第30話 7月の約束
突然、二人は眩しい光に包まれた・・・。思わず二人はそちらを振り向いていた。その瞬間、とっさにコウキは奈津の頭を自分の胸に抱き寄せると、それを両腕で覆うように胸に抱きかかえ、素早く光に背中を向けた。まるで奈津が突然狙撃され、それを体を張って、必死で敵の銃弾から守るボディーガードのように・・・。そんなどこか大げさ過ぎるくらいのコウキの反応だった・・・。何が起こったのか、周りを確かめたいが、コウキが自分の胸にぎゅっと奈津の顔を押しつけるように抱きかかえているので、奈津は身動きがとれなかった。奈津が苦しいくらいにコウキは力を入れていた・・・。
ウィーン。
おもむろに車のウィンドウが開く音がした。
「ゴッホン・・・。わが家の前ではラブシーン、禁止。」
緊迫した空気に、ゆるっと間の抜けたような声が響く。その台詞とその声の調子に思わずコウキの全身の緊張がほどけた。それと同時にコウキの腕の力も抜ける。奈津は頭が自由になると、ガバッと体を起こし、さっきまでの大粒の涙もサッとぬぐい、
「父さん!!」
と声を上げた。
「父さん・・・?」
緊張から解かれたコウキは安堵し、一瞬ホッとしたものの、それも束の間、新たに自分が置かれた状況に気がつくと、
「お父さん!?」
と叫び、慌てて車のヘッドライトの方に体を向け、急にかしこまった。奈津の父親はいつものように車をバックで車庫入れすると、ライトを消し、仕事鞄を抱え、運転席のドアを開けた。
「うおっほん・・・。近づきすぎ。」
車から降りた父親は改めて二人を見ると、わざとらしい咳はするものの平静を装っているのか、努めて普段通りの口調で言った。奈津の左の腕とコウキの右の腕がぴったりくっついていることに、二人は今さらながらに気がつくと、顔を見合わせてパッと離れた。父親はコウキの前まで来ると立ち止まり、月明かりに照らされる眼鏡越しの彼の目ををジッと見た。
「奈津、こちらは?」
と尋ねた。
「えっと、えっと、こちらは・・・」
と父親を前にして、奈津はかなりテンパっていた。すると、ポンッとコウキが奈津の肩に手を置いた。それから、
「ぼくは、タム・・・・・・」
コウキは自己紹介を始めようとした。・・・が、それは途中で止まった。そして、
「・・・いや、ダメだ・・・。」
コウキはそう言って軽く首を左右に振り、言葉を飲んだ・・・。静寂が3人を包む。コウキは目をつぶり、大きな深呼吸をひとつした。
「まだ・・・、まだ、名乗れません・・・。すみません。」
コウキは頭を下げると、静かにそう言った。奈津はその言葉に意表をつかれた。この状況で名乗らない・・・という選択肢は奈津にはなかった。なぜ、「タムラコウキ」と名乗る・・・ただそれだけのことを言い淀むのだろう・・・。その疑問が浮かんだ時、奈津はまた・・・コウキが消えてしまう・・・というあの感覚に襲われた・・・。奈津はそうっと顔を左に向け、コウキの横顔を確認した。それはちゃんとコウキだった。そして、奈津の横にちゃんとコウキは居た・・・。至極当たり前のことなのに、そのことが奈津を妙にホッとさせた。父親の方は・・・というと、ピクリとも動かず、コウキの次の言葉を待っているようだった。
「奈津に・・・いえ、奈津さんに・・・先に、ちゃんと話をしてから、それから・・・それから、きちんと名乗ります。」
コウキは何かを噛みしめるように、ゆっくり話した。
「それは・・・今から、奈津に話すのかな?」
父親が口を開いた。コウキは下を向き一瞬考えると、顔を上げた。そして、奈津の方に体ごと向き直すと、
「奈津・・・。」
と話し始めた。
「夏休みに・・・夏休みに入ったら、1日・・・奈津と過ごしたい・・・。その時・・・奈津に話をする・・・。いい・・・?」
コウキは時に伏し目がちになったり、時に奈津の目を見つめたりしながら、一言一言一生懸命言葉にした。
「うん。」
奈津はコクンとうなづいた。コウキの言葉を聞いて、奈津の心は躍った。どうやらコウキにデートというものに誘われたらしい・・・。しかも父親の前で正式に・・・。そして、その時のコウキの話って言うのはきっと・・・。奈津は自分の唇に右手の中指を当てた。さっきのコウキの唇の感覚がまだ残っている・・・。コウキのそっと触れるだけのような優しいキスはすべての答えに違いなかった・・・。
「・・・分かった。その代わり、羽目は外さないように。そして、その日もラブシーンは禁止。」
父親はそれだけ言うと玄関に向かって歩き始めた。そして、振り向くと、
「もう遅い。奈津はもう家に入りなさい。君ももう帰りなさい。」
と言った。
「はい・・・。」
奈津は、父親に返事こそ返したが、コウキの顔を見て、まだ、ここに居たいのに・・・とコウキに目で訴えた。コウキはそれを察したが、「行って。」と言うように、奈津の背中をポンッと押した。本当は・・・、本当は奈津に居て欲しい・・・と強く思っているのは自分の方だというのに・・・。父親が玄関の所で奈津が先に家に入るのを待っている。奈津は観念してカバンを拾うと玄関に向かって歩き始めた。足取りはそこはかとなく重い。奈津は父親の横まで行くと、一度後ろを振り返った。コウキが奈津が家に入るのを見送っている。コウキは奈津と目が合うと軽く右手を挙げた。奈津はコウキに顔を向けたまま、父親に促されるように家に入った。パタン・・・奈津の後ろで玄関の扉が閉まった。 「父さん、待って。これだけ。」
と言って、奈津は、カバンを置くとそれを開け、ペンケースからシャーペンを出し、小さいメモ帳にササッと自分の携帯の番号を書いた。そして、
「これだけ、これだけ渡してくる。」
と急いで玄関の扉を開け、外に飛び出した。コウキは自分の自転車にまたがり、今まさに、こぎ出そうとするところだった。
「待って。コウキ、これ。」
奈津が玄関から飛び出してきた。奈津は、コウキのところまで駆け寄ると、
「これ。わたしの電話番号。夏休みのこと・・・一緒に決めよう・・・。」
と言って、メモ帳をちぎった紙切れをコウキの手に手渡した。コウキはそれをじっと見ると、
「また・・・、胸ぐら掴まれるのかと思った・・・。」
と言って笑った。奈津は急に夕方の出来事を思い出し、穴があったら入りたい心境になった。そして、
「あれは、あれは・・・」
とアタフタと何かを言い返そうと口をパクパクさせた。
「奈津は・・・まっすぐ、一直線だね・・・。」
そう言うと、コウキは奈津に手を伸ばした。でもそれは、奈津に触れる寸前に止まった。・・・あんなに大胆にキスをしておきながら、改まって奈津に触れようとすると、コウキの手は震えた・・・。その時、ガチャンと玄関の扉が開いた。二人がそちらを振り向くと、凛太郎だった。
「あ~!コウキくん!」
凛太郎は奈津が話しているのがコウキだと分かると、妙に嬉しそうに手を振った。コウキは凛太郎に、「よっ!」と手を振り返すと、もう一度奈津に向かって、
「教室で言ったこと・・・本当にごめん。奈津に・・・ちゃんと話す。全部。夏休みに・・・。」
と言った。奈津はコクンと頷いた。そして、思い出した夕方の教室での一コマを何の気なしにコウキに告げた。
「コウキのダンス・・・びっくりした。すごく素敵だった・・・。」
コウキは奈津からもらった紙切れを、もう一度、黙ってジッと見つめた。そして、それを大事そうにポケットにしまうと、小さい声で何かを言い始めた。
「ぼくは・・・」
「コウキくん!!またね~!」
凛太郎の大きな声が響く・・・。
「フェイクだ・・・。」
凛太郎の声とコウキのつぶやいた声が重なった。「ん・・?」奈津がそのつぶやきをちゃんと聞き返す間もなく、コウキは続けた。
「ありがとう・・・。連絡する。夏休み・・・1日だけ・・・ぼくと過ごそう。」
そして、奈津の頭にポンッと手を置き、いつもの優しい笑顔を見せた。そして、凛太郎に手を振るとコウキは走り去って行った。奈津はコウキの走り去る背中をいつまでも見送った・・・。コウキが手を置いた頭・・・。コウキが触れた唇・・・。奈津はもう一度自分の頭に触れ、それから唇に手を当てた。湧き上がってくる幸せを、奈津は止めることができなかった・・・。その幸せの前には、凛太郎がかき消したコウキのつぶやきも「1日だけ・・・」というコウキの言葉の響きもどこかに飛んでいた・・・。始まったばかりの恋に、奈津は有頂天になっていた・・・。そう・・・、普通の高校生同士の恋の始まりが大体そうであるように・・・。
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