好きかもしれない!『ジョーズ』『ジュラシック・パーク』のアトラクションのスリルは増すし、電飾輝くパレードも圧巻だった。そして、何より、ハリー・ポッターの『ホグワーツ城』!灯りが灯ったその姿は本当に神秘的で、絶対デートするならここだ!と決心した。あ~、ヨンミンとじゃなくて、恋人と来れたらなあ・・・。(ま、そんな人いなんだけど。)ジュンは、ホテルの部屋でツイッターにあげる写真を選んでいた。日本デビューはしていないので、まだまだ日本での知名度は低い。彼らのことを分かる人はファン以外にはいなかった。それでも、今回の赤い髪は目立ちすぎてしまうので、ジュンは黒いハットをかぶってまわった。ヨンミンはキャップ。さっきは愚痴ってしまったが、仕事を離れて気の合うヨンミンとUSJを回るのは実は、時間を忘れてしまうほど楽しかった!

 『ホグワーツ城』をバックに一人ずつ上半身を写した写真に決めた。ハットをかぶって、指ハートの自分。キャップをかぶって両手を大きく挙げるヨンミン。そして、ニットキャップをかぶり、チェックのシャツを羽織って、ピースをする後ろ姿のヨンミン。計3枚の写真をあげた。『USJ最高!!』とつぶやいて。

「あ、みんな気づいてない。」

ジュンがツィートするのを横で心配そうに見ていたヨンミンが安堵の声をあげる。

続々あがる返信には、

『マンネライン3人で回ったんだね~』

『3人は仲いいね!』

などが多かった。どうやら、みんながニットキャップの後ろ向きを「ヒロ」だと思っているらしい。ジュンはガッツポーズをした。

「嘘はついてない!でも、3人は大阪にいる!・・・と印象づいた!」

ジュンは、目を輝かせると、ファンたちを魅了するあの少年っぽい笑顔で笑った。


 「悠介先輩!」

詩帆は、まなみと壮眞が制するのも聞かずに、悠介の後を追った。『もう、そっとしといてやれって。』壮眞がそう言ったのに、詩帆は追わずにはいられなかった。追ったところで、悠介にとって何の慰めにもならないことは詩帆が1番知っていた。それなのに、走りにくい下駄と浴衣で懸命に追いかけていた。『気合い入れて、下駄なんかするんじゃなかった~。』詩帆がそう思った時だった。案の定、慣れない下駄でつんのめって、詩帆は転んでしまった。

「痛っ。」

たしかに手と膝が痛かった。でも、たいした怪我はしていないようだ。それより何より・・・、きっと、もう、悠介先輩には追いつけない・・・。

「まあまあまあ、大丈夫?」

近くを歩いていたおばさんが、大げさに近づいてきた。『おばさん、お願い。そっとしといて。恥ずかしさの傷の方が大きくなる・・・。』詩帆がそんなことを思い、顔を真っ赤にして体を起こしていると、

「ありがとうございます。連れです。ぼくが起こすんで大丈夫です。」

と声がした。詩帆が顔をあげると、そこには悠介がいた。

「まあ、よかったわね~。」

おばさんは、悠介と詩帆の顔を交互に見ると、

「まあ、まあ、まあ」

と笑顔を浮かべて去って行った。

「後ろがうるさいから振り返ったら、大ごと!」

悠介は詩帆の腕を掴んで起こしながら言った。

「何が心配でそんなに必死で追っかけてくんの?オレ、やけ起こしたりしないし大丈夫だから。みんなのとこ戻れ。」

立ちあがった詩帆の浴衣の裾を整えながら悠介がぶっきらぼうに言った。追っかけては来たものの、いざ悠介を目の前にすると、詩帆は何て言っていいか分からない。

「奈・・・奈津先輩が・・・好きなんですよね・・・。」

「だから?」

悠介は詩帆に怪我が無いのを確かめると、素っ気無く答える。そんな悠介に詩帆は渾身のエール送る。

「だったら・・・。諦めないで頑張ってください!」

悠介は詩帆の肩にポンッと右手を置いた。そして、呆れたように少し笑った。

「簡単に言うなあ。」

それから、、悠介はこの場を去ろうと向こうを向いた。

「わたしも片思いだから分かります!簡単じゃないって知ってます!今だって、全然見てもくれてません!」

詩帆は悠介の背中に向かって思わず言っていた。詩帆は言ってしまってから、おでこに手を当てた。どさくさに紛れて、つい告白のようなことを口走ってしまった・・・。悠介は立ち止まると、一瞬振り返り、

「そっか。詩帆ちゃんもか・・・。詩帆ちゃん見ないなんて、バカだなそいつ。そっちこそ頑張れ。応援してっから。」

と詩帆に同情し、逆にエールを送ってきた。そして、また、向こうを向くと歩き始めた。

「は?」

詩帆は悠介のあまりの鈍さにガクンとくる。

「じゃあ、先輩はバカなんですか!!」

思わず大きな声が出る。後輩に、しかも1年生にバカと言われ、悠介はムッとして立ち止まる。

「ほら!全然見てないから分かんないじゃないですか!」

悠介はゆっくり振り返った。そして、色白の顔を真っ赤にして必死になってる詩帆を見た。そして、ようやく気づいた。

「オレのこと・・・?」

悠介は、詩帆の顔をまじまじと見た。ずっと同じ部活でほぼ毎日会っているのに、今、初めて出会ったような感覚を覚える・・・。

「ありがと。」

悠介はそれだけ言った。そしてその場を、それ以上何も言わずに後にした。今までにも告白をされたことは何度かある。その度に、悠介の返事は決まって「ごめん!」と即答だった。それなのに、今出た言葉は『ありがと。』だった・・・。奈津をあいつにとられたばかりだからだろうか・・・。それとも、同じ部活のかわいい後輩だからだろうか・・・。今の悠介には、自分の気持ちがぐちゃぐちゃすぎてよく分からなかった。

 詩帆は自分の口から出た言葉に自分でびっくりしていた。これからも、一切言うことはないだろう・・・そう思っていた言葉だった。詩帆は赤いちょうちんの間をみんなの居る方に向かってトボトボ歩いた。言葉にしたからって、きっと何かが変わるわけではない・・・。でも、『ありがと。』と言った悠介先輩はいつもの優しい先輩に戻っていた・・・。


 「帰ろうか。送る」

鼻をすすると、ヒロは言った。

「一緒に・・・歩いて帰りたい。ほら!歩きやすいように下駄じゃなくて草履にしてきた。」

奈津は足を少し上げると、ヒロに見せた。

「女の子なんだから、足あげない!」

ヒロは笑う。

「あ、でも、この近くに自転車停めてたんだ!乗せてく!」

ヒロは、ずっと握ったままの奈津の手を引いた。そして、自転車を停めている場所へと向かった。

「自転車?二人乗り?」

奈津はちょっと小走りしながら訊く。

「うん。危なくないように、車が通らない土手を帰ろう!」

二人は大きめの木の下に停めてある自転車のところにたどり着いた。ようやく二人は手を離した。ヒロの手の感覚が奈津の手に残る・・・。ヒロは自転車の鍵をはずし、ハンドルを握った。

「後ろに座れる?」

木の横にある街灯が奈津の姿を浮かびあがらせる。そう言えば、ヒロは日本の浴衣をこうやって目の前で見るのは初めてだった。襟元からスラッと伸びている奈津の首筋や胸元にに思わず目がいく。急に暗がりに二人きり・・・と意識し始めてしまう。すると、奈津は自分の背中に手を回した。袖口から細い二の腕がのぞく。ヒロはそれにまたドキッとした。次の瞬間・・・

「え!奈津!うそ!!」

奈津は帯をほどき始めた。ヒロは奈津を止めようとあたふたする。でも、両手で自転車を持っているので、奈津の突然の行動を止められない。奈津と一緒にいる時のぼくは、いつもあたふたさせられる・・・。『え!脱ぐつもり?』突然のことすぎて、心の準備ができてない!!

「ジャジャーン!!」

奈津の声とともに、ヒロは慌てて横を向いて目をつぶった。

「出血大サービス!目、開けて!」

奈津のおどけた声にヒロは恐る恐る目を開ける・・・。顔が熱い・・・火照っているのが自分でも分かる・・・。はだけた浴衣の下・・・

「な!」

ヒロは思わずホッとしたような。がっかりしたような。

「サッカーの練習着かあ!」

奈津は笑う。

「がっかりした?浴衣慣れてなくって、スースーするから!」

奈津は浴衣を脱ぎながら、ヒロの顔をいたずらっぽくのぞき込んだ。

「した!すっごいセクシーなの期待した!わ~、マジで色気ない。サッカーかあ。」

ゴツン。奈津はヒロの頭にげんこつをすると笑った。

「ほんとはめっちゃセクシーだけど、簡単には見せません!浴衣じゃ乗りにくいでしょ。」

奈津はヒロの腰の辺りのTシャツを掴むと、横向きに自転車の後ろにちょこんと座った。

「ほら、服じゃなくて、ちゃんと腰持たないと危ないって。」

ヒロは奈津の手をとると、しっかり自分の腰に手を当てさせた。

「行くよ!」

ヒロの合図で自転車は動き出す。自転車が進む音が星空の下に広がる。そして、二人は風を感じる・・・。

 

 この自転車の一漕ぎ一漕ぎが、二人のタイムリミットへのカウントダウンであることを二人はとっくに気づいていた・・・。

 何も知らない賑やかな祭りの囃子が、軽快に二人の背中ごしから聞こえてきている・・・。


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