第20話 7月の太陽
悠介たちはコーンを並べ、ドリブルの練習をしていた。7月に入り、気温も急激に上がってきたので、こまめに水分をとるようにしている。ドリンクのボトルを取りにいく時に、悠介はグランドをぐるっと見渡したが、今日はマネージャーが2人しかいないようだった。いつも張り切って、グランドを駆け回ってる奈津の姿が見えない。気にはなったが、今は部活中でサッカーに集中する時だった。1年生から3年生まで総勢70人近い部員がいる。今、自分はそれをまとめる側の人間だし、インターハイ予選の敗退は明らかに自分のせいだと自分を責めてもいた。だから、何が何でも、この時間は100パーセントサッカーに打ち込みたかった。そして、秋から始まる選手権予選ではチーム全体が万全の状態で臨みたかった。・・・そう、それは奈津も同じなはずだった。だから、奈津が部活に遅れたり、休んだりすることはこれまでなかった・・・。なのに、なんで、今日はこんな時間になっても姿が見えないんだろう・・・。コートを走りながら、また、そっちに思考が行きかけたので、悠介は、立ち止まって、自分の頬を挟むように2回叩いた。基本練習が終わると次はゲームだった。すでに体中から汗が噴き出している。汗と土が混じって顔ももう真っ黒だった。悠介はコートの外に出ると、水を飲み、ボトルから顔にその水をかけた。顔を上に向けたついでに空を見ると、7月の太陽はもうだいぶ傾いているのに、まだまだまぶしい。顔からしたたり落ちる水が首や体をつたうのが気持ちよかった。二、三回体を振り、水気を飛ばすと、赤のビブスを取りに行った。ビブスを手にとり、頭からかぶっている時、まなみが悠介の横を通った。
「悠介。」
まなみは悠介に声をかけた。そして、
「奈津、弟になんかあったらしくて、今、野々宮小に行ってる。」
まなみは、自分が知っている範囲の情報を手短かに悠介に伝えた。
「野々宮小?凛太郎になんかあったんか?」
悠介はビブスに手を通しながら、あまりの思いがけない話にびっくりして訊いた。
「それが、5時間目に出て行ったきり、奈津、まだ帰って来なくて。さっき電話したけど出んから、まだ状況がよく分からん・・・。」
その時、コートからコーチの
「赤と青、コートに入って!」
という声が響いた。悠介は、
「ハイ!」
とコートに向かって返事をしたが、本当はまだまだ訊きたいことがたくさんあった。
「今、ケータイ持ってる?」
と悠介は早口でまなみに訊いた。
「うん、ポケットに入れてる。」
まなみがそう答えるのを確認すると、悠介は
「奈津から連絡入ったら教えて。」
とだけ言うと急いでコートに向かって走って行った。
「うわ!すごい山あいにある!」
津和野駅から出たコウキが360度回りながら目を丸くして言った。
「ぼく、海育ちだから、山が迫ってくる感じがなんか新鮮!」
状況を考えてくれているのだろう。コウキは3人の中で一人だけ明るく振る舞ってくれていた。
「どっちに行く?」
数メートル先を一人歩いていたコウキが奈津と凛太郎を振り返ると、笑顔で訊いた。凛太郎は、
「まっすぐ。」
と古い建物の立ち並んでいる方の道を指さしながら、コウキの横に走り寄った。そして、
泣いてしまった気恥ずかしさからか、
「あっち。」
とだけぶっきらぼうに言うと、コウキの横をそのまま通り越して先に行ってしまった。駅の時計が4時過ぎを指している。7月の太陽はまだ高く、山の緑は光を浴びてますます色濃く感じられた。凛太郎がどんどん先に行くので、奈津とコウキは置いて行かれるような形になり、自然と二人で並んで歩くことになった。津和野は観光地だが平日の夕方に近い時間なので、3人の他に人影はほとんど無かった。でも、観光地らしく自転車がたくさん並べてあるのを見つけると、コウキは、
「あ、レンタル自転車がある。自転車でも回れるんだ。」
と独り言のようにつぶやいたりしていた。
「津和野は・・・」
奈津は思い切ってコウキに話始めた。みんなが気を遣うから、奈津はお母さんの話をあまり人前でしたことがなかった。
「津和野は、お母さんが元気だった頃よく家族で来てて・・・。あ、お母さん、4年前、凛太郎が2年生の時、病気で死んじゃったんだけどね。お母さんが入院前に家族そろってここに来たのがお母さんと出かけた最後かな!」
奈津はコウキに気を遣わせないように、できるだけ明るい調子で話した。
「だから、凛太郎は津和野に来たかったんだと思う。でも、うちらが見つけて、一緒に汽車に乗らんかったらどうするつもりだったんだろう!津和野に来たっきり、帰らないつもりだったのかな。はあ~もう超無謀。」
少しうつむき加減に歩きながら、コウキは奈津の話を黙って聞いていてくれていた。
「凛太郎、普段はお母さんがいないことを寂しがる素振りなんて見せたことないし、お父さんと私を気遣って、寂しい・・・なんて口にしたこともないんだけど・・・。本当は誰よりもお母さんがいなくて寂しいし、恋しいんだと思う・・・。だから、お母さんがいなくていいなあ・・なんて言われて、きっとカーってなっちゃって・・・。」
そこまで話して、奈津は、凛太郎を正当化しようとしている自分に気がついた。今の私って「うちの子に限って・・・」と言っているモンスターペアレントみたい・・・とちょっと恥ずかしくなり反省した。凛太郎は友達にけがまでさせてしまったのに・・・。そこで一回小さな咳払いをすると、声の調子を変え、
「でもね、だからって、相手にけがをさせていいことにはならないよね。それに、学校飛び出すなんて、それこそ、なんの解決にもならない。問題を起こしておいて逃げ出すなんて!」
と凛太郎養護をやめて、客観的な立場としての意見を言った。
「逃げ出した・・・か・・・。」
ずっと黙って聞いていたコウキが初めてつぶやいた。
「そう!自分はいいかもしれないけど、置いて行かれた方の身にもなってほしい!こんなに心配かけて!それに問題を丸投げして、ほんっと無責任なんだから!」
奈津は身内のことなので、遠慮せず言い放った。特に「無責任」という言葉に力を込めて・・・。でも、口ではそう言っても、奈津は本当は、凛太郎の気持ちは痛いほど分かっていた。だから、言い終えた途端、奈津の心もチクチクと痛んでいた・・・。すると横から、いつもの鈴が鳴るような笑い声が聞こえてきた。奈津は面白いことを言ったつもりはないのに、横でコウキが笑い出していた。奈津は不思議そうにコウキを見つめた。
「ハハハ!ごめん。ごめん。奈津が怒るとなんだか怒られてるみたいな気分になっちゃって・・・、そんな自分が可笑しくって。」
コウキは少しの間笑っていたが、笑いが収まってくると、
「そうだね。奈津が言うとおり、丸投げして逃げるなんてほんと無責任だね。・・・」
と空を見上げた。夕方なのにまだまぶしい光がコウキの横顔を照らしている・・・。「消えてしまいそう・・・。」奈津は突然そんな感覚に襲われた。そして、思わずコウキの腕を掴んでしまっていた。腕を掴まれ、ちょっとびっくりしたコウキは奈津を見た。そして、
「あ、違う。ごめん!凛太郎くんのことじゃない!凛太郎くんは大丈夫!逃げたとか無責任とかそんなんじゃない!・・・ただ、いろんなことにびっくりしただけだよ。」
すまなそうにそう言うと、奈津を見て、いつもの笑顔を見せた。「そうじゃない。そうじゃない。今、この瞬間心配してるのはコウキのことだよ。どうしたの・・・?」と奈津は、心の中ではそう言っていた。でも、それは、声として口から出てこなかった。その代わり、声にはならないいろんな思いと一緒に思わず口から出ていたのは、
「消えたりしない?」
の一言だった。手に力を込めて腕を掴んだまま・・・。そう、廊下でコウキの腕を掴んだ時のように必死な顔をして・・・。コウキは今回もびっくりして眼鏡の奥の目を丸くした。
「え?消える?・・・えっと・・・ぼくが?」
コウキは一瞬たしろいだが、奈津が真剣な顔をして、急に魔法みたいなことを言ったので、またプッと笑い出した。
「魔法使いじゃないんだから。消えたりできないよ。」
そう言って、コウキは空いている方の手で、真剣な表情の奈津のほっぺたを軽くつねった。
「ほら、ちゃんと実体がある・・・。」
言いながらコウキは、思わず近い距離に奈津の顔があることに気づいた。コウキの手も体も金縛りにあったように止まった。でも、それはほんの一瞬だった。一回目をつぶり、目を開けると、コウキは奈津の顔から手を離し、コウキの腕を掴んでいた奈津の手を軽く振り払った。そして、
「凛太郎くん、いつの間にかあんな遠くに行ってる!走ろう!」
と奈津を促して走り出した。
「あ、うん!」
奈津も思わず走り始めた。なんで「消えたりしない?」なんて言葉が出てしまったんだろう・・・。奈津は、あの時突然襲ってきた不安を思い出そうとしたが、今はもう、その感覚を思い出せなかった。ほっぺたにはコウキにつねられた軽い痛みがジーンと残っている。走りながらこちらを振り向いたコウキが、
「がんばれ~!」
と笑って言った。あのコウキが消えてしまうわけなんかないのに・・・。奈津は手を大きく振ると、コウキに向かって走って行った。
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