第7話 5月の雨
奈津はバス停でバスを待っていた。いつもは自転車通学なのだが、昨日の夜の突然の雨で、カッパを持ってなかった奈津は、課外授業が終わると父に電話し、車で迎えに来てもらった。そのため、今朝は自転車がない。隣町で公立中学校の社会の教員をしている父は、出勤時間が早く、父が家を出る時間に、奈津が一緒に家を出ることはほとんど不可能だった。(なんせ朝がめちゃめちゃ弱いから!)そんな訳で、今日は傘をさし、バス停でバスを待っていたのだった。昨日から続いている雨がしとしとと降っている。しばらくすると、低いエンジン音をたてながらバスがやってきた。都会の方と違って利用者は雨の日でも少ない。同じバス停からはちょっと腰のまがったおばあさんが乗ったくらいのものだった。それでもバスの中は、いつもよりは混んでいるのだろう、空席が5つほどしかなかった。奈津は整理券をとると右側に向かって歩き、バスの後ろの方の席に座った。雨の日は親に送迎してもらう生徒も多いので、バスに乗る高校生は少ない。奈津と同じ高校の見たことのある下級生が1人、奈津より後ろの席に座っているくらいだった。席につくと鞄を膝の上にのせ、奈津は窓の外を眺めた。山の緑が、雨に濡れてますます緑になっている。奈津は雨の日も好きだった。しばらく、バスが揺れるのに合わせて揺れながら、雨の景色を楽しんた。カッパを着て登校している学生もちらほら見える。本当だったら奈津もカッパを着て果敢に登校しているはずだった。バスは県立大学の前まで来ると減速し、左に寄っていた。次のバス停についたようだ。
ウィーン、ガタン。
バスの扉が開くと、見覚えのあるマッシュルームヘアが現れた。
「コウキ!」
奈津はつぶやいた。だが、コウキは、
「整理券をおとりください。」
という機械の音声にあたふたして、機械を一歩通り過ぎたのに、また、一歩戻って頭をかしげながら整理券を取っていた。そして、整理券を取るとそのまま左を向いてバスの前方に向かって歩き、空いている席を見つけて座った。奈津には気づかなかったようだ。コウキの白いカッターを着た背中の上の方とサラサラとした髪に覆われた後頭部が見えた。すぐにコウキも窓の外に顔を向けていた。雨は、相変わらずしとしとと降り続いていた。高校に一番近いバス停まであと停留所5つだ。奈津は鞄から「ポケット英単語」を出し、目を通し始めた。6月にあるセンター模試の結果は大切だ。志望大学のA判定の点数の8割はここで取っておきたい。ぶつぶつ英単語を発音しながら日本語を確認していたら、3つ目のバス停である「次は山口総合病院前」のアナウンスが入った。そのあたりから、前方の席で突然挙動不審にキョロキョロ辺りを見回し始めた人物がいた。コウキだ。コウキは窓の外を見たり、電光掲示板を観たり、落ち着きなくキョドっている。奈津と一緒にバスに乗ったおばあさんが「おります」のブザーを押したので、バスは減速し、左に寄ると「山口総合病院前」のバス停に止まった。すると、まだ、高校近くの停留所まであと2つもあるというのにコウキは立ち上がって、赤いリュックを肩にかけ、運転席の横まで行くと、財布から小銭をもたもた出したかと思うと支払い機に入れ、慌てて降りていってしまった。奈津はコウキの一連の動きをあっけにとられながら見ていたが、ハッと、「もしかして間違えてる?!」と思い、奈津も立ち上がった。幸いにも、おばあさんがゆっくり車内を歩いて、今支払い機にお金を入れるところだったので、
「わたしも降ります!」
と運転手に声をかけ、ポケット英単語を鞄につっこみ、傘をつかむと急いでバスの前まで行った。奈津はスムーズに支払いを済ませるとバスから飛び降り、赤に小さな白いドット模様の傘をさすと、コウキを探した。高校の方に向かって続いている銀杏並木を、黒い傘をさした赤いリュックの学生が歩いていくのが見えた。かなり先に行っている。
「コウキ!!」
奈津は大きな声をだした。でも、距離もあるし、雨の音と車の音でコウキに声は届かない。仕方ないので奈津はコウキに向かって走り始めた。5メートルほど手前まで近づいてからまた声をかけた。
「コウキ!」
まだ、気づかない。わたしたちを降ろしたバスが奈津を追い越していった。3メートル、
「コウキ!!」
まだ、聞こえない。はあ、はあ、鞄が重い。やった、もうすぐそこ、
「コウキ!!」
息を切らしながら声を振り絞ると、やっとコウキが振り向いた。
「ん?」
足を止めたコウキは、ちょっとびっくりしたようだが、「どうしたの?」というように、すました顔をした。奈津は少し息を整えると、
「コウキ、降りるバス停間違えたでしょう?」
といたずらっぽく訊いてみた。すると、すましていたコウキの白い顔がみるみる赤くなり、
「間違えたってわかった?」
と観念したようにボソッと訊いてきた。
「だって、すっごくキョロキョロしてたし、慌ててたし、明らかに怪しかったもん!わたし、一緒のバスに乗ってたんだよ。」
これを聞くと、赤い顔がますます赤くなった。
「・・・ぼく、こっちのバスに乗るの初めてで・・。乗り方もよく分からなくて・・・。あと、病院を過ぎた交差点で、バスが高校に行く道と県庁とかに行く道、どっちに行くかわからなくて・・。県庁の方に曲がったらマズイな~と思って・・・。」
コウキが真っ赤になりながら必死に説明しているのが、奈津はおかしくてしょうがなくて、思わず吹き出してしまった。
「だから、ここで慌てて降りたんだ!!ぷっあはは!まだまだ高校まで距離あるのに!ははははは!」
奈津はおなかをかかえて笑い出した。奈津の大笑いに、コウキの初バス体験の緊張も間違えた恥ずかしさも、だんだんと薄れてきて、コウキも思わず声を出して笑い始めた。
「あっはっはっは!」
コウキの笑い方は、なんか鈴がコロコロ鳴るような感じだった。二人は笑い終わると、顔を見合わせた。奈津は、
「バスの時間早かったから、歩いても始業には十分間に合うよ!だから、わたしも歩くの付き合ったげる!」
とコウキに言うと一足先に歩き出した。
「あ、サンキュ。」
コウキはそう言って、奈津に追いつき、奈津の横に並んだ。 二人は銀杏並木を傘を並べて歩いた。
「コウキの家ってうちと近かったんだね。野々宮地区なんだ。知らなかった。じゃあ、いつもは自転車通?」
「うん。昨日家の手前で自転車パンクして、まだ直してなくて。だから今日バスだったんだ。はぁ~緊張した。」
そう言いながらコウキは胸に手を当てた。奈津はその姿を見て、慌ててバスを降りていったコウキの姿を思いだし、また笑った。それから二人は、学校のこと、サッカー部のこと、体育のダンスのことなど、たわいもない話をしながら銀杏並木を学校に向かって歩いた。
悠介も昨日は自転車を置いて帰り、今朝は母の車で学校に向かっていた。銀杏並木にさしかかった時、悠介の母が、後部座席で目をつぶって寝ている悠介に話しかけた。
「ねえねえ、あの赤に白の水玉の傘、なっちゃんじゃない?」
「ん?」
目をこすりながら、体を起こすと、悠介は運転席と助手席の間から前を見た。奈津のお気に入りの赤に白のドットの傘が見えた。
「あ、ほんとだ。奈津だ。なんであいつ、ここ歩いてんだ?母さん、奈津拾ってやって。」
悠介は後のことは母さんに任せたと言わんばかりに、また、座席にもたれかかると目を閉じた。
「あ、でも、悠介。なっちゃん、友だちと一緒みたい。あれ~、男の子だよ~。悠介浮気されてるぞ~。」
悠介の母は笑いながら、茶化すように言った。悠介が、がばっと起きた時、ちょうど車が奈津の横を通り過ぎる時だった。赤に白いドットの傘と黒い傘が並んで歩いていた。通り過ぎたとき見えた奈津の顔はやけに楽しそうだった。
「あ、母さん、奈津、拾わなくていいから。そのまま行って。それに、何度も言ってるけど、おれと奈津は付き合ってないから。浮気とか言わんでくれる?もともとそんなんじゃないから。」
悠介は、そう言うと、また座席にもたれかかり目を閉じた。
「あ、ごめん。ごめん。幼なじみってだけだよね。つい、からかいたくなっちゃって・・。」
悠介の母はそう言うと、「難しい年頃だ・・。」というひとり言も付け加えた。
奈津とコウキは無事、高校に着いた。 ちゃんと間に合った。奈津は、コウキの左側をずっと歩いていて、気づいたことがあった。彼の左の横顔を見ていたら、奈津はコウキの耳たぶに小さな穴があいているのを見つけたのだ。じーっと見ないと気づかないくらい目立たないけど、確かに耳たぶに小さな穴が開いている。
「コウキ、もしかして、これ、ピアスの穴?」
奈津はコウキの耳を指さした。
コウキはこっちを向くと、少し間を置いてから、
「こっちでは禁止だから。」
と言った。そして、奈津の顔をのぞき込むと、
「シーッ」
と、人差し指を自分の唇に当ててクシャッと笑ってみせた。
いつの間にか、5月の雨はあがり、雲の間から、少しだけ太陽が顔をのぞかせていた・・・。
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